挑戦に年齢は関係ない
教員採用試験 合格体験記13
私は高校卒業後、美容学校へ行き、15年間美容師として第一線で奮闘してきました。
しかし、「もっと自分には、何かできるのではないか」と美容師を辞め、整理収納アドバイザーやライフオーガナイザーの資格の勉強をし、「片付けの仕事」を立ち上げました。
ようやくお客様も定着し、これからだという時に、大病を患いました。健康だけが取り柄の私にとって、「まさか」の宣告でした。病院の帰り道、真っ暗闇の中に突き落とされたような気持ちから、道端で泣き崩れました。
家族と話し合い、東京で教員をしている妹と一緒に暮らすことに。
これからの未来に不安を抱えての療養生活は自分の中で焦りとなり「このままで良いのだろうか」「私はこれから先どう生きるべきなのか」と自問自答する日々。悶々としている私に、妹が「先生になれば」とひょんなことから言いました。
「教員?」私の人生において、教員になりたいと思ったことも考えたこともなかったですが、どこか得体の知れない希望を与えてくれました。
「私にもできるかも」すぐに創価大学通信教育部に電話し、願書を出しました。
ひょんな妹の一言から、とんとん拍子で創価大学通信教育部に入学。まさか自分が大学に入学をするとは想像もしていなかったので、不安しかなかったです。
しかし、体調がすぐれない自分にとって、オンラインスクーリングは本当にありがたいものでした。通学がない分、授業に集中することができました。また、オンデマンドスクーリングでは、収録された講義映像を何度も巻き戻して振り返ることができ、わからないことや疑問点は、メールで質問すると先生から丁寧な返信がありました。学習経験がなく、理解度が遅い自分にとっては、自分のペースで学習でき、周囲の人と比べることなく、勉強に打ち込む事ができました。
2年生となり教育に関する専門科目を受講する中で、初めて「学習指導案」を作成しました。小学校で授業を行うためにはまず「学習指導案」を作成します。私にとっては、この「指導案」の作成がまさに難敵でした。
3年生となり、「このままではいけない」と、基礎学力をつけるため、小中学生が対象の学習塾に通い、小学校6年生の内容から振り返りを行いました。自分の学力を一から向上させなければという焦りもありましたが、通教のレポートの合間に、算数や国語の問題集を解く事は、気分転換にもつながり、仕事の合間や電車の中でも時間を見つけては、問題集を解いていました。あまりに集中しすぎて、降り過ごしてしまったこともありました。
迎えた教育実習では、毎日、指導案の作成、授業準備に追われましたが、充実した日々となりました。家に帰ると、指導案を書きながら、机の上で寝る日もありました。
研究授業では副校長先生から「実習生がやるような内容ではない。本当に素晴らしい授業でした」と言われた時は、本当に嬉しかったです。苦手なことから逃げずに、いろんな努力をしてきたことが報われた気がしました。
右も左もわからないことだらけの初めての教員採用試験の挑戦は、自分の年齢や体力のこととを考え、絶対に一発合格を狙うためにも、「できる努力はなんでもやる」との決意で3年生の時から試験勉強を開始しました。
教職教養と専門教養はテキストを何回も解き続けました。論文に関しては講師の先生方から「論旨がずれている」と言われ、なかなか上達はしませんでしたが、それでも60回はいろんな題材で書き続けました。試験前は、どんな題材が来てもいいように、パターンをいくつも用意して、自分の文の流れに入れていく、という手法をとりました。
無事に1次試験を合格することができ、次は面接です。
以前から対策をしてきましたが、人前で話すことが苦手な私にとっては、とても苦しいものでした。実習校の校長先生にも面接対策をして頂き、「面接になるといつもの積さん節が発揮しないね」と試験一週間前に言われていました。「ただ姿勢だけはいいね」と褒めて頂き、もうこうなったら、姿勢だけで勝負しよう。熱意のある教員であることをアピールし、攻めた面接をしようと決めました。
面接試験間際まで、教職キャリアセンターの先生方に面接特訓をお願いし、場数を踏みました。なかなか自信が持てない自分にとって、キャリアセンターの先生方が「できる」「大丈夫」「受かること間違いない」と背中を押してくれたことで、自信にも繋がりました。
