教員を目指すようになったきっかけを教えてください。
子どもたちの心の声を聴くことができる教員になりたいとの思いから、一度は養護教諭を目指し、看護師資格を取ろうと看護学部を受験するも不合格。「創立者である池田先生の創られた大学で学びたい」との思いは変わらず、通信教育部の児童教育学科へ入学することを決意しました。
私が教員を目指すようになったきっかけは小・中・高と過酷ないじめを経験したことがきっかけです。
毎日学校が終わるまで、クラスメイト全員から「死ね」と暴言を浴びせられ、一時期は「喜怒哀楽」の感情が全く無くなってしまったこともありました。今振り返ると、感情を消すことで自分自身を守っていたのだと思います。このいじめの経験は「子どもを徹して守り抜く教員になりたい」との強い決意に変わりました。今まで希望を持ち続けることができたのは、どんな時も私の可能性を信じ支え続けてくれた両親のお陰です。辛く苦しかった経験は「強く生き抜いていく為の糧」となり「かけがえのない大きな勲章」となっています。
入学後まず、"4 年間での卒業”と"教員採用試験合格"の2つを目標に掲げました。
通教での学びは、卒業までの履修登録や学習計画をすべて自分で考え、組み立てていかなければなりません。「どの科目を優先して勉強するのか」「いつまでに何を終わらせるのか」等、常にスケジュールを逆算し、毎月・毎週の学習計画を立て取り組みました。
教育実習先で指導教員から「教員は日々の見通しを立てる力が大切だよ」と指導していただいたことがあります。通教での学修を通し、知識だけでなく、仕事に活かされる「見通しを持つ力」が養われたことは、大きな財産になったと感じています。
大学2年生からは、「教育支援員」として学校現場で働き始めました。
1年目に特別支援学級で担当させていただいたA君は、自分の感情や思いを言葉で伝えることができず、蹴ったりビンタしたりすることで意思表示を示し、家でも学校でも声を発したことがない児童でした。自分には何ができるだろう、と悩みましたが「この先生なら安心できる」と思ってもらえる存在になろうと決め、関係性作りに努めました。すると初日に声を出してくれ、その後も徐々に発語ができるようになり、言葉で意思疎通をしようとする姿をたくさん見せてくれるようになったのです。
児童が”できなかったことができるようになること”を共に喜びあえる、教員という職業の魅力に改めて気付かせてもらった出来事でした。
こうした子供たちとの出会いが、目の前の子供の可能性を信じ抜くという自分自身の教員としての信念に繋がり、「絶対に教員になる」との採用試験に向けたエネルギーになりました。
仕事と大学での単位修得に加え、採用試験の勉強との両立を全てやり抜き、迎えた採用試験。さまざまな方にサポートしてもらい、試験当日は全力を出し切ることができ、無事に現役合格を勝ち取ることができました。この「合格」は、私一人では決してつかみ取ることはできなかったと感じています。
人間教育の最高学府である創価大学の通教生として4年間学ばせていただけたことを心から誇りに思います。
これまでどんな時も私の可能性を信じ支えてくれた両親をはじめ、励まし続けてくださった皆様に感謝の思いでいっぱいです。
来春から「小学校の先生」として教壇に立ちます。私が目指す教師像は「子供たちの可能性と良さを信じ、伸ばし続けることができる教員」です。これから出会う子どもたち、保護者の方々から「みちか先生に出会えてよかった」と思ってもらえる教員へ成長して参ります。
いたがき みちか ITAGAKI Michika
[好きな言葉]
負けないと 決めた笑顔の尊さは 栄光輝く 勝利の人かな
[性格]
芯が強い
[趣味]
散歩・音楽鑑賞
[最近読んだ本]
「未来を育む友に贈る」第三文明社
[出身地]
秋田県
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