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「最後の貧困者」をなくしたい!創大で、ネパールで見つけた私の夢。挫折を乗り越え、大学院で新たな挑戦を開始!(2015年6月4日掲載)  

板子 博子

2015年3月 経済学部卒業

東京大学附属中学・高校で学んだ板子さん。国立の学校のカリキュラムで学ぶ中、中学で「NGO入門」の授業を選択し、“貧困”や“発展途上国”という言葉が板子さんの中で大きなウエイトを占めるようになりました。高校卒業時には、発展途上国についてのテーマで卒論を完成させました。学ぶほどに、“貧困は放っておいてはいけない問題”とさらに勉強していきたいと思うように。そんな中で、創価大学が示す“何のために学ぶのか”“誰のために学ぶのか”という創立の理念に出会い、創大で学びたいと強く思ったそうです。しかし家族の経済的には厳しく、奨学金とアルバイトで、授業料など必要なものは自分でまかなうという条件で進学することに。経済学部の授業で“貧困はお金の問題”と思っていた自分に衝撃が走り、アフリカ研究の授業で、“最後の貧困者は、途上国の障害者”と知りました。無我夢中で学び、ネパール留学も決め、夢がどんどん近づいていた矢先に、突然大学に行くことができなくなってしまいました。勉強、アルバイト、働かずに学んでいるというプレッシャーが気づかぬ間に心に負担をかけていました。それでも、ネパールの地に立った板子さん。振り返れば、4年間全てのセメスターで成績優秀者となり、特待生にもなりました。そして、“最後の貧困者をなくしたい”というその夢に向かって、この4月からは東京大学大学院国際協力学専攻でさらなる学びに挑戦しています。板子さんの4年間について話を聞きました。

大学院進学、おめでとうございます!

ネパールの大自然

ネパールの大自然
ありがとうございます!創大で出会った多くの人たちのお陰で一歩一歩前に進むことができたと思っています。
私が“貧困”や“発展途上国”について考え始めたのは、中学生の時に見た『ナイロビの蜂』という映画がきっかけでした。ミステリー映画なのですが、なんと言ってもそこに映し出された美しい自然に魅了されました。それと共に映画の中で起きる紛争や貧困に苦しむ人々を見ながら、頭の中で、“こんなに美しい自然のもとで、一体何が起きているのだろう”という考えがめぐるようになりました。そんな時に授業の選択があり、“NGO入門”の授業を選びました。実は一番の理由は、他の“沖縄研究”や“青森・荒馬踊り体験”だと現地を訪問することができるためとても人気で、授業選択で落ちたくなかったので、いつもそんなに応募が多くないという“NGO入門”を選択しました(笑)。

スラム地域の幼稚園。お昼寝タイム

スラム地域の幼稚園。お昼寝タイム
NGOの本部を訪問したり、NGOの方々が授業に来て写真などを見せてくれながら、現地での活動を紹介してくれました。いつしか、“もっと学ばなくては”との欲求が高まり、“いつか途上国に行きたい”という夢を持つようになりました。そんな私にとって創価大学は理想的な進路先でした。“何のため”“誰のため”を問う建学の理念、経済学部のIP(インターナショナル・プログラム)、アフリカをはじめ5大陸に渡る留学プログラム、そしてオープンキャンパスで感じた大学の明るい雰囲気、充実した施設そして学生たちの笑顔。心から創大で学びたいと思いました。創大に進学後は、学びも留学への挑戦も全てが“夢が現実になった!”というような喜びに満ちていました。まさか卒業後、大学院に進学するとは思ってもいませんでしたので、本当に嬉しいです。

なかなか順風満帆といえるような大学4年間ではなかったようですが・・・

友人たちと

友人たちと
大学進学時は、リーマンショックの煽りで、世界的に不況の続いている時でした。大学進学を当たり前と考えられるような状況にありませんでしたので、家族も頭を抱えてしまいました。どうしても大学で学び続けたかったので、最終的には、自分で奨学金とアルバイトをやりくりし、授業料はじめ、大学で学ぶために必要なお金を作っていくということで、送りだしてもらうことになりました。働かずに大学で学ばせてもらっているんだとの思いで、懸命に勉強しました。1年生の前期から成績優秀者を取り、特待生にも選ばれました。経済学部のIP(インターナショナル・プログラム)に所属し、夜8時まで図書館で勉強、それからアルバイトに行き、終電で家に帰るという日もありました。“3日寝なくても大丈夫!”とランニングハイのようなときもありました。それが少しずつ思うようにいかないことが出てきて。IPは英語で経済学を学ぶ特別なコースで、勉強量はかなりのものです。英語で資料を読んで、書いて、ディスカッションしてですから、皆すごい勢いで英語の力を伸ばしていきます。
私は、それまでの勉強量の不足や試験に不慣れなこともあり、TOEFL、TOEICの点数が思った以上に取れませんでした。点数が取れないこと自体もショックでしたが、そのために、アフリカの大学への交換留学試験に出願することすらできませんでした。ショックでした。自分でその時に感じでいた以上にショックだったのだと思います。

