最後は優勝したいという気持ちよりも、「思いっきり自分の夢をぶつけたい」という気持ちでした-そう語るのは文学部3年の畔柳(くろやなぎ)あかりさん。本年2月に行われたプレゼンコンテスト「DREAM」東京部門のファイナリストになり、多くの聴衆を前に夢を語りました。優勝こそなりませんでしたが、観客から大喝采が送られました。
畔柳さんは、小中学校時代にいじめにあい、高校生の時には両親の離婚を経験。そんな彼女を支えたのはいつも夢やワクワク感を与えてくれる児童小説でした。本が大好きで、小学生の頃より自身で“物語”を書いていたそうです。
創価大学入学後、海外ボランティアに行き、26カ国から集まった同世代の青年が夢を追い、それぞれが語る「未来物語」に触れました。この経験から世界中の子供たちが描く「未来物語」を実現できるような社会を目指す児童小説家になりたいとの夢を持ちました。今回は、畔柳さんにコンテストの様子や夢への挑戦、後輩へのメッセージを語ってもらいました。
畔柳さんは、小中学校時代にいじめにあい、高校生の時には両親の離婚を経験。そんな彼女を支えたのはいつも夢やワクワク感を与えてくれる児童小説でした。本が大好きで、小学生の頃より自身で“物語”を書いていたそうです。
創価大学入学後、海外ボランティアに行き、26カ国から集まった同世代の青年が夢を追い、それぞれが語る「未来物語」に触れました。この経験から世界中の子供たちが描く「未来物語」を実現できるような社会を目指す児童小説家になりたいとの夢を持ちました。今回は、畔柳さんにコンテストの様子や夢への挑戦、後輩へのメッセージを語ってもらいました。
コンテストの感想や発表した内容を教えてください!

ファイナルでプレゼンをする畔柳さん
この大会は、「世界一周を夢見る学生がその想いをプレゼンする」という企画で、優勝者には世界一周航空券が与えられます。2次審査ではプレゼン審査と1週間にわたるWEB投票が行われ、私は4,461票を入れていただきました。セミファイナル、ファイナルへと進み、ファイナルプレゼン審査が近づくにつれ、「私がこんな所にいていいんだろうか」と悩んだりもしましたが、最後は「優勝したい」という気持ちよりも、「思いっきり自分の夢をぶつけたい」と思って、自分らしいプレゼンをすることができました。東京部門のファイナルは「Backpack Festa 2019 プレゼン大会」で行われました。当日は約2,400人のお客さんがいたので、とても緊張しました。私のプレゼンテーションの内容を少しだけ紹介します。

コンテストで語った物語
私は物語が大好きで、特に人の夢や将来の物語、つまり「未来物語」を聞くことが大好きなんです。「お医者さんになる」とか「温かい家庭を築く」とか人によって全然違います。私の未来物語は、「世界で活躍する児童小説家」になることです。私が書きたい本は、子どもが未来を描ける本です。私は小学生の時にいじめられていました。当時はとても苦しくて辛かったです。そんな時に私を助けてくれたのはたくさんの本でした。いろんな主人公の人生を知るなかで、私の本当にありたい未来を見つけることができました。そんな経験から、今度は私が本で子供たちを救いたいと思うようになりました。そう決意してから20作品以上を書いてきました。『サマー・クリスマス』『ドナとレピエ』『悲しみ泥棒』といった児童小説です。
手作りの紙芝居
現在、3作品を小学校に置かせてもらったり、近所の子供たちに読んでもらったりしています。「おもしろかった」「本嫌いだったけど、これなら読めた」といった言葉をもらうことができました。しかし、「難しくてよくわからなかった」という声もありました。私はもっと成長して、もっとたくさんの子供たちに本を読んでもらいたいと考えていた時に、海外ボランティアで26カ国、26通りの未来物語に出会いました。お医者さんになって世界中の人を救いたいというセルビアの少年や世界をまわって演じ続けたいという北朝鮮の青年に出会いました。私は、まだ知らない世界中の未来物語を知りたいと思いました。と同時にそれだけではダメだということに気付きました。
