ベルゴーリツの詩Стихи О. Ф. Берггольц

バルト艦隊の海兵隊員. レニングラード市内の宮殿橋にて

私たちは炎を予感していた

私たちは予感していた
この炎の悲劇の日を
この日が訪れた 
祖国よ!
私のいのちを 息吹を
持ってゆけ!

この日にあっても 私は忘れていない
弾圧と悪の辛苦の年月を
しかし 目もくらむ閃光を向けられて 気づいた
それは私の身に起こったのではなく 祖国に起こったことだったのだと
我が祖国は 踏ん張って 待っていたのだと

いや、私は忘れていない!
それでも たとえ死すとも 断罪されようとも
祖国の叫びに応えて 墓からでも起き上がってみせる
皆が立ち上がるだろう 私一人ではない

私は祖国を愛する 新たな
痛みを伴うけれど すべてを許す 血のかよった愛で
我が祖国はいばらの冠をいただき
頭上には暗い虹が見える

私たちの時が やって来た
  そして それが何を意味するのか ―
私と祖国だけが知る
私は祖国を愛する ―そうしかできないのだ
私と祖国は 今も一体だ

1941年

(江口満 訳)


「レニングラードの詩」より

私は ひとつの節目となった ある夜のことを 忘れないだろう
12月 灯りのない暗闇を
私は パンを手に 帰るところだった
突然 隣人が 目の前にあらわれた
「ドレスと交換して 
交換が嫌なら 友達のよしみでちょうだい
娘が死んで 葬式も出せずに もう十日
棺がいるの パンと交換に作ってくれるって
だからちょうだい あんただって子ども 産んでるでしょう……」
私は言った 
「あげない」
そして 貧弱な一切れのパンを 堅く握りしめた
彼女は言った 
「ちょうだいよ あんたも子どもを 亡くしたでしょう
あの時 お墓に飾れるようにって 私 花を持ってったわよね」
……まるで地上の最果てで
闇の中を 激しく取っ組み合いでもするように
私たち 二人の女が 並んで歩いていた
二人の母 二人のレニングラード市民
そして彼女は まるで憑かれたかのように
長々と 痛々しく おどおどと 懇願した
私は やっとのことで
自分のパンを 棺に換えなかった
そしてやっとのことで 彼女を正気に戻し 
暗く言った
「ほら、食べなさい この一切れ 食べなさいよ……ごめんね!
生きてる人のためには惜しくないのよ ― 変に思わないで」
……12月、1月、 2月と生き抜いて
私は幸せの身震いを繰り返す
生きている人のためには何も惜しくない ―
涙も 喜びも 情熱も
戦争よ お前の面の前に
友から受け継いだ 永遠の生命のバトンとして
この誓いを高く掲げる
それは無数の友 私の友 我が故郷レニングラードの友
おお、友がいなければ
辛い包囲網の中で
私たちは 朽ちてしまったことだろう

1942年

(江口満 訳)


レニングラードの貴女へ

貴女のすがたと生きざまを
称賛するうたがつくられるでしょう
でもきっと貴女はこういうでしょう
「こんなの私じゃない」と
「私はもっと普通で無愛想だったわ」


怖くて憂鬱なことばかりだった
血まみれの戦争にさいなまれた私は
幸せになる夢さえみなかった
私がほしかったのはただ一つ ― 休息だった

この世の全てから解放されたかった
暖を求めて 住む家を 食料を求める日々から
衰弱した我が子をみるたびに感ずる
胸の痛みから果てなき災いの予感から

便りが来ない人を想う不安から
(再び会えるだろうか)
無防備な屋根に落ちる爆弾の風切音から 
勇気からも怒りからも解放されたかった

でも私は悲しみの街に残った
我が街の主として しもべとして 
明かりと命を守るため
疲れ果てても 生き抜いた

でも時には 歌うこともあった とにかく働いた
隣人と塩や水を分け合った
一人の時は泣きもした 隣人と口げんかもした
食べることで頭がいっぱいだった

日毎に私の顔は黒ずんでいった
こめかみに白髪もちらほら
ただ 手だけは 何でもこなせる
鉄腕のようになった

見て ごつごつの指 強そうでしょう
近くの市境で濠を掘ったのよ
丈夫な棺も作ったわ
ケガをした幼子に包帯も巻いてあげた

こうした日々は爪痕を残さずにはいない
鉛の残り香は消えない
戦争の現実が 悲しみそのものが
レニングラードの女たちの 知り尽くした目に映っている

なんで私を
こんなに勇敢に美しく描いたの?
女ざかりの誇り高い、
明るい笑顔の顔に?

