現在、都内の弁護士事務所で奮闘する石黒智子さん(2013年経営学部卒業)。しかし、彼女が弁護士になるまでの道のりは、苦労の連続でした。家に帰らなかった高校時代を経て、弁護士という夢を抱き一浪して進学したのは、創価大学の“経営”学部。入学後、転学部試験に失敗しても夢を見失わず、法科大学院に進学します。苦戦しながら勉学に励み、司法試験は3度目の挑戦で見事合格!
つまずいてもあきらめずに前に進み続ける――そんな彼女の挑戦の裏には、どんな状況でも自分を信じて励ましてくれたお母さんの存在がありました。今回の創大Daysでは、夢に挑戦し続けた彼女の12年間に迫ります。

弁護士を目指したきっかけを教えてください。

弁護士を志望した理由は、困っている人の役に立ちたいという思いからでした。わが家は母子家庭で、母は一人で私を含めた3人の兄弟を育ててくれました。家庭が大変だったとき、その悩みを弁護士に相談した母が言った「こんなに心が軽くなるなんて、弁護士って本当にすごい仕事だね」との言葉に、弁護士という職業への憧れを抱きました。さらに、小学生の頃に見たテレビドラマにも影響され、漠然と将来は弁護士になり困っている人の力になりたいと思うようになりました。

しかし、夢を見失っていた時期もあったそうですね。

高校時代の石黒さん(左)
高校時代の石黒さん(左)

はい。中学、高校と、努力することから逃げていた私は、いつしかこんな自分では弁護士になるなど到底不可能だと、知らず知らずのうちにその夢を封じ込め、目指す前からあきらめていました。高校生になると家に帰っても誰もいない寂しさから友達の家に入り浸るようになり、いつしか家に帰らない日が多くなっていました。そして、こんな何の努力もしていない自分が何かを成し遂げられるわけがないと、弁護士という夢だけでなく、自分の人生までもあきらめるようになっていました。そんな思いで高校3年生となり、地元愛知県内の大学を受験するも、結果はもちろん不合格。今後の自分の人生はどうなるんだろうと、不安な気持ちを抱いたまま高校を卒業したことを覚えています。

そこから、なぜ創価大学への進学を決意したんでしょうか?

創立者の言葉に励まされ、進学を決意
創立者の言葉に励まされ、進学を決意

卒業後、自分の人生をあきらめたはずなのに、今後のことが不安で仕方のない自分がいました。今思えば、心のどこかで本当は自分の人生をあきらめたくないという思いがあったんだと思います。そんな私の心中を察した母が、「過去を嘆く必要はない。今ここからの決意でどんな人生にも変えていける」と、創価大学の創立者の言葉を通して励ましてくれたんです。その母の励ましに、私は過去に努力してこなかった自分を、ずっと責め続けていたことに気づき、“今この瞬間から全てを変えていけるんだ”と思うと心が軽くなり、見える世界が明るくなったように感じました。そこから私は、自分が今後どうなりたいのかを考えました。すると、「弁護士になりたい」と思っていた自分の夢を思い出しました。無意識のうちに自分には無理だとあきらめていたことに気づき、自分の本当の気持ちがわかった時は、涙が止まりませんでした。
そして、どん底にいた自分がもう一度夢に挑戦しようと決意するきっかけをくれた創立者のもとで学びたいという気持ちが芽生え、創価大学法学部への進学を目指しました。

受験勉強にはどのように取り組まれましたか?

兄妹そろっての大学合格がわかり家族全員で歓喜した瞬間!
兄妹そろっての大学合格がわかり家族全員で歓喜した瞬間!

受験勉強を始めた頃、それまで定期試験を乗り切るためだけに勉強していた私の成績は悲惨なもので、5月に受けた模試では、なんと数学の偏差値が30台でした!(笑)勉強することに慣れていなかった私にとって、浪人生として1日中勉強することがとてもつらく、解からないことばかりで泣きながら勉強したこともありました。勉強する科目が多く、焦りを感じることもありましたが、まずは目の前にある問題を1つ1つ解いていくことに徹しました。
実は、ちょうど同時期に、兄も医学部進学を目指して浪人生活を送っていて、どうしてもわからないときは、兄に教えてもらっていました。常に今後の成績に不安がありましたが、高い目標を持って努力していた兄の頑張りを傍で感じ、自分も頑張ろうと勇気をもらっていたんだと思います。
最終的に、創価大学にはセンター試験を利用して受験し、法学部の合格ラインにあと一歩及びませんでしたが、経営学部に合格することができました。また、兄も同じ年に第一志望であった地元の国公立大学の医学部に合格し、兄妹そろって浪人生活に終止符を打つことができました。

大学入学後の様子を教えてください!