未来物語があってもそれを実現できない世界の現状があることを学びました。様々な社会問題に対して、ボランティアをしたり募金をしたりできますが、私一人の力では限界があります。そこで私にできることを考えました。それは本を通して、この社会問題を伝えることです。本を読んだ人が「自分がこの問題を解決したい」と思ってもらえる物語を書けば、社会問題の解決の糸口になると思いました。だからこそ、私は「子供が未来を描ける本」と「読んでくれた人が『自分がこの社会問題を解決したい』と思える本」を書くと決めました。そのために、世界の現状を学んで、子供たちが描いている未来とその未来を達成するきっかけを見つけにいきます。私は世界中の子供たちの未来物語を知る方法を考えました。私は物語を書くこと、絵を描くこと、そして、何よりも人と話すことが大好きです。そんな私の個性を生かしたのが紙芝居です。ただの紙芝居じゃありません。みんなの未来を引き出すような紙芝居を作りました。
ここで私は、「紙芝居のはじまり、はじまり〜!」というかけ声とともに、大画面を使って「旅するものがたり屋」という紙芝居をしました。それは、「旅するものがたり屋」のあかりという少女の物語です。――あかりは、世界中の現状を学びながら子供たちの未来物語を集めるために世界中を巡り、ボランティア先で紙芝居をします。子供たちとパネルディスカッションのようにおしゃべりをしながら物語を作るんです。主人公の人生を考えながら、自分のありたい未来を考えます。あかりは紙芝居の後、子供たちに自分の未来物語を書いてもらいます。未来物語とは、子供たちが本当にありたい未来を描いたものです。未来物語の写真を撮った後、あかりは「平和」という想いを込めた青いリボンを子供たちに渡します。未来物語を達成したら、その青いリボンを「結ぶ」と約束するんです。あかりは、ホームページ (https://akarichuckle.wixsite.com/mysite)やSNSを使って、世界の現状を発信していきます。未来物語の写真や旅の経験を物語にして掲載していきます。日本に帰ってきたあかりは、旅の経験を1冊の本にまとめます。ここには、世界と子供たちの現状がギュウギュウに詰まっています。10年後、あかりの本は翻訳されて世界中で読まれています。そして、たくさんの未来物語を生み出して、社会問題を少しずつ、少しずつ解決していっています。あかりの本を手にした人は「青いリボンを結んだ未来物語」を片手に「クスッ」と笑うのでした。こうしてあかりは世界で活躍する児童小説家になって自身の未来物語を実現することができました。あかりの物語はこれからもずーっと続いていきます。――というお話しです。私は世界一周の夢を紙芝居に込めて、最後に「次はあなたの未来物語を聞かせてください」と締めくくりました。プレゼンを終えた時、たくさんの拍手をいただき、胸の中には「全力でやりきった!」の一言だけが占領していました。優勝が別の友人に決まった時、心から祝福することができました。それも、後悔を一切残さず力を出しきったからだと思います。コンテスト会場まで応援に来てくれた友人やずっとプレゼンのブラッシュアップに関わってくださったスタッフの方も「こんな素敵な夢があるなんて!」「今までで一番いいプレゼンだった!」と言ってくれたことが嬉しかったです。
未来物語があってもそれを実現できない世界の現状があることを学びました。様々な社会問題に対して、ボランティアをしたり募金をしたりできますが、私一人の力では限界があります。そこで私にできることを考えました。それは本を通して、この社会問題を伝えることです。本を読んだ人が「自分がこの問題を解決したい」と思ってもらえる物語を書けば、社会問題の解決の糸口になると思いました。だからこそ、私は「子供が未来を描ける本」と「読んでくれた人が『自分がこの社会問題を解決したい』と思える本」を書くと決めました。そのために、世界の現状を学んで、子供たちが描いている未来とその未来を達成するきっかけを見つけにいきます。私は世界中の子供たちの未来物語を知る方法を考えました。私は物語を書くこと、絵を描くこと、そして、何よりも人と話すことが大好きです。そんな私の個性を生かしたのが紙芝居です。ただの紙芝居じゃありません。みんなの未来を引き出すような紙芝居を作りました。