迎えた試験では、思うように回答できない場面もありましたが、私らしさを精一杯出し切り、やり切ることができました。
9月29日に合格の通知をいただいた時は、本当に安堵し、涙が溢れました。すぐその足で、実習校とボランティアの学校へ向かいました。
子供達は、歓声を上げて喜んでくれました。ボランティアに行かせていただいている校長先生からは「来年、是非うちの学校へ来てほしい」とお声がけいただき、実習校の校長先生や副校長先生からも祝福のお言葉をいただいたりと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
振り返ると、本当に駆け抜けた4年間でした。何度も教採の勉強は挫けそうになりましたが、在学中に体力増進のためはじめた毎日のランニングで精神を鍛えたおかげで、走り切ることができました。
走っている時、途中苦しくなる時も「あと少し頑張ろう」という気持ちで少しずつ前に進み、走ることが苦手な自分が、今では毎日6キロを笑って走れるようになりました。
時には他の人に抜かされることもあります。しかし、人生もマラソンと一緒で、他人に抜かれても一喜一憂せず、どんなことがあっても、自分のペースを崩さず、目標を定め、日々努力し続けることが、大きな結果に繋がることを学びました。
私がここまで頑張れたのは「諦めない」「私はできる」「創立者と両親への恩返しをする」という気持ちがブレなかったからだと思います。
よく「歳だから」という人がいますが、私はそうだとは思いません。若い時に、勉強すればよかったと思うことはありました。しかし、社会の辛さを経験して、大病の辛さを経験した今だからこそ、こんなに歓喜に包まれて勉強ができているのだと思っています。
そんな歓喜に包まれて勉強できたのも、私を支えてくれた「学友」の存在がとても大きく、孤独な日々の中で、友がいなければ、ここまで続けるのは難しかったと思います。スクーリングで出会った友は、今では何でも言い合える私にとっての親友となりました。
大病を宣告された日、一人で泣いたあの道で、4年後にこんな人生が待っているとは、あの時の私には、全く想像することができませんでした。病があったからこそ、創価大学に来ることができ、かけがえのない友にも出会い、教員という使命の道に進むことができました。創価大学に連れてきてくれた病に本当に感謝しかありません。
気がつけば、大学生活1年終えるごとに自分の心が強くなり、病にも打ち勝つことがきました。今では、病気をする以前の自分よりも更に元気になりました。
新たな使命の場として、4月から教壇に立ちます。そして、子どもたちの可能性を最後まで信じ抜く教師になり創価大学で学んだ人間教育を実践して参ります。
これからが大変な挑戦でありますが、常に子供達に負けないようにいろんなことに挑戦し、学び続ける教員でありたいと思っています。
本当にここまで、私を支え励ましてくださった全ての皆様に感謝いたします。
4年間、本当にありがとうございました。
せき ゆうこ Seki Yuko
[出身地]
東京都
[合格地域]
東京都
[一日の勉強時間]
平日:3時間~5時間 休日:6時間
[おすすめの通教・対策講座]
教職キャリアセンター講師である町田先生の「東京都・面接対策」はとても自信がつきました。
通教専任講師である宗像先生に個人対策講座で「学生ボランティア」を教えてもらい、区の教育委員会の方に問い合わせして、近所の学校で学習指導員として、学校の現場に携われたことが、本当に教員採用試験にも教育実習にも全てに生かされました。
【勉強に使用していた教材・教科書】
・2024年度版 東京都の教職教養過去問 協同出版
・2024年度版 東京都の小学校教諭過去問 協同出版
・教員採用試験パーフェクトガイド 面接・論文 学芸未来社
・大学受験の問題集(数学と国語)(簡単そうな問題集がおすすめです)
・社会と理科は高校受験の問題集(地理の勉強も必ずしておくこともお勧めします。白地図なども購入して地形などの読み方などをしておくと心強いと思います)
・英語に関しては、とにかく単語力です(Z-KAI ・速読英単語)