伊藤 眞人 教授

いつか必要になるときに備え、 新しい物質をつくりだす!

目先にとらわれず、 将来に備えることが大学の役割

この世の中には数千万種類の物質が存在していますが、私は有機化学反応を用いて、まだどこにも存在していない新しい物質をつくることを目指しています。これは有機合成化学という分野にあたります。新しい物質をつくれば、その中から世の中の役に立つものが見つかるかもしれません。
 注意してほしいのは、役に立つ物質をつくることが目的ではない、という点です。そういうことは、大小さまざまの化学系の製造業のほうがうまくできます。大学では、役に立つか、立たないかということよりも、新しくておもしろい性質をもつ物質を発見することの方が大切です。企業の人たちが、何か新しい物質がないかな、と思ったときに、社会に提供できるものを用意しておくのが、この分野での大学の研究の役目だと考えています。また、大学での研究を経験した卒業生を社会に送り出して、製造業などで大いに活躍して戴くことも大学の使命だと思っています。

新しいイオン液体をつくる

最近つくった物質の中で、自分でもおもしろいと思ったものの1つが「イオン液晶」です。イオンとは、プラスやマイナスの電荷を帯びた原子の集団で、単独の原子や無機物からなる固体の化合物が多いです。有機化合物によってできたイオンの中には、融点が低く、室温でも液体のものがあります。そのようなものを「イオン液体」と呼びます。私は、イオン液体の分子構造を工夫すると「イオン液晶」が見つかるのではないかと考えて、研究室の学生さん達と一緒にイオン液晶になりそうな物質の合成に取り組みました。
 液晶とは、液体と固体の中間の状態にあたる物質で、液体のような流動性と固体のような規則的な繰り返し構造を兼ね備えています。さらに、外部から電圧をかけることによって、分子の並び方が変わる性質をもっているので、この性質を利用して、いろいろな情報を表示するディスプレイなどの材料に使われています。

観察しにくかったイオン液晶

イオン液体から作った新しい液晶には、これまでの液晶にはない新しい性質があるかもしれません。そのために、私達が目をつけたのが、典型的なイオン液体として知られていたイミダゾリウム塩という有機化合物です。この化合物には、2つの窒素原子から、それぞれ炭素と水素からできている短いアルキル基が伸びているのですが、このアルキル基を長くしていくと、イオン液晶になることを発見しました。
イミダゾリウム塩は有名なイオン液体だったので、既にイオン液晶についても報告があるかと思っていましたが、この発見、特にアルキル基の長さを系統的に変えた結果を報告したのは私達が初めてでした。その理由は、イオン液晶の安定性にありました。通常、液晶をつくったときは、偏光顕微鏡で観察して、液晶状態の画像を撮影する必要があります。しかし、このイオン液晶は、ほかの液晶に比べて不安定なので、規則的な分子配列が成長し難く、偏光顕微鏡では観察しにくいことがわかってきたのです。
 学生さん達がこの問題を克服する手がかりを見つけてくれたので、今後、イオン液晶の性質をさらに詳しく調べていこうと考えています。イオン液晶は、電荷をもっている基本粒子からつくられているので、電気を通すことが大いに期待されます。また、電場などをかけたときにこれまでの液晶とは違う性質を示す可能性もあります。今はまだ、イオン液晶が何に使えるのかよくわからない状態ですが、研究が進むことによって、将来、私たちが思いつきもしなかったような利用方法が見つかるかもしれません。私は、そのような物質を少しでも多く世の中に知らせたいと考えています。

科学もまた、人間によってつくられる

 子どもの頃の私は、特に秀でているものもなく、ごく普通の子どもだったと思います。体が弱く、病気がちでしたが、本を読むのは好きで、学研の学習や科学といった雑誌の読み物ページは隅から隅まで読んでいました。また、この時期のことでよく覚えているのは、小学6年生の時に見たテレビ番組です。
 当時、NHK教育テレビで、「みんなの科学」という番組を放映していて、その中でも特に、「異性体の発見」と「周期表」のエピソードが特に印象に残っています。
化合物の中には、化学組成は同じなのに、化学的な性質の異なるものがあります。そのような化合物をお互いに異性体と呼びます。今日では高校の教科書に当たり前のように載っていることですが、200年かそこら前には科学者の誰もそんなことは思いもよらなかったのです。「みんなの科学」で扱っていたのは、そんな19世紀初めのエピソードでした。
フリードリッヒ・ヴェーラーが研究していたシアン酸銀(AgOCN)という物質と、ユストゥス・リーヴィッヒの発表した雷酸銀(AgCNO)という物資の化学組成がまったく同じだとわかりました。しかし、この2つの物質は性質がまったく違っていたので、初めのうちは、どちらかがまちがっているのではないかと論争になったようですが、やがてお互いの発見を認め合い、どこが違うのか明らかにするために共同研究をして、異性体の存在が明らかになったという内容でした。
 異性体の発見は無機化合物からでしたが、その後はむしろ有機化合物の中で数多くの例が見つかりました。その中で19世紀の後半に見つかった光学異性体は、結合の順序や化学的な性質まで同じなのに、立体的な配置に違いがあり、まるで右手と左手のような関係になる異性体のことをいいます。2つの異性体は完全には重なり合わず、まるで鏡に映したような関係になることから、最近では、光学異性体ではなく、鏡像異性体と呼ぶことが推奨されています。
 マウス白血病ウイルスは宿主の細胞の中でスプライシングを行っています。しかも、先ほど紹介した通り、遺伝子構造が単純なので、ウイルスの遺伝子からは、スプライシングをコントロールするタンパク質は作られていません。それでもスプライシングが正しく行われている、ということは、宿主細胞の中に備わっている「何か」を借りているに違いありません。そこで、「いったい何を借りているんだろう?」という新たな疑問が生まれました。

