22期生、インドネシア在住の太田雄一郎です。学生時代は文学部社会学科で学び、スポーツ推薦入学させて頂くきっかけとなった柔道部で活動し、4年生の時にはチームの主将を務めました。

大学卒業後は1996年7月に青年海外協力隊員の柔道指導員としてインドネシアに派遣され、警察学校を中心に警察官柔道教官、地域の小学生、中学生、高校生に柔道を指導していました。また1998年12月にタイのバンコクで開催されたアジア大会に際しては、半年間ナショナルチームの臨時コーチとして指導に当たり、同大会にもインドネシアナショナルチームのコーチとして参加しました。

1999年7月に3年間の青年海外協力隊任期を終えて帰国した後、同年9月に再びインドネシアに戻り、以来、通算25年間、この地で生活しております。

2001年8月より2014年3月まで日系電機メーカーのカラーテレビ生産工場で勤務、同社が工場閉鎖となり退職後、2014年4月より日系大手商社を親会社に持つ電子部品調達代行商社に転職、現在は同社が出資している基板実装会社に工場長として出向しております。

インドネシアは人口約2億6千万人(世界第4位)、1万3千以上の島々から成り立っている群島国家です。その人口の約85%程度がイスラム教徒でありながら、イスラム教を国教とせず他の宗教も認めており、300以上の民族と地方言語が存在する中、「多様性の中の統一」を国是にインドネシア語を公用語としています。またユーモアに富んだ、冗談好きな人達も多く、笑顔が素敵な不思議な魅力を持った国だと私自身は感じています。

現在、私が勤務する製造会社では、モノづくりの現場に付き物といえるいろいろな問題が日々起こっています。その中でそれらを乗り越える為にはチームワークが最重要だと考えています。それには工場内で部門間を超え、時にはお客様、サプライヤーとも協力して難局に対応することが必要であり、私自身工場長として自分の足を使って現場に赴き、インドネシア語、日本語、英語を駆使して日々奮闘しています。

特に6月のコロナウイルス禍では最大で従業員の約25%が陽性感染となり出社できない状況となる中、お客様に対して何とか重要納期問題、重要品質問題を起こさずに乗り切られたのは、やはりチームワークの強さが一番大きかったと感じています。

創立者池田先生が仰っておられる「いわゆる権力者ではなくリーダーを育てたい」ということを私自身学生時代に学びました。リーダーは現場のメンバーが働きやすい環境を作るもの、その精神が今回の難局でも生かされたと感じております。

私事で恐縮ですが、現在私の長男も1年間の日本語別科学習を終え、経営学部の50期として創価大学で学んでおります。

在学生の皆さんは未曾有のコロナウイルス禍の中、先の見えない閉塞感に悩んでおられるかもしれません。しかし明けない闇がないように、春にならない冬がないように、必ず収束する時が来ます。その時を信じて、周りの環境に流されず、自分自身が日々やるべきことをやり、自分自身に負けないよう、一歩一歩力強く前進して頂きたいと思います。

皆さんのご活躍が卒業生として大変にうれしく、また自分自身が負けてたまるか、という創価魂を燃やし、現実社会で格闘することが出来るのです。

負けるな創大生!

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