2013年に本学経営学部を卒業後、大手外資系IT企業に勤務する傍ら、キャリアセンター主催のグローバルリーダーカレッジ(以下GLC)(*1)運営担当者の1人として現役創大生を支援する宮地英俊さん。
宮地さん自身も、学生時代GLC3期生として学び、留学やインターンシップなど様々なことに挑戦し、使命ある進路を勝ち開かれました。しかし、そこまでの道のりは決して平坦なものではなく、多くの苦労が。努力の中で掴んだ経験を活かし、現在も後輩の支援のために毎週のように大学に足を運ぶ宮地さんに、GLCの取り組みや学生時代の様子、そしてその原動力について語っていただきました。

いつも後輩たちの支援をありがとうございます!まずは、GLCについて教えてください。

GLCの学生を励ます宮地さん
GLCの学生を励ます宮地さん

GLCは、「Global」と「Leader」の2つをキーワードに、社会をけん引する人財を育成するためのキャリアセンター主催の課外講座です。創立者が言われる「創造的人間」と「地球市民」について学び深め、真のグローバルリーダーとは何かを考えます。それに加えて、社会で活躍するために必要な「ロジカルシンキング」や「プレゼンテーションスキル」といった「考える力」、「伝える力」が身につくような講座とグループワークを、GLCのOB・OGである卒業生がスタッフとなって月に2回ほど開催しています。世界で起きている問題や企業の抱える課題を題材に、どうすればその本質を捉え、解決策を見出せるかを議論しあうことで、学部をこえて学生同士が触発しあう成長の場となっています。ワークを通してグローバルリーダーとして具体的にどう実践していくのかを落とし込んでいきます。
私自身、学生時代にGLC3期生として受講しました。振り返れば多忙な日々でしたが、毎回のGLCが楽しみで仕方ありませんでした。私にとって、「大学生活=GLC」と言っても過言ではありません。大学生活で多くのことに挑戦してきましたが、そう思えた原点はGLCにあります。GLCで知り合った友人たちは本当に優秀で、「負けたくない!」と強く思いました。他の人と同じことをしていては同じ力しかつきません。だからこそ、挑戦したいことを自分で見つけて、できる、できないではなく、まず行動に移しました。そして、自分で考えて努力を重ねる過程で、成長の糧となる経験を積めることを実感しました。
卒業後、ありがたくもキャリアセンターの方にお声掛けいただき、世界の問題について考える「グローバルアナリティクス」という講座の講師の他、GLCの運営に関わるスタッフとして後輩の支援に携わらせていただいています。創立者はよく「後輩を自分以上の人材に」ということを言われます。私もGLCの学生には、自分以上の人材になってほしいと心から思い、学生と接しています。そして、そのためにも「自分自身が、これまで以上の自分になる」と常に意識しています。スタッフとして携わることは責任も大きく緊張感がありますが、学生と一緒に成長させてもらえるGLCが今も楽しみで仕方ありません。

在学期間中は多くのことに挑戦されたそうですが、どのようなことをされたのでしょうか。大学生活の様子と心がけていたことを教えてください!

学生時代、切磋琢磨しあった友人たちと
学生時代、切磋琢磨しあった友人たちと

学生生活では、GLCをはじめ、交換留学や創大祭実行委員会、海外インターンを含む4社でのインターンシップ、3回のビジネスコンテストなど、本当にたくさんのことを経験しました。私の実家の経済状況は本当に苦しく、恵まれた環境とは程遠い状況でした。しかし、そういった環境だったとしても、何事にもあきらめずに努力をすれば、自分が「やりたい」と思ったことをすべて実現できることを、身を持って感じることができました。
私は小学6年生の頃、母を病で亡くし、父子家庭で育ちました。父は必死に働いてくれましたが、それでも家計は苦しく、「大学に行くなら自分でお金を工面しないといけない」と思っていました。地元大阪の公立高校を卒業後、一年間の浪人生活を経て、創価大学経営学部に入学。苦学の甲斐あって、入試成績上位者に対して学費の負担が軽減される特別奨学生に選んでいただき、そのお陰で国公立大学よりも軽い負担で大学生活を送ることができました。
入学後も、金銭的に余裕はありませんでしたが、「お金がないからやりたいことができない」ではなく、「やりたいことのためにお金を工面する」と決意しました。また、お金で苦労してきた分、「最高の進路を勝ち取るためにどのような大学生活を送るべきか」ということを入学前から意識していました。1年次からキャリアセンターにも相談し、自身の大学生活と将来像を具体的にイメージしていきました。
特に心がけていたことは「創大生として外に出る」ことです。学外で創大生以外の人たちとも競い合って、社会で通用する力を身につけようと決めました。そのために、奨学金の貸与を受け、生活を切り詰めてアルバイトを減らし、勉強時間を少しでも確保しようと努力しました。必死に勉強に取り組んだ甲斐あって、大学2年次には特待生にも選ばれ、念願かなってインドのデリー大学に交換留学ができました。

インドでの留学生活はどうでしたか。

インドの友人に伝えた折り紙は大好評!
インドの友人に伝えた折り紙は大好評!

