“初の箱根路、襷を繋ぐ!” 第8回
2014年1月に監督、コーチ陣が一新、3年生の山口修平を主将にするというこれまでにない体制となった創大駅伝チーム。その新体制からわずか10ヶ月で初の予選会突破を成し遂げ、チームとして初の箱根駅伝出場を勝ち取った。スタッフ、選手、マネジャー、関係者の取材を通し、この10ヶ月間のキセキの物語に迫る。
「チームは予選会からさらに力を付けており、予選会本番の設定タイムよりも早いペ-スでの練習もこなすなど、仕上がりは順調です。マネジャー陣も懸命に本番に向けての準備を進めてくれていますし、箱根駅伝のエントリーメンバーに入らなかった4年生ら上級生を中心に、メンバー16名の練習のサポートをしてくれるなど、まさしくチーム一丸となって箱根に挑んでいると感じます」と、12月末、大会までの最終調整をする中話してくれたのは、コーチの君塚正道。
取材を始めた当初、なぜこのチームが予選会を突破できたのか、理由がなかなかわからなかった。誰もが、“予想外”“驚いた”そして“奇跡”と予選会突破について語っていた。君塚を取材したのはそんな時だった。率直に疑問をぶつけると、「僕らは予選会に焦点を当て、何とかギリギリのところではありましたが、予選会突破の可能性のあるところまでは行っていました。ただ、自力で勝てる力はまだチームにはありませんでしたから、当日何かが起きれば、僕らにもチャンスはあるかもしれないというところでした。実際に勝負は動きました。600名が入り乱れ走り、各選手、各チームがカオスの只中にある中、うちの選手たちは、スタッフの指示通りに設定タイムも守り集団走で挑み続けてくれました。そこに、勝負の女神というか、何かが動いたのだと思います。でも、何より、全員の“箱根”に行きたいとの思いですよね。それは、勝った時の涙を見れば、のどから手が出るほど欲しかった勝利だということは分かると思います」と、君塚は答えた。
君塚は、中学・高校を長距離選手として過ごし、国士舘大学時代に競歩選手に転向。日本インカレ、関東インカレ、国体にも出場した経験を持ち、ウォーキングインストラクターとして、本の出版やテレビ出演をするなど、多岐に渡って活躍する。瀬上監督が本学駅伝部のコーチに就任した後、ランニングフォームの改善のための指導に携わるようになり、2011年に駅伝部のフィジカルコーチに就任した。国士舘大学を次席で卒業した頭脳を駆使し、駅伝部スタッフの頭脳として、この箱根駅伝出場に関わる様々な業務を一手に引き受ける。初出場、誰もが手探り状態の中で、右往左往する中、あらゆる懸案をすばやく処理する。初出場が決まった直後、圧倒されるほどの取材や出場のための準備を前に、監督が言った。「君塚がいなかったら、どうなっていたんだろう」と。久保田ヘッドコーチがすかさず、「君塚さんがいなければ、そもそも箱根に出れてません!(笑)」と。コントのようなそんなやりとりが続く。そして、君塚が行うのはチーム運営に関する業務だけでは当然なく、チーム状況や部員たちの状況を把握し、的確に指示も出す。君塚の絶妙な励ましに立ち上がった部員は数を知れず、そこから予選会突破の奇跡の物語も生まれ、本選までの秘められたドラマも生まれているが、君塚本人はほとんどを知らない。
予選会後、君塚が、予選会当日の各地点ごとのレース展開を教えてくれた。そこには、いくつかのポイントがあった。1)5km地点まで、スタッフの設定タイムを完璧に守り集団走が上がってきたこと、2)5km地点で17位、10km地点で14位、15km地点で11位と、チームが着実に順位を上げていったこと、3)練習通りに、声を掛け合い、励まし合っていたこと、4)そして、15km地点から最後一番苦しい5kmを共に様々なことを乗り越えてきた部員を配置し、選手たちに声援を送り続けたこと、5)チームの作戦だった1kmからのラストスパート、その苦しさを最も知る瀬上監督、久保田ヘッドコーチ、君塚コーチの3人が最後の1kmでばらけて配置し、最後まで全力を出し切れるようゲキを飛ばし続けたこと、6)何より選手たちが、練習通りに、作戦通りに、20kmを走りぬいたこと。そして、その全てのポイントの中で、数々のドラマが生まれていた。
かつて箱根常連校で予選会を走ったこともあるメディア関係者は、「声を掛けながら走ること自体、正直自分には考えられない。20kmを走りきること自体が大変な戦いの中、そんなことをしたら、どれほどの体力が奪われるか。集団走から外れたメンバーのところに下がっていってまで励ますなんて普通ではありえない。秒単位でタイムを削るような各チームの戦いですから、その一人の数秒のロスが十分にチームの致命傷になりえますし、当然自分の順位にも関わってきます。また集団走の形や応援の配置にそこまで気を配っていることも自分は聞いたこともないですし、自分は“駅伝といