“初の箱根路、襷を繋ぐ!” 第10回
2014年1月に監督、コーチ陣が一新、3年生の山口修平を主将にするというこれまでにない体制となった創大駅伝チーム。その新体制からわずか10ヶ月で初の予選会突破を成し遂げ、チームとして初の箱根駅伝出場を勝ち取った。スタッフ、選手、マネジャー、関係者の取材を通し、この10ヶ月間のキセキの物語に迫る
12月29日、いよいよ本番の区間を走る選手が発表された。1年生ながら、すでにチームの中核選手としてチームを牽引する大山憲明が、任された区間は4区。1区が主将の山口修平、2区が後沢広大とツートップで繋ぎ、3区を同じく1年生の蟹沢淳平。同期の蟹沢から繋いだ襷を4区大山が、往路クライマックスでありハイライトの5区山登りのセルナルド祐慈へと繋いでいくこととなった。
おおらかで人懐っこい大山は、先輩たちからかわいがられる、愛されキャラ。しかし、ひとたび走りはじめれば、先輩たちも愛している場合でないほどのすごさがあるのが大山だ。大山は、2013年(高校3年次)のインターハイ3000mで優勝をしている実力の持ち主。創価大学駅伝部に入部後も、一貫して安定しており、関東インカレ1500mでは2位になっている。強豪校で鍛え上げたアスリートとしての彼の姿勢は、生活、練習、試合、あらゆる場面で、チームメイトの刺激になっていることは間違いない。どんなことにもスキを作りたくない。だから、掃除も決して手を抜かない。誰よりも広い範囲を、誰よりもきれいに掃除する。できればやりたくないと思うようなことを、あえてする。そんなところからでも、自分を作り上げる。ストイックな後沢広大と共通するところは多く、兄のように後沢を慕う。高校時代から毎日競技日誌をつけている。徹底的に自分を分析する。そうして、自分の弱点を一つひとつ潰し、常に力を発揮できる自分を作り上げるのだという。「試合は待ってくれませんから、そこで力を発揮していけるように自分を作るしかないです。ですから“今”頑張るしかないんです。嫌だと思った、その時にとことん踏ん張るしかないんです」と。彼のアスリートとしての姿勢に、取材をしたある記者は「イチローのようだ」ともらした。
大山が創価大学で長距離を続けようと決めたのは、高校2年生の冬だった。インターハイに出始めた高校1年生の頃から、瀬上監督が声を掛け続けてくれたからだという。しかし、大山が高校3年生の時、つまり昨年の予選会で、創価大学は19位という大惨敗をした。「自分が行っても大丈夫なのか。箱根に出るチャンスは本当にあるのだろうか」と不安がよぎったという。入部後に驚いたのは、寮生活の甘さ。大牟田高校でも寮生活をしていた大山にとって、先輩たちの生活態度や競技への姿勢は、信じがたく、瀬上監督に相談もした。少しずつではあったが、予選会に向け、チームは変化していった。大山は、実際長い距離が得意ではなかった。そもそも高校では30km走の練習もない。距離の長さに苦しんだが、合宿を通し、また“集団走”を通し、チームと共に彼もさらに競技者として成長した。
今回、箱根本戦のエントリーメンバーには1年生から、大山の他に、蟹沢淳平、江藤光輝が入り、全員が区間登録メンバーとなった。3区に登録された蟹沢は、大山が創価大学に行くと聞いて、後を追って創価大学に来た。予選会では、大山と共に2年生の彦坂一成、セルナルド祐慈の4名で最後まで集団走を走りチームの勝利を牽引した。蟹沢は、大山と共に確実に記録も伸ばしてきている。走りも安定しており、大山と共に、どんな走りを見せてくれるのか、非常に楽しみな選手だ。7区に登録された江藤は、予選会を走っていない選手だが、箱根に向けての最終調整の中で、しっかりと自分を合わせてきた。調子は非常にいい。彼のシューズには、常に“ありがとう”“Thanks”との感謝の言葉が刻まれている。江藤も、応援してくれている多くの方々への感謝を走りで見せてくれるに違いない。
大山に、箱根を走っている姿を誰に見て欲しいかと尋ねた。「家族に見て欲しい。お父さんにも見て欲しい」、そう答えた。大山の父親は、大山がお母さんのおなかにいるときに交通事故で亡くなった。お父さんもまた陸上の選手だった。インターハイ三段跳びで3位に入賞するほどの実力だった。その父親を超えたいと、いつしか思うようになっていたという。高校3年生で臨んだインターハイで3000m優勝。一度も会うことのできなかった父の背中を追い続けていた。インターハイでの順位は抜いても、いやまして尊敬の気持ちが増したと言う。
大山が言った。「駅伝は、走っている時は一人かもしれませんが、それまでの努力とか、チームのみんなとやってきたことを襷に込めて走ります。走っている時は、次の走者は見えませんが、見えない仲間のために1秒でも早くと、自分を犠牲にしてでも、チームのために走ります。襷を渡すときは、笑顔で渡すと決めています。苦しい顔をしていたら、苦しさが次の人にも伝わってしまいますから。だから、絶対に笑顔で襷を繋ぎたい」と。そして、おじいちゃんがいつも電話の最後に言うという言葉を教えてくれた。「どんな時でも前向いて、後ろば振り向いちゃいかん」。おじいちゃんの言葉通り、大山はずっとひたすら前を向いて走り続けてきた。父の背中を追いかけ、箱根という夢を追いかけ、どんな状況になっても、後ろを振り向かず、前を向いて。
大山はそれまで繋いでくれた仲間の思いを抱きしめて、懸命に走ってくれるに違いない。そして、箱根駅伝で最も過酷な山登りへと向かう先輩のセルナルドへ、笑顔で襷を繋いでくれるに違いない。
スタートまで、あと、2日。緊張と興奮でこちらもなかなか筆が進まない。このエピソード記事も次の第11回で最終回とし、いよいよ箱根駅伝本番に突入していく。選手はもちろん、スタッフ、マネジャー、サポートに回る部員たちも、そして様々な役割を担い動き続けている大勢の関係者たちも、準備の最終段階に入っている。応援して下さる皆様も含め、共に最高の箱根駅伝デビューを飾ってまいりたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします!