令和2年度日本科学技術振興機構(JST)のSTI for SDGsアワードで最高賞の文部科学大臣賞を受賞した一般社団法人WheeLogの代表は、本学経済学部卒業の織田友理子さん。
在学時代の2002年に進行性の筋疾患「遠位型ミオパチー」の診断を受け、2008年に任意団体「PADM(Patients Association for Distal Myopathies)遠位型ミオパチー患者会」を立ち上げられました。
病気の影響で車椅子生活になり、ご自身の体験からバリアフリー情報を共有できるプラットフォームのアプリ開発を着想。その後、2015年にGoogleインパクトチャレンジへ挑戦し、見事グランプリを受賞。2017年にスマートフォン用の無料アプリ「みんなでつくるバリアフリーマップWheeLog!」としてリリースされました。今回、織田さんにアプリ開発に込めた思い、デンマーク留学の様子やSDGsについてお話しを伺いました。

この度は、国土交通大臣バリアフリー化推進功労者大臣表彰もおめでとうございます!織田さんの活動について教えてください。

国土交通大臣バリアフリー化推進功労者大臣表彰にて
国土交通大臣バリアフリー化推進功労者大臣表彰にて

ありがとうございます!私は、「みんなでつくるバリアフリーマップ―WheeLog!」アプリを開発、運営しています。私自身、手も足も動かすことが難しい重度の障がい者です。私は出産と同時に車椅子生活になったのですが、その途端、社会から取り残されていると感じてしまいました。その頃は車椅子で出かけるにも情報がきちんと整備されていなかったからです。私は車椅子での生活であることを前提で出産したので、息子には、車椅子を使っている母親だからと寂しい思いをさせたくないと思っていました。しかし、私は毎年夏になると息子を海に連れて行くこともできないと、申し訳なく思っていました。
そんな時、バリアフリー情報があれば車椅子ユーザーがもっと外に出かけられると実感した出来事がありました。それは、息子が3歳だった2010年、茨城県大洗町に「バリアフリービーチ」があるということを知り、家族で海水浴を楽しめたことです。「バリアフリービーチ」の情報を知った時、このような情報があれば、車椅子ユーザーの世界が広がると思い、バリアフリー情報を発信し始めました。当初、ブログやYouTube「車椅子ウォーカー」、講演会等で素敵なバリアフリーを紹介していたのですが、自分だけ情報発信しても、一生かかっても終わらないな(笑)と気づいてしまいました。みんなが持っているバリアフリー情報を共有できるプラットフォームがあれば、周りを、世界を、未来を変えていけるんじゃないかと。
そこで、2015年にGoogleインパクトチャレンジにエントリーしたところ、なんとグランプリを受賞することができました。2019年、日本テレビの24時間テレビで取り上げていただいた際には、「世界で一番あたたかい地図」と番組で紹介してもらいました。「諦めがちの人たち」をどのようにポジティブな思考に変換させていけるかは常に意識しています。そのためには、車椅子ユーザーだけに限らず、いろんな人を巻き込める活動にしたかったのです。健常者の方の中にはどのように協力したらいいのかわからないという人は多いようですが、写真を1枚撮って投稿していただければ、私たち車椅子ユーザーに、大きな力となります。

