渡辺 一弘 教授

ヘテロコア光ファイバーセンサーで イノベーションを起こす!

光信号の変化を検知して環境を測る
 私が取り組んでいるのは、光ファイバーセンサーの研究です。外部の環境の変動を信号の変化として検知するものを、センサーといいます。光ファイバーセンサーとは、センサー部分が光ファイバーでできているセンサーで、光ファイバー自体がセンサーとなるものと、光ファイバーに何らかの加工を施した部分がセンサーになるものがあります。
 光ファイバーは、屈折率の高い物質(コア)の周囲を屈折率の低い物質(クラッド)で包んだような構造をしています。光源から光が送られると、光はコア/クラッド境界で全反射しながら、コアの中を進むのですが、光ファイバーセンサーのセンサー部分では、外部の環境の影響により光信号が変化します。その変化した光を受光器で検知することで、変位やひずみ、圧力、重量、加速度、振動、濃度など、目的とする情報を得ることができます。
さまざまな特長をもつ 「ヘテロコア光ファイバーセンサー」とは?
 研究室で開発しているのは「ヘテロコア光ファイバーセンサー」で、センサー部分にコアの径の異なる光ファイバーを挿入して融着したものです。異種の光ファイバーを用いることから、「ヘテロコア」と名付けました。ヘテロコア部分の長さは数ミリメートル程度です。ヘテロコア光ファイバーセンサーは、光ファイバーの材料であるガラスの、たわむという性質をうまく利用しています。ヘテロコア部分が緩やかに曲げられると、コアの境界部分で極めてわずかな量の光が漏洩します。この変化を検知することで、環境の変化をとらえています。
 光ファイバーセンサーはセンサー部に電気が関与しないため、従来型の電気センサーに比べ省電力で、落雷雑音の影響を受けません。また、光で長距離を伝送できますし、既存の光ケーブル網を利用することもできます。構造がシンプルで壊れにくいのもメリットです。加えて、ヘテロコア光ファイバーセンサーでは、周囲の温度の影響を受けないため、極寒から酷暑まで、幅広い環境で使用できます。また、光ファイバー周囲に付着した液体まで検知します。融着には光ファイバー用の融着器を利用でき、コストパフォーマンスが高く、最も実用化に役立つ日本独自の技術です。
技術の普及を目指して大学発ベンチャーを設立!
 この技術を開発したのは、1999年のことです。当初私は、光ファイバーではなく、レーザーの研究をしていて、光ファイバーの研究に着手したころにはすでに、光ファイバーセンシングの研究は様々な形で行われていました。ただ、光ファイバーは通信に使われるため、内部を通る光は外部の影響を受けないようにしなければなりませんが、光ファイバーセンサーでは反対で、光は外部の影響を受けたり漏洩したりしなければならず、求められることが真逆です。実用化に至らない研究も多く、私も試行錯誤の末、ヘテロコア光ファイバーセンサーにたどり着きました。
 直感的にこれは実用化できる、と感じたので、特許をとり、学会で発表することにしたのですが、私は光ファイバーの世界ではまるで知られておらず、他の研究者からすれば「誰ですか」というような状態です。発表にはものすごく勇気がいりましたし、発表しても数年間はあまり相手にもされませんでした。しかし、やはり実用化できるという考えに変わりはなく、技術を確立して普及させるために、大学発ベンチャーの形でコアシステムジャパンという会社を設立し、CEO(最高経営責任者)に就任しました。   
設立から10年がたった今では、大手電気メーカーに興味を持ってもらったり、東京都の先進的防災技術実用化支援事業に採択されたりするなど注目されるようになり、手ごたえを感じています。開発した技術が普及し、防災やインフラの点検などに使われて世の中の役に立てばと、会社の経営のことも日々勉強しています。
ヘテロコア光ファイバーセンサーの解説をする渡辺先生と、実際の製品。このセンサーを橋などに設置しておけば、振動を定期的に観測できます。すると、経年劣化などが起こった際、振動の変化でいち早くその変化に気づくことができます
子どものころから機械好き、アマチュア無線に夢中になった中学時代
 機械いじりは小学生のころから好きで、ラジオなどの電気製品を分解したり、故障したら直せないかな、と自分で考えたりしていました。中学生になると、自分で勉強して、アマチュア無線の免許を取りました。電気工学の勉強もして、受信機をつくり、実家の屋根に上って立てました。父親には「瓦が落ちたらどうするんだ」ってしかられましたけど、父親のいない隙を狙って(笑)。
 当時は神奈川県の逗子に住んでいて、ふだんは葉山や鎌倉など、近隣の電波しか届かないのですが、夏の暑い日に上空に電離層ができると、そこで電波が反射して、いきなり非常に強い電波が入るようになります。すると、「こちらJAエイト、網走」なんてコールが届くようになる。JAエイトというのは北海道のコールサインなんですが、そういう遠方からの非常に強い電波が届き、夜になるとロシアからの電波が届いたりするのです。そのときの夢の広がりは、今でも鮮やかに覚えています。面白くて夢中になりました。
時代はソニーのウォークマン 電子工学のエンジニアを夢見るように

