諦めなければ必ず叶う
教員採用試験 合格体験記14
私は長野県木曽町で育ち、中学生時代はいじめられっ子、夢も希望もないまま高校に進学しました。
高校2年生の夏休み、先輩に連れられて創価大学の見学に行きました。そこで出会った創大生は生き生きとして輝いて見えました。自分もこんな風になりたい、と創価大学を目指したい気持ちが心に芽生えました。
高校での進路相談の時間に「創価大学に進学したいです。」と心の内を担任に話すと、この高校から一般受験で大学に進学した人はほとんどいない、なぜ林業科の高校にきて、文系の大学を受験するんだ、と一喝されたことや学力の問題等があり、創価大学への進学を諦め、専門学校に進学しました。
しかし、希望しない進学をして、専門学校でもいじめにあい、これからどのように生きていくか悩みました。そこで、初めて自分のこれからの人生と本気で向き合いました。その時私には、高校時代からいつも温かく励ましてくれる先輩がいました。その先輩が小学校の教員として奮闘されている姿を間近で見続ける中で、私も長野県で小学校の教員になろう、と決意しました。
専門学校を辞め、予備校に通い、創価大学を受験することにしました。
中学校以来の勉強はとても困難を極めました。アルバイトをしながら、4年間浪人して必死に挑戦しましたが、創価大学に合格はできず、他大学の法学部に合格。やむなく進学しました。
進学した大学では、教育学部へ転部し、2010年に高校公民の教員免許を取得。
卒業後、小学校の教員免許を取得するため、夢であった創価大学へ。通信教育部に入学し、学童クラブ等でのアルバイトをしながら、2012年小学校の教員免許を取得することができました。
創価大学で学んだ2年間は、本当に夢のような時間でした。
老若男女問わず、様々な方が学ばれていて、夏のスクーリングでは世代を超えた方と交流することができ、学ぶことがとても楽しく、刺激的な時間でした。
教員採用試験は、長野県を受験する予定でしたが、壁の高さに圧倒され、地元の先輩に相談。まずは教員としてしっかり働いていこうとアドバイスを頂き、東京都の教員採用試験を通教4年生の時に受験しました。すると、期限付き合格という、教育現場で働き、翌年は面接試験だけという形で合格をすることができ、八王子の小学校に赴任。29歳で初めて教壇に立ちました。
諸先輩方に指導していただき、目の前の子どもたちに尽くしながらの日々は、天職ではないかと思うくらい充実した毎日でした。創立者がおっしゃっている『教師こそ最大の教育環境』との言葉を噛みしめ日々やりがいを感じながら教壇に立ち続けました。
二年目となり、あっという間に、教員採用試験の夏がやってきました。面接試験だけでしたが、結果は不合格。期限付き任用はほぼ合格すると言われていたのに私の番号がない。職場の先生方も番号の確認をしてくれましたが、ありませんでした。
その後も毎年講師をしながら、受験を続けましたが、不合格。自分より後に講師として入ってきた後輩や、学生ボランティアで来てくれていた学生、教育実習に来ていた学生が次々と合格し、何で自分だけ、と自信を失いかけました。
迎えた6度目の東京都教員採用試験は、またもや期限付き採用。町田市の小学校で講師として採用されました。
任された学級は、今まで関わったことの無い、特別支援学級でした。
特別支援のことについてもっと学んでいきたいと思っていたので、とても貴重な経験をさせて頂きました。
そして迎えた7度目の挑戦。今度こそ合格するんだと決意し臨んだ試験で、34歳にして、ようやく東京都教員採用試験に合格することができました。
合格したその後も引き続き特別支援学級を任され、日々子どもたちと関わる中で、大学で特別支援について学びたいという思いが芽生えました。翌年、通信制の大学に入学し、特別支援学校(知・肢)の免許を取得しました。
そして迎えた3年目。37歳の年に、長野県教員採用試験の教職経験者枠(正規教員経験3年)で受験できるようになったので、再び、夢に向けて挑戦を開始しました。
長野県の特例選考試験の試験内容は、勤務先の校長先生の推薦書、筆記試験(専門教養)、適性検査、体育実技(マット運動・表現リズム運動・バレーボールかバスケットボール)と、ピアノの実技試験でした。