すごいですね!織田さんのご病気は大学時代に判明したと伺いました。

高校時代のお写真
高校時代のお写真

私は、大学4年生の時に「縁取り空砲を伴う遠位型ミオパチー」との診断を受けました。国家試験研究室(通称、国研)に所属しており4年生の春に公認会計士試験を受験しました。毎日10時間の勉強をして臨みましたが、結局試験には落ちてしまいました。試験勉強中に「そういえば、なんか足元がおぼつかないな」と思っていたのですが、ずっと勉強に打ち込んでいたので時間が取れずにいました。試験を終えた夏、親に内緒で病院に行こうと思っていたのですが、親からも、「ちょっと足が細くなりすぎだよ、病院に行こう」と言われて、市立病院に連れて行ってもらいました。その時、東京医科歯科大学附属病院を紹介され、ベッドが空き次第、入院しました。
中学時代は管弦楽部で日本一、高校時代は筝曲部で初の全国大会出場で日本2位になるなど、これまで部活や勉強に一生懸命に打ち込んでいた私に、突然、国内に数百人程度しかいない病名が告げられました。不思議とショックという気持ちはなく、「いよいよここからだ」と心の中では静かに燃えるような闘志がありました。周囲の人からは「今は休んだ方がいい」「そんなに頑張らなくていいよ」「体を大切しなさい」と言われ、「私はもう頑張ってはいけないのか」と落胆しそうになった時、国研でずっとお世話になった先輩に相談すると、「大変な病気であることがわかったんだね。でも、こういう状況だからこそ頑張った方が、挑戦した方がいいんじゃないか」と励ましてくれました。「私、まだまだ頑張る価値があるんだ」と思わせてくれ、とても嬉しかったです。
初めて大きなショックを受けたのは、「病気が進行すると子供を産む体力がなくなるから、早く結婚した方いい」とお医者さんに告げられた時でした。非常に悩みました。でも、ありがたいことに周囲の反対にも合わず、大学同期の夫と2005年に結婚、2006年に男の子を出産しました。

当時、難病指定もされていなかったんですよね?

患者会活動のお写真
患者会活動のお写真

そうなんです。2008年にPADMを発足して、何度も署名を集めて直接厚生労働大臣にお渡ししました。全国各地から累計204万筆以上のご協力を得ることができ、やっとのことで指定難病になったのが2014年のことです。また、これまで私たちの病気の薬はなかったのですが、2009年に世界初の治験がスタートしました。そして、新薬開発はようやく最終段階のフェーズ3まで来ています。
私たちのような、患者数がとても少ない希少疾病は、市場原理の上では、新薬開発がとても難しいです。PADMのような患者会を発足できない希少疾病はたくさんあります。だからこそ、私たちは、私たちの病気だけ「特例」で認められるのではなく、同じような希少疾病の方々に道を作ること、未来のために「前例を作る、制度を作る」ことを意識しました。創価の学舎で教えてもらった「何のため」を常に考えながら活動しています。
私は、高校時代に「人のために尽くせる、幸せな人になる」と決意しました。その時は自分が障がい者になるなんて思ってもいなかったので、本当に大変な人生を歩んでいるなと思っています。でもその分、社会の問題点を自ら体感することができて、やりがいも大きいです。夫も子供も家族も、たくさん周りを大変な人生に巻き込んでしまっているけど、不思議と皆さんがすごく応援してくれています。その応援が力になって、私は励まされています。

そのような中、30歳の時に、デンマーク留学にいかれたんですよね?

デンマーク留学中に仲間たちと
デンマーク留学中に仲間たちと

PADMの学術顧問の先生から、「世界には同じ病気の人がいるよ」と教えてもらい、海外に目を向けるようになっていきました。PADMの活動を通じて、それぞれの国で、どのように福祉制度を作っているのかも気になっていました。
「世界トップクラスの福祉制度をこの目で確かめたい。日本の福祉はダメだと多くの日本人が言うけれど、本当にそうなのか確かめたい」と思い、ダスキン愛の輪基金の海外研修生として、デンマークへ半年間留学しました。夫と子供を日本においていきましたが、ヘルパーの資格を取っていた現在バルセロナに住んでいる妹が一緒に行ってくれました。デンマークは国が小さいので、車椅子ユーザーには、リフト車を一人一台支給し、ヘルパーに運転してもらうなどして、人生を謳歌していました。公共交通機関のバリアフリー化を進めるより、この方がコストがかからないのかもしれません。しかし、その結果、私のような外国人車椅子ユーザーは、学校から駅に出る時にはリフト車を借りたり、運転手を探したり、タクシーに乗ったりと、とても不便でした。こうした体験から、どこに税金を投入していくかは国ごとに政策が異なることを知りました。
デンマークの視察先では「なぜ、デンマークが福祉国家になったのでしょうか?」と毎回質問しました。その中で特に納得した答えが「女性が働き続けるから」でした。日本では、女性は子育てや介護があり、働くことを中断する、また、諦めるような状況があります。デンマークでは、帰宅のラッシュアワーは午後4時頃で、日本よりはるかに早い時間帯に道が混んでいました。また、保育園の子供のお迎えには男性も女性も関わるようでした。こうして皆が働き続けられる社会を作っていました。当時の選挙の投票率は80%と高く、国民は税金の使い道などに関心をもっており、とても勉強になって帰ってきました。

Wheelog!のアプリは、健常者の方もつかえるんですね!

