ニューヨークで世界を舞台に活躍する卒業生

Vincent Lek 経営学部29期卒業
シンガポール出身。日本文化に興味があり、兵役を終えた後、名門のシンガポール南洋理工大学入学を辞退し、創価大学に。日本語研修課程修了後、本学の経営学部を経て、早稲田大学の大学院に進み、シンガポールにも支社のあるパナソニック株式会社に入社しました。同社でアフリカ諸国、インド、韓国、中国など世界を駆けまわり、ヘッドハンティングで現在の協和発酵バイオ株式会社へ。思いがけないヘッドハンティングの話に驚きながらも、日本で働きたいとの念願がついに叶い、2011年1月から東京のオフィスに。その2か月後に起きたのが東日本大震災。地震のないシンガポールで生まれ育ったヴィンセントさんにとっては、あまりにも恐ろしい体験でした。余震が続き、外に出る勇気もなくしていた中、創価大学の留学生の友人が東北でボランティア活動をしていることを知り、自身もボランティアに参加。地震の不安に加え、自身の様々な悩みと格闘し続けていたヴィンセントさんにとって、東北で震災に遭われた方々との出会いは、大きく自身の人生観を変えるものになりました。以来、月1回東北でのボランティアに参加し続け、自分のことよりも困っている誰かのためにと思えた頃、ニューヨーク支社への転勤の話が。大きな責任を担い、悪戦苦闘の日々を過ごしながらも、世界を舞台に活躍の場を広げ続けているヴィンセントさんに話を聞きました。
ヴィンセントさん、世界を舞台に活躍されていますね。

・・・今でも、自分がなぜニューヨークに来ているのか、よくわからないんです(笑)。不思議な出来事の連続で、いつも変化にとまどったり、変化を断ってしまったりもするんですが、最終的には“きっと何か意味がある”と受け入れて、今ニューヨークにいます(笑)。ただ、今の自分がどこからスタートしたかというと、それは間違いなく創価大学に入ったことからでした。そもそも日本に行きたいと思った時には、創価大学の事はほとんど知りませんでした。ただ、留学生を受け入れる環境が整っているとの情報がありましたので、決めただけでした。
日本では、予期せぬことにひどいホームシックにかかり、予期せぬことにとっても温かい創大の人たちに囲まれていました。自己中心的で、わがままな自分をありのままに受け入れてくれた先輩や友人たち、世界中から集った留学生の学友たち、励まし続けて下さった教授や職員の方々、自身を大きく変革させてくれた彼女との出会いなど、感謝に尽きない、自身の全ての原点が創価大学にはあります。創立者の池田先生からの、折々のお菓子などの激励も本当にうれしく、添えられた一言の激励に何度救われたかわかりません。大学祭にあまりにも感動し、1年の留学の予定を変更し、学部に入学してしまいました(笑)。


不思議な話ですが、自分ではもう忘れてしまっていたような創大時代に願ったことが、どんどん形になっていってしまうんです。例えば、創価大学で出会った世界中の友人たちに必ず会いに行こうと思っていました。パナソニックに入社して、世界中に出張することになり、大好きな友人たちと再会することができました。どの国でもほとんど観光地には行ったことがありません。ロンドンのスターバックス、インドのスターバックス、カナダのスターバックス、フィリピンのスターバックス、オーストラリアのスターバックス等々と、少しでも空いた時間は旧友との再会です。彼らと再び語りあえることが最高の喜びです。ではなぜニューヨークか。実は、創価大学で教鞭をとれたらと夢見て、学部生時代にコロンビア大学ティーチャーズカレッジに進学することを考えたことがありました。その大学がニューヨークにあることすら知りませんでしたが、その時の縁なのでしょうか。協和発酵バイオ株式会社からヘッドハンティングされたのも、それまでの仕事とは畑違いの職種でしたし、日本で働きたいと思っていた気持ちがどこかで通じたのかもしれません。
世界の中心と言われるニューヨークですが、そこで実感されていることは何でしょうか?
・・・全てがオープンだということです。機会は本当に平等に開かれています。例えば、日本で書く履歴書を思い出して下さい。アメリカでは、まず、履歴書に写真を貼りません。男性か女性かも、年齢も、人種も、学歴も職歴も、もちろん結婚しているか、離婚しているかというような個人的なことは一切書く必要がありませんし、聞かれません。必要とされるスキルがあるかどうかが何より大切なのです。そして、常に誰かが誰かを助けていることです。ゲイ、女性、人種をはじめ、あらゆる種類のサポート団体があります。人々は、実にフレンドリーで、フレキスブルでとてもリラックスしています。芸術も、政治・経済など国際社会に影響する最新のニュースも、全てここに集まり、ここから世界中に発信されていきます。ここで生活する中で、人々と接する中で得られるものは、大変にエネルギッシュなものです。ニューヨークに来て以来、私の仕事内容も責任も各段にエネルギッシュなものとなり(笑)、最初は全くついていけませんでした。日本では営業を担当していましたが、ニューヨーク支店では、ファイナンス、経営、HR、営業チームのサポートなどを行っています。初めて行う職種内容でもあり、日本との橋渡しをしていくという重責が重なり、一時は、自分には無理だと根を上げそうにもなりました。今も悪戦苦闘の最中ですが、このような重責を担い働けること自体ありがたいですし、優秀でフレンドリーな同僚たちと働けることにも本当に感謝をしています。

