小林 幸夫 教授

公式はいったん忘れ 自分の感覚と言葉で「意味」を理解しよう

理論物理学の考え方で 自分が不思議に思ったことを研究

 ぼくは子どものころからずっと、何かの専門家になりたかったのではなく、日々心にわいてくる自分の疑問を解決しようとしてきました。

勤務していた理化学研究所の任期満了が迫った時期に、このように大学で研究し、学生たちを教えることになりました。

 

 現在は「理論物理学」の一環として、数理現象のしくみを解明する理論(数理モデル)を中心に研究しています。たとえば、タンパク質は分子の形(構造)によって働きが決まります。そこで、統計物理学に加えて、数学を用いた情報処理の方法を取り入れてタンパク質の形を解明しようとしています。

このほかに、固体の中で電子がどのようにふるまっているかを量子力学という物理学の方法を使って研究したり、自然界にたくさん見つかる「フラクタル(カリフラワー・ロマネスコのように一部分を拡大してみると、それが全体の縮小形になっている)」という形がどのようにしてできるのかを調べたりする研究もしています。

 

 ぼくの演習には、数学の教員をめざす学生が多くいます。ところが、教えられた通りに計算はできても、それがどのような意味を持つのかイメージを描けない学生が多いことから、直的に「わかる」ことを大切にした数学・物理学教授法の開発もしています。

素朴で根本的な子どもの疑問に 本気で答えた研究者との出会い

 ぼくは元来「なぜ」「どうして」を考えたり調べたりすることが好きな子どもでした。「なぜ磁石にはN極とS極があるのか」「電気にはなぜプラスとマイナスがあるのか」など、根本的なところに疑問を持つのです。興味のおもむくままにいろいろな本を読んでいました。

数学でもプラスとマイナスをかけるとマイナスになると習いますが、先生はその理由を教えてくれませんよね。ですから、ずっと図書館で本を探して調べました。

そういうふうに、なんでも疑問を持って一つずつ解決しないと、わかった気がしないのです。

 

中学一年の時に、ある本の奥付に「質問があったらお寄せください」とあったのを本気にして、かねてから疑問だった磁石のことについて質問の手紙を書きました。その本は磁石とは関係なかったのですが、著者の先生は、便箋10枚に細かい字でびっしりとお返事をくださいました。当時東北大学の教授をされていた先生でしたが、そのお返事は、ぼくを対等の相手として書かれていました。感動して何度も読み返しました。

 

その手紙には「NとSがなぜあるのかではなく、物理ではそれを前提として、ではNとSがあることでどういうことが言えるのかを考えるものです」とありました。おかげで、科学には「なぜ」を問うものと、問わずに仮説を立てて始めるものがあるのだと、自分なりに区別することができました。

ぼくが大学院生の時に、物理学会の会場の東北大学で先生と直接お話しすることができました。

授業はつまらない、わからない だから気がついたら 物理学に集中していた

 高校では数学や生化学にも興味を持ち、その日にどんな疑問を持ったかで進みたい学問分野が毎日のように変わりました。中でも物理学は、その考え方そのものが好きでした。論理に筋が通っており、自分の性格に一番合っていたのです。

 

 しかし高校の物理は、習った先生や教科書との相性が悪く、つまらないし、まったくわかりませんでした。授業中に先生に質問したら、質問の意図を理解されずに怒鳴られたこともあります。そこで学校の授業は諦め、自分の発想で物理を納得できるように学んでいこうと考えました。

 

 同じクラスに、試験の点数は中くらいでしたが、物理マニアの生徒がいました。彼が『ファインマン物理学』を読んでいたのです。アメリカの著名な物理学者リチャード・P・ファインマンが大学生向けに行った講義録を基にした本です。図書館で読んでみたところ、そこにはまさに自分の求めていた物理がありました。

大学や大学院とは別に 在野の先生にも理論物理学を学ぶ
 大学受験では、数学・物理・化学・生物・地球物理が全部できる学科をめざしました
ぼくは子どものころから、とにかく理科を全部やりたかった。当時そういう学科を持って
いる
二つの大学のうちの一つでした。

 

 ぼくの理系の勉強のしかたは受験向きではなく、第一志望の大学には進学できませんでした。

「第一志望の大学ではなかった」「希望の分野に進めなかった」と言って意欲を失う学生がいます。でも、そんなに大事なことでしょうか?ぼくは学部も大学院も第一志望の大学ではありませんでしたが、そこでの学びは無駄ではなかったと思います。偶然であっても足を踏み入れた環境で、新たに探するテーマを見つければよいのです。

 