WheeLog!アプリ
WheeLog!アプリ

障がい者の心理としては、私たちが動くと人の手を煩わせてしまうと思うことがあります。また、段差があることによって立ち寄ることを諦めてしまうこともあります。しかし、障がい者が街に出ることで課題が可視化され、バリアフリー化の推進に繋がります。また、情報がそのような課題解消の一助になります。
ありがたいことに、毎日のように情報を投稿してくださる健常者の方もおり、「普段から歩いていると車椅子のマークが目に飛び込むようになってきた」との声が寄せられています。自分事として捉えてくださっていることが嬉しいです。一方で、車椅子ユーザーも積極的に外出し、自分の経験を投稿してくれています。このアプリでは、誰かが持っている情報が、その方が動くことによって世の中のためになります。心のバリアフリーを形にできます。「誰かのために」と1枚の写真が投稿される。あたたかいですよ、本当に。

アプリ開発はどのように行われたのでしょうか?

Googleインパクトチャレンジ2015グランプリ受賞
Googleインパクトチャレンジ2015グランプリ受賞

バリアフリー情報を集められるアプリを作りたいという構想があって個人的に見積もりをとったのですが、結構な金額でした。これは自分ではとても払えないので、アイディアをあたためていた2014年に、Googleインパクトチャレンジのことを知りました。グランプリを受賞すれば、支援として5,000万円の助成金をいただけるので、これならアプリを開発することができると思い、挑戦しました。ビジネスコンテストの申請書は書いたこともなかったので、大学時代の友人に相談しながら、準備にあたりました。私はシステムのことはさっぱりわからないので、当時、私が厚生労働省の難病関係の研究班でご一緒していた、島根大学の伊藤史人先生と、先生を通じて紹介していただいた、著名なロボット研究者であるオリィ研究所の吉藤オリィさんと一緒にチームを組みました。そうして臨んだGoogleインパクトチャレンジで、グランプリをいただくことができました。本当に嬉しかったです。
このアプリは「感謝」がベースにあります。これまでの活動は人と人との縁で、周りの人と支え合って、ここまでやってくることができました。アプリへの投稿の他、私たちの一般社団法人WheeLogの活動に参加してくださる方、支援してくださる方への恩返しはお金で返すことはできないですが、社会を良くしていくことで還元していくと決意しています。いつか「WheeLog!に関われた人生でよかった!」と思ってもらえる日が来たら嬉しいです。

今後のアプリの展望について教えていただけますか?

ご主人の洋一さんと
ご主人の洋一さんと

ありがたいことに、先日10万ダウンロードを達成しました。アプリを使ってくださっている方に感謝しています。10言語に対応しているので、日本をはじめ、世界の方にさらにアプリの認知を広げていきたいと思っています。
新型コロナの影響が出る前は、車椅子での街歩きイベントを100人単位で開催しておりました。今後は、オンラインを活用して各地を繋ぎながら開催する街歩きイベントも拡充していきたいと思っています。また、これまでアプリを運営して3年間、溜まってきた情報をデータクリーニングしていきたいと思っています。アプリユーザーがバリアフリー情報の投稿に応じてレベルアップするなど、ゲーム性を取り入れながら、みんなが使いやすい地図にしていきたいです。
コロナ禍にあっても、車椅子ユーザーの私たちは、病院やリハビリに行くなど、理由があって外出しなければならないことがあります。このような時もアプリは有効に活用されているようです。このアプリは、車椅子ユーザーやその家族に、安心安全を提供するだけでなく、人生の中に彩りを加えることにも繋がります。どんな状況であっても人生を楽しんでもらいたい。私が車椅子ユーザーになったからこそ、このような発想ができたなと思いました。もっともっと社会を変えていきたいと思っています。

WheeLog!のアプリ開発後、さらに世界に羽ばたかれていますね!

