ロールモデル集 vol.1

2022年6月17日開催「オープンカフェ」





≪担当≫ 法科大学院 岡本梢 准教授

自己紹介

 神奈川県出身で、県立海老名高校を卒業した後、創価大学法学部に29期生として、そして本学法科大学院に第1期生として入学し、司法試験に合格後は弁護士になりました。弁護士、子育てをしながら中央大学大学院へ進学し、博士号(法学)を取得。現在は、法科大学院准教授として刑事訴訟法を担当しています。

ロールモデルとは

 このオープンカフェは、「ロールモデルとの語らい」という副題がついていますが、ロールとは「役割、役目」、モデルとは「見本」を意味しますので、ロールモデルというと「手本となる人」ということになります。私は手本となる人では全くないので、生き方の選択肢として、「こういう人もいるんだな。」程度に気軽に聞いてください。

将来の職業の決め方

 私が弁護士になりたいと思ったのは、中学2年生の時の強烈な出来事がきっかけでした。というのは、そのころ、隣の家のおばさんが、病気になってしまったのですが、家族が看病を放棄したため、結局亡くなってしまいました。法学部に来て、それは「保護責任者不保護」にあたる犯罪行為であると知りました。その時(中学2年生の時)に、社会というのは弱い者がつらい思いをするようになっているのではないか、弱者の役に立つために力のある大人になりたいと思い、正義といえば弁護士!ということで弁護士を目指すようになりました。

 目標がある人とない人とでは伸び方が違います。目標を得た中学生の私は、めきめきと成績がアップしていきました。
 まだ将来何になりたいか決まらないという方もいるかと思いますが、人とたくさん会うこと、カルチャーショックをたくさん受けることが大事かと思います。積極的に出かけること。人だけではなく、場所との出会い、本との出会い、たまたま目に留まったポスターが人生を変えることだってあると思います。テレビやYouTubeにも良い出会いがあるかもしれません。私も、子どものころから親に連れられ、様々な人の人生を見てきました。なぜか、近所のおじいちゃんの最期を母と二人で看取ったこともあります。そういう出会いが、人生の原動力になったと思います。

大学から法科大学院、そして弁護士へ

高校生の時、父の経営していた会社が破綻し、経済的理由により大学を断念しなければならないか!?という危機に見舞われましたが、必死に勉強し、創価大学に特別奨学生として入れていただき、お金の心配をせずに勉強に没頭することができました。

その後、創価大学法科大学院に第一期生として入学。合格時に、創立者より合格祝いの電報をいただき、感動で胸が震えました。

 司法試験合格へ向けて、目から血がだらだら流れるほど猛勉強をしました。ボールペンも何本も折りました。ここでの猛勉強がずっと人生の基盤になっています。若いうちの「猛勉強」は本当に必要です。人生ずっと勉強なので、若いうちに習慣や土台を作っておくことが大事です。

 でも、司法試験の勉強は本当に大変でした。私は子供を二人産んでおり、一人目の時は24時間陣痛に苦しんだ挙句、帝王切開という「フルコース」を味わいましたが(笑)、それよりも司法試験の方がつらかったです。
 でも、司法試験の勉強は本当に大変でした。私は子供を二人産んでおり、一人目の時は24時間陣痛に苦しんだ挙句、帝王切開という「フルコース」を味わいましたが(笑)、それよりも司法試験の方がつらかったです。
 弁護士になってからは、依頼者を「励ます」ということをプラスαで大事にしてきました。法律問題で今にも死にそうだった人が、法律相談後に頬に赤みが増すんです。とても有意義な仕事だなと思いました。弁護士の資格がパスポートとなって、世界が広がりました。

中国留学

 無事弁護士になりましたが、創立者が常々語学の重要性をお話しされていたのに、語学ができないことがずっと気になっていました。そこで、ある派遣会社が募集していた社会人の留学制度に思い切って応募しました。ラッキーなことに、合格し奨学金を得て中国上海に留学することができました。中国語力ゼロからの語学留学でしたが、1年半真剣に学び、HSK8級を取得して日本に帰国しました。この時の勉強も、司法試験の時の勉強癖や勉強方法が役に立ちました。上海では、中国人に間違えられ、「日本語うまいね!」と言われるくらい中国語が上達しましたが、2010年に帰国してからは継続して勉強をすることが難しく、今は全然しゃべれないです…。
 中国では、半年間だけ知財を扱う会社でパラリーガルとして働き、法律用語も学ぶことができました。ここでの経験は、その後の研究生活に役立っています。