海外で、また国際的に働く上で大切なことは何だと思いますか?

・・・異なる文化、人種、価値観、宗教に対してオープンであれることが大切だと思います。私の場合は、それらの感覚を仕事で様々な国に行くようになってから身に付けたというよりは、創価大学の中で、世界のあらゆる場所から来ている留学生の友人たちとの中で自然と育まれていったと、仕事をして気が付きました。人種はもちろん、イスラム、キリスト、仏教、無宗教などなど、思想も違えば、食べ物も文化も風習も違う友人たちと共に学び、共に暮らせたことは、今こうして、様々な国で働ける自分の基盤を作ってくれたのだと思います。そして、創立者池田先生の存在です。私たち留学生を、まるで世界各国からの大使と接するように迎え、育んで下さいました。世界中の学生たちが、国籍なんてあっという間に飛び越えて、池田先生を父のように慕っていました。まさに世界市民のお手本ですよね。創価大学の環境は本当に恵まれていますし、世界市民を育成できる最適な場所と実感しています。
3・11東日本大震災が大きな分岐点になったようですね。
・・・生まれ育ったシンガポ-ルには地震がありませんでしたし、日本に行ってからあのような大きな地震はありませんでしたので、もう完全にパニックになってしまいました。その時私は、東京のオフィスにいました。日本で働き始めてから2か月目のことです。同僚たちは、皆机の下に隠れましたが、彼らがなぜそんな行動を取るのかさえわかりませんでした。シンガポールの家族たちもパニックですから、“すぐに帰ってきなさい”ともう大変でした。私は、当時も世界の各地のオフィスとやりとりをしていましたし、日本で大震災が起きたといっても、仕事は続きます。


しかし、精神的にはそれどころではなく、一身上の都合ということで、帰国をすることになりました。空港に着いてもパニック。日本から出ようとする人たちで文字通り長蛇の列でした。何もかもが本当に恐ろしい経験でした。ただ、シンガポールに戻ってから心配なのは仕事です。シンガポールのオフィスに行っても、一身上の都合で休んでしまっている私は働かせてもらえません。日本のオフィスでは同僚たちが私の担当地域の分までカバーしてくれていました。もうあまりにも申し訳なく、家族を振り切り、すぐに日本に戻ることに決めました。それからも余震がすごかったですし、この後何が起きるのか、不安で夜も寝むれませんでした。そんな中、創価大学の留学生の友人が東北でボランティア活動をしていると聞き、心配はよぎりましたが、すぐにインターネットでボランティアの申込をしました。バスで隣の席になった人が60歳を超えたご婦人で、何度もボランティアに参加していると聞き、ビクビクしている自分が恥ずかしくなりました。現地では、募金を集めたり、汚泥の除去作業をしたり、震災に遭われた多くの方々と出会いました。ボランティアの最後に主催した方から、是非また参加して下さいねと声をかけられ、勢いよく、“これから毎月参加します!”と言ってしまいました(笑)。勢いではありましたが、その後毎月参加しました。ニューヨークへ転勤の話が上がった時にも、最初に頭に浮かんだことは、“ボランティアに参加できなくなってしまう”ということでした。東北でボランティアをしながら、実は自分自身が励まされていましたし、また自分にも人のために何かができるという喜びが大きな充実感を与えてくれていました。それ以上に、ボランティアを通し、自分はどれほど日本から恩を受けていたのかということに思いいたるようになりました。
留学生の時から、日本でたくさんの人の恩を受け、たくさんの人に救われ、日本の教育を受け、日本の給料をもらい、日本で自分は育ててもらったんだと。東北でのボランティアは、日本への恩返しでもありました。残念ながら、今はボランティアで東北に行くことはなかなかできませんが、日本に行くたびに、ボランティア仲間と、東京で東北支援をしているレストランに集まったりしています。日本に行くと会いたい人たちがたくさんいますから、大変です(笑)。創大に行って、お世話になった教職員の方々へ近況報告をしたり、留学生時代の友人たち、クラスメイトたち、お世話になった地域の方々、アルバイト先など、時間をめいっぱい使って、みんなに会います。そして元気をもらって、自分のいる場所でベストを尽くす。本当にありがたいことです。