厳しい非難をものともせずに
画家は胸張り喜んで言うだろう
「貴女こそが愛と命、
レニングラードの不屈と栄光そのものだから」

1942年

(江口満 訳)


子供達よ 手を上げよう

病院で私は少年を見た
銃弾が少年の姉と母を殺した
少年は 両腕の肘から先が吹き飛んだ
その時 少年は5歳だった

少年は音楽を学んでいた 一生懸命だった
緑色の丸いボールで遊ぶのが好きだった
そして今 ここに横たわっている – 呻き出すのをこらえていた
戦いで泣くのは恥だと 少年はすでに知っていたのだ 

兵士用ベッドで静かに横たわっていた
切断された両腕を 気をつけをするように伸ばし……
おお 子供ながらになんという不屈さ!
戦争を挑発する者に呪いあれ!

海の向こうで
爆撃機を次々に作り

涙の乾かぬ子どもたちに またも涙を押し付け
世界の子どもたちを 再び傷つけようとする者たちに
呪いあれ

おお 足をなくし 手をなくした子どもたちの なんと多いことか!
小さな杖が
乾いた地球の表面を叩き
地上のいかなる音とも異なる
かん高い音が 響き渡る

その悔しさを忘れずに 
障害を負った小さき人々よ
平和の守り手のいる至るところで
最も勇敢な人々と肩を並べてほしいと
私は願う

世界に静穏が訪れた時
恒久平和のために
人々の幸福のために
よわい12となった古参の少年戦士よ
空高く
切断された手を挙げよう

子ども時代をズタズタにした
戦争を起こした者たちを告発しよう
来るべき我らの裁きから永遠に逃れられぬように

1949年

(江口満 訳)


勝利との邂逅

「こんにちは……」
わたしのハートと良心と
呼吸でもって、
そして全生命をもってあなたに言おう
「こんにちは、こんにちは」と 
逢瀬の時は打ち鳴らされた 
人間の運命における輝く時がきたのだ

わたしは4年間もっとも誇らしい
ロシア的信仰をもって愛し 信じてきた
必ず待ちおおせると
生きていようと 死んでいようと 
いずれにしても 
あなたのことを待ちおおせると
そして あなたを生きて迎えることができたのだ……
「こんにちは……」
他に何が言えようか
唇は熱でゆがみ
涙がわたしの目を焦がす
あなたは わたしが夢見た以上に美しい
限りなき光であり栄光であり
力のなかの力なのだ

あなたは 大地が誕生した日のように
朝焼けに包まれ光輝いている

あなたはりんごの白い花を 
上から大地に振りかける
あなたは子守歌よりも喜びにあふれ 
希望と夢に満ちている
あなたはそのような姿で…… あなたはそのような姿で現れたのだ……
あなたは世界にそれほどの温もりを吹き込んだのだ……
いな、あなたに相応しい言葉をわたしは知らない
あなたは勝利だ あなたは言葉を遥かに超越しているのだ

あなたの恐るべき幸福を経験し
困難に満ちたあなたの道を知るわたしは 
あなたに誓う、誓う、勝利よ
自分自身とすべての友人のために
誓う 我々の新しい人生において
何も忘れまいと
民衆の貴き血も
永遠に記憶に残るあなたの戦の日々も
あなたのいかめしい祝日の日々も
あなたの言いつけも忘れない
ただ、万事においてこれらに相応しい存在となろう

わたしは ひとえに祖国の繁栄のために生き 
働くことを誓う
その国境をもはや永遠に
いかなる敵にも跨がせないために


あなたの不滅の炎が
みなの胸に輝き続けるように
愛する祖国の幸福のため
あなたの誇りである民衆のために

1945年

(覚張シルビア 訳)