博士課程進学と子育て

 29歳で中国から帰国し、弁護士として法律事務所に所属する予定でしたが、結婚したばかりであったこともあり、事務所に所属すると多忙になり、出産育児が大変ですし、仕事をどうするか真剣に悩みました。ここでも人とのつながりによって道が開かれることになります。
 創価大学に帰国の挨拶をしに来た時、感覚的に、創価大学で一生勉強したいという思いがこみ上げてきました。そこで、教員、研究者になるのはどうかと弁護士の先輩や大学の教授に相談しました。ある先輩には「研究者というのは、才能があるといわれても芽が出るかどうかわからない難しい職業だ」といわれ、反対されることもありましたが、創価大学の恩師から、私が学生時代に、ある大家の先生が「岡本は考え方が変わっているから、研究者にならないか声をかけてみてはどうか。」と言われていたことを伺いました。その一言に賭けてみることにして、中央大学の博士課程へ進学しました。
 博士課程在学中に出産し、弁護士事務所も一人で立ち上げ、家事・育児、仕事、研究にと、忙しい毎日がはじまりました。泣く子をあやしながら、立って博士論文を書いたり、砂場で遊ばせながら、論文の骨子を考えたりしました。ここでもやはり、司法試験の時の勉強癖が役立ち、勉強をすること自体は苦痛ではありませんでした。
 4年かかりましたが、博士論文を書き上げ、博士号授与式には2歳の長女と出席しました。

創価大学教員として(授業と研究と子育てと)

 2013年から、本学法学部の非常勤講師として教員になりました。2018年からは法科大学院の専任講師になり、現在に至ります。授業は法科大学院と法学部を担当しており、研究は、中国の刑事法、特に弁護制度について1年1本を目標に論文を書いています。研究自体は楽しいです。良い論文が書けているかは別として…。仕事としては、それに加えて、大学の会議が思っていたより割と入るな、という感じです。
 授業の準備について、2018年当時は1日10時間以上勉強をしており、学生よりも勉強をしているなという感じでしたし、ほぼ育児放棄状態でした(笑)。母や夫が子育てを手伝ってくれていました。

子育てしやすい職業

 午前中に授業を入れてもらえれば、自宅に仕事を持ち帰って子供の帰宅に間に合わせることもできますし、今はZOOM会議が多いので、子育て世代にとっては本当に助かっています。長期休みも子供と重なりますので、その間、子どもを見ながら研究をしているので、大変さはありますが、子どもは安心しています。何より、母が勉強をしている姿を見せることができるので、自然と読書や勉強が好きな子供たちになりました。
 2人の子供は、現在小学生なので、割と手は離れましたが、習い事の送迎(週4で習い事があります)、食べ盛りの食事作りと、なかなか大変です。夫は手伝ってくれますが、まだまだ女性が子育て全般を担う社会構造だなと思います。先日、夫は、子供の担任の先生の名前を答えられなくて、長女に怒られていました。男性側の意識変革も大事です。母は、急な仕事が入ると、まず「子供の預け先をどうしよう!」と考えます。夫は、「今日は遅くなります。」の一言でよいんですよね…。
 研究者は、割と子育てとの両立がしやすく、女性におすすめの職業だと思います。もちろん弁護士もよい職業ですので、ぜひ法科大学院進学もお考えください(笑)。

レジリエンス力

 山中伸弥著『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』にレジリエンス力について書かれていましたので、最後にご紹介したいと思います。レジリエンス力とは、「ピンチを乗り越える力」であり、夢を実現するには不可欠な力ですが、後から鍛えることができるそうなんです。レジリエンス力を構成するのは、①自己肯定感、②社会性、③ソーシャルサポート=「周りの人に助けられているということを実感する力」で、③は「おかげさま」と思える力だそうです。
 大人になると①②は上がりにくいけれども、③はいつでもあげることができるそうなんです。いずれか一つをあげれば、レジリエンス力は上がるそうです。そのソーシャルサポート力を上げるには、周りに対し「助けて」といえることであり、「助けて」といえることが「自立」ということです。助けてもらい、「おかげさま」と感謝することで、③があがり、レジリエンス力があがるということです。「ええかっこしい」はやめる、「感謝」すること、と書かれていました。
 大学時代は様々悩みの連続かと思いますが、私もそうであったように、様々な人と出会い、たくさん助けてもらって、自分の道を開いていってほしいと思います。