ドバイにて(2019年)
ドバイにて(2019年)

新型コロナが蔓延する前までは、毎年4か国ほど行っておりました。アメリカのマサチューセッツ工科大学からは社会課題解決に対する活動を評価され、MIT Solveのメンバーとして選出していただきました。アメリカのオバマ元大統領には、Global Entrepreneurship Summitに招待いただき直接お会いできました。また、国連後援のZero Projectで表彰いただいたり、同じく国連後援のWorld Summit Awardではグローバルチャンピオンになりました。今年開催されるドバイ万博にはSDGsに貢献している企業や団体として世界の中からグローバルイノベーターに選出され、12月にアラブ首長国連邦のドバイに行く予定です。
これまで、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、中東など世界各国を車椅子で訪問してみて、日本のバリアフリーは進んでいると実感しています。なぜなら日本のバリアフリートイレは世界一だからです。例えば、男性トイレと女性トイレの間にあってジェンダーフリーで、背もたれや手すり、介助用ベッドも充実しています。一方、海外では、バリアフリートイレがあっても、車椅子が転回できるスペースがなかったり、男性トイレや女性トイレの奥にあったりします。私の場合は夫による異性介助なので、トイレを使用する際は、警備員さんに入口を封鎖してもらっていました。私は帰国するたびに日本のバリアフリートイレのありがたみを実感しています。

SDGsを推進する上で、大事なポイントは何だと感じていらっしゃいますか?

街歩きイベントの様子
街歩きイベントの様子

WheeLog!アプリにバリアフリー情報を投稿することで、誰もがSDGsに貢献できます。SDGsで「誰も取り残さない」と言われているからこそ、そのプレーヤーに健常者だけでなく、障がい者や難病患者などの当事者も入っていたらいいなと思っています。WheeLog!アプリは、誰もが参画できるように、どんな状況の人にとっても、その人の居場所になればと願って設計しました。このような場があれば、みんなと繋がり、心豊かに穏やかに生きていけるのではないかと思っています。
私の病気はいずれ寝たきりになってしまうと言われています。今では座っていることもしんどい時もあります。しかし、「何ができる、何ができない」といったことでその人の価値が決まるのではない、生きているだけで価値があると思っています。それぞれがそれぞれの形でSDGsに関わり続けることが大事だと感じています。

最後に、これから就職活動に挑む後輩にエールをお願いします!

MIT Solve 2019の授賞式にて
MIT Solve 2019の授賞式にて

学生の特権はいろいろ経験できるということだと思います。臆することなく、様々な世界を見て欲しいと思います。興味関心のあることに深く関わってみたり、気軽に様々な活動に参加してもいいと思うんです。真剣に取り組んだことはその後の人生に必ず生きてきます。人生には無駄なことなんてないと思います。私は学生時代、公認会計士を目指して、国研で勉強ばかりしていました。残念がら試験は断念しましたが、その中で勉強していた簿記や民法、商法などが、今のPADMやバリアフリーの改善に関わる活動に生きています。
現実社会には厳しい課題が山積みです。でも、だからこそ「何のため」を探究した創大生のことを待っている人たちがたくさんいます。どんな人でも一人ひとりが豊かに生き切れる社会を作ることが大事だと思います。私たちの活動もその一助になればと願っております。よりよい社会を目指して、一緒に頑張りましょう!

Profile
織田 友理子さん
一般社団法人WheeLog代表
経済学部経済学科 2003年卒業

[好きな言葉]
心こそ大切なれ
[性格]
好奇心旺盛、責任感が強い
[趣味]
バリアフリー調査
[最近読んだ本]
サイボーグ時代 /著:吉藤オリィ

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