ここで私は、「紙芝居のはじまり、はじまり〜!」というかけ声とともに、大画面を使って「旅するものがたり屋」という紙芝居をしました。それは、「旅するものがたり屋」のあかりという少女の物語です。――あかりは、世界中の現状を学びながら子供たちの未来物語を集めるために世界中を巡り、ボランティア先で紙芝居をします。子供たちとパネルディスカッションのようにおしゃべりをしながら物語を作るんです。主人公の人生を考えながら、自分のありたい未来を考えます。あかりは紙芝居の後、子供たちに自分の未来物語を書いてもらいます。未来物語とは、子供たちが本当にありたい未来を描いたものです。未来物語の写真を撮った後、あかりは「平和」という想いを込めた青いリボンを子供たちに渡します。未来物語を達成したら、その青いリボンを「結ぶ」と約束するんです。あかりは、ホームページ (https://akarichuckle.wixsite.com/mysite)やSNSを使って、世界の現状を発信していきます。未来物語の写真や旅の経験を物語にして掲載していきます。日本に帰ってきたあかりは、旅の経験を1冊の本にまとめます。ここには、世界と子供たちの現状がギュウギュウに詰まっています。10年後、あかりの本は翻訳されて世界中で読まれています。そして、たくさんの未来物語を生み出して、社会問題を少しずつ、少しずつ解決していっています。あかりの本を手にした人は「青いリボンを結んだ未来物語」を片手に「クスッ」と笑うのでした。こうしてあかりは世界で活躍する児童小説家になって自身の未来物語を実現することができました。あかりの物語はこれからもずーっと続いていきます。――というお話しです。私は世界一周の夢を紙芝居に込めて、最後に「次はあなたの未来物語を聞かせてください」と締めくくりました。プレゼンを終えた時、たくさんの拍手をいただき、胸の中には「全力でやりきった!」の一言だけが占領していました。優勝が別の友人に決まった時、心から祝福することができました。それも、後悔を一切残さず力を出しきったからだと思います。コンテスト会場まで応援に来てくれた友人やずっとプレゼンのブラッシュアップに関わってくださったスタッフの方も「こんな素敵な夢があるなんて!」「今までで一番いいプレゼンだった!」と言ってくれたことが嬉しかったです。
熱い想いに触れて感動しました!畔柳さんが創価大学を目指そうと思った理由を教えてもらえますか?
高校時代に母親と共同制作したドレスを着て地元のファッションショーに
創価大学に入学したいと思ったのは、3つの理由がありました。1つ目は、小説家になる夢をかなえること。2つ目は、英語の勉強がしたかったこと。3つ目は、人間性を磨くことでした。私は、高校生の時に生活文化科という料理や服飾の勉強をするクラスに通っていたんです。母が刺繍のオーダーメイドや教室を開く自営業をしていたので、母と一緒にファッションデザイナーとして仕事ができればいいなと思っていました。小学2年生から小説を書いていて、小説家になりたいなという夢はありましたが、現実に小説家として有名になって生計を立てられる人はごくわずかで、国語の教師やファッションデザイナーとして働きながら物語を書いていこうと思っていました。紆余曲折あって、自分はやっぱり世界で活躍する児童小説家になりたいと思って、創価大学文学部の非常勤講師をされている小説家の村上政彦先生のもとで勉強ができ、グローバル化が進んでいる創価大学なら英語の勉強もできると思っていました。さらに当時、私は人間的に成長したいなと思っていたのも、創価大学を選んだ大きな要因です。 私が高校2年生の時に人生が大きく変わる出来事がありました。それは、両親の離婚です。今は父方の家に入っているんですが、離婚が決まった時、このままでは、私自身も父も人間が空っぽで何も残らないなと思い、父と「一緒にここから成長していこう」と決意し合いました。私の高校では、まわりの友達があまり大学受験をしていなかったため、受験はとても孤独でした。また、高校1年生の夏休みに創価大学に来る機会があったのですが、「創価大学の受験は難しくて、私にはとても無理」と思ったのですが、人間教育を掲げている大学で学びたいと思い、父と一緒に成長を約束し合ったので、創価大学文学部の受験を目指しました。
もともと英語は得意だったのでしょうか?