大学や大学院での教育は少々窮屈な感じがしましたが、それとは別に、戦時中に国家の英才教育を受けたあと独学で理論物理学を研究している先生に出会いました。先輩たちと何人かのグループで先生にお声がけをして、ゼミ形式で議論もしました。旅先での雑談の中で、物理のあれこれや、ぼくの疑問にぴったりの答えなどを教えてもらいました。現在の研究テーマの一つは、この先生が遺してくれたメッセージといえるかもしれません。

 

必要な情報だけを抜き出す それが数理モデルの第一歩

 ぼくが研究に使っている数理モデルの初歩は、じつは高校の物理にも出てきます。たとえばペットボトルが転がる動きを考えるとしましょう。高校の物理学レベルでは、ボトルのくびれや蓋を考慮に入れず「円筒形が転がっている」と単純化して考えます。

 

この場合、必要なのは転がるということ、あとはボトルの質量と断面の半径です。ボトルが何でできているかは考えません。それでボトルが動くしくみを説明します。このように、必要な情報だけを取り出す作業が、数理モデルを作るためには欠かせません。

 

あるいは野球のボールが、放物線を描いて飛んでいくとしましょう。高校物理ではボールの材質や大きさは関係なく、一個の“点”が飛んでいくものとして考えます。このように高校の教科書も、モデルという言葉は使っていませんが、モデルを扱っているのです。

 

ある問題を解決しようとするとき、雑多な情報がたくさん混ざっているのが現実です。その中でほんとうに必要な情報を見分けるトレーニングが重要です。特に物理学は、押したらどうなるか、引っ張ったらどうなるかなど、数式や用語に潜む現象を感覚としてイメージできなければいけません。その感覚を養うには、小中学校で実際に「もの」に触って動かす経験をたくさんすることです。

 

 

しかし、残念ながらこうしたことは学校では教えませんし、教科書にも書いてありません。物理学の考え方の根本を教えず、出てきた結果の方程式だけ書いてあります。ぼくは、美術や技術・家庭が好きなせいか、具体的なイメージが描けないと納得できません。だから、高校物理とは相性が悪かったのでしょう。

逆に言えば、その後の学びによって、高校の先生や教科書が教えてくれないところにこそ物理学の真髄があることを知ったのです。

それまでの常識を取り払い ほんとうの「わかる」をめざす

 学生を見ていると、点が取れる子がわかっているとは限らないことに気がつきます。単に要領がいいだけだったりします。みんな勘違いしていますが、試験の問題が解けて答えが出せるのと、物理の概念が自分のものになっているのとでは、まるで違うのです。

 

 そこでまず、学生には「公式を使わないで根本から考えなさい」と言います。公式を思い出さずに、目の前の現象に向き合わせます。

 たとえば2つのかたまりを手のひらに乗せて比較させ、「どっちが重いか」と、わかったことを自分の言葉で表現させます。「それはどうしてだと思うか?」というところから入っていって、数を使わず感覚を動員してじわじわと進めて行きます。最後に「どのくらい違うか知ろう」というところで、初めて数や式を出して計算させます。

 

そうすると、受験勉強が得意だった学生はたいてい嫌な顔をします(笑)。無駄なものを詰め込んできているから、まずそれを取り除いてやり直さなければいけない。先入観のない学生のほうが、物理についての感覚も鋭かったりします。

今流行りのテーマよりも 自分の興味を中心に置こう

 ぼくは「覚えた知識で問題が解けて答えが出せればよい」という現代の風潮に抵抗しています。だから何かの専門家になろうとはしません。ある分野の権威になるのではなく、自分が疑問に思うことに対峙していきたいからです。

ですからぼくにとっての論文は、「疑問を解決して新しくなった自分が、疑問を持った過去の自分に宛てて書く手紙」なのです。

 

 理系の研究分野にもいろいろと流行がありますね。本当にそれに興味があるのならともかく、中身がよくわかっていないのに、流行っているから、と飛びつくのはどうかと思います。いま役に立つものは、すぐに役に立たなくなります。それに対して基礎はいつまでも古くなりません。

 

 ぼくは自分の興味や関心を中心に据えているので、研究を学生に手伝わせてはいません。ですから、特にこういう学生に来てほしいという要望はありません。ただ、せっかく演習でぼくのところに来るのなら、数学や物理の奥深さや心を知って、その人なりの面白い変化を起こしてくれるといいと思います。

 

 

先生にとって研究とは?漢字一文字で表すと?

「疑」

一つは、文字通り疑うということ。さらには疑問を解決すること。わかるのは楽しいですがその瞬間に終わってしまうので、ずっと未解決の疑問を持っているのもよいものです。特に理工系の学生や研究者は、長時間わからない状態でいることを楽しみながら疑問と付き合える資質が必要です。

(プロフィール)
小林 幸夫 教授
早稲田大学 (理工学部) 1983 年 卒業
東京大学大学院 博士課程 (理学系研究科) 1988 年 修了 理学博士

 

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