学校建設という夢を留学先のザンビアで実現 人生の目標をひとつかなえ、次の夢へ

石川 秀和
文学部人間学科4年



大学4年生の2月から翌年12月中旬までの約10か月間、アフリカのザンビア共和国に留学した石川さん。ザンビアでは大学の勉強とは別に、都心から車で3時間以上離れた農村部で、学校の建設にも尽力しました。現役の大学生で、しかも留学生である石川さんが、なぜ学校をつくるに至ったのか、その経験を経て、これからどんな道を歩こうとしているのか話を聞きました。

 

なぜザンビアに留学しようと思ったのですか?

中学生の頃に開発途上国の貧困をテーマにした映像を見て衝撃を受け、苦しんでいる人のために何かしたいという思いを漠然と持っていました。大学に入って、自分が共感できる「教育」と「貧困」の2つを軸に学びを深めようと決めたことで、アフリカに目を向ける機会が増え、3年次にはアフリカ開発会議(TICAD8)の一環で開催された「各国大使と地球の未来を考える」というプレイベントにも学生の代表として参加しました。

ザンビアは、独立後に民族紛争が起きておらず、アフリカの中では平和な国として有名です。その背景には「One Zambia One Nation」という思想と教育があるといわれています。コロナ禍で、交換留学が決まっていたフィリピン大学行きが中止になって、その代わりとなる留学先を考える中で、自分のテーマに則していることや「21世紀はアフリカの世紀」という創立者の言葉が頭にあり、ザンビアへの留学にチャレンジすることにしました。

留学中にザンビアで学校をつくることになった経緯を教えてください。

子どもにとって教育の場があること、居場所があることはとても大切です。これはアフリカに限らず、もちろん日本においても変わらず重要です。家庭環境や経済的な理由などによって自分の居場所が見つからず悪事に関わってしまうケースも、傾向としてはしばしば見受けられます。だからこそ、教育が普及していないところに学校をつくることを自分の人生のひとつの目標としていました。

ただ、どうすれば教育環境が整っていない地域に学校を建設できるのか。日本ではその方法を知る人には出会えず、誰かに話しても否定されることが多くて、次第に「学校を建設したい」という夢を口にしづらくなっていました。それが、ザンビアで思い切ってその想いを話したところ、農村部で実際に学校建設のプロジェクトを進めている日本人がいると聞いたのです。その人はJICAの職員で、仕事としてではなく、個人的に学校を建設しようと奮闘しており、すでにガーナでは実績があるということでした。その人に引き合わせてもらい、一緒に学校建設のために動くことになりました。

学校建設のために、具体的にどのように動いたのですか?

ザンビアの初等教育の場は、いわゆる公立のパブリックスクールと地元の有志が建設するコミュニティスクールの2種類があります。パブリックスクールには子どもたちの10〜20%程度しか通えず、地域の人たちがなんとかその穴を埋めようとしてつくっているのがコミュニティスクールです。

学校はどこにつくってもいいというものではありません。その地域の大人たちに教育への理解がなければ、建物だけ建ててもすぐに廃れてしまいます。教育に関する地域の意識調査にはじまり、学校建設が村の人々にとって悪影響になることはないか、長期的な需要があるのかなどの調査をし、場所が決定したら村の人々との交渉や、学校を建設するための資金や資材の調達に動きました。そのほかにも、教師のやる気によって教育の質が変わるので、教育の重要性について、教師の方々と語り合う機会ももちました。

学校は、私が日本に帰国して間もなく開校しました。村を挙げての開校記念のお祭りで皆が踊っている様子を、友人が送ってくれた動画で見た時には本当に感動しました。また、当初はコミュニティスクールを立ち上げる計画だったのですが、現地の方々が自治体の教育省に交渉して、開校と同時にパブリックスクールに変わったということも聞き、自分たちの熱意が現地の人に届いたことも、とても嬉しく感じました。

留学中に地域のコミュニティスクールで、石けんの寄付と手洗い講習会もしたそうですね。

3年生のときに参加したTICAD8のプレイベントでお会いした人の中に、子どもたちに手洗いの習慣をつけてもらうおうと、メダルの入った石けんを作っている企業の経営者がいました。その方に自分もアフリカに石けんを持って行こうと思っていることを話したら、「アフリカで配ってください」と自宅に送ってくださったんです。その石けんをキャリーバッグに詰めこんでザンビアに持って行きました。

