野球の道
(2002年度卒業/法学部)
訪れるたびに変わらず
清々しい気持ちにさせてくれる創大野球部。
ここでの「心磨き」の日々が
僕の未来を創り上げてくれた
松坂世代と言われ活躍をしてきた小谷野栄一。現役引退と同時に、東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチに異例の転身。新たなセカンドキャリアのお話を伺ってきました。
必死でがむしゃらな姿を残すだけでも プロ野球選手になった価値がある
プロ野球選手としての僕の原点は、創価大学のワールドグラウンド(野球場)にある「心で勝て、次に技で勝て、故に練習は実戦、実戦は練習」との創立者の言葉にあります。グラウンドに入る時には、常にその言葉を心で確かめ、感謝の気持ちを込めてから足を踏み入れるようにしてました。プロになってからも変わらずそれを続けていましたし、それが僕の原点かなと思っています。
まだ東京本拠地の頃の日本ハムファイターズに僕は入団したのですが、その時の印象が、恩師でもある大学の岸 雅司監督が言ってくださったことと一致してるなと感じました。「プロには華麗なプレーをする人はたくさんいるかもしれないが、泥臭く執念を持ってやってる人間は逆に少ないんじゃないか」と。そして「お前がその場その場で必死になり、がむしゃらな姿を残すだけでも、 プロ野球選手になった価値があるんじゃないか」と。その言葉を胸に刻んできたことで、プロとして16年間もやってこられたという自負がありますね。
創大野球部との出会いが 人に大切な「心磨き」を教えてくれた
大学での練習は本当にきつかったですね。もう1回戻れと言われても絶対に嫌です(笑)。
自分で自分の責任は取らなければいけないということに関しては、プロは間違いなくアマチュアとは次元が違いますが、創大での練習量のすごさというのは、他の大学の間でも有名でした。あの頃の若さだからできたと思えるぐらいで、走り込みに関していえばプロ以上だったと思います。おまけにキャンパスは、坂道が多いですからね。 でもまあ、そのおかげで、プロでもやり通せる基礎体力を大学で培えたのは大きかったですね。いろいろと自分たちで工夫しなければいけなかった時代と比べて、創大も今はウェイトトレーニング機器や室内練習場など素晴らしい環境になっていますが。
技術や体力を身につけるのは当然のこととして、創大野球部で自分が学んだことは一体何だったんだろうと考えれば、「心磨き」という言葉が思い当たります。自己中心的だった自分を4年間で大人に成長させてもらった、人間力を伸ばしてもらったというのが一番かもしれません。間違いなく創大野球部は、自分自身にとって、一番大きな出会いだったと思います。監督からは、技術だけではなく、人としての道というものをちゃんと示してもらっていました。そのおかげで、選手としてもう一段上へと登ることができたのだと思います。
弱い自分を見せてもいい そこから初めて見えてきたこと
人生全てが良いことだけではありません。僕はある日突然、パニック障害になりました。プロ生活の中で大きなプレッシャーがあったのかもしれません。でもパニック障害になったことで逆に、今まで気を張って生きてきた呪縛のようなものが解け「弱い自分も見せていいんだ」ということに気づかされました。そして肉体的にしんどくても、精神的にきつい時があっても、「今日の自分がベストなんだ(だから問題ない)」 とポジティブに捉えられるようになり、試合に挑む準備段階から、全てにおいて良い方向に行けるようになりました。そういう意味では、あの障害がなかったら、逆にここまで長くプロとしてやれてなかったんじゃないかとも思えますね。
ケガはかなりいろいろとしましたが、野球が全くできなくなるぐらいの一大事までには至らなかったので、丈夫に産んでくれた親には感謝しています。ただ僕は野球選手としては特別体が大きい方ではないので、コンプレックスもありましたが、最低限自分で努力できることは常にしておかないと、プロでは生き残れないと感じていました。
最新の野球を肌で知るコーチとして チームとともに新たな成長を目指す
実は現役を引退した後も野球に関わっていたくて、指導者になりたいと思っていました。北海道日本ハムからオリックスに移籍する際にも、いろいろな指導者と会ってみたいという気持ちに後押しされていました。現役引退とともにすぐに楽天イーグルスさんからオファーがあったのでチャレンジすることにしましたが、実際には僕は打撃コーチとしての経験がありません。ただ、このチームはフレッシュな野球を目指しているわけで、選手として最新の野球に一番身近で接して来た僕の経験を買ってくれたのだと思います。「これからの新しいチームを一緒になって築き上げていってほしい」と言われています。僕の考えでは、コーチングはティーチングではないということと、コーチだから何か強制的に選手に押しつける必要もないと。今は僕にしかできないアプローチの仕方もあるのではないかと日々格闘中です。
ただ、野球はチームプレイであり、その運営も含め監督、コーチ、球団が一体になって行われています。その中でいつも必要とされる人間でありたいと願いつつ、これからも「顔晴って」いきたいと思います。
※ SUN100号のインタビュー記事より転載
硬式野球部で主軸を担った後、2002年のドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名を受け入団。打点王、3度のゴールデングラブ賞(三塁手)に輝く。2015年オリックス・バッファローズに移籍。2018年現役引退し、東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍打撃コーチに就任。
- 創価大学 硬式野球部
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所属の東京新大学野球連盟ではリーグ最多となる45回の優勝、全国大会では10回のベスト4進出。輩出したプロ野球選手には、小川泰弘投手(東京ヤクルトスワローズ)、倉本寿彦内野手(横浜DeNAベイスターズ)、石川柊太・田中正義両投手(福岡ソフトバンクホークス)、池田隆英投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)らがいる。