『この国の「壁」』
通信教育部 准教授 加納 直幸
この著者は、30代で諏訪中央病院の院長に就任し、その再建に尽力した。また「地方包括ケア」の先駆けをつくり、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導いた著名な医師である。さらに、1986年に旧ソビエト連邦のウクライナのチェルノブイリ村で発生した原子力発電所の事故をうけて1991年から100回以上の医師団の派遣と約14億円の医療品の支援、東日本大震災での災害支援等々、国内外に渡って活躍してきた著名な医師でもある。日本で最も影響力のある医師の一人でもあるといえよう。
本著で、第1章から第5章まで、まさに著者自身が、信念を抱き、数々の困難に立ち向かいながらも最後には勝利してきた道程を各界の識者との出会いや対談形式で書き上げたものである。
各章のテーマを見れば、この著書の内容が推測できるが、もう少し詳しくみてみたい。まず第1章の「未来を閉じる壁を打ち崩すイノベーション』では、「皆が幸せになるお金」をつくるために“腐るお金”について述べ、「お金に消費期限が付くなら、お金が腐る前に使うことになるから、あるところにだけ必要以上にお金が貯まらないし、格差が生まれなくなる。」(主旨)と主張している(P.4)。また、「投資は難しい。でも世代を超える投資や未来を信じる投資となれば、自分の為だけではなく、この国の為を思って投資を考えられるようになるのではないだろうか。…」(P.4)等々と本質を突いた論を述べている。さらに「日本には見て見ぬふり」という言葉があり、この冷たくて厚い壁を、日本の遅れている寄付文化を可視化することによって変えていくこともできるのではと主張している。
「生と死の境界線にある壁を崩して」とのタイトルの第2章においては、壁を壊す新しい動きを取り上げ、がんステージ4の緩和ケア医が紹介されている。生命が脅かされている状況の患者の苦痛についてWHO(世界保健機関)が定義しているものとして、➀身体的苦痛、➁心理的苦痛、③社会的苦痛、そして④スピリチュアルペインの4つがあるが、このスピリチュアルペイン(魂の痛み)をどのように理解し、患者の最期と向き合っていくかについて、自ら末期がん患者である一人の医師とその患者さんのエピソードを紹介しながら、そこに存在する挑むべき「標準治療という壁」を浮き彫りにしている。
そして次には、生命研究者の中村桂子氏と山梨県で4千人以上の命に寄り添ってきた在宅ホスピス医の内藤いずみ氏との対談の中で、“医療にもゆったりした時間が必要”、“生と死は一体となっている”などと展開しながら、「『死』は、生きることに組み込まれている。」と主張している。
さらに「生まれてこない方が良かった」とか「苦しみがあるこの世には子供は生まない方が良い」といった「反出生主義」に論究していく。それは、「生者と死者を繋げるのか!?」、「脳死している子 ― 『この子はまだ生きている』」、・・・そして「自分は死んだらどうなるのだろう」、・・「自身の人生を肯定するために」などと進み、最後に「大切なことは『哲学を学ぶ』のではなく『哲学をする』こと」であるとする結論は、まさに「人生を肯定すること」につながっているという強い説得力をもって迫ってくる。
「『いろんな生き方』を実践する『壁壊し名人』」と銘打った第3章では、まさに様々な分野の多種多彩な人々と壁が紹介されている。「世界最高齢DJ・名店餃子店ムロのオバサン」、「高齢社会の誤解の壁」、「佐賀県を日本一の健康長寿のまちにと実践してきた鎌田氏(著者)」の実際の話が展開されている。まさに生きた教科書である。
第4章では、「今までどおりの壁を壊し、命を土俵際で守る」というテーマで語られていく。ここではコロナ渦で医療に従事された医師の方々の奮闘記である。医師であられる著者の視点も十分に反映されている。“お医者様”という言葉があるが、日本には「真の医者」といえるお医者様がたくさんいらっしゃることに素直に感謝の念が湧いてくる。「『絵本の強い力』が大人と子供の壁を突破する」の中で、“絵本が教えてくれる死生観”や“戦争で世界を征服できるか”ということを述べて、“壁を壊すには感性が大事”と訴えている。まさに絵本に、親子、人と人、そして世の中の壁を崩していく力があるとの主張に目から鱗が落ちていく感覚に襲われてしまう。
最期となる第5章の「この国の『壁』の突破法」である。ここでは、「人口減少の壁」、「人口減少を招いてきた三つの壁」についての説明がなされ、様々な観点から著者の説得力のある意見が述べられていく。
2024年の元日には震度7の能登半島地震が発生し、さらに翌日の1月2日には羽田空港での日航機と海上保安庁機の衝突事故が発生した。コロナの大渦も完全に収まらず、世界的にはロシアによるウクライナ侵攻など、国内外に様々な『壁』が立ちはだかっているといえます。
本著は、こんな時代だからこそ、自分自身や地域社会、国、そして世界に存在する様々な問題である『壁』を真正面から見据え、打ち破っていける知恵とヒントに溢れる一書といえよう。
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