衛生施設の普及を求めたラリー活動

衛生施設の普及を求めたラリー活動
“就職もせずに大学で学んでいるのに、英語の能力は上がらないし、アフリカ留学を目標にして、勉強にバイトにと頑張ってきたのに、留学にも行けないのか”と、それまで自分にかけていたプレッシャーの全てで、自分を責めました。それでも、ゼミの西浦昭雄教授に励まされ、ネパールに留学することに決めました。表面上は、“アフリカだけが全てじゃない、ネパールの方が自分のしたかったことができるかも!”と決意を新たにしましたが、ある日、忘れ物を取りに自宅に帰るとひどくだるさを感じ、その日からそれまでのプレッシャーや疲労が積もったのか、大学に行くことが難しくなりました。ゼミの西浦先生が気付いてくださって、すぐに連絡をくださいました。何時間も話を聞き、励ましてくださり、その後もいつでも連絡を絶やさず支え続けてくださいました。アフリカ研究の加納直幸准教授も、私の混乱した話に耳を傾けてくれました。

発展途上国の障害者問題に関心を持つようになったのは、加納准教授の授業がきっかけなんですよね。

障害アーティストとして活躍する3人組と

障害アーティストとして活躍する3人組と
はい、1年生で受講した加納准教授の『アフリカ研究』がきっかけでした。そこに、卒業生で国連・社会開発会議の「障害者に関する特別報告者」シュエイブ・チャルクレン氏のもと、南アフリカでインターンシップを経験された蝶名林久世さんの帰国報告を聞きました。衝撃でした。何が衝撃だったかというと“途上国にも障害者はいます”と言われたことでした。中学生の時から、“貧困問題”を考えてきた自分が、その事に思いも及ばなかったことに、恥ずかしさとショックを覚えました。南アフリカで、障害者の人々がどのように生きているのか、その差別の実態は、想像も及ばない悲惨な現実でした。

CBRセンターでお世話になった先生とディレクターと共に

CBRセンターでお世話になった先生とディレクターと共に
そういう存在に気づきもしなかった自分への嫌悪感と、車イスの私の叔父が、もしも違う国に生まれていたらどんなことになっていたのか、まじまじと想像してしまい具合が悪くなったほどでした。“最後の貧困者は、発展途上国の障害者”である、との蝶名林さんの言葉に、“貧困”を自分の学びのテーマとしていくのなら、最後の貧困者を外して考えることはできないと、その時強く思いました。また、CBR(コミュニティ・ベイスト・リハビリテーション)という途上国の障害者支援の持続可能なアプローチとして30年以上前にWHOによって提唱された取り組みについてもその時知りました。
ネパール留学が決まった時に、ネパールにCBRセンターがあると分かり、現地に到着して、大学に行くよりも先に、CBRセンターと連絡を取り、ボランティアとして行かせてもらうことに決めました。

ネパールではどのような経験をしましたか?

スラムの子供たち

スラムの子供たち
そもそも、ネパールに旅立つ直前まで引きこもっていたわけで、それを西浦教授が“絶対に大丈夫だから、行っておいで!ダメだったら次の日帰ってくればいいから”とものすごい確信で言われたので、家から出るのも大変だったときに、ネパールに行ったんですよね(笑)。今、考えてみると、“ダメだったら帰っておいで”って、行くだけで2日かかりましたけど(笑)。さすがアフリカ研究の西浦教授スケールが大きいですよね(笑)。でも、その励ましのお陰で、ネパールに行くことができました。到着して、ただただ感動です。これまで夢に見た光景が、景色が目の前に広がっているわけです。“わー、すごいっ!”と体中が興奮していました(笑)。

(上)友人たちと、(下)CBRセンターの生徒たちと

(上)友人たちと、(下)CBRセンターの生徒たちと
大学の授業自体は、発展途上国にありがちな問題で、政治の状況でストライキが続きなかなか授業が行われませんでした。ですので、大学で学んだというよりは、フィールドから多くの事を学びました。言葉も英語ではなく、ネパール語。現地の人たちとコミュニケーションを取るために、ネパール語を勉強しました。
CBRセンターでは、実際楽しいことばかりではありませんでした。障害と言っても、様々な症状があり、自傷行為、他傷行為、突然キレるなど暴力的なことも日常茶飯事でした。“怖い”と思うことはありませんでしたが、“この子の苦しみは私のものよりずっと苦しいんだ。どうしてわかってあげられないんだろう”と思いました。彼らに会った時に、私は彼らに受け入れてもらっていると思ったんです。ネパールでは、私は外国人で、マイノリティなんですよね。いつも、私はこの国に受け入れてもらえているのだろうかと不安に思っていました。そんな中で彼らが一番自分を受け入れてくれたと感じたんです。だから私も、“受け入れているよ”と伝え続けました。パニックになって、なぐりかかってくることもありましたが、それでも、彼らから逃げずに、“大丈夫だよ”と言い続けました。“目の前にいるよ”、“一緒にいれてうれしいよ”、そう伝え続けました。かと言って、伝わっているのか、それは分かりません。無力感に襲われることもしばしばでした。やる気のない先生方に憤りを感じることもありました。葛藤の連続でしたが、自分には何もできないことを認めた上で、長い目で見て、“今はこの現実を見せてもらっているんだ、将来、必ずここで見たこと学んだこと経験したこと葛藤したことを、最後の貧困者をなくすために活かすんだ”、となんども心の中でつぶやきました。

