“初の箱根路、襷を繋ぐ!” 最終回
2014年1月に監督、コーチ陣が一新、3年生の山口修平を主将にするというこれまでにない体制となった創大駅伝チーム。その新体制からわずか10ヶ月で初の予選会突破を成し遂げ、チームとして初の箱根駅伝出場を勝ち取った。スタッフ、選手、マネジャー、関係者の取材を通し、この10ヶ月間のキセキの物語に迫る。
箱根駅伝と言えば、山登り。高低差は800mにもおよび、最初の5km余りの平地を過ぎれば、ひたすら登りが続く。往路の勝負所となる5区の山登りは箱根駅伝10区間の中でも見る人をひきつけてやまない区間である。
初出場の創価大学がその5区山登りをいかに制していくのか。11月9日に行われた山練習には聞きつけたスポーツ紙も同行した。そして、そこで、圧倒的に安定した走りを見せたのが、セルナルド祐慈だった。以来、5区はセルナルド、とマスコミにも流れ、本人も着々と調整にあたってきた。そして、12月29日、区間登録が行われ、5区には、セルナルド祐慈の名前があった。憧れの区間ではあったろうが、あの箱根の険しい山を、より熱狂的な声援をあびながら駆け上がるのは、並大抵のプレッシャーではない。いよいよそれが、現実となる。
最終調整をするセルナルドに調子を聞いた。「調子はいいです。ただ、全てが初めてですので、正直、不安もありますし、緊張もしています」と、彼は言った。もっともだろう。
セルナルドは、久保田ヘッドコーチの指導のもと頭角を現してきた選手といえる。とはいっても、夏合宿までは思うようにいかなかった。全日本大学駅伝でも調子が悪く、夏合宿の1次もボロボロだったという。「今年もだめかな」、そう思ったという。セルナルドは、いまやチームの代表選手だが、昨年の予選会ではメンバーにも選ばれておらず、今年が始めてだった。5000m・10000mの自己ベスト、関東インカレの好記録も、今年作られたものだ。夏合宿の2次から、やっと練習をこなせるようになり、3次合宿を終えた頃には、質の高い練習をこなせたことで、自信がついた。そして、9月27日の日体大記録会で10000mの自己ベストとなる29分52秒80をたたき出した。そして、初の予選会で、見事に集団走を守りぬき、苦しかったろうが、同期の彦坂一成と共に、集団走を引っ張り続けた。彼は彦坂、そして共に集団走を走りぬいた1年生の大山憲明、蟹沢淳平に感謝している。予選会も後半戦に差し掛かかり、13kmを過ぎたころ、ずっと引っ張り続けてきたセルナルドと彦坂には疲労が重くのしかかっていた。“もうこれ以上ひっぱれない、前を走る他大学の選手たちについていこうか”、そう彦坂と話しながら死に物狂いで引っ張っていた時だった。1年生の大山と蟹沢が、二人揃って自分たちの前に出て、集団走を引っ張ってくれたのだという。
彦坂はその時を振り返って、こう言っていた。「セルナルドと二人で限界を感じていた時に、後ろについていた1年生の大山と蟹沢がスーッと前に出て、引っ張り始めてくれたんです。もう、本当に助かったと思いました。ただ、あいつらの方が早くて、スピードは上がってしまったんですが(笑)。そこから2km、引っ張ってもらったお陰で、体力が回復して、セルナルドと二人でもう一度前に出ました」と。彦坂は言わなかったが、セルナルドがその続きを話してくれた。「1年生の大山と蟹沢が引っ張ってくれた後、自分と彦坂で前に出ました。すると、1年生の二人が、引っ張ったことで体力を失ってしまって、どんどん自分たちから離れていってしまったんです。自分も気がつきましたが、とても助けに行く体力もなくて。そうしたら、彦坂が下がって1年生の二人を励ましに行ってくれました。みんなのおかげでラスト1kmまで集団走で走り抜くことができました。ラスト1kmの地点にいた久保田ヘッドコーチから"タイムを削れ!"とゲキを飛ばされ、それを合図に、みんな一斉に力を振り絞ってラストスパートをかけました。その最後のひと踏ん張りもそれまでのみんなの頑張りがあったからこそ、仲間のために、チームのために、必死になれたのだと思います」と。
「いつも、何のために走っているのかと考えるんです」、取材の最後にセルナルドはそう言った。「創価大学に推薦してくれた高校の恩師がいて、自分を拾ってくれた瀬上監督がいて、コーチがいて、トレーナーがいて、今の自分があるなぁと。自分は好きな陸上を続けさせてもらっているわけですが、競技を続けるにはお金もかかります。親は嫌な顔一つせずに、支えてきてくれました。もう、本当に感謝しかないんです。家族やスタッフに恩返しがしたいんです。そのためには、妥協なんてできないですし、あきらめることもできません」と。
セルナルドは創価大学で経営学を学んでいる。その理由は、「お父さんが経営者で、自分もしっかりと力を付けて、父の後を継げるような経営者となっていきたいから」だという。走ることはもちろんのこととして、創大駅伝部では、学生として、学ぶことも当然のことと、箱根駅伝出場が決まった後も練習のために公欠を取って授業を休ませるようなことはほとんどない。学ぶことにも貪欲で、文武両道を地で行くセルナルドは、創大駅伝部のモデルのような存在。瀬上監督が、山登りに大切なことは「忍耐だ」と言っていた。あの山登りをさせるには、スタッフが考慮したのは、走りだけではなく、生活態度やものの考え方。究極は、技術というよりも、忍耐強く、頑張り続けられるかどうか。感謝できる人がいて、恩返しのためにも走りで応えたいと本気で思っているセルナルドは、まさに創大駅伝部のスタッフが考える5区山登りの適任者なのだ。主将の山口が「安定していて、全く問題なく信頼のできる選手」と評するのも、このセルナルドだ。
誰もが苦しくないわけがない、5区の山登り。いよいよセルナルドがあの箱根の山を制していく。「絶対に皆が必死で繋いでくれるであろう創価大学の襷を掛けて、往路ゴールに飛び込んでいきたい!」、そうセルナルド自身が語る通り、彼ならきっとやってくれる。彼のトレードマークのような優しい笑顔を爆発させて、仲間の待つ往路ゴールに戻ってくる。彼のゴールを心待ちにし、必死に声援を送っていきたい。
さあ、いよいよスタートまであとわずか。エースの山口修平が創価大学初の箱根路の先陣を、新たな歴史のスタートを切っていく。必死に繋ぐ襷は往路最後の5区セルナルドへきっと繋がる。そして復路は、6区の小島一貴(4年)から始まり、7区の江藤光輝(1年)、8区の新村健太(3年)、9区の彦坂一成(2年)、そして10区の沼口雅彦(4年)へと繋がっていくはずだ。皆が笑顔で戻ってくることを確信して、大手町のスタート地点から晴れやかに送り出したい。
本日までご愛読いただき、誠にありがとうございました。いよいよ箱根駅伝本番となります。どうか皆様、応援をよろしくお願いいたします! ※箱根駅伝当日の1月2日、3日は創価大学の公式Twitterでレースの模様、選手やスタッフのコメント、そして写真・動画を配信いたします。お楽しみに!