海外ボランティアでの集合写真
いえいえ、そんなことはありません。 大学受験は、公募推薦入試を受けて合格しました。高校時代の勉強は結構頑張っていたのですが、実は、英語はどうしても好きになれなかったんです。公募推薦では数学と英語のどちらかを選ぶことになり、お陰で英語にやっと向き合ったんです。これが悲惨でして。私、受験勉強開始前まで「I,my,me,mine」が全部言えなかったんですよ。それでも、英語を勉強していくうちに、英語を学べば視野が広がるのではないかと気が付いたんです。せっかくスーパーグローバル大学に行くので、留学生とも話したいなと思ったんです。英語は0からのスタートだったので、英語に対する恐怖心とかは全くなかったです。
大学入学後、実践的な英語を留学生と交流しながら学べるチットチャットクラブやイングリッシュフォーラムといった語学学習スペースを利用してきました。「私は馬鹿だ」という自覚があったので、「失敗してもいいや」と思っていました。それに、プライドが無かったので、毎回、「このセッションの内容を全部吸収する」という気持ちで参加しました。だから、とても楽しかったです。今も英語は得意ではないのですが、しゃべることは好きです。
海外に行くと決めていたので、入学前からバイトをしてお金を貯め、入学後すぐに海外ボランティアにエントリーしました。当然、まだ創価大学での英語の勉強もはじまったばかりで、うまく英語を話すこともできずに大学1年生の夏にオーストリアのウィーンに乗り込んだんです。そのボランティアは3週間あったのですが、はじめの3日間は英語で話すことができず、毎日泣いていました。このボランティアは、「障害を持っている人と一緒に演劇をつくる」という活動で、演劇のことや障害のある人のサポート、社会福祉について学びました。少しずつ勇気を出して自分の話せる英語を使って、活動に参加しました。26カ国から集まった素晴らしい仲間に出会い、一つの演劇を作ることができました。この出会いが、私の夢をさらに大きくしました。ボランティアプログラムが終わった後、せっかくヨーロッパに来たので、隣国をまわりました。私は美術館巡りが大好きで、毎日、一日中、美術館を観てまわっていました。ヨーロッパには18歳以下の若者は入館料が無料のところが多いんです。疲れ果てて美術館の中でちょっとだけ居眠りして、元気になって、また回る。本当に、幸せな時間でした。帰国する直前に寄ったチェコで、生肉ハンバーグのような通称“タタラーク”をどうしても食べたくて、注文しました。残念ながらあまり美味しいとは思えなかったのですが、結構な値段がしたので、全部食べたんです。それが見事にあたりまして、翌日、ホテルで目が覚めるとまともに立っていられないくらい激しい腹痛にあい、病院に行きました。薬とともに、バナナとコーラしか口にしてはいけないと言われました。その日は旅の最終日だったのですが、半日以上をチェコのプラハ空港で過ごしていました。これまで経験したことがない多くのことを体感し、学べた充実した夏休みになりました。