インドを選んだ理由は、日本と大きく生活環境が違う中で結果を残せる自分になりたいと思ったからです。しかし、環境の違いは私の想像を超えていました。
まず、シャワーでお湯が出ないんです。しかも、頭を洗っているときに水が急に止まったりすることは日常茶飯事で、お風呂に入るのも勝負なんだなと、衝撃を受けました(笑)。後から知ったのですが、シャワールームによって、お湯の出やすさに違いがあったようです。食事も日本とは全然違いました。日本でいう塩やコショウがすべてスパイスで、どんな料理もカレーみたいな味でした。期待をまったく裏切らなかったです(笑)。留学して半年ほど経ったとき、食あたりで40℃の熱が出てインドの病院に入院しました。たくさん血を抜かれて、何日もかかって検査をしてもらったのですが、診断結果が書かれた紙に「?(Fever:熱)」と書かれていて(笑)。日本って本当に恵まれた国だなと痛感しました。
そんな環境下でも、現地の学生はキラキラと目を輝かせながら勉強をしていました。その姿を見て、「負けたくない」と思いました。環境の違いを受け入れ、その中でベストを尽くそうと勉強に励み、留学先の授業では最高評価の成績を修めることができました。また、インド人の友人もたくさんでき、インドで日本の文化を伝えたいと思うようになりました。友人にも協力してもらい、現地の方々と折り紙をするイベントを行ったことはとてもいい思い出です。
インドは数百の民族、言語があります。そのような環境では当然、対立が起きます。その文化の違いを乗り越えなければ幸せに生きることができない国だったからこそ、仏教が生まれ、ガンジー、ネルーなどの非暴力の思想が育っていったのではないかと、実際に現地で生活するなかで感じることができました。
留学をはじめ、積極的にたくさん挑戦したことで、どんな環境であっても周囲の人と協力しながら価値を生み出していける自分に成長できたと感じます。そして、何事にも主体的に取り組む姿勢が、当初の目標だった「最高の進路」を掴むことに活かされたと思います。

しかし、「最高の進路」を掴むまでの就職活動は苦労も多かったようですね。

はい、就職活動では何度も行き詰まりました。私はコンサルタントを志望していましたが、60社以上エントリーしてすべて不合格。「自分は必要とされていない」ということを突き付けられた気がして、今までの努力に意味があったのかと悩み、本当に苦しかったです。その後、メーカーにも視野を広げました。「ここなら大丈夫だろう」と思っていたインターンシップ先の企業からも不合格の連絡が来たときは、心が折れそうになりました。
お世話になっていた方に不合格だったという連絡をした際、平日の日中にも関わらず真っ先に励ましの連絡をくれたのは、当時GLCを担当していたOBの先輩でした。その先輩も、仕事でものすごく忙しいはずなのに、自分のことを心から心配してくれていることが伝わりました。さらに追い打ちをかけるように家族に試練がおそいかかってきました。心配で居ても立っても居られず、就職活動を一旦止めて実家の大阪に帰省しようか悩みました。そのとき、父は「こっちのことは心配いらないから、お前はお前のやるべきことに専念しなさい」と強く背中を押してくれました。
それまでの就職活動では、「自分がやりたい仕事」ということだけを考えていたように思います。当然、それも大切なことだと思いますが、それ以上に、家族やお世話になった先輩方のために進路を勝ち取りたいと強く思うようになりました。もう一度頑張ろうと奮起し、あきらめずに挑戦を続けた結果、現在勤めている外資系IT企業から内定をいただきました。内定が出たときは本当に嬉しかったですが、それ以上に、たくさんの皆さんが、私の内定を自分のことのように喜んでくれたことに感動しました。創大に来て本当に良かったと、心の底から思えた瞬間でした。
その後、卒業するまで、キャリアサポートスタッフ(以下CSS)(*2)として後輩たちの相談にのり、後輩たちにも「最高の進路」を勝ち取ってもらえるよう支援しました。創大には、CSSやRSS、GLCなど、様々なサポートやプログラムがありますが、それらに「先輩は後輩のために」という伝統が脈打っています。卒業した今も、後輩たちの支援をさせてもらえることに、本当に感謝していますし、そう思える自分に成長できたのは、創大のお陰だと心から感じます。CSSのときに、共に後輩たちを支援した同期の友人たちとは、卒業した今でもつながっており、よく連絡をとります。今も「後輩たちの道を拓く」ことを互いに確認し、励ましあっています。