そうやって懸命に障害者の現実と向き合う板子さんを見ていてくれた人たちがいたそうですね。

小学校の子供たち

小学校の子供たち
多くの人が共感し、興味をもってくださいました。違う施設の方々も、ネパール語を話せること、障害者に関わりたいと思っていることを知ってくれ、“この子には自分の時間を使ってでも伝えたい、施設をみてもらいたい”と思ってくれたそうです。そうする中で、支援のあり方についても考えさせられました。CBRに関しても、一見住民主体のように見えますが、外部支援との間で軋轢が多く生じていました。CBRという概念自体も、現場ではよく理解されていないままにそれらを運用していかなくてはならないという、当事者らの疲労感も垣間見えました。現場の支援活動にしても、外国人がじゃまをしていることもあるんです。ともかく、そうした現実も含めて、見れるものは全て見たいと思いました。JICAの協力隊、トレーニングセンターの所長、そこから縁が広がり、いろんな方々の話も伺うことができました。スラムにも半年間、通いました。“ネパールの障害者福祉を変える!”との志を持つ人たちにも出会いました。彼らは私の将来を案じてくれました。“一緒に頑張ろう”と言ってくれました。そして“ありがとう”とも言ってくれました。障害を持つ人たちが住みやすいと思える街づくりをと思う彼らと、いつか一緒に働きたいと思います。

大学院では、“障害を持つ人たちが住みやすいと思える街づくり”をするために研究を進めるということでしょうか?

障害者の日、ラリーにて、生徒と

障害者の日、ラリーにて、生徒と
具体的にはまだこれからですが、今、最も関心をもっている領域は、コミュニティ開発・地域開発です。障害はコミュニティ側の問題、ある種の社会現象であるという前提のもと、こうした問題意識を持っています。コミュニティ内の様々なアクターの関係性や周辺環境によって、望ましい支援の形は変わります。こうしたコミュニティ内の環境制約の問題に取り組んでいきたいと思っています。大学院の講義や議論は、こうした問題意識を出発点に、多方面の分野から議論を重ねています。日々、新たな価値観と出会い論理構造を組み直す作業は、とても刺激的です。昨年ネットワーク多摩の多摩未来奨学金をいただき、多摩未来奨学生プロジェクトに参加をした際にも、地域コミュニティへの提案を他大学の学生たちと共にさせてもらう中で、知見を広げることができました。

創大の4年間は板子さんにとって、どのようなものになりましたか?

(上)村で出会った子供たち、(下)友人たちと

(上)村で出会った子供たち、(下)友人たちと
素晴らしい4年間でした。経済学の授業も、すごい教授陣に囲まれて刺激的でしたし、IPではこれでもかと勉強させてもらいました。西浦教授を始め経済学部の多くの恩師にも出会いましたし、ネパールに留学し、大学院への進学まで叶えることができました。入学時には想像もできないことでした。ネパールでの、水シャワー。1年間通して同じものを食べることにも慣れ、どこでも寝れるようになりました。ネパール人の時間のルーズさにはおおらかでいることを学び、彼らが“できる!”と言っても、目が泳いでいる時には、“できない”ということだと理解できるようにもなりました(笑)。最寄りのバス停からホームステイ先は歩いて10分の距離ですが、いつも帰る道々でお茶に誘われ、1時間半かけて家に帰っていたことも懐かしいです(笑)。そして、甘えながら生きていくのも自立だと学びました。何でも背負って倒れるよりも、甘えながら、頼りながら、前に進むのでもいいんだと。ネパールで道に迷った時に、道を尋ねた人が丁寧に説明してくれたもののいまいち分からずに、「それじゃ」と歩き去ろうとするその人に“私は外国人で、道が分からないと困っているのに、あなたは置いていくんですか!”とネパール語で訴え、笑われながら道案内をしてもらったこともありました。自分は本当にネパールに行ってよかったと思っています。

友人たちと

友人たちと
この4年間で学んだ全てを、大学院での学びに活かしていきます。本当に全てに感謝です。“何のために学ぶのか”“誰のために学ぶのか”、創立者の池田先生が一対のブロンズ像に刻み送ってくださった言葉に引き寄せられるように体当たりで学んだ4年間でした。“何のために”“誰のために”、今はますます明確です。“最後の貧困者”をなくす!そのために、私は大学院で学んでいます。力を付けて、これまで支えて下さった創大の皆さん、ネパールの皆さんに恩返ししていきます!
 現在ネパールでは、大地震の被害で多くの方が苦しんでいます。雨期が始まる6月も近づいており、土砂崩れなどの二次災害への懸念も高まっています。これ以上被害が拡大しないよう、復興が進んでいくよう、心から祈ります。