海外に行くと決めていたので、入学前からバイトをしてお金を貯め、入学後すぐに海外ボランティアにエントリーしました。当然、まだ創価大学での英語の勉強もはじまったばかりで、うまく英語を話すこともできずに大学1年生の夏にオーストリアのウィーンに乗り込んだんです。そのボランティアは3週間あったのですが、はじめの3日間は英語で話すことができず、毎日泣いていました。このボランティアは、「障害を持っている人と一緒に演劇をつくる」という活動で、演劇のことや障害のある人のサポート、社会福祉について学びました。少しずつ勇気を出して自分の話せる英語を使って、活動に参加しました。26カ国から集まった素晴らしい仲間に出会い、一つの演劇を作ることができました。この出会いが、私の夢をさらに大きくしました。ボランティアプログラムが終わった後、せっかくヨーロッパに来たので、隣国をまわりました。私は美術館巡りが大好きで、毎日、一日中、美術館を観てまわっていました。ヨーロッパには18歳以下の若者は入館料が無料のところが多いんです。疲れ果てて美術館の中でちょっとだけ居眠りして、元気になって、また回る。本当に、幸せな時間でした。帰国する直前に寄ったチェコで、生肉ハンバーグのような通称“タタラーク”をどうしても食べたくて、注文しました。残念ながらあまり美味しいとは思えなかったのですが、結構な値段がしたので、全部食べたんです。それが見事にあたりまして、翌日、ホテルで目が覚めるとまともに立っていられないくらい激しい腹痛にあい、病院に行きました。薬とともに、バナナとコーラしか口にしてはいけないと言われました。その日は旅の最終日だったのですが、半日以上をチェコのプラハ空港で過ごしていました。これまで経験したことがない多くのことを体感し、学べた充実した夏休みになりました。
児童小説家という夢がさらに大きくなったのですね。夢について教えてください!

旅行先のオーストリアで見た景色
私は、 小さい頃から本が好きで、小学2年生から「こういう物語が欲しい」「こういう物語を読みたいな」と思って小説を書いていました。最初は、少しどこから持ってきたようなものもありましたが、どんどん自分の言葉で書くようになってきました。「DREAM」のプレゼンでも話したのですが小学4年生の時と、実は中学校1.2年生の時にもいじめにあっていたんです。結構、精神的にきつくて、学校にも行きたくないと思ったこともありました。しかし、本を読むことで乗り越えることができました。いじめを受けていた頃は、学校でずーっと本を読んでいました。
小学4年生の時に青い鳥文庫のはやみねかおるさんの作品の『名探偵 夢水清志郎』や『怪盗クイーン』を読み、こんなに面白い小説があるんだと思いました。そこから「書きたい」という気持ちがさらに強くなり、本格的に小説を書くようになりました。パソコンで小説を書いて、自分で製本して小学校に置かせてもらっていました。また、小学5年生の時から小説家デビューを夢見て、新人賞に応募しているのですが、初めて講談社の青い鳥文庫文学賞に応募したところ、最終審査の1つ手前まで残ったんですよ。そのことが、自分の中で励みになっていて、小学4年生の時にいじめられて自信を失っていたのですが、この経験で自信を持てるようになったんです。それで少しずつ自分らしさや明るい性格を取り戻すことができました。
その後、中学校でもいじめにあってしまいました。私は、4人兄妹の末っ子なのですが、みんなバスケットボールをやっていた影響もあって、中学生になりバスケ部に入部すると、いじめっ子もみんなバスケ部に入ってきたんです。「なんとかなるかな」と思っていたんですが、やっぱりターゲットにされてしまいました。泣きながら学校から家に帰ったりしていましたが、そういう時も本を読んだり書いたりして乗り越えました。今思えば、その時は自分の時間を大切にできてよかったなと思います。中学3年生になって、最終的にはいじめっ子たちとも話し合いを通じて、仲良くなることができ、いじめを乗り越えることができました。
