長崎の原爆を描いた映画のニューヨーク上映会に尽力 ― 子育てを経て切り拓いた新たなキャリア
坂口明子(さかぐちあきこ)
経済学部経済学科2010年3月卒業
株式会社SKY CASTLE FILM
今年4月、アメリカ・ニューヨークで、原爆投下直後の長崎を描いた映画「長崎―閃光の影で―」が、国連の後援を受けてサテライト上映されました。この上映会を実現させるため、制作プロダクションの一員として調整や交渉に尽力したのが坂口明子さんです。妊娠を機に13年間、子育て中心の生活をした後、35歳で未経験のエンタメ業界に飛び込んだという坂口さんに、ニューヨークでの反響や映画に込められたメッセージ、さらにはご自身のキャリアについて、お話を聞きました。
「長崎―閃光の影で―」はどのような映画ですか?
長崎への原爆投下とその後の悲劇を、看護学生だった3人の少女の視点から描いた作品です。戦後80年を迎えた昨年8月に全国公開され、今年4月28日(現地)には、ニューヨークの国連本部に程近いJapan Societyを会場に、国連の後援によるサテライト上映会も実現しました。私は、撮影終了後から制作プロダクションの社員としてこの映画に携わり、7社で構成される製作委員会の取りまとめ役などを務めています。
この映画は、実際に長崎で被爆者の救護に当たった看護師の方々の手記を原案に制作されました。ある日突然、原爆によって日常を奪われてしまった長崎の人々の姿は、今を生きる私たちにも命と平和の尊さを深く訴える力を持っています。自らも被爆しながら懸命に命と向き合う3人の看護学生たちは、同世代の娘を持つ母親として他人事とは思えず、私自身も胸に迫るものがありました。
ニューヨークでの上映はどのような経緯で実現したのでしょうか?
この映画の松本准平監督が、国連事務次長・軍縮担当上級代表を務める中満泉さんと面会した際、中満事務次長よりご提案いただき、核不拡散条約(NPT)再検討会議の期間に合わせて実施することが決まりました。私は製作側の窓口役として、国連、Japan Society、ご協力いただいた長崎県と長崎市など、関係各所との調整に当たり、ニューヨークでの上映会にも参加しました。
上映会での反応はいかがでしたか?
当日は、中満事務次長や国連職員のみなさん、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメンバー、大学教授など、さまざまな分野から数多くの方にお越しいただき、核兵器や戦争がいかに愚かで恐ろしいことかを、唯一の被爆国である日本の視点から共有することができました。アメリカでは日本に比べ、被爆後にどんなことが起きるのかという認識やイメージをあまり持っていない人も多いのか、火傷を負った体にウジがわく姿など、悲惨な描写に観客が強い驚きとショックを受けている様子で、中には何分間も涙を流し続けている方もいらっしゃいました。
上映後には、「この映画をアメリカ中で上映してほしい」「若い世代に見せてほしい」という感想を本当にたくさんいただきました。観客の感想を直接うかがう機会はあまりなかったので、私もとても嬉しく、感動しました。また、この悲劇を二度と起こしてはいけない、そのために今私たちは何をすべきか、という会話も生まれ、やはり市民レベルの対話のほかに平和を切り開く道はないのだとあらためて感じました。
今後も海外での上映予定はありますか?
7月に開催されるベトナムの映画祭、さらにカナダ・トロントでも上映を予定しています。上映会でいただいた「若い世代に見てほしい」という声を受け、アメリカ国内の大学や高校、医療系の学校などにも営業活動を展開しているところです。SUA(アメリカ創価大学)では、9月から始める次のセメスターで上映すべく、予算の検討を行っていただいています。さらに多くの学校で上映できるよう努力したいと思っています。
どんなことに仕事のやりがいを感じますか?