 

 私たちは今、こうした「分子」というミクロな世界でのなぞ解きに挑んでいるところです。

中学生までは苦手だった理科

ただ、中学生くらいまでは、私は、どちらかというと理科系の科目がどちらかというと苦手でした。細かいところまで覚えることがあまり好きではなくて、成績が良くなかったのです。それよりも分類や規則性を見つけて、知識をシステマティックに位置づけていくほうが好きでした。時の流れの中に人間が引き起こすできごとを位置付けていく歴史の話も好きでした。  化学がおもしろいなと思うようになったのは、高校2年生で有機化学を勉強するようになってからですね。有機化学は、炭素、水素、酸素、窒素など、簡単な原子の組み合わせだけで膨大な数の化合物ができます。しかも、その中にきちんとした規則性があり、その規則に沿って物質がつくられていることにおもしろさを感じ、熱心に勉強しました。
このことがきっかけとなり、大学は理科系に進みましたが、大学に入った当初は、高校までの学びと大きな落差があるため、とても戸惑いました。例えば、私が得意だった化学には、あまり得意ではなかった物理学の要素がどんどん入ってきて、とたんに難しくなりました。授業のスピードは、高校の頃の倍くらいの速さで進んでいき、ついていくのに精いっぱいでした。しかも、私が学生の頃は、しっかりと宿題が出されることもなかったので、自主的に練習問題を解いて理解していくしか方法はありませんでした。
 大学の最初の3年間で学んだことは、苦手科目の克服方法でした。得意な科目は誰に言われなくても、自分で本を読んだりして勉強します。しかし、苦手な科目は気が進まないので、意識して努力しないと身につきません。時間を惜しまず、愚直に努力し、工夫して苦手を克服することが何よりも大切なことは、中学から大学までを通じて部活動から学んだことと同じでした。

苦しい中にも楽しさがある試行錯誤

有機合成化学は、実験が主体の学問です。実験を成功させるには、2つのポイントがあります。1つ目はいい条件で反応させることです。条件がよくないと、反応させても何も起こらないか、何が起こったのかわからなくなるほど、たくさんのことがいっぺんに起こるかのどちらかになるでしょう。よい反応条件はたいていこの中間にありますが、見つけ出すにはとても時間がかかります。
 そして、2つ目は、できたものの分離、精製です。たいていの化学反応では、つくりたい物質だけができるのではなく、同時にいくつもの物質がつくられます。その中から、欲しい物質だけを取り出さないと、本当に新しい物質ができたのかどうかを判断することができません。
 これらの反応条件探しと分離、精製の作業は、1回で満足のいくものに当たることはなく、何度も試行錯誤を繰り返す必要があります。1回ごとに結果を分析し、次の実験でどのような工夫をしたらいいかを考えていきます。この過程はとてもたいへんではありますが、同時に楽しくもあります。このようにして反応条件探しや分離、精製の条件などを少しずつ詰めていき、新しい物質ができたとわかったときはとても嬉しいです。
 最初は、どこから手をつけていいかわからないような問題も、起こっていることをよく見きわめてしっかりと工夫していけば、少しずつ解決できますし、それを繰り返すことで、狙い通りの物質をつくることができるようになります。粘り強く、繰り返し努力をしていく過程を楽しめる人には、とても向いている分野だと思います。私は新しい物質を、1つでもたくさんつくっていきたいです。

先生にとって研究とは? 漢字一文字で表すと?

高村光太郎の詩、「道程」は「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という一節からはじまります。研究は、学問の未知の世界の中に1本の道を切り拓いていく営みだと思います。どんな難しさがあるかは、やってみないとわかりません。壁にぶつかってなかなか進めず、いろいろな工夫を必要とする時期もあるでしょう。さまざまな挑戦をして、未知の分野を切り拓いて欲しいですね。

▼プロフィール
共生創造理工学科 伊藤 眞人教授
1954年 大阪府生まれ、高知県で育つ
1982年 東京大学大学院理学系化学専攻修了。理学博士
1983年 青山学院大学理工学部助手
1986年 東京大学工学部助手
1989年 同講師
1990年 創価大学助教授
2003年より現職

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