寮役員の友人との思い出
寮役員の友人との思い出

弁護士を目指していた私は、経営学部に入学したものの、1年の終わりに実施される転学部試験を受けることを考えていました。そのため、1年次は、必修科目以外の授業は他学部でも履修できる法律関係の科目を受講し、毎日の授業に必死に取り組みました。
私は創春寮で生活していたのですが、そこで交換留学を目指している友人と出会いました。交換留学も、試験に合格しなければなりません。お互いの目標に向けてラウンジで一緒に深夜まで勉強し、励まし合いながら試験に臨みました。努力を重ねて迎えた試験でしたが、試験中に問題用紙の裏を見落としてしまい、大きな問題のひとつを回答することができませんでした。不合格の通知が来た時は落ち込みました。しかし、必死に試験に挑戦しきったと思えたので、不思議と夢をあきらめようとは思いませんでした。
不合格という結果は、表面的な結果で言えば負けになるかもしれません。しかし、そこであきらめるのか、それとも、その結果を受け止めた上で結果を逆手に自分の強みにしていくのか、本当の勝負は“自分の心”によって決まると思いました。そこで私は、経営学をしっかり学び、それを自分の強みにしようと決めました。うっかりしてしまう自分の傾向性を反省し、2年目からは経営学部の勉強にも真剣に取り組みました。
また、私は3年間寮生活を送り、3年次には副寮長も務めさせてもらいました。副寮長として、後輩たちが心地よく生活できるようサポートしながら、法科大学院への進学を目指し勉強に励むことは簡単なことではありませんでした。しかし、一歩も退かず取り組もう決め、両立に努めました。そして無事、法科大学院への進学を決めることができました。

法科大学院進学後も、授業や勉強、司法試験への挑戦と、苦労は尽きなかったようですね。

大学院での勉強の日々は本当に大変でした。やはり、経営学部出身ということから法律の知識が同期よりもだいぶ遅れた状態で、授業についていけないことも多くありました。しかし、ロースクールでは教員やチューターの先生方が親身になって勉強を教えてくれ、解からないことがあれば時間を割いて質問に答えてくれました。そして、夏頃には徐々に成績も伸び、1年次から成績優秀者に選ばれるまでになりました。2年次になってからは、1科目でも落とせば留年になってしまうなど、定期試験の重圧が大きかったのですが、その分週に1度は徹夜で勉強をするなど、本当に文字通り“必死”に勉強していました。
いよいよ迎えた司法試験。壁があまりにも高く感じられ、試験直前は、恐怖から勉強が手につかなくなっていました。最終的に私は、3度目の挑戦で合格することができたのですが、司法試験は最後まであきらめずに挑み続けられるかどうかが試されていることを実感し、自分の強い心が大事であること痛感しました。
というのも、1度目も2度目も、受験中に「あ、もうだめだ」と思う瞬間があったんです。でも、後から振り返ると、その時にあきらめなければまだ可能性は十分ありました。この経験から、3度目は最後の瞬間まで絶対にあきらめないと決めて挑戦しました。お世話になっている先輩からも、「とにかく前へ前へ、今からベストを尽くすことだけを考えよう」と励ましてもらい、後ろを振り向きそうになる自分に負けず、目の前の課題に取り組みました。実際に、3度目の試験でも1つの科目で大きなミスをして、もうだめかもしれないとあきらめそうになる瞬間がありました。しかし、先輩からの「ここが勝負だよ」との一言に、最後まで“今からベストを尽くす姿勢”を貫くことができ、晴れて合格することができました。
実は、後から結果を見ると、失敗した科目の評価は悲惨なものでしたが、その後切り替えて臨んだ科目は、元々苦手な科目だったにも関わらず、良い評価がついていました。その結果に、本当にあの瞬間が勝負の分かれ目だったことを実感しました。自分の心が“もうだめだ”と思えば、そこからすべてが崩れていきます。しかし、自分がどんなに悪い状況に陥っても、歯を食いしばって前へ前へと進み続ければ、必ず状況は好転していく。3度の司法試験への挑戦は、あきらめずに自分の意志を貫くことがどれだけ重要か実感した経験でした。

