教養雑感
通信教育部長 吉川 成司
教養のこの定義、知識を蓄えるとか視野を拡(ひろ)げるとかいった効用を説かず、思わぬ時に自分が助けられるという恵みとして捉えているところが清々(すがすが)しい。さりげなくも華やいでいる。冒頭の言葉は、内藤正典氏(同志社大学教授)のツイッター(2020年8月5日)にある言葉です。同氏は他のサイトで、教養は、上から目線の蘊蓄などではないこと、各種メディアが流す情報を鵜呑みせず、生き抜く力の一筋の光明であるとも述べています(「Twitterでは書けなかったこと」https://foomii.com/00235)。
(給食中に)女子生徒が焼きそばをこぼした拍子に、箸を落としてしまった。それに気づいた前の席の男子が、さっとティッシュを差し出し、代わりの箸を取りに行くのが見えた。(中略)『食べてる途中だったのに、素敵な行動だね』と褒めたら、思いも寄らぬ言葉が返ってきた。「でも、これって……先生がいつもやってることじゃないですか? 先生ならそうするでしょ」。生徒たちが困っていると思ったら、どんな状況でも無条件で話を聞いて行動する。それは自分に課してきたことだったが、マネしてほしくてやってきたわけじゃない。でも、ちゃんと見ててくれたんだ。教養は個人の専有物にとどまりません。教養は行動に現れ、そしてその光はそっと他者を照らし伝播していくものなのです。人として当たり前のこととして。
それは民主社会の担い手になるため、ということ。解決すべき問題をきちんと述べ、それに対する自分の答えを主張し、それをデータや論拠でサポートする、というのは、「みんなに関係することがらはみんなで議論して決めましょう」という社会、つまり民主主義社会の担い手に求められる最も重要なスキルだ。また、同氏は『教養の書』(pp.35-36)で次のように述べています。
キミが大学へ行くことの人類にとっての意味は、キミにこうした知的遺産の継承の担い手(リレー走者)になってもらうことだ。このような人々がいないと、人類の幸福な生存は難しくなる。(中略)キミが学ぶことは人類に必要とされている。「学は光」との精神は、自らを光る存在にするだけにとどまらず、他者を、社会を、そして人類を照らし、民主主義と平和主義をもたらす大道なのです。通教生の皆さんとともに、この道を歩みゆきたいと思います。
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