自立学習入門講座62
「精読ノートを作ってみる!?」
通信教育部では、コロナ禍の影響で、この3年ほどで授業や試験が非常に早いスピードでオンライン化されてきた。スクーリング試験や科目試験も今後はWeb試験のみとなる。Web試験のよいところは、試験会場までの移動の必要がないことと教科書やノートなど何を参照しても構わないという点であろう。しかし、このようなWeb試験の持ち込み条件は、試験範囲を非常に広くするという対応を伴うことになった。教科書の数章が試験範囲で、そのページ数は百ページを超える場合が普通である。Web試験は、また、出題の傾向にも変化をもたらしている。これまでは、教科書のある特定の部分が解れば、その箇所の内容を答えれば正解とすることができたが、教科書などを参照できるという条件は、特定の箇所が見つかればそれが正解という問題ではなく、試験範囲の内容を関係づけて、複合的な視点を必要とする、より本質的な問題が出される傾向にある。さらに、解答の仕方も、これまでの手書きではなく、キーボードからの入力となり、日頃から、キーボード入力に慣れておく必要がある。
数章にのぼるテキストの内容を確実に理解して、その内容を関係づけながら考察していくことと同時にキーボード入力に慣れるという勉強方法が必要となる。そこで、このような状況に対応すべく精読ノートをWORDのワープロで作ることをお勧めしたい。
精読の第1歩は、パラグラフや段落の内容の主題文(題目文)を見つけることである。パラグラフについては、『自立学習入門 第3版』の第6章「レポ―トをいかに書くか」に詳しく説明されている。この章では、レポートの書き方としてパラグラフを作ることが重要であると述べているが、これを逆用することで、私たちが文章を読む時にも実は大事であることがわかる。試験やスクーリングに備えて読んでいる文章の著者も、一般的な文章の書き方であるパラグラフを意識して書いているはずだからである。
精読ノートは、パラグラフの主題文とそれを補足する内容を簡潔にまとめたものの集合体になる。各章のパラグラフの主題文の集合体はその章の要点をまとめたものとなり、その文章の著者が伝えたい内容が凝縮されている。
神崎宜武(2017)『「うつわ」を食らう』という本の第1章「ワンは運搬容器で接吻容器」の最初の節「飯椀の手ざわり口ざわり」を例にして精読ノートとはどのようなものか示してみよう。
この文のパラグラフ構成は典型的な日本的構成になっていることが最初の数行を読めばわかる。東京浅草の食器・厨房用品の卸商が軒を並べる一画で、現在の売れ筋のワンを確かめる話から始まっている。この売れ筋を記述する部分では、一文か二文で1つの段落を構成している。 この文章の著者は、英米型の重点先行主義ではなく、重要でないことから論じ始める日本人好みの叙述をしている。日本型の文章構成になっているので、これ以降は「パラグラフ」ではなく「段落」と呼ぶことにする。
『自立学習入門第3版』の6-1-10節「叙述の順序が正反対の一対の叙述法」(pp.141-142)のところで、叙述法AとBを示し、Aの叙述法が日本人には好まれると述べている。この叙述法の違いは、レポートの書き方として提示されたものであるが、この叙述法の違いは、読むときにも利用できる。そこの②の叙述法Aは「まずいくつかの事例をあげて、それにもとづいて自分の主張したい結論を導く」とあり、③の叙述法Aで、「あまり重要でない、その代わり誰でも受け入れられる論点からだんだんに議論を盛り上げ、クライマックスで自分の最も言いたいことを-(中略)-鳴りひびかせる」というものである。つまり、日本人の書いたものは、著者の主張や重要な内容は、うしろの方の段落で述べられるということである。
このような日本人の好む叙述法を理解しておくと、著者の言いたいことや結論は後の方で出てくるということが予想できる。売れ筋のワンの口径や高さが何センチであるかいうことをいくつかの短い段落で述べたあとで、「つまり、飯椀のデザインは、より『小ぶり化』してきたのだ。」と7つ目の段落でやっとそこまでの話をまとめている。そして、段落8で、椀が「小ぶり化」した理由の1つとして、「おかず食い」が増えて「ごはん食」の割合が減ったからだと述べている。各段落の内容を、ここでは文章化しているが、実際の精読ノートでは、箇条書きやキーセンテンス・キーワードにして入力の手間を軽減するのがよい。(添付の「精読ノート(例)」を参照)
段落9では、「(小ぶり化は)寸法の上の比較ではそう簡単にいえないのである」とさらに論点を展開している。段落10では、旧式椀は丸型で、最近の椀は、胴のふくらみが少ない、直線的な形をした平型なので、寸法のみならず容量の小ぶり化が顕著であることが述べられる。
段落11は1行からなる段落であり、「このデザインの変化には、もう1つ理由が含まれているように思える」と述べ、新たな問題提起をしている。段落12-13で、丸型の椀の方が手の窪みの中にフィットしやすいと著者は主張している。段落14は、「ちなみに」で始まり、現在もっとも多く生産される飯椀は、ほとんどが、薄手、浅手の平型であることが述べられている。
段落15では、「ということは、」で始まる。以前はワンをしっかりと手に持って口にまで運ぶのが食事作法であり、最近は、その作法の必然性が薄らいできたのだと強調している。この段落で、これまで述べてきた椀が小ぶり化したことは、この段落で主張したいことを導くための導線であったことがわかる。
