ヒューマン講談で「平凡な偉人」の人生を後世に伝えたい
旭堂 南歩(きょくどう なんぽ)
講談師
経営学部経営学科40期 2014年3月卒業
創価大学落語研究会出身で、上方講談師として活躍する旭堂南歩(本名:下部幸貴)さん。歴史上の出来事を語る古典講談に加え、現代の人々の人生を物語に仕立てた「ヒューマン講談」を披露し、その“平凡な偉人”たちの物語が多くの人の感動や共感を呼んでいます。ヒューマン講談ができたきっかけや、漫才師を経て講談師になった経緯、今の自分を支える学生時代の経験などについて、お話を聞きました。
講談師として現在どのような活動をされていますか
大阪を拠点に全国各地で講談会に出演し、古典講談を継承しています。加えて、現代の人々を取材して物語を語る「ヒューマン講談」という活動を始めて、結婚式などのパーティから個人のお宅のリビングまで、さまざまな場所でオリジナル講談を披露しています。そのほか、イベントの司会、展覧会での商品紹介など、喋る仕事なら何でもしています。
「講談」のどんなところに魅力を感じていますか
講談は、簡単に言うと、歴史をおもしろおかしく物語で語る芸能です。高座で一人で行う話芸という点は落語と似ていますが、落語は創作メインのフィクション、講談はノンフィクションという違いがあります。たとえるなら、落語は月9ドラマ、講談は大河ドラマ、といったイメージですね。
講談で語られる物語には、どんな話にも、胸が熱くなるヒューマンドラマがあります。それは、時代を超えて今の僕たちの胸に響き、生きる上でのヒントになる。そこに僕は講談の魅力があると思っています。また、ほかの多くの話芸は語り手にスポットライトが当たりますが、講談は講談師が主役の芸能ではありません。講談でスポットライトを浴びるのは、そこで語られる物語の登場人物たちであり、我々講談師は、彼らの姿を舞台の端っこの方で語っているようなもの。そうしたいわば“脇の芸”であることにも魅力を感じています。
南歩さんはどんな経緯で講談の道を志すようになったのでしょうか
芸能の世界に入るきっかけになったのは、大学の落語研究会(落研)に入ったことですね。芸人を目指していたわけではないんですが、大学入学前、母に「落語研究会あるらしいで。そんなんもええんちゃう?」と言われたのが頭に残っていて、ためしに落研の部会をのぞいてみたら、そのまま流れで入れられちゃったんです。最近は世間で大学のお笑いサークルが注目されますけど、当時は「落研なんか入ったら学生生活終わる」と言われていた時代で、周りにもそう言われました。でもめちゃくちゃ面白かったですね。
大学を卒業した後、家電量販店に就職して1年間働いたのですが、やっぱり芸人になりたくて、東京NSC(吉本総合芸能学院)に入って漫才師になりました。とはいえ、最初は漫才師と名乗れるほどの仕事もなく、毎日暇で暇でしょうがない。そんな時暇つぶしでふらっと入ったのが、新宿末廣亭という寄席でした。客席に座って、落語を聞きながら気持ちよく寝ていたら、突然「パーン!」という音で目が覚めました。講談師が張扇で釈台を打つ音だったんですが、それまで講談を見たことがなかった僕は、それが「講談」ということも、話の内容も、よく分かりませんでした。ただ、「めちゃくちゃ軽快に喋ってる人がいる。心地ええな」と思って。それが講談との出会いでした。
僕、人の話を集中して聞くのが苦手で、大学の授業もすぐ寝ちゃってたんです。でも講談は40分間、1回も笑いがなくても聞いていられたし、語られる話の情景が頭に浮かんできて、「おもしろ!なんじゃこりゃ!」とワクワクしました。笑いを取った時の快感を求めて漫才師をしていたんですが、それとは違う快感が講談にはあるんじゃないかと気付いて、思い切って漫才師を辞め、師匠である旭堂南左衛門に入門しました。
南歩さんオリジナルの芸であるヒューマン講談はどんな講談ですか。ヒューマン講談が生まれたきっかけは?