高校2年生の時には両親が離婚しました。私は、父と母のどちらとも仲が良かったのですが、互いにいろんなことが重なってしまって、いろいろあったようです。その時は辛い気持ちでいっぱいでしたが、これらの経験も私自身の成長の糧となっていて、今では小説のネタにしてやろうって思っています。
小学4年生の時に青い鳥文庫のはやみねかおるさんの作品の『名探偵 夢水清志郎』や『怪盗クイーン』を読み、こんなに面白い小説があるんだと思いました。そこから「書きたい」という気持ちがさらに強くなり、本格的に小説を書くようになりました。パソコンで小説を書いて、自分で製本して小学校に置かせてもらっていました。また、小学5年生の時から小説家デビューを夢見て、新人賞に応募しているのですが、初めて講談社の青い鳥文庫文学賞に応募したところ、最終審査の1つ手前まで残ったんですよ。そのことが、自分の中で励みになっていて、小学4年生の時にいじめられて自信を失っていたのですが、この経験で自信を持てるようになったんです。それで少しずつ自分らしさや明るい性格を取り戻すことができました。
その後、中学校でもいじめにあってしまいました。私は、4人兄妹の末っ子なのですが、みんなバスケットボールをやっていた影響もあって、中学生になりバスケ部に入部すると、いじめっ子もみんなバスケ部に入ってきたんです。「なんとかなるかな」と思っていたんですが、やっぱりターゲットにされてしまいました。泣きながら学校から家に帰ったりしていましたが、そういう時も本を読んだり書いたりして乗り越えました。今思えば、その時は自分の時間を大切にできてよかったなと思います。中学3年生になって、最終的にはいじめっ子たちとも話し合いを通じて、仲良くなることができ、いじめを乗り越えることができました。
高校2年生の時には両親が離婚しました。私は、父と母のどちらとも仲が良かったのですが、互いにいろんなことが重なってしまって、いろいろあったようです。その時は辛い気持ちでいっぱいでしたが、これらの経験も私自身の成長の糧となっていて、今では小説のネタにしてやろうって思っています。
小説を書く授業について教えてください!
私にとっては、最高の授業でした。非常勤講師の村上政彦先生とは、授業が終わった今も、書いた本を読んでもらい添削してもらったり、本を書きたいと思っている人達とつなげていただいたりしています。親身になって相談に乗ってもらっています。村上先生の授業は、小説を書くにあたって必要なことを、一から学ぶことができます。授業では、トルストイの『アンナ・カレーニナ』などの海外の古典文学を事前に読んで、その表現方法や物語の構成について学んだりします。実際の世界文学を教科書にすることで良い小説というものを肌で感じることができるのでとても面白かったです。また、春学期と秋学期を通じて、実際に1~2冊の本を書くんです。学生が書いた本を先生が全て目を通してくださり、細かいフィードバックやアドバイスをくださるんです。私は授業内で書いた作品を新人賞などに応募しています。村上先生に出会い、大学に来てはじめて、「やりきった」と思える作品を書くことができました。
他に学生生活ではどんなことに挑戦しましたか?
