親友との出会い、そして使命の再就職
教員採用試験 合格体験記11
私は地元岐阜県から、29期生として創価大学に進学しました。大学3年生になり、就職活動をしましたが、時代は氷河期、正社員の採用はほとんど無く、やっと見つけた仕事は地元の食品スーパーの契約社員。働きながら趣味を活かし、安易な気持ちで漫画家も目指しましたが、出版社に送った原稿は不採用ばかりでした。
その後転職し、次に就いた営業職では人間関係に苦しみ退職。接客業、機械メンテナンスの仕事をしたり、資格を取得してガソリンスタンドで働いたりと、さまざまな職種を経験しましたが、同僚との人間関係、過酷な労働環境など、転職のたびに悩み続けました。自分は何のために創価大学を卒業したのか、使命とは何なのか、自分自身の存在意義がわからなくなるほど、本当に苦しかったです。
そんな虚しく過ごしていた32歳のある日、人生を変えてくれる出会いがありました。趣味で通う器械体操の体操教室に来た、弟の友人で教員として働くA君との出会いです。彼を通して「教師」という職業に興味をもつようになりました。
それまでの私の「学校の先生」のイメージは、頼りなく、あまりいい印象がなかったこともあり、まったく興味のない職業でした。ところが、A君の具体的で理論的な指導に、みるみる技術的にも精神的にも力を付けていく体操教室の子供たちの姿を目の当たりにして、私は目からウロコが落ちる思いがしました。
“正しい指導を受ければ、子どもは正しく力を付ける”
そのことを、強く実感しました。
それ以来、体操教室の役に立つ指導ができるようにと、私も審判の資格を取り、A君と共に、子どもたちと接するようになりました。次第に、子どもたちのために働くことに喜びを感じ、今までにない不思議な感覚を持つようになりました。
34歳も過ぎたある日、何気なく言った私の「私も教員になりたい」との言葉に、A君は「やれば良いじゃないですか」と一言。年齢のことや、私なんかが教員になれるはずがない、と思い込んでいた私に、A君は「教員免許を取って、教員採用試験に合格すれば、やっても良いじゃないですか」と言うのです。
その頃、同居する父が病気で倒れ介護が必要となり、経済的にもピンチを迎えていました。しかし、A君の言葉にも背中を押され、「今しかない」と決意し、フルタイムで働き家を支えながら、35歳で通信教育部の免許取得コースに入学をしました。
高校時代、世界史が好きだったことと、進学や就職で社会に出る前の段階の高校生たちに、これからの社会を自分の力で生きていく「力」を身に付けてほしい、と高校の地理歴史の教員を目指すことにしました※。 また、自分自身のように、大人になってから道に迷ってほしくない、との思いもありました。
(※中・高教職課程は現在課程を終了しております)
それからは毎日が綱渡りのような日々でした。入学後、苦労して履修登録を終わらせて早々に、2週間後には最初のレポート締め切りがありました。落とせばスケジュール上、留年は必至。毎日、仕事が終わり次第、すぐに勉強とレポート作成に全力を注ぐ日々が始まりました。締切に間に合わすため、ダッシュで郵便局に行きレポートを送ったことも何度もあります※。
(※現在、レポート提出はすべてオンライン上で提出となります)
支えとなったのはやはりA君の存在でした。疲れ果てクタクタになっても、A君は「みんなが休んでいるときに頑張りましょう。自分を変えたいならばなおさらです」と厳しくも温かく励ましてくれました。また教員採用試験に合格するためのアドバイスを惜しみなく続けてくれ、私が迷いそうになるたびに軌道修正をしてくれました。
教員免許取得後、有り難いことに母校で非常勤講師として働くことになりました。はじめての授業は緊張しましたが、同僚からアドバイスを受けながら何とか乗り越えてきました。
しかし、地方での中高社会科の教員採用試験合格は、まだまだ狭き門です。1次試験すら合格できないことが4年間続き、このままではいけないと、チャンスは全て活かす思いで、任期付採用職員の試験に挑戦し合格。翌年から常勤講師となりました。少しずつステップアップしながら受験した、教員採用試験5年目、初めて1次試験を突破することができ、嬉しさのあまり、職員室で涙が溢れました。しかし、一ヶ月後の2次試験では僅差で不合格となり、教員採用試験の厳しさを思い知らされました。
採用試験対策として、心掛けていたことは、教材を注釈まで含めて繰り返し読むこと、また教科書と資料集を両方しっかり読んでイメージを掴むこと、1日1問からでいいので、毎日問題を解くこと等です。何周も繰り返すことで、出題の傾向を知ることができます。
面接は、集団も個人もどれだけ練習ができたかが物を言います。論作文は、とにかく書き、何度も添削してもらってください。また、わからないことがあれば、教職キャリアセンターに遠慮なく相談することが大事です。
講師としての経験、地道な勉強が実を結び、通信教育部に入学して7年目、教員採用試験を受け続けて6年目、晴れて岐阜県高等学校地理歴史(日本史・世界史)の2次試験に合格をすることができました。
私は、創価大学の卒業生として、同窓生と共に立てた創価後継の誓願のままに、創立者池田大作先生の理想を実現します。春からは、生徒のために尽力できる立派な教員を目指して、日々、勇気を出して邁進してまいる決意です。
まちだ たくお Machida Takuo
[出身地]
岐阜県
[合格地域]
岐阜県
[一日の勉強時間]
1時間~6時間 (平均3時間)
「平日」仕事の合間の5分休憩に、受験する県・教科の過去問を1問解く。寝る前にも1年分の過去問を解く。空いている時間にとにかく過去問を解く。仕事がフルタイムのときは休憩時間や終業後にとにかく解く。1日平均で3時間くらい勉強していました。
[受験期間で大切にしていたこと]
「休日」休むときは休む。遊びたければ遊ぶ。早く合格したければ早く勉強をやる。切り替えを大事にしていました。
Search-internal-code:faculty-profiles-2017-