エルミタージュ美術館前で歩哨に立つ女性

封鎖のつばめ

42年の春
レニングラードの多くの民が
胸にバッジをつけていた
くちばしに手紙をくわえたつばめのバッジを

歳月と喜び、不幸を通り越して
永遠に輝き続けるだろう
あの42年の春が
包囲された町の春が

ブリキの小さなつばめを
私も胸につけていた
それは よい報せの記しだった
それは「手紙を待っている」という意味だった

この記しは封鎖の発明品だ
私たちは知っていた ただ飛行機だけが
ただ鳥だけが 愛する故郷から
レニングラードへやってくることができると

あの頃からどれだけの手紙が寄せられたことだろう
それでもなぜ私は今まで
一番望んでいた手紙を
受け取っていないと感じるのだろう

灼熱のような真昼に
唇が泉へと引き寄せられるように
言葉の背後に立ち上がる生命へ
一行一行に吹き込まれた真実へと
良心でしがみつけるように

それを書くはずだったのは誰なのか 送るはずだったのは
幸福か 勝利か それとも不幸か
あるいは 私が永久に探し出し
見分けることのできない友か

それとも光のように待ち望んだ手紙は
どこかをさまよい続けているのか
私の住所を探しても見つけられずに
答えは何処かと待ち焦がれているのか

或いは もうその日は近いのだろうか
心が大いなる平安に包まれる時に
戦争の時に送られた報せを
聞いたこともない不朽の報せを きっと受け取るその日は

おお 私を見つけておくれ 私と一緒に熱望しておくれ
あなたはずっと前からありとあらゆるものによって
戦時中 包囲されていた時のあのおかしなつばめによってさえも
私に約束されていたのだから

1945年

(覚張シルビア 訳)


心から心へ

心から心へ
その道しかないと
私は決めた その道はまっすぐで恐ろしくて
ひたむきだ 後戻りもできない
その道は 誰にでも見えるけれど 栄誉の彩りはない

私はここで犠牲となったすべての人々に代わって語る
私の詩には 彼らのにぶい足音が
永遠の熱い息遣いがこもっている
私は ここで生きるすべての人々に代わって語る
炎も死も氷も突き抜けてきた人々の代わりに
民衆よ 共に苦しんだ者として あなたの肉体として
私は語る
そして私は 無数の人たちの姿と心と言語の表現媒体となる
人々の様々な姿と心の中に分け入り その中であるがままの自分でいる
誰かの悲しみの中に 誰かの喜びの中に
自分のひそかなため息と ひそかなささやきを聞く
そして何も包み隠していないことを確かめる
それが私の運命なのだ
全ての人に 全てが聞こえる 押し殺したむせび泣きさえも
そして 友はいらぬ同苦をしてくれて
我が敵は 嘲笑する

それでいいのだ 私はこうしかできないのだ
施しなどもらうな 期待するな 求めるな
幸福のために ただ創って与えるのだ
そう再び教えてくれたのは 我が祖国ではないか

……そして私は再び祖国の輪郭を見た
血にまみれた不滅の苦い情熱
1942年 狂乱の夏
死との闘いに立ち上がった 生きとし生けるものすべて……

1946年8月

(江口満 訳)


〈大勢の市民に請われてベルゴーリツが書いたピスカリョフ墓地*の碑文〉

ここにレニングラード市民が眠る
男性、女性、子ども達が眠る
そして隣に赤軍の兵士が眠る
自らの生命をかけて
革命の揺籃の地
レニングラードを守ってくれた彼らが
貴き彼らの名前をここに書き記すことはできない
花崗岩の石碑の下で永遠に守られる彼らはあまりにも多いから
しかし、この墓碑を見つめる人に告げる
誰人も忘れ去られはしない そして 何事も忘れ去られはしない

(江口満 訳)


*ピスカリョフ墓地
レニングラード包囲の犠牲者の多くが葬られているレニングラード(サンクトペテルブルク)郊外にある墓地