ベルゴーリツのラジオ番組よりИз радиопередач О. Ф. Берггольц

屋根の上で当直にあたる地区防空部隊(МПВО)の女性兵士

親愛なる同志の皆さん!
あさってはお正月です。1942年が始まります。こんな暮れはレニングラードで今までありませんでした。どんな暮れかは言うまでもなく、皆さん1人1人がよく御存じのとおりです。どんなに厳しい状況でもお正月はやってきます!
1942年を私達は自分のふるさとで迎えられるのです。我が軍とともに私達は、ドイツ軍に町を明け渡してはいません。包囲はされていますが、捕虜にはなっていません、奴隷ではありません。これだけでもうすごいことです。

確かに、今私達は大変な状況にあります。敵はこの5ヶ月、私達の生きる意志をくじこうとし、心を折れさせて、勝利への確信を揺るがそうとしています。しかし、私達は信じています……いえ、信じているどころか、必ず勝利することを知っています! モスクワからは既にドイツ軍を撃退しました。勝利はやってきます。私達は勝利を手にするのです。そして、レニングラードは再び温かく、明るい、陽気な町になるのです。
それでは「カマ川の手紙」という詩を読みたいと思います。

私は知っている − 遠く離れたカマ川のほとりで母が心を痛めている。
遠く離れた母に何を書けばいい?
どうやって安心させればいい?どんな嘘をつけばいい?母は絵はがきに一文字一文字に心配と愛をこめて
いつも祈るように書いている
「娘よ、娘よ、
お願いだから、元気でいてね」

ああ、母を安心させることができるなら、どんなことをしてもいい
私は母に真実だけを書く
私のことは心配しないで、と
「ママ、私は大丈夫よ
心配しないで 大丈夫だから
私はみんなと一緒に町を全力で守ってるの
この世で一番の屈辱である捕虜にならないために
私にはママの血が流れている
その血は「死んでも捕虜になるな!」と語っている
ママ、心配しないで
私は恐くないし、負けない、逃げない
あなたが育ててくれた負けない心をもっている
心配しないで
私には迷いはないし力も十分残ってる
レーニンが教えてくれた勝利への忍耐を今こそ発揮するわ
ママ、心配しないで

私は友達と一緒にいる私の友達のことも想っていてね」

……はるかかなたの母に私はこう書く
私は真実を書いたのだ

古いうちのアパートが壊れたなんて書かない
弟がケガしたなんて書かない
私が老けたなんて、パンも少しで 睡眠も少しなんて書かない
書かない方がむしろ真実だと思うから
書いてもすべてを母が知ることはできないから
私達はいつか傷を癒やし すべてを取り戻す
安らかで温かい長時間の睡眠も 朝一番の鼻歌も
そして明るいガラス窓の向こうに夕焼けが輝く日が

私は知人たちにうったえる
「真実をお母さんに書いて」と
どんな未来が待っているのか書いて下さい

どんなに大変かという愚痴ではなく・・

1942年5月2日

ポスター(カザン聖堂前)

レニングラード-前線
同志のみなさん、レニングラード前線についてお話ししたいと思います。
1週間前、レニングラードの入口である検問所の1つに行きました。そこでは軍事評議会が連隊に軍旗を渡していました。赤軍が同僚の身分証明書を調べている間、私は工場の高い塀を見ていました。その壁は弾丸の後がここかしこにあり、またポスターやアピール、チラシがいたるところに貼られていました。このあたりにあるものは大切にこのまま取っておいて博物館に運ぶべきではないか、将来人々が永遠の生きた歴史の断片を見ようとして、敬虔な気持ちでこの塀の前に立ち止まるのではないかと思いました。そこには何に気をつけなければならないか、どういったことを身に付けなければならないかが書かれていました。1番多いお知らせは、火に気をつけるように警告するものでした。こういったお知らせは年月が経てば、なぜこんなことが書かれていたのか、よその人たちにはわからないでしょう。

ある高級店のショーウインドーにはこんなお知らせが長い間貼られていました。
「市民のみなさん! 遺体をお墓までソリで運びます。その他生活用品の搬送も……」
「不要になった軽量の棺を売ります」
こうした生活上のお知らせの裏にはどれほどの悲劇、特殊な事情が隠れていることでしょう。
そうです、こうした町の壁は、いわば石造りの公開日記 − 町全体の、そしてレニングラード市民一人ひとりの日記ともいえます。もちろん私たちはまだそれを冷静に見る事はできませんし、読むのも辛いです。

でもその壁に近寄ってみて、例えば、去年のお知らせを見てみましょう。
「レニングラードの同志の皆さん、親愛なる友人の皆さん!

私たちの愛する故郷の町がドイツファシスト軍の攻撃による脅威に直面することとなりました。敵はレニングラードに入ってこようとしています。レニングラードは前線となりました。敵は町の玄関に来ています」こんなお知らせもあります。
「レニングラードの皆さん、覚えていて下さい。0.15ヘクタールの畑を耕せば、キャベツやラディッシュ、玉ねぎ、人参が栽培できます。これだけあれば家族が食べる野菜1年分ができます」

ファシストたちは見誤りました。私たちは人間であり、ウサギではありません。私たちは誇り高い人間、人生を愛する人間です。私たちは死との戦いに一歩も引かず、その最中でも薬を新たに開発し、自分たちの病気を治していきました。私たちの払った犠牲はとても大きいですが、それでも私たちは勝利を手にしたのです。
レニングラード公立図書館は世界でも有数の図書収蔵数を誇りますが、この図書館が冬の間ずっと開館していた事も勝利の1つではないでしょうか。図書館の貸し出し部門は電灯が2つしかついておらず、本は冷たい死の匂いがしていました。それでも図書館員たちは暗闇の中で、病院や、移動図書館のための図書の準備に忙しく働いていました。

図書館には普通考えられないような問い合わせが来ました。
包囲された町では、火を起こすといった簡単なことが難しくなります。以前はまだマッチが届けられていましたが、今はそれもありません。そのため図書館には、火打石はどうやって作れるか、それを作る工場を町でどうしたら立ち上げられるか、ろうそくはどうすればいいかといったような問い合わせが来ます。図書館員たちはそうした問い合わせを受けて必要な文献を探し出すのです。このような場合、近代的な方法は役に立たず、18世紀の古い図書を探してろうそくの作り方を見つけたりしていました。

(江口満 訳)

薪の備蓄を呼びかけるチラシ