ヒューマン講談は、「平凡な偉人を後世に」をテーマに、現代の人々を取材して物語にする創作講談です。依頼を受けて、僕が2時間ほどインタビューし、20分ほどの講談にまとめて披露します。ありがたいことに最近では月の半分ほどはヒューマン講談の仕事をしています。
ヒューマン講談を始めたきっかけは、行きつけの居酒屋で飲んでいる最中に始まった、店主夫婦のケンカでした。ケンカがエスカレートするうちに「そもそもあの時私は大阪に来たくなかった!」みたいな昔話が始まり、いつのまにか、2人の馴れそめと20年分の人生を知ることになって。そうしたら、その場に居合わせた常連さんに「今の話おもろかったから講談にしてや」と言われて、試しに作って恐る恐るイベントで披露したら、大受けしたんです。その時、本来なら誰も知るはずがなかった話、歴史に残るはずのないこのご夫婦のような“平凡な偉人”の人生をもっとたくさん聞きたい、残したいと感じて、そこからヒューマン講談のアイデアが生まれました。
僕は、喜劇王チャップリンの「人生はショートフィルムで観れば悲劇、ロングショットで観れば喜劇である」という言葉が好きなんですが、ヒューマン講談は、どんな悲劇もいずれ喜劇になるための伏線でありフリなんだ、人生のすべての出来事に意味があるんだ、ということを実感させてもらえるものだと思います。
創価大学ではどんな学生生活を送られていましたか?心に残っているエピソードがあれば教えてください
とにかく落研と男子寮、学内活動で、めっちゃ楽しい4年間でした。勉強の方は……ちょっと話せることがないんですが(笑)。
先ほども少しお話しした落研では、夜中にみんなで大喜利したり、2万回じゃんけんして勝ち負けの記録を付けたり、大学の近くの坂を走って何往復できるかチャレンジしたり、ほんと意味わからんことしてました。ただ3年生で部長になった時、創立者からいただいた「落研三指針」と「落研新時代の指針」を未来に残すためにもっと熱く活動したいと思うようになって、130人ぐらいいた部員全員と対話して、僕に付いてきてほしいと叫び続けました。学外ライブの直前、創立者から激励のメッセージをいただいて、ぐっとみんなが一つになるのを肌で感じた時は達成感がありましたね。
それから宝友寮で3年間、留学生残寮生として各国のメンバーと暮らしたことも学生時代の思い出です。韓国メンバーと冷蔵庫にどれだけキムチを入れていいかで揉めたり、僕が関西弁で喋りすぎて欧米メンバーが授業で「なんでやねん」と言って問題になったり、エピソードはありすぎてキリがないんですが、当時の国際課の担当の方に「国際間の感覚の違いを対話で解決していくことが大事。留学生ブロックは世界の縮図なんです」と教えていただいたことは、今も胸に残っています。
創価大学での経験が今活かされていると思うことはありますか
講談ではヒューマンドラマを語るわけですが、そこには物語に底流する登場人物の哲学があります。講談師は、物語を語る上でその哲学を掘り起こす作業が必要ですし、もしそれをセリフやストーリーだけで伝えきれなければ、自分に落とし込んで言葉にするのも講談師の役目だと思っています。そうした自分で作ったセリフに、講談師それぞれの考え方が現れるわけです。
僕は師匠や兄弟弟子に「お前の講談って、“なぜ生きるか”みたいなセリフがよく出てくるけど、なんでなん?」と聞かれるのですが、それは大学時代に創立者から教えていただいた「生きるとは」「なぜ学ぶのか」といった学びがずっと頭に残っているからでしょう。そして、その学びを使って歴史上の人物が伝えたかったことを代弁してる感覚があります。登場人物のセリフに自分なりにたくさんの工夫ができるのは、大学時代に人としての背骨をつくることができたからこそだと思います。
これからの目標や抱負をおしえてください
2023年11月に二つ目に昇進して、次の目標はやはり真打ち。創価教育100周年に当たる2030年の真打ち昇進を目指して、頑張っているところです。真打ちに昇進する時は、創大のディスカバリーホールで昇進披露公演ができたらいいですね(笑)。
そして、これからもヒューマン講談で現代の「平凡な偉人たち」を一人でも多く後世に残したいです。創大卒業生という看板を背負って活躍し、創大のすごさを世界に広めたいです!
創大への進学に興味を持つ後輩たちにメッセージをお願いします
創大は、学問はもちろん「人」が学べる大学です。人ってこんなにすごいんだ、人ってこんなに熱くなれるんだ、という感動と、人の無限の可能性に出会えます。「熱い」なんて、ちょっと時代錯誤かもしれませんけど、やっぱり創大は多少無茶をしても熱い学生生活を送りたいヤツが集まってくる場所だと僕は思っています。ぜひ創大で最高の青春を送ってください!
[好きな言葉]
人生はショートフィルムで観れば悲劇、ロングショットで観れば喜劇である(チャーリー・チャップリン)
[性格]なるべく争いたくない。。。笑
[趣味]
特に無いのが悩み。。。
[最近読んだ本]上杉鷹山/童門冬二