GLCの仲間たちと
学んだことを全て小説に活かしたいという思いと、親孝行をしたいという思いから、大学に入ったら勉強は頑張ろうと決めていました。入学してすぐの1年生の春学期では、周りの普通科に通ってきた学生たちよりも一般教養の勉強が少ないことは分かっていました。そのため「馬鹿だからこそ、全力で学ぶぞ」という気持ちで勉強していたところ、特待生をいただくこともできました。それ以来毎年、文学部の成績優秀者になることができました。ほかにも、 女子寮の残寮生やGLC(GLOBAL LEADER COLLEGE)にも挑戦しました。クラブ活動やゼミ活動、あとSA(Student Assistant)などもやってみました。1、2年生のうちはやりたいと思ったことに、どんどん挑戦していました。実は就職活動を今年の1月まで、ずーっとやっていたんです。しかし、今回のプレゼンもあり、やっぱり小説家としてデビューするまで挑戦したいと思い、この1年間は、海外に出ていろいろ経験しようと決めました。学生時代に小説家デビューができなくてもこの経験は必ず礎になると思っています。まず、3月21日からは公益社団法人日本中国友好協会の「2019日中友好大学生訪中団」の一員として、中国に行ってきます。
「読者が未来を考えられるような本」と「社会問題を解決するような本」が書ける小説家になりたいという2つの軸は持っていたのですが、創価大学文学部に入学して、社会学に出会えたこととグローバルな環境で学ぶ中で視野が広くなり、世界市民としての視点も考えるようになりました。文学部の社会学メジャーには、「文化人類学」という授業があります。宗教や文化をフィールド調査するのですが、そこで宗教にすごい興味を持ちました。人生の捉え方や生死の考え方が様々あり、その世界観をどんどん児童小説で表現していきたいなと思っているんです。先ほど紹介した「ドナとレピエ」という作品では、脳死と臓器移植について書いたのですが、世界の宗教を学んでいた内容を小説に活かすことができました。だから文化人類学との出会いはとても大きく、勉強すればするほど楽しいんです。社会学メジャーではフィールド調査の観察やインタビュー方法などを学ぶことができる「社会調査士」の資格を取得できました。これからは、学部で学んだことを活かして海外へフィールド調査に行きたいなとも思っています。大学は好きなことができる場所です。その中で、たくさんの先輩、友達、後輩、先生に出会います。今回の「DREAM」の存在も先輩から教えてもらい、エントリーすることができました。
創価大学の受験を考えている高校生や創価大学の後輩へのメッセージをお願いします!
ボランティア先での友人と
創価大学は、学びたい人を全力に応援してくれる温かい場所です。今がどのような状況であるのかはあまり重要ではありません。自分が「どうなりたいのか」といった想いが自分をさらに成長させてくれます。高校生の皆さんには「ビッグマウス」くらいでいて欲しいと思います。その想いが夢をさらに大きくしてくれます。創価大学は、夢がもっと大きくなる場所です。先輩や先生がたくさん激励してくれます。
また、自分が夢に向かって行動していると助けてくれる人が現れます。また、自分が誰かの夢を応援していると、さらに、自分の夢を応援してくれる人が現れます。成長の相互作用が大きく働いていくことを実感しました。創価大学は、関わった先輩が「後輩を自分以上にする」という伝統があるので、自然と自分も「後輩のために」という気持ちになっていました。今は家族や友人、先生方へ感謝の思いでいっぱいです。入学当初は、こんな3年間になるなんて全く思ってもいませんでした。3年間の積み重ねがあって、今の自分があると思います。私自身も夢に向かって、さらに頑張るので、一緒に「未来物語」の実現に向けて頑張りましょう!
また、自分が夢に向かって行動していると助けてくれる人が現れます。また、自分が誰かの夢を応援していると、さらに、自分の夢を応援してくれる人が現れます。成長の相互作用が大きく働いていくことを実感しました。創価大学は、関わった先輩が「後輩を自分以上にする」という伝統があるので、自然と自分も「後輩のために」という気持ちになっていました。今は家族や友人、先生方へ感謝の思いでいっぱいです。入学当初は、こんな3年間になるなんて全く思ってもいませんでした。3年間の積み重ねがあって、今の自分があると思います。私自身も夢に向かって、さらに頑張るので、一緒に「未来物語」の実現に向けて頑張りましょう!
PROFILE:
くろやなぎ あかり Akari Kuroyanagi
[好きな言葉]
「一人立つ精神」、「人は、人と言葉によって磨かれる」
[性格]
あくなき挑戦心の塊
[趣味]
読書、執筆活動、Instagramの投稿、ホームページ制作、国内外旅行、自己分析、プレゼンテーション
[最近読んだ本]
アナベル・ピッチャー 「さよならスパイダーマン」
ページ公開日:2019年03月22日