今回、たまたま戦争の悲劇を題材にした映画に携わることになりましたが、私は大学を卒業する時に「平和のために少しでも役立てる人材に」と誓いを立てていたので、不思議な縁を感じています。また、小さい頃から映画鑑賞が好きで、たくさんの映画を観てきたので、この業界で仕事ができることを心から嬉しく思っています。今は大好きな映画を通して平和に貢献できる喜びと責任、やりがいを感じながら仕事をしています。誠実に、地道に信頼を築き、もっとたくさんの映画やエンターテインメントを創り出していくことがこれからの夢であり、目標です。
坂口さんが現在のお仕事に就くまでのキャリアについて教えてください。
新卒でアパレル企業へ入社して間もなく妊娠し、退職しました。その後は13年間、2人の娘の子育て中心の生活をしていましたが、長女が中学生になった35歳の時、もう一度自分のキャリアを構築したいと一念発起して就職活動を始め、2023年から現在の会社で働いています。
もう一度働こうと思ったのは、ママ友と出かけた韓国旅行がきっかけでした。新婚旅行以来の海外旅行で、久しぶりに外国の空気を吸っているうちに、「そうだった!世界って広かったんだ!」と急に思い出して、外に出なきゃ、という気持ちになったんです。子どもたちも手を離れる時期でしたし、35歳という年齢は新しくキャリアを始めるにはギリギリのタイミングだという思いもあり、旅行から帰って数カ月で就職を決めました。今考えると、あの韓国旅行が本当に大きな転機でしたね。
大学ではどのような学生生活を過ごしていましたか?
とにかく英語の勉強を必死で頑張っていました。小学生の頃から英語が好きだったので、学部では英語で経済学を学ぶインターナショナル・プログラムに参加し、周りの優秀な友人たちに刺激を受けながら語学力を高め、世界への視野を広げました。あの時身に付けたことが、今の私をつくっています。
上映会までの過程では、その英語力が役立ったのですね。
子育て中心の生活をしていた時期にも、海外ドラマやポッドキャストで細々と英語のインプットは続けていたものの、アウトプットの機会はほとんどなく、英語を使うのは十数年ぶりでした。でも、いざ話し出すと意外に会話できて、大学で一生懸命頑張ったおかげだなと思いましたね。ただ、やはり当時のレベルにはほど遠く「やっぱり元には戻らないのか……」とショックでした。
ところが、上映会のためにニューヨークへ行って2、3日経った夜、突然目が覚めたみたいに昔の英語力が戻ってきたんです! 大学時代の蓄積がブワッと内側からあふれ出てきて、自分でも驚きました。その瞬間、努力は嘘をつかないんだ、努力してきて本当によかった、と心から実感しました。とても嬉しかったです。
再び社会で働き始めた今、ご自身のキャリアについてどのように感じていますか?
大学卒業後ほどなく子育てに入った私の人生は “王道のキャリアパス”ではありません。私自身、20代の時は「何のために大学で勉強したんだろう」と悩んだこともあります。育児と仕事をトレードオフすることは私が自分で選んだ道ですが、それでも友人たちが外資系企業でバリバリ働いているのに、私は家にこもって子育てをして、まるで自分が浦島太郎みたいだと思うこともありました。
でも今は、自分が後に続く働く女性たちのパイオニアとして道を切り拓いていこう、と勝手に思っているんです。妊娠・出産・育児を早く終えて新しくキャリアをスタートさせる生き方もあるんだ、テンプレート通りではない道もあるんだ、と少しでも思ってもらえるように、頑張ってこれからのキャリアを築いていこうと思っています。
後輩たちにメッセージをお願いします!
繰り返しになりますが、一生懸命努力した大学時代の私が、今の私をつくっています。学生時代に勉強した英語も、趣味として大好きだった映画や世界史や百人一首も、今、自分の引き出しになり、思わぬ場面で「強み」として私を助けてくれています。ムダなことは何一つない、全部必然だったと思っています。
就職活動の時期になると、みなさん人生のプランを考えますよね。ですが、実際の人生はプラン通りには進むとは限りません。自分の人生なのに自分でハンドリングできなくなる時期もある。それも1年2年どころか、10年、20年と続くことだってあるのが人生です。そんな回り道に思える時も負けずに進む力をつけられるのが、大学時代だと思います。目の前の一つ一つのことに真剣に取り組み、たくさん勉学に励んでください。その蓄積が、きっと未来のあなたを助けてくれます。
<経済学部経済学科 2010年3月卒業>
坂口明子
Akiko Sakaguchi
- [好きな言葉]
- 負けじ魂
- [性格]
- 好奇心旺盛
- [趣味]
- 映画、ドラマ、音楽、アート鑑賞、読書、漫画
- [最近読んだ本]
- 異常/エルヴェ・ル・テリエ