念願だった「教師」の道に
2010年度卒業 児童教育学科
木村 法子 さん (愛知県在住)
小学校教員
今から11年前、創大通教のポスターを目にしたことが、教員への道を目指したきっかけです。当時、民間会社で事務員をしていましたが、あまりに多忙な仕事と、保育園児2人の子育てで、体調を崩してしまい、仕事を辞めてしまいました。そんなとき、出先でポスターを目にしたのです。「元気になれるかも知れないな」という気持ちになり、資料を取り寄せました。資料を見るうちに、学校の先生になりたかったという、子どものころからの夢を思い出し「たった一度の人生、やりたかったことをやろう」と決意して、34歳で教育学部に入学しました。
在学中は、派遣の仕事や塾講師のアルバイトなどで学費をつくりながら勉強しました。当時は主人の転職・転職先の倒産などで、経済的にも厳しい状況でしたが、絶対に4年で卒業すると決めて挑戦しました。フルタイムでの仕事、子育てをする中、夜中までかかってレポートを書いたり、科目試験の勉強をしたりしてやり抜きました。昼の休憩時間には、教科書を読み、レポートの課題について思索したメモを書き込むなどして、10日に2、3本のペースでレポートを提出しました。また、試験でも、常に最高の成績を修めるつもりで挑戦しました。大変だと思うこともありましたが、創立者との原点が私の支えになりました。それは、中学2年生のとき、たまたま名城公園を母と散歩中に創立者とばったり出会い「いい子だね」と温かく激励をしていただいたことです。そのときの温かく包むような手の温もりやご馳走になったミックスジュースの味は、今でも忘れられません。そのことを思い出しては、自分を奮い立たせ、最短の4年で卒業することができました。卒業後は、名古屋市内の小学校に非常勤講師として勤務しました。以来、6年間常勤講師として学級担任、部活動の顧問をしながら、「採用試験」に挑戦する日々が続きました。1、2年ほどで職場が変わる状態で、慣れない仕事をしながら「採用試験」の勉強をすることは、困難を極めましたが、帰宅後、食事を済ませた後は、疲れた体にムチ打ち、夜の11時まで勉強したり、早朝5時から1時間勉強をしてから出勤したりして努力を続けましたが、結果が出ませんでした。
そんな中、創価大学出身の地元の先生方が、二次試験の勉強会を開いてくださり参加しました。先生方は、厳しくも慈愛にあふれた指導をしてくださいました。ある先輩は、「僕は、日々、心をリセットして10時間の勉強に挑戦したよ」と具体的な指標を示して励ましてくださり、この言葉に、私の腹が決まりました。「創立者池田先生との誓いを果たすため、絶対に合格するんだ。自分の歴史を創ろう」との思いで、一次の合格から二次の試験日までの2週間、毎日、自分がどのような教師になりたいのか、そのために今後研究を深めたいことはどんなことなのかという決意を深め、7時間は小論文や面接対策などの勉強に充てました。その結果、7度目の挑戦にして、見事“合格”することができたのです。通教在学当時は、3年次くらいまで持病が完治しておらず、辛いこともありましたが、家族や学友の温かい支えに、そのことへの感謝の思いは尽きません。
昨年4月からは、44歳の初任者として名古屋市内の小学校で担任をしています。単学級のため、担任をもつことで、学年主任も兼ねており、戸惑いもありますが、新たな気持ちで職場において、子どもたちと奮闘中です。創立者池田先生がおっしゃるような、全児童、全保護者、全職員から信頼される「教師」になれるよう、これからも成長し続けてまいります。
ページ公開日:2018年01月19日 14時37分