第1章
ホロコーストの歴史
米国サイモン・ウィーゼンタール・センター「寛 容 の博物館」の展示内容を凝 縮 し、ナチスの台頭 以 降 、ユダヤ人絶 滅 ・大量殺 戮 という狂 気 の“最 終 的 解 決 ”へ向け、歴史がどのように動いていったのか……約40枚のパネルでたどります。
強 制 収 容 所 で見つかった子どもの靴 やガス缶、アドルフ・ヒトラーが30歳のときに記 した書 簡 (日本初公開)なども展示されています。
「勇気の証言――ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」は3章から構成されています。
第1章は「ホロコーストの歴史」。米国サイモン・ウィーゼンタール・センター「寛 容 の博物館」の展示から、歴史がどう動いていったのかを時系列にたどります。
第2章は「アンネ・フランクと杉原千畝の選択」。隠 れ家 生活の中で希望を失 わなかった、アンネ・フランク。「命のビザ」を発給し多くのユダヤ人を救 った杉原千畝。人としてどう生きるか苦 悶 し、信念を貫 いた二人の人生に迫 ります。
第3章は「私からはじまる『人権』」。人類が抱 える人権の課題をテーマごとに考えます。
1933
1月10日
アドルフ・ヒトラーがドイツ首相に任命される
3月22日
最初の強制収容所がダッハウに開設
4月1日
全国規模でのユダヤ人商店や企業のボイコット
4月7日
ユダヤ人が公職に就くことを禁止
4月26日
ゲシュタポ(ナチ国家秘密警察)設立
9月22日
ユダヤ人を文学、音楽、演劇、メディアの分野から排除
1935
9月15日
ニュールンベルク法の公布
ユダヤ人はもはやドイツ市民とはみなされず、ユダヤ人以外と結婚することも、ドイツ国旗を掲揚することもできなくなった
1936
3月3日
ユダヤ人医師がドイツの施設で医業に携わることを禁止
3月7日
非武装地域であったラインラント侵攻により、ドイツがベルサイユ条約を破棄
この動きに反対がないことを見て取ったヒトラーは、さらなる侵略を進めることになる
8月
オリンピックが2週間にわたりドイツで開催
反ユダヤ主義が公式に行われているという報道が誇張であると海外からの訪問者が信じるよう、ヒトラーは反ユダヤ宣伝活動の一時的な停止を命じた
11月25日
日独防共協定の締結
1937
7月15日
ブーヘンヴァルト強制収容所開設
1938
3月13日
ナチスによるオーストリア併合により、すべての反ユダヤ法令が直ちにオーストリアにて適用
7月6日
ヨーロッパのユダヤ人亡命者について話し合う会議が、アメリカのルーズベルト大統領のよびかけでフランスのエビアンで開催。難民への同情がしめされる一方で、ナチスの暴虐から逃れるユダヤ人を受け入れようとする国はほとんどなかった
9月29
−30日
英仏の両国、ミュンヘン会談でドイツによるズデーテン地方(チェコスロバキア西部)占領に同意
10月5日
大量のユダヤ難民の受け入れを望まないスイス当局の要請に基づき、ドイツは全てのユダヤ人のパスポートに大きな赤い文字で「J」というマークを付けた
11月9
−10日
ドイツ、オーストリアと、チェコスロバキアのズデーテン地方におけるユダヤ人大量弾圧(クリスタルナハト=水晶の夜)
数百のシナゴーグが焼き討ちされ、91人のユダヤ人が虐殺され、数千のユダヤ人商店が略奪された
3万人のユダヤ人が強制収容所に送られ、身代金目的のために拘束された
11月12日
ドイツのユダヤ人に対し、経営する事業を非ユダヤ人に譲ることを強制する法令が制定
11月15日
ドイツのすべてのユダヤ人生徒を公立学校から追放
1939
1月1日
ユダヤ人がドイツ人と働くことを禁止
3月15日
ナチスのプラハ侵攻により、チェコスロバキアが独立を失う
5月15日
女性収容のためにラーフェンスブリュック強制収容所が開設
5月17日
英国がユダヤ人のパレスチナ移住を厳しく制限する白書を発表
9月1日
ナチスがポーランドに侵攻し、ヨーロッパで第二次世界大戦開始
ユダヤ人とポーランド人に対する残虐行為が始まり、その他多くが奴隷労働を強いられた
9月1日
ユダヤ人の夜8時以降の外出が禁止
9月21日
ラインハルト・ハイドリヒ(秘密警察長官)が、ポーランドの小規模ユダヤ人コミュニティーを解体して大都市に集中させユダヤ人の人口と財産に関する調査を実施するよう命令
10月8日
ナチスがポーランドのピョートルクフに最初となるゲットー(ユダヤ人強制居住区)を設置
11月15日
ナチスにより、ポーランドのウッチにある全てのシナゴーグ(ユダヤ教の集会場)が破壊される
1940
2月8日
ナチスがウッチにゲットーを設置
4月27日
アウシュヴィッツ強制収容所を設置する命令が下される
5月10日
ナチスがフランス、ベルギー、ルクセンブルク、オランダに対して電撃戦を開始。これら全ての国が数週間で制圧された
9月7日
ナチスが英国への大規模な空爆を開始 (1940年9月7日
−41年5月10日)
11月15日
ワルシャワ・ゲットー封鎖により1平方マイル(約2.5平方キロメートル)程度の広さにおよそ50万人が閉じ込められる
1941
1月
ナチスの同盟国であるルーマニアにて、反ユダヤ人暴動が起こり、数百人のユダヤ人が虐殺される
6月22日
ナチスが独ソ不可侵条約を破棄しソ連に侵攻。爆撃と大規模侵略を開始
