第3章 私からはじまる「人権」

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難民・避難民安全に暮らせる場所を求めて

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紛争( ふんそう )迫害( はくがい )が生む難民、経済的な理由による( )( じゅう )、災害による避難など、大量の人口移動が現代の( とく )( ちょう )の一つとなっています。( こっ )( きょう )( )える人々は、受け入れ国の人々にとっては、「外国人」です。古代から現代に( いた )るまで、こうした人々への人権保護( ほご )は、( かなら )ずしも十分でありませんでした。

今日では、国境を越えることのない国内避難民という形をとるケースも生まれています。 たとえば、日本では、東日本大震災( しんさい )など、災害による避難民が生まれています。

災害時には、情報不足やデマなどによる人権侵害( しんがい )も起こります。また、( )( さい )者は、その後の避難生活でも多くの困難( こんなん )( ちょく )( めん )しています。なかでも高齢( こうれい )者や障がい者、病人やケガ人、心理的な( えい )( きょう )を受けやすい子ども、ことばの( かべ )のある外国人など、特別な援助( えんじょ )配慮( はいりょ )を必要とする、いわゆる「( さい )( がい )( じゃく )( しゃ )」と( )ばれる人たちの場合、その困難はより大きなものになります。

数字で見る難民・( )( なん )( みん )

2014年末時点で、紛争( ふんそう )迫害( はくがい )や人権侵害( しんがい )のため移動を( )いられた人の数は5,950万人に上ります。
わずか1年間で1,390万人増えたことになります。
2014年には毎日平均4万2,500人が家を追われ、避難を余儀( よぎ )なくされました。

過去7年、自然災害により約1秒に1人が住居を追われており、2014年には年間1,930万人が避難を余儀なくされました。

住む場所を( うしな )い、仮設住宅で生活を送る災害難民もいまだ多くいます。

世界中の数多くの開発途上国・先進国に国籍( こくせき )が存在し、およそ1,200万人に上ると推計されています。
国籍を持たないということはどの国との間にも法的な( きずな )を持たないということです。
( )( りょう )・教育・財産的権利へのアクセスだけでなく移動の自由もない場合もあり、( )( )( てき )待遇( たいぐう )や人身取引のような犯罪に( )いやすいのです。

参考資料
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)HP
Internal Displacement Monitoring Center (IDMC)「Global Estimates 2015 People displaced by disasters」

HUMAN STORIES

©UNHCR/E.Dorfman

シリア難民

シリアでは、2011年3月から政府と反政府勢力との間で武力( しょう )( とつ )が続いており、内戦状態にあります。国外からもイスラム( )( げき )( )( せい )( りょく )( くわ )わり、国連によるとこれまでに22万人以上が死亡、そして1,160万人以上が国内外に( )( なん )しました。

4( さい )のシャハドさんは、シリア西部にあるハマ近郊( きんこう )の村で生まれました。2013年9月、住んでいた家が攻撃( こうげき )され、10歳の兄とまだ1歳だった妹、そして5人の親族を亡くしました。シャハドさんは( )( れき )のなかから( きゅう )( じょ )され、一命を取り( )めたものの、顔はずたずたに( )け、( かみ )は頭部から引き( )がされていました。家族は( いそ )いでシャハドさんを近所の病院に連れて行きましたが、人手不足の病院では十分な処置をしてもらえませんでした。

( しゅう )( よう )される不安に( おび )えながら( こっ )( きょう )へと向かい、避難を始めてから17時間後の( しん )( )( )ぎ、スーツケースひとつでやっとレバノンにたどり着いたのです。

( ふたた )び自立して生活ができるまで、( しん )の平和が( おとず )れることはない

©UNHCR/A.Kitidi

中央アフリカ難民

2013年3月、当時のポジゼ政権がムスリムを主体とする武装勢力セレカの攻撃によって( )( かい )して以降、宗教の差異( さい )による対立が( げき )( )しました。

国連の報告(2015年7月)によると、全人口の半数を( )える270万人が( )( さん )な人道的( じょう )( きょう )下で生活しており、46万人が難民として周辺国に( のが )れ、国内避難民は40万人と言われています。

28歳のキャロルさんの住む村がセレカの軍隊に( しゅう )( げき )されたのは2013年2月の早朝でした。「いつもは子どもたちの( )( がお )であふれる村が死体で( )めつくされました。襲撃から5日後に( もど )って目にしたのは、完全に焼き( はら )われた家でした。お金も食料もなく、さらに夫は( )( )られてしまったのです。なすすべもなく一番( おさな )い子どもを( )きかかえ、近隣( きんりん )の住人からパンを分けてもらいに行きました。あれほどの( かな )しみを味わったことはありません。」

一家はやがて、国内避難民キャンプにたどり着き、そこで生活( )( えん )物資や( )( りょう )支援を受けることに。しかし、夫が家族の元へ戻り、( ふたた )び自立して生活ができるようになるまで、真の平和が訪れることはないと彼女( かのじょ )は言います。

「本当の意味での平和を実現するための方法はひとつ。紛争( ふんそう )( かか )わった人全員が( みずか )らの( あやま )ちに気付き、そしてお( たが )いを( ゆる )しあうことです。」

参考資料
国連人道問題調整事務所(UNOCHA)、UN「Report of the Secretary-General on the situation in the Central African Republic(S/2015/576)」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)HP

( )( さい )( しゃ )は決して( じゃく )( しゃ )ではありません。
( たし )かに( きび )しい状況( じょうきょう )の中での生活を
余儀( よぎ )なくされていますが、
声にはならない思いをもって
生きています。
( ほん )( らい )強い人たちなのです。

東日本大震災( しんさい )で被災しながらもボランティア活動に取り組む男性(日本)
©Seikyo Shimbun