私は1980年の8月から1年間、創価大学初の交換留学生として北京大学へ留学しました。大学卒業後も中国と関係の深い電機メーカーに就職、中国駐在など20年以上を中国で過ごしています。現在も上海で働いており、当時の思いがそのまま今につながっていると感じます。

私が中国に魅力を感じたきっかけは、中学校で創立者の訪中の様子に触れたことでした。そして創価大学に進学後は「中国研究会」というサークルに入り、中国からの留学生との交流を通じて、中国語を少しずつ覚えていきました。4年生のとき、創価大学と北京大学の学術交流協定が締結。私は初めての交換留学生に応募し、念願の訪中を叶えたのです。

当時、改革開放が始まったばかりの中国は、戦後間もない日本とほぼ同じぐらいの経済レベルで、まるで修行のような日々でした。通信手段は手紙だけなので、親や友人との通信で、100通以上の手紙を書いたと思います。日本の情報は中国に駐在していた先輩がくださった日本の新聞だけだったので、みんなで回覧し、むさぼるように端から端まで読んでいましたね。

留学中の唯一の楽しみは、中国の国内旅行でした。長期休みのたびに各地へ行き、旅先での中国人との交流にとてもよい刺激を受けました。例えば、場の空気を読んで合わそうとする日本人特有のコミュニケーションは、中国ではまったく通用しません。さまざまな場面で居心地の悪さを経験したり感じたりしましたが、それを「いやだなぁ」で終わらせずに対応していく自分をつくっていきました。実はこの居心地の悪い体験こそが、異文化体験の一番の糧になるところであって、「日本と違うな」「日本だったらこうなのに」という考えから脱却し、自分を客観視し、多様な価値観で日本を見つめる機会なのです。今でも当時の「居心地の悪さ」を受け入れた経験が、一番活きていると思います。

これからは、ますます海外と向き合うことの重要性が高まっていきます。創価大学には留学する機会がたくさんありますが、一つひとつの交流先は創立者、そして先輩方が築いてきた大切な財産です。創立50周年で世界中に200以上の交流先があるのは、本当にかけがえのない価値のあることだと思うので、ぜひ、創価大学の優位性を最大限に活かし、自分で目標や興味を持って留学に挑戦してください。

※ SUN110号のインタビュー記事より転載

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吉富 正樹さん
法学部/7期卒業生
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