通信教育に感謝
法学部法律学科 1980年度卒業
宗像 武彦 さん (神奈川県在住)
元 小学校校長
私は、昭和51年に通信教育開学式の出席した1期生です。
福島の郡山で、企業に勤めていましたが21歳のころ創価大学に通信教育ができると聞き一目散で法学部へ入学させていただきました。夏期スクーリングは仕事のために出席が難しいため、秋期スクーリングに参加しました。
当時は新幹線もなく、午前3時40分郡山発の夜行の急行に乗り、9月から11月のスクーリングに出席しました。思いがけないことが起こりました。
忘れもしない昭和51年10月10日、創価大学内にあった松風合宿所の階段で創立者と記念撮影をさせていただいたのです。
「卒業するんだよ」と温かい励ましをいただき、心は踊りました。
また、昭和54年11月に、第2回全国通教生大会に出席され、生涯忘れられないお話がありました。それは、
「天才とは努力」「夜学であれ通信教育であれ、名もないところから光を与える人は欲しい。それが教育革命であり、人間革命である。」
という旨のお話をいただいたのです。昭和54年という創立者が大変な中です。その中で私たち通信教育部生に大きな励ましを送ってくださったのです。
ここから私の人生が変わったといっても過言ではありません。(よし、こんな自分でも教育の道に)と強く思い、教員免許をとるため5年間かかりましたが無事卒業。当時は中学と高校の社会科の免許しか取れなかったので、小学校教師になりたく教育学部へ学士入学できることが分かり、試験を受け9年間務めた職場も退職し、10期生として教育学部の3年生になりました。
2年間、本当の教師になりたくて猛勉強。当時20倍あった東京都の採用試験に合格し29歳で教壇に立ちました。その後、43歳で副校長、50歳で校長になり、小中一貫校の立ち上げとともに中学校長も5年間経験し定年になりました。その後再任用校長として3年間小学校長を経験しました。
工業高校を出た私が、通信教育での学びと創立者の励ましがなければ現在の自分はありません。「天才とは努力」。29歳で教師になった自分は、人一倍子供たちのために自分を磨き努力しようと決意、実践をし、研修や研究に努力してきました。校長になって小中一貫校の校長になったとき、いろいろと大事なことが見えてきました。立ち上げや特色を創ることで大変さがありましたが、見えてきた大事なことをそのままにするのではなく、通信制の大学院に入学し、修士論文にまとめ修了することができました。
教育の道に入って34年。通信教育は私自身の人生の土台です。思えば通信教育部の開学式で、創立者は、「人々の現実生活を凝視し、その発展のために修得した豊饒な知識を駆使する中で創造性の開花があると思うのであります。」「人間の真価は、ひとたび剣難の峰にさしかかったとき、はじめて明らかになるといわれております。」このご指針は、働きながら学ぶ「一人立つ」通信教育をもとに、校長としての13年5か月の実践があり、それが土台となって現在があり今の自分自身があります。
本当に、本当に、創立者池田先生と通信教育に感謝です。
縁あって、今年度から通信教育部の講師にさせていただきました。これからは、教育の道で得た知識と経験を、人間教育・創価教育を体現する教師の育成に、創立者がお話しされている「最後の事業は教育」を胸に全力で進めさせていただいく所存です。
ページ公開日:2018年05月25日 13時47分