石黒さんがあきらめずに挑戦し続けてこられた理由は何だったんでしょうか。

どんなときも信じ続けてくれた大好きなお母さん
どんなときも信じ続けてくれた大好きなお母さん

それは、応援してくれる人たちがいたからだと思います。特に、母の存在は大きかったです。
私の母は、どんな時も優しく、困っている人を見ると放ってはおけない太陽のような人です。高校時代、私が家に帰らなかったときも、母は校門や友人の家の前で、何時間も私の帰りを待ち続けてくれ、私を見つけては、「おいしいものを食べに行こう」と声をかけてくれました。一度も怒らず私の声に耳を傾けてくれ、私が自分の可能性 を信じられなくても、母は私のことを信じ続けてくれました。あきらめずに私と向き合い、応援し続けてくれたのです。
また、浪人時代に地元の先輩から「苦労して苦労して、人の心のわかる弁護士になってください」という言葉をかけていただいたことがありました。実際、司法試験に合格するまで、何度も苦しい思いをしてあきらめそうになりましたが、その度にこの言葉が脳裏をよぎり、奮起することができました。
私のことを真剣に思い信じてくれている人がいる――大好きな母をはじめ、たくさんの出会いを通して、そう実感できたからこそ、自分も誰かのためにと、自分自身をあきらめずに進み続けてこられたのかなと思います。
女手一つで兄弟3人を育てることは、想像以上に大変な苦労があったと思います。そのような苦労の中でも、母は常に私たち兄弟のことを支え続けてくれました。弁護士になれた今、かつての母のように、苦労しながら子供を必死に育てている世の中のお母さんたちの手助けをしたいと思っています。そして、自分自身がたくさん苦労して夢を掴めた分、本当に困っている人の心に寄り添って、希望を贈れるような弁護士になっていきたいです。

夢であった弁護士としての道を歩み始めた、今の近況を教えてください!

卒業式当日には、寮の後輩がお祝いに駆け付けてくれた
卒業式当日には、寮の後輩がお祝いに駆け付けてくれた

今は、都内の法律事務所に勤務しています。私の勤務する事務所はいわゆる一般民事を中心に扱う事務所であり、さまざまな法律問題を抱えた依頼者と接しています。扱う問題はただの法律問題ではなく、依頼者の方にとっては切実な人生のかかった問題であることも多くあります。そうした事件に関わることに、やはり重い責任と重圧を感じることもありますが、自分が弁護士になろうと思った原点に立ち返り、少しでもその人の人生が良くなるように自分にできることをしていこうと思って日々業務に励んでいます。
また、働き始めてから、 弁護士にとって一番大切ともいえる“人の心に寄り添う”ことを、寮生活を通して学ばせてもらっていたことを感じています。学生寮は、生活の場であるからこそ、さまざまな課題に直面しますし、後輩をサポートする立場として、臨機応変な対応を求められることや後輩の悩みに触れる機会もありました。その度に、“寮生のために何ができるだろう”と考える日々を過ごしたことで、今では陰で支えてくださる人の苦労や、その人が何によってどう苦しんでいるのかなど、人の心の機微に敏感になれたように思います。創価大学に進学したからこそ、創春寮での3年間があったからこそ、そういう自分に成長できたことに、感謝は尽きません。

最後に、受験生へのメッセージをお願いします。

今でも仲の良い寮の友人たち
今でも仲の良い寮の友人たち

私は、創価大学に入学して、生涯の宝ともいえる最高の友人たちに出会うことができました。学生時代、お互いの夢を語りあいながら、共に勉強し、時にお菓子を食べながら談笑した時間は、私の人生にとってかけがえのない時間です。今でも、時々会ってはお互いの夢を語りあいながら、刺激をもらっています。そんな友人と出会えたことは、創価大学に進学してよかったと思えることの1つになっています。
また、創価大学には、先輩が後輩のために尽くしていくという伝統があります。大学に入学して最初に驚いたことは、寮の先輩が真剣に自分たちのことを考えてくれていたことです。自分の時間を削って、親身になって相談に乗ってくれる姿に本当に感動しました。自分もそうなりたいと心から思えました。
司法試験の直前、「今日も勉強できなかった」と落ち込むことがよくありました。ですが、過去を振り返っても得られるものはありません。「今から全力を尽くそう」と、自分自身を励まし、自分の心を持ち上げ、勉強に挑戦しました。その努力の積み重ねが司法試験の合格につながったと思います。受験生の皆さんも一喜一憂してしまうことが何度もあると思いますが、凹んだ時に自分を持ち上げる挑戦をしていってもらいたいです。大変ですが、自分で自分を励ましていけるようになれば、負けない自分になっていけると思います。そして、ひたむきな努力が運を味方につけられる力になっていくと思います。つまずくことがあっても自分の夢をあきらめず、前を向いて頑張ってください!必ず道は開けます!

Profile
石黒 智子さん
卒業年度/学部:経営学部経営学科2013年卒業

[好きな言葉]
真理と正義のためなら、自分を犠牲にできる人になれ
[性格]
マイペース、根気強い
[趣味]
映画鑑賞、ヨガ
[最近読んだ本]
『法廷弁護技術』  日本弁護士連合会 編集 日本評論社出版

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