「アインザッツグルッペン」として知られる機動殺戮部隊が、新たに征服した地域でユダヤ人大量虐殺を開始
9月28
−29日
キエフ近郊バービヤールでユダヤ人3万4000人が銃殺される
ソ連軍がナチスを駆逐するまでに120万人を超えるユダヤ人男性、女性、子どもたちが「アインザッツグルッペン(機動殺戮部隊)」により穴や峡谷で殺害された
12月7日
日本が真珠湾を攻撃。アメリカが日本に宣戦布告。これを受け、ヒトラーはアメリカに宣戦布告
12月8日
ナチスがポーランドのヘウムノ収容所で特別なトラックを使用しユダヤ人のガス殺を開始
1942
1月20日
ナチスがベルリン郊外で行われたヴァンゼー会議で、欧州よりユダヤ人を抹殺する政策を正式に決定
3月1日
ナチスがポーランドにソビブル絶滅収容所を建設。5月より始動し、数十万のユダヤ人がガス殺された
3月17日
ベウジェッツ絶滅収容所でガス殺が始まり、およそ60万人が殺害された
ほどなくして、アウシュヴィッツ・ビルケナウでもガスによる大量虐殺が始まった
100万人を超えるユダヤ人と、ナチスに支配されたヨーロッパの25万人の非ユダヤ人が殺害された
11月24日
アメリカのユダヤ人指導者、国務省の阻止にもかかわらず、ナチスによるヨーロッパのユダヤ人大量殺戮を確認する電信を公表
1943
2月2日
スターリングラードでナチスがソ連軍に大敗北し、連合国側に有利に戦況が転換しはじめる
4月19日
ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人による反乱。絶望的な戦いであったが1か月の間持ちこたえる
ワルシャワ・ゲットーは、最終的にナチスによって破壊された
ポーランドの他のゲットーでも、ユダヤ人が抵抗に立ち上がる
4月19
−30日
イギリスとアメリカの高官がユダヤ人救済についてバミューダで協議するが具体的な行動には至らず
8月2日
トレブリンカ絶滅収容所のユダヤ人が武装蜂起
収容所の恐怖を語ることのできる多くのユダヤ人が脱走したため、ナチスは、大量殺戮の証拠を消すべくトレブリンカ絶滅収容所を閉鎖・解体する
10月1
−2日
デンマークのユダヤ人の移送計画をナチスが立てる中、デンマークのレジスタンス運動はおよそ7500人のユダヤ人を小型漁船で中立的なスウェーデンまで無事に送り届けた
10月14日
ポーランドのソビブル絶滅収容所で武装蜂起
トレブリンカ絶滅収容所と同様に、多数のユダヤ人が脱出する
大量殺戮の証拠を隠滅するため、ナチスは、ソビブル絶滅収容所の解体を決定
1944
3月19日
ナチスが、枢軸国離脱が懸念されたハンガリーを占領
5月2日
ハンガリーから移送されたユダヤ人の第1陣、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所に到着
7月9日までに、43万7000人のうち多くのユダヤ人がガス室で殺害された
その他の収容者は奴隷労働を強いられた
6月6日
連合軍がフランスのノルマンディーに侵攻。史上最大の上陸作戦
7月28日
ナチスに奪われた領土をソ連が奪回するにつれ、ナチスはユダヤ人を西に向けドイツの収容所まで歩かせた
ほとんどのユダヤ人は、この「死の行進」によって命を失った
8月23日
連合軍がパリに侵攻
10月6
−7日
アウシュヴィッツ強制収容所でユダヤ人の反乱
ナチスによって鎮圧されるも、火葬場の一つが爆破される
1945
1月17日
ソ連軍、ポーランドのワルシャワに侵攻。その翌日にブタペストのペスト地区を解放
3週間を待たず、ブダ地区を解放
1月27日
ソ連軍がアウシュヴィッツを解放したが生存していた囚人はわずか7500名
3月7日
アメリカ軍がライン川を渡りドイツに侵攻
4月29日
アメリカ軍が最初の強制収容所であるダッハウ強制収容所を解放
4月30日
アドルフ・ヒトラーと妻エヴァ・ブラウンがベルリンで自殺
5月2日
ソ連軍がベルリンを占拠
5月7日
ナチスが連合国に降伏。翌日、ヨーロッパでの戦争が終結
8月6日
アメリカが広島に原爆を投下。8月9日には長崎に原爆投下
9月2日
日本が降伏文書に調印。第二次世界大戦が終結
第1章
米国サイモン・ウィーゼンタール・センター「寛 容 の博物館」の展示内容を凝 縮 し、ナチスの台頭 以 降 、ユダヤ人絶 滅 ・大量殺 戮 という狂 気 の“最 終 的 解 決 ”へ向け、歴史がどのように動いていったのか……約40枚のパネルでたどります。
強 制 収 容 所 で見つかった子どもの靴 やガス缶、アドルフ・ヒトラーが30歳のときに記 した書 簡 (日本初公開)なども展示されています。
第2章
いかに過 酷 な状 況 下 でも、人は「人間としての心」を持ち続けることができる――そう教えてくれるのが、アンネ・フランクと杉原千畝の生 涯 です。二人はなぜそのような生き方を選べたのでしょうか。二人を支 えたもの、二人の生 き方 を貫 いていたものは、何だったのでしょうか。何かを感じた自分の心の声にゆっくりと耳を傾 けてみてください。
第3章
人類はホロコーストの歴史から、「人権」こそが平和の基 盤 であることを学びました。いま、私たちをとり巻 く人権にまつわる問題や課題(女性、子ども、マイノリティへの差別、構 造 的 暴 力 、紛争、難民、人権教育等)について一 緒 に考えてみたいと思います。
(内容及び引用・掲載しているデータは2015年、展示制作当時のものです)