創価大学での思い出は?

・・・ありすぎてピックアップするのが大変ですが。。。創大での1年間の日本語研修課程を終えた後に、学部に入学することを決めたのは自分でしたから、親に負担はかけられないと思いまして、いくつものアルバイトを掛け持ちしながら、学費や生活費をまかなっていました。どこにでも愛車の自転車で、駆けまわりました。バイトの関係で、時には授業を早めにでなくてはいけないこともあり、成績も良くなく、おまけに、学部の最初の2年間は日本語についていけず、もう“苦しい”の一言でした。そんな中で、幸せな瞬間がありました。それは、授業料の納入に教務課に行くことでした。教務課に行くということは、授業料納入の期限に間に合っていないから、そこで納入しなくてはいけないのですが、いつも“体に気を付けて”と温かい声をかけていただいて。本当にありがたかったです。お世話になった当時の教務課の方々、国際部の方々には、今でも、日本に行くと創大キャンパスを訪れ、近況を報告させてもらっています。
友人や先輩にも励まし支えてもらい、辛い日々でしたが、今となっては最高の思い出です。創大祭での思い出も尽きないですね。そもそも創大祭を経験しなければ、学部に入学することも決めませんでした。生活することに苦労することも、彼女と出会うことも、人の優しさにあんなにも敏感になることも、人に感謝をできる自分になることもなかったと思います。最後の創大祭は、そのメインイベントである記念フェスティバルと早稲田大学の大学院の試験日が重なってしまいました。創大祭を取ると決めて、創立者の池田先生に報告した時には、心配していただいて、国際部の方に呼ばれたりもしました。不思議なことに、試験も受け、創大祭の記念フェスティバルにも参加をすることができ、留学生の後輩たちと感動で泣き崩れました。あきらめないこと、それも創大で学んだ大切な精神です。

最後に、これからについて聞かせてください。

・・・恐らくニューヨークで働くのもあと2、3年かと思います。その後は、ヨーロッパなのか、どこに行くのかは全くわかりませんが、今ここで働けることに日々感謝をしながら、思う存分力を付けていきたいと思っています。創価大学で出会った友人たちも、国連をはじめ重要な場所で、そして世界を舞台に頑張っています。また、人生の様々な岐路に立ち、悩みや苦しみに立ち向かっている最中の友人たちもいます。今でも、連絡を取り合い、互いに励ましあっています。皆、“実力をつけて、偉くなって、人々に貢献して欲しい”との創立者の思いを抱きしめて、それぞれの場所で頑張っています。学生の皆さんは、どうかチットチャットクラブやグローバルヴィレッジなどで、大いに留学生と交流していただきたいと思います。
留学制度も創価大学は大変に充実していますので、どんどん活用して、視野を広げ、異文化に対する許容範囲を広げてください。国際教養学部のスタートも、創価大学が更なる世界市民輩出の場となっていくに違いないと、卒業生として楽しみにしています。私も、母校の創価大学に少しでも恩返しができるよう、自身を鍛え成長させながら頑張ってまいります!
最後にこの場をお借りし、創価大学創立者の池田先生をはじめ、お世話になった全ての方々に、心からの感謝を申し上げたいと思います。そして、心配をしながらも、温かく見守り続けてくれた両親にも、心からの感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました!


[好きな言葉]
”もし苦労がお金で買えるのであれば、いっぱい苦労を買いなさい”(創立者) “感謝” “報恩”
[性格]
頑固、積極的、思いやりがある
[趣味]
読書、料理、掃除、ランニング。2015年に開催されるニューヨークマラソンの参加を目指しています!
[最近読んだ本]
The Great Gatsby