言語、文化、留学……日本とケニアの交流を深める
活動の原点はアフリカの未来のために捧げた青春時代。

「我が使命の地はケニア」。文学部日本語日本文学科の1期生である中村さんは、創価大学で育んだ強い志のもと、ケニアの人々のために人生を捧げている。大学卒業後に進学したナイロビ大学院時代を含めると、ケニア在住歴は27年。永きにわたり、ナイロビにある私立大学「United States International Univ-Africa(アメリカ国際大学)」の教壇に立ち、日本語教育を通じて、日本とケニアの懸け橋になっている。

「ケニア日本語教師会にも創設当初から関わっており、日本語弁論大会、東アフリカ日本語教育会議、日本語能力試験などを運営してきました。そうした働きを評価いただき、日本とケニアの友好50周年を機に日本大使館公館長の表彰も受けました。今も師である創立者への誓いを果たす日々です」

中村さんがアフリカに関心を持ったのは高校生のころ。「大変な思いをしている人たちのところへ行こう」と、日本語教師として日本とアフリカとの懸け橋になる夢を持って創価大学へ。入学した1990年は、創立者とアフリカからの要人の会談が一気に増加した1年。牢獄生活を勝ち抜いたネルソン・マンデラ元大統領をはじめ、ケニアのモイ元大統領などアフリカの要人を中村さんはパン・アフリカン友好会の一員として歌声で歓迎する役割を担った。

「アフリカの平和と幸福のために全力で行動されている創立者とともに我々もと、ときに涙を流し、生命の底から歌いました」と話す中村さんたちパン・アフリカン友好会のメンバーの姿に、創立者は「魂が伝わってくるような歌でした。今後、いかなる形であれ、あなたたちのなかでアフリカへ留学する人があれば、必ず私に報告しなさい。全力をあげて応援します」とメッセージを送ってくれたという。

その言葉に決意を固め、中村さん自身は4年次にケニア留学。卒業後はナイロビ大学の大学院に進み、その後もケニアで教壇に立ちながら創立者が拓いたアフリカ留学の道をさらに大きく拓くために精力的に活動を続けた。今では、創価大学の夏期短期ボランティア研修をアメリカ国際大学で受け入れるなど、両大学で交換留学生を送り合う関係を築いている。

「アフリカからの要人を歓迎する毎回の式典が、創立者への誓いの場でした。今の自分があるのも、こうした誓い場をつくっていただいたお陰です。そして、アフリカの未来のために青春を捧げられたことは、私の人生の原点です」

※ SUN113号のインタビュー記事より転載

Profile
中村 勝司さん
文学部1995年卒業(20期)
United States International Univ-Africa 日本語教員

日本とアフリカの懸け橋となる日本語教師になるために、 1990年文学部日本語日本文学科の1期生として入学。パン・アフリカン友好会での活動で思いを強くし、4年次にケニアへ留学、卒業後はナイロビ大学の大学院に進学し、以来27年間、ケニアで日本とアフリカの交流に貢献している。

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