日々生きることに必死で貧困に苦しむ環境では、衛生面を気づかう優先順位は低くなってしまいがちです。しかし、衛生環境の問題で感染症にかかり命を落とす子どもたちを減らすためには、目先のことだけではなく長期的視野に立つ必要があります。石けんを届ける学校には、子どもたちに石けんを渡すだけでおしまいにせず、手洗いを習慣づけてほしい。そう願っていろいろな学校を当たり、先生が石けんを管理して手洗いを継続してもらえる学校を選び、講習会を実施しました。

講習会では歌を通して手洗い方法を教えたのが現地の子どもたちにハマり、みんなで笑って大合唱しながら手洗いをしました。初めて石けんを使う子どもたちが多く、初めは戸惑っていたのに「手洗いマスターだね!」と言葉をかけると嬉しそうに何度も手洗いの方法を私に見せてくれたのが印象に残っています。帰国後、現地の人から「今でも歌を歌いながら手洗いをしているよ」という連絡をもらって、実施してよかったと感じています。

海外への渡航は今回が初めてだったそうですが、アフリカはどんな印象でしたか?

ザンビアには雨季と乾季があるのですが、雨季は特に停電や断水をすることが多く、一日中電気が使えない日もありました。断水が続くため、朝起きたらまず両手に40kgの水を抱え、何回も運ぶことから1日がスタートすることもあります。また留学先の大学は、ザンビアで1番の大学と聞きましたが、建物はボロボロで使える椅子は半分くらいしかなく、構内には牛が歩き回っていました。休講も多く、大学へ行ってもただ牛を見ただけで帰る日もありましたが、そんな環境下でも学生の意識は高く、電気が点かない部屋でも本を開いて勉強していました。

国民性を感じたのは、現地の人たちと3泊4日の旅行に出かけたときのことです。バスが故障して立ち往生した時、誰かが歌い出し、それに釣られてほかの人も歌ったり踊ったり、歓声をあげたりと陽気な空間に一変し、その場にいる全ての人が笑顔に包まれました。困難な状況でもゼロから楽しさを生み出す力や、壁を取り払って周囲を巻き込んでいく力、人生の一瞬一瞬を輝かせる力を感じ、涙がこぼれそうになったことを鮮明に覚えています。

先進国から見ると、開発途上国は手を差し伸べられる側の存在と捉えられているかもしれません。しかし、アフリカの明るさや思想、アフリカのマインドから学ぶべきことは、果てしないほどあると感じました。そのことを世界に示すためにも、教育を通して人材を輩出することに携わっていきたいという思いを強くしました。

今後の自分自身の将来をどのように思い描いていますか?

卒業後は、開発途上国でインフラの整備を進める開発コンサルタントとして働く予定です。ザンビアへの留学で、アフリカを肌で感じることができ、多くのことを知りました。今後も経験をたくさん積み、基本的な生活にすら困難を抱えている人たちのために力を尽くしたいと考えています。

また、ザンビアで出会ったJICAの方のように、私も個人的に学校建設を進めることをしていきたいです。自分自身にもっと力をつけて、将来的には国連職員になることや、ひとり親家庭に対する福祉ビジネスや芸術・スポーツ復興事業の展開なども視野に入れています。

創価大学への進学に興味を持つ学生に向けてメッセージをお願いします。

私は、創価大学に入学したことで、夢に向かって努力することの大切さや、努力の先に未来が開けることを知りました。
実は、私は小学3年生から高校までサッカーに熱中していて、勉強からずっと逃げてきました。経済的にあまり豊かではない中で進学させてくれた親のためにも大学で何かをつかみたいとは思っていましたが、コロナ禍に始まった大学生活にどう向き合えばいいのかわからず、最初のうちは斜に構えたような態度で漫然と日々を過ごしていたんです。

しかし、そんな自分とはまったく逆で、夢に向かってまっすぐ突き進む同級生が寮にいて、ことあるごとに声をかけてくれました。仲良くなれるタイプじゃないと思っていたのですが、話すうちにそのひたむきな姿をカッコいいと感じるようになりました。彼に触発されて自分も目標を持って真剣に勉強や物事に取り組むようになり、300点くらいしか取れなかったTOEICも留学できるまでに点数を伸ばすことができました。

創価大学には、必ず皆さんの味方がいると断言できます。私はこの大学で夢も情熱も一生涯の友人も見つけることができました。だから胸を張って「創価大学に来てください」と言えます。創価大学で自分に向き合い、自分を信じて、夢にチャレンジしましょう。

<文学部人間学科4年>

石川 秀和

イシカワ ヒデカズ

好きな言葉
だから君が、みんなの太陽になれ
性格
社交的、人懐っこい、負けず嫌い
趣味
子どもの笑顔に癒されること
最近読んだ本
The Courage to Dream/ Harding Vincent, Daisaku Ikeda
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