段落16は1行から成り、「飯椀に何を入れ、どのように口まで運んだのか―とあらためて問わなくてはならない」と次の問に取り掛かることを告げている。 段落17-22はその問の解答が述べられており、段落19はその途中にある1行からなる段落で「米飯を常食するようになったからこそ、ワンが浅い平型でよい」と解答を述べ、その後の段落20-21はその補足説明であり、ジャポニカ米を炊いた粘りのあるごはんは、椀を口に近づけて、箸で一口ずつ運ぶのが行儀のよいごはんの食べ方であると述べている。段落16-22は、問を立て、解答をのべ、その後に補足説明をするという順に論を進めているのが分かる。
段落23では、「にもかかわらず」で始まり、椀を口につけて、いや縁の一部は口の中まで入れてごはんを箸でかきこむ人がいると述べて、段落24では、それが個人のくせというよりも、日本民族のくせ・文化でないかと新たな主張をしている。
そして、段落25では、「かつて、日本人の多くが飯椀を口につけて飯をかきこんでいた」と述べ、その場合、半球型の旧式椀の方が使いやすかったという。
段落26は、「しかし」で始まり、丸型にしろ平型にしろ日本の磁器椀のつくりは、他の東アジアの国のものより、手ざわり、口ざわりがよいことであるとしている。「粒食」の主食圏は、東南アジアの一部を含めた東アジア一円であり、そのうちワンを伝統的な専用器とするのは、漢民族、朝鮮民族、日本だけであることが強調されている。
26番目の段落で、初めて、この節の見出しに出てくる「手ざわり」「口ざわり」という言葉が出てくる。この段落から、この節で言いたいことが語られ始めるのである。では、この段落より前に書かれている内容は何のためであったのであろうか? 現在の日本人が、椀を持って、椀が口に接することなく食べることは最近のことであり、かつてはそうでなかったことを述べるためのものであり、この節の前置きのようなものであったことがわかる。教科書などを読み始めるとき、とにかく気合をいれて、注意を集中して読み始める。 読み進めて、集中力が切れたころに重要な内容が述べられる箇所に行きつくということを意識しておくのもよいでしょう。
段落27からは、中国と韓国の飯椀との比較を試みることが提起される。段落28では、中国の粒食が古代の北部(黄河周辺)では、アワ・キビ・オオムギで、パサパサの飯であったので、匙で食べていたことや南部(揚子江周辺)では、日本と同じ粘り気のある米であったので、箸で食べていたことが概略紹介される。箸による米食習慣が後に中国北方にも広まり、匙が湯匙に限られるようになったことがわかる。段落29では、中国の椀の紹介で日本と違う点があることが述べられるが、次の段落30の最初に「日本とそれほど大差がない」あり、この段落で述べられていることはそれほど重要でない。
段落30で重要なことは、日本人と中国人の食べ方の違いとして、中国では食卓に肘をついて食べる人が多く、日本との食事作法の違いが指摘されていることである。肘と手で飯椀を支えて、そこに口を近づけることになるが、椀の縁に口を密着させないで、箸で飯をすくいとるようにかきこむことになる。
段落31では、中国製や台湾製の磁器の飯椀がもつ違和感は、口ざわりであると主張している。この段落の要点を理解することで、段落30で、なぜ肘をついて食事をするという作法の違いが言及されたのかがわかる。つまり、椀に口を密着させるかどうかということが言いたかったのである。
段落32では、朝鮮半島の椀が日本や中国と違うことが述べられる。 椀は卓上においたままで、手で持って、口につけたりすることはなく、匙を使うという。段落33では、さらに、こうした作法をしやすくするために、日本の膳よりも高さがある座卓が発達したことに言及している。
段落34では、歴史的、文化的に近い日本と韓国は、主食の食べ方で大きな隔たりがあり、韓国では飯椀を手に持って食べるのが無作法になり、お互い誤解しないために異文化理解を求めている。
段落26からは、日本の椀の特徴を明確にするために、中国や朝鮮半島の椀と比較するという、文化比較という手法を用いている。 この手法は非常に重要で、自文化内にとどまっていては気がつかないことに注意を向けることができるようになり、自分の文化の特徴や独自性を認識できるようになる。
段落35からは、西欧系の人たちが、飯椀を口まで運んで、箸を使う食事習慣にどれほど驚いていたかという証言が披露されている。段落38-39では、世界の主食形態は「手づかみ」であることを、例をあげながら説明している。
段落40では、主食を食べるのに専用の器を使う地域が、東アジアと東南アジアの一部の粒食圏に限られおり、その中でも日本人の飯椀の取り扱い方が特異であると主張している。
段落41は、この節の結論であり、この節の見出しにもなっている内容が述べられる。つまり、「飯椀は、一口ごとに持ちあげる『運搬容器』」であり、その口縁に唇をあてる『接吻容器』なのである。」
段落42は、この節の最後の段落で、次の節へ「どうしてそうした特異な食事作法が形成され飯椀がかたちづけられてきたのか」という問題提起がなされている。
このように各段落の構成を詳細に検討することで、約10ページに及ぶこの節は、段落23までは、現在の日本人はごはんを食べる時に、椀を口に触れることなく食べていることが述べられているが、それが重要なことではなく、段落23以降に語られている内容が重要であることがわかる。
各段落の要点をキーワードや箇条書きにして簡潔にまとめて、それを関連付けて、その章や節の論理の流れをワープロに入力しながら精読ノートを作ることで、教科書のどこに何が書いてあるかが分かり、著者の論理の進め方も理解できるようになるのではないでしょうか。ワープロで作成することで、キーボード入力に慣れるだけでなく、キーワード検索することで、広い範囲にわたる試験の対策にも有効であると思われる。
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