卒業を祝して
通信教育部長 吉川 成司
卒業を迎えられた皆さん、誠におめでとうございます。
皆さんは、コロナ禍でのさまざまな制約にもかかわらず、それらを乗り越えて卒業の栄冠を勝ち取られた方々です。その地道にして真摯な学びの姿勢に深く敬意を表します。コロナ禍でなくても、通信教育における最大の課題は卒業が難しいということにあります。小説『新・人間革命』の「学光」の章では、創立者が通信教育部開設前からこの点に誰よりも心を砕いておられたことが語られています。
さて、2022年8月16日開催の「第47回学光祭」において、の塩原將行氏(池田大作記念創価教育研究所客員研究員)による講演が行われました(『学光』Vol.3掲載「第47回学光祭記念講演:創立者・池田先生と通教生、そして、私にとってのレポート課題」)。
塩原氏は、当時通教職員として、一人でも多くの方と語り、一歩卒業に向けてみ出していただこう、そのためにも通教生が創立者と心を合わせていくことが大事だと考えていたそうです。そこで、1978年の創大祭の記念フェスティバルに通教生の参加枠を得て、その参加者などで第1回通教生大会が開催されました。その際、創立者は、集った通教生と記念撮影をしてくださいました。
それから5カ月後の1979年3月の卒業式の折、いよいよ1期生が4年生を迎えるにあたり、創立者は当時の通信教育部長に「1期生は何人卒業するんだ」と聞かれ、「100人ぐらいは…」 と答えると、「そんなに甘くない。30人卒業すればいいだろう」と話されたそうです。このやりとりは、全国の通教生に伝わりました。この年、創立者が何度も通教生を励ましてくださったことは、小説『新・人間革命』の「学光」の章に語られているとおりです。初の卒業生誕生を前に、8月には夏期スクーリング閉講式終了後に代表メンバーと記念撮影、9月には秋期スクーリング参加者と記念撮影、そして11月には約1000人が参加した第2回全国通教生大会にご出席されています。卒業に向けて、レポートが大量に残っていた人も、スクーリングが残っていた人も、卒業に向けて必死に頑張り、1980年3月、第一回の卒業生229人が誕生したのです。
このようなことをふまえて、塩原氏は、第一回卒業生229人が誕生の背景には、創立者と“信”を“通”わせた 一人一人の奮闘があったと論じています。同じように、今回卒業される皆さんお一人おひとりにもかけがえのない、“信”を“通”わせた奮闘のストーリーがあったことでしょう。
長田弘氏は、魯迅の小説『藤野先生』について次のように述べています。「一人から一人へ黙って手わたされる確かなものが、歴史のなかに、もう一つの歴史としてある。年表に記されることはけっしてないが、一人が一人から受け取る、そこに一人の人間がいるという確かな感覚を、歴史から引いたら、信じられるどれだけのものが、人と人のあいだにのこるのか」(長田弘『本に語らせよ』幻戯書房、2015年)。
卒業は、卒業証書が証明する以上に「そこに一人の人間がいるという確かな感覚」が証明するものです。その確かな感覚とは卒業生の皆さんが握りしめている見えないことづけであり、それは「人と人のあいだ」で手渡されていくことを信じて已みません。
通信教育部開設40周年に、創立者・池田大作先生は寄稿してくださいました(2016年5月 通信教育部開設40周年特別寄稿「『信』を『通』い合わせ人間教育の大道を」)。
「牧口・戸田両先生も、私も、学びたくとも思うように学べない青春を過ごしました。だからこそ、けなげに学ぶ人々と力強く「信」を「通」い合わせて、「学は光」の大道を開きたいと願ってきたのです。(中略)今、わが創大の通信教育部の皆さん方が、この誉れの系譜に真っすぐに連なってくださっています。(中略)通教の皆さん方が、これから無数に続く学友たちとも、限りなく「信」を「通」い合わせてくれる未来を、私は思い描いております」。
2026年の通教開設50周年に向けて、皆さんの後に続く後輩への励ましを宜しくお願いいたします。最後に重ねて、皆さんの栄えあるご卒業をお祝いいたしますとともに、今後益々のご健勝をお祈り申し上げます。