負けじ魂で、挑戦
法学部法律学科 2008年度卒業
原田良吉(岡山県在住)
整骨院 院長
昭和51年に、通教第1期生として入学、期待に胸躍らせて第1回夏期スクーリングに参加したことは、生涯忘れられない嬉しく楽しい思い出です。特に滝山寮での15日間の生活は、夢のようでした。
思えば、その1年前に結婚するまで無一文だった私が、仕事をせずに15日間も創価大学で学んでいること自体がまさに「七不思議」です。すべてにおいて寛容な妻と、通教を開設された創立者田先生への心からの感謝の思いでいっぱいでした。「まるで私が学ぶために創られたのか」と思われるほど感動し、必ずや4年間で卒業すると誓いました。
通教生は孤独ですが、ダンボール一杯の教科書を見て一人呆然とする暇はありませんでした。最初はレポート課題の解答と思われる箇所を丸写し、そこに自分の考えをプラスして作成したため、半分は再提出。「あーあ」と溜息つきつき添削文を参考に再提出、添削して下さる先生方の温かな励ましに、一条の光りを感じながら、レポート作成をやり抜きました。
そんな折、スクーリングに参加。私の認識がガラリと変わりました。まず、通教生同士の横の連携の凄いこと、相手構わず聞きまくり、苦手科目の試験対策のノウハウを覚え、秀才型の友人も数多く得ました。翌年の第2回夏期スクーリングでも、みな懸命にレポートを書きまくっていました。中には、他人のレポートをそのまま写そうとして、教員から手厳しく注意を受けた人もいましたが、今思えば一生涯の「学友」作りの最高の“触発の場”となりました。
内向的で人見知りする私は、人付き合いが苦手でした。おまけに、暗いじめじめした感じで、はっきり「Yes-No」も言えない性格でした。こんな人間が世の中を上手く生きられるはずがありません。これまでの人生を振り返れば、自ら悪い方へと追い込むことが常でした。何とかアパートの一間で整骨院を開いたものの、来院される患者はごく僅かで、一斤の食パンで3日間過ごす日が続きました。そうした時に、通院患者の「おばちゃん」が、「小説人間革命」を置いて帰りました。
整骨院開業に必要な、国家資格「柔道整復師」になる為の2年間の専門学校、高校卒業資格取得の2年間と、4年間勉強していましたので、読書は好きでした。すぐに読み、その書籍に感動、その「おばちゃん」が縁で、妻に巡り合えたのです。
通教生の秘めたる思い―自分に負けない「負けじ魂」です。これこそが生涯の指針です。光友会の会合等で、「いま苦しんでいます。どうしてもレポートが書けないのです。でも必ず書いて卒業します」と皆の前で宣言しました。“有言実行”の決意は、不思議とそのあとレポートが書けました。
卒業後の仕事は、不思議と順調です。整骨院は、地域密着型ですので患家を訪問することもあります。友人宅を訪問するように気軽に訪ねます。世間話をしながら「ストレスないですか」「子供さんは元気ですか」とか。40年間やってきますと4世代に渡って付き合えます。先日も4代目の方が出産され育児で腕が痛くてと、来院されました。こういう方々と話しができ、治療できることが嬉しいし、生きがいを感じます。42年前からすると、暗から明への転換です。30年間町内会長をやり、地区環境協議会の役員を8年、青色申告会の理事を10年、続行中です。私の「人間革命」の原点は、夏期スクーリングだったと確信します。
ページ公開日:2018年03月26日 15時50分