仕事のある平日は、朝6時15分に学校に行き、教室で8時15分まで勉強。帰路に就いた後、自宅近くの公共施設や図書館で、夜9時まで勉強し、土日も、朝から晩まで勉強を続けました。また、ピアノも弾けるようにならなければと、週2回のピアノ教室にも通いました。
受験1度目は2次試験の面接で不合格。
2度目、39歳で迎えた試験も2次試験の面接で不合格。
私は長野県に合格できないのではないかと焦り始めました。そんな中、創立者の『勝つことよりも負けないこと』との言葉と、他大学時代の先輩であり、共に教員採用試験合格を目指して切磋琢磨してきた、本村栄光さんの創価大学通信教育部の合格体験記の記事が私の支えになりました。
自分に負けないぞ、と再度決意し40歳3度目の試験に向けて、今まで以上に準備に集中して臨みました。
勤務先の副校長先生が夏休み中に面接練習をしてくださり、創価大学通信教育部で開講している面接・模擬授業・場面指導の対策講座にも卒業生として参加。試験前には、私を高校生時代から支えてくれた先輩の家に行き、面接練習をしていただきました。
迎えた2次試験の面接では、場面指導・模擬授業では対策講座で学んだことがそのまま出ました。また、面接試験では、先輩と練習した内容から多く質問が出たので落ち着いて受け答えができました。想定外の質問では、「あなたの、モットーというか、大事にしていることはありますか。」という質問でしたが、一呼吸し、「親孝行です。親を悲しませることはしない、悪いことはしないです。」と心の声が出ました。親孝行という言葉は、学生時代に創立者から様々な場面でメッセージを頂く中で、多く頂いた言葉であり、私の大切にしている言葉です。この答えに、3人の面接官が深く頷いて聞いてくれていました。
教員採用試験が終わり2学期が始まりました。教員採用試験の合格発表は、職場で副校長先生と見ました。あった、私の番号がある。副校長先生と抱き合って喜びました。肩の力がスッと抜け、20年の力が抜けていく、何とも言えない感無量の感覚でした。長野県の教員になりたいと決意した、19歳の秋から、21年かかりました。
紆余曲折、急がば回れ、挫折ばかりの今日まででしたが、多くの方に支えられ、今に至たりました。困難を乗り越え、夢を信じ続ければ必ず叶う、ということが自信をもって子どもたちに伝えられます。支えて下さった方々に恩返しするためにも、これからも教員生活で子どもたちに寄り添い続け、創立者の建学の精神を胸に、教師として日々研鑽に励んで参ります。
最後に、拙い文章になりましたが、もがき苦しんだ努力は決して、無駄にはなりません。どんな困難でも乗り越えてみせるんだ、との勇気。そして努力。全てが点と点であっても、最後は全てが線で結びつきます。
教員採用試験が合格できない、人生うまくいかないなぁ、そんな風に思うときは、満員電車を思い浮かべて下さい。満員電車は席が空いていませんよね。でも、電車に乗って走り続けていれば、いずれかは席は空くんです。あなた自身が座る席も必ずやってきます。それまで、夢という電車は降りちゃだめですよ。僕が座るべき座席が空いて、そこに座れたように。
困難を乗り越え、全てを意味のあるものへと価値を創造しながら生きていく生き方を創価大学で学びました。通信教育部では、世代を超えた触発の場があり、一生涯の友(たから)とも出会えます。何をして生きていこうか悩んでいる方、これから教師を目指す方、臨時任用をされている方、全ての方に想像以上の学びがきっとあるので、ぜひ創価大学へいらしてください。
ふるの ひでゆき Furuno Hideyuki
[出身地]
長野県
[合格地域]
東京都・長野県
[一日の勉強時間]
平日:4時間 休日:12時間
【通教でのおすすめ対策講座】
2次対策講座(東京対策講座・集団討論対策講座)
1次試験対策講座
卒業生でも参加でき、とても親身になって教えて下って助かりました。励まし合える友達もできました。
【勉強に使用していた教材・教科書】
・完全攻略 特別支援の教育 時事通信社
・全国まるごと 過去問題集 協同出版
・教員採用試験パーフェクトガイド 論文・面接 岸上隆文著 学芸みらい社
・教員採用試験パーフェクトガイド 合格への道 岸上隆文著 学芸みらい社