積極的に様々なことに挑戦し、進路においても素晴らしい結果を残された宮地さんの原動力となったものは何だったんでしょうか。

亡き母への思いを笑顔で語る宮地さん
亡き母への思いを笑顔で語る宮地さん

私の原動力は、「両親に親孝行したい」という一心でした。これは今も変わりません。
私には、母との忘れられない思い出があります。それは、私が小学6年生のときのことです。闘病中だった母が、私に関西創価中学校の受験を勧めてきました。しかし私は「絶対に受けない」と一言。地元の友人たちと離れたくなかった私は、何度も母に説得されましたが、頑なに拒み続けていました。そんな中、母の容態が急変。意識が朦朧とする母を少しでも元気づけたいと、私は泣きながら「関西創価中学校を受けるよ」と母に伝えました。その日から母が亡くなるまで、意識不明の母が横になっているベッドの隣で、黙々と勉強しました。結果的に付け焼刃の勉強では歯が立ちませんでしたが、母の思いは、無念さとともに私の胸に強く残っていました。そして、高校生になり、部屋の荷物を整理していると、母が生前書いていた日記を見つけました。闘病中の日記には、苦しいことや辛いことなどがありのままに書かれており、まったく飾らない母がそこにいました。そのなかに、「英俊を創価大学に行かせたい」「英俊が世界中のひとの役に立てる人材に」と、私のことが何度も 何度も綴られていました。
今思うと、母の思いに導かれ、創価大学でかけがえのない経験をすることができたと思います。入学後、創大の雰囲気に馴染めず、悶々としたときも、母の思いに守られ、多くの友と出会い、自分の心が変わっていくのが分かりました。特に取り柄のない普通の高校生だった私が、今、後輩のため、社会のために頑張れるのもすべて母のお陰です。卒業してもなお、大好きな創大に毎週のように戻り、学生を励ます今の私を、母は満面の笑みで見守ってくれていると、強く確信します。

最後に受験生や創大生に向け、メッセージをお願いします!

私は創価大学で、自分の力と可能性を大きく開くことができました。「自分が想像する以上の自分になる」ための挑戦をすることができるのが、創価大学です。受験生の皆さんも、受験勉強は大変だと思いますが、「そのための今の勉強なんだ」と思って努力し、ぜひ創価大学で学んでほしいです。
私はいつも、「自分と勝負しているか」を自身に問いかけることを大事にしています。普段の生活の中で、仕事や学業に対して「勝負だ」と思って臨めているか、そしてどうなったら「勝ち」でどうなったら「負け」なのかを明確にするようにしています。それは、「ここで勝とう」「自分のここを変えよう」という姿勢で“やるべきこと”に挑み、自分に勝っていく中に成長があると思うからです。そして、その勝利の積み重ねの先に、本当の親孝行があると思っています。創大生の後輩たちも「自分と勝負しているか」を問いかけ続け、自分力を磨いていってほしいです。創立者は「勝つと決めた方が勝つ」と教えてくださっています。私自身も、後輩たちの希望の灯台となっていけるよう、「勝つ」との決意をもってすべてに取り組み、これからも創立者、そして両親への報恩の道を歩み続けていきます。

*1) グローバルリーダーカレッジ(GLC)
:キャリアセンター主催で2006年度に開講された学部横断型の課外講座。各種講座、グループワークなどを、OB・OGである卒業生がスタッフとなって月に2回程度開催している。1・2年生の希望者が申し込み、エントリーシートおよび面接にて選抜。4年次まで受講する。
【参考】GLCホームページ https://career.soka.ac.jp/glc/student/glc.html

*2) キャリアサポートスタッフ(CSS)
:学生の進路・就職支援を行うグループ。卒業後の進路が決まった4年生・大学院生が所属し、後輩たちが進路を拓けるように、キャリア科目の授業運営補助や履修生との進路相談等を学年別で行う。1、2年生を対象としたキャリア教育やイベント運営を行うCSSの他に、3年生の進路就職支援を行うリクルートサポートスタッフ(RSS)がいる

Profile
宮地 英俊さん
卒業年度/学部:2013年卒業/経営学部経営学科

[好きな言葉]
「優秀な創大生へ 偉大な指導者になりゆけ」(創立者からいただいた指針)
[性格]
内向的・負けず嫌い
[趣味]
フットサル
[最近読んだ本]
「楽毅」 宮城谷昌光

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