一方、スポーツも好きで、中学校、高校ではバレーボール部に入っていたので、毎日の練習で疲れて帰宅した夜でも、勉強や無線機をつくったりして、文武両道と決めて毎日を過ごしていました。そうして中学のころから電子工学に親しんでいましたから、高校の物理では物足りない感じで、大学では絶対、電子工学を学ぼうと考えていました。

 当時はソニーがウォークマンや小型ラジオを出したりしていた時代で、大学で電子工学を学んだあとはソニーの技術者になって発明したい、などと夢を描いていました。

先端の技術、レーザーに出会った大学時代
 慶應大学に進学し、そこで出会ったのが藤岡知夫先生です。レーザー研究の第一人者であると同時にチョウの蒐集家としても知られ、気取らない人柄の面白い先生でした。レーザーは先端の研究でもありましたし、藤岡先生のもとで卒業研究をし、卒業後は大学院の博士課程まで進みました。
 博士課程を出た後は、結局、会社には就職せず、藤岡先生の勧めで防衛大学校の電気工学教室の助手になりました。当時は今よりもずっと自衛隊に対する風当たりが強く、防衛大なんて戦争に加担でもするのか、という意識を持つ人もいて、防衛大に対する世間の印象は良くなかったと思います。でも実際には、旧軍の反省の上に立ち、新しい国防をつくろうという意識があり、まっすぐな志の高い学生が多く、研究面でも充実していて素晴らしい高等教育機関でした。そのままずっと勤めるつもりでしたが、ちょうど創価大学に工学部(当時)を設立するから力を貸してほしい、という話をいただき、創価大学に移りました。
 創価大学でもレーザーの研究をしていましたが、光ファイバーの研究にも取り組むようになったのは、先ほどお話しした通りです。中学、高校のときに夢見た大企業のエンジニアにはなりませんでしたが、自分の発明を世の中に普及させ、イノベーションを生み出すことに喜びを感じています。
ジャングルを歩いて宝を見つける精神で!
新しいものをつくり出すときには、人の後ろをついて行くだけではだめで、たとえすぐに認められなくても自分の道を進むという、チャレンジャーの精神が必要です。探検して、ジャングルを歩いて、宝を見つけに行くのだ、という精神がない人には、新しい発見に満ちた研究はできません。学生の皆さんには是非、そのような精神で学問、研究に取り組んでほしいと思っています。
先生にとって研究とは? 漢字一文字で表すと?
「勇」

▼プロフィール
共生創造理工学科学科 渡辺 一弘 教授
1953年 東京都生まれ
1972年 神奈川県立横須賀高等学校卒業
1976年 慶應義塾大学工学部電気工学科卒業
1981年 慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了 工学博士
1981年 防衛大学校電気工学教室助手
1987年 同講師
1989年 同助教授
1991年 創価大学助教授,工学部情報システム工学科
1987〜1988年 オランダトウエンテ工科大学客員研究員
1996年 同教授、工学部情報システム工学科、大学院工学研究科情報システム学専攻教授
2001—2006年 工学部情報システム工学科 学科長
2007-2015年 工学部長、工学研究科長
2009-2016年 副学長補、(工学部長、工学研究科長、知的財産戦略本部長兼任)
2015年 創価大学理工学部 教授 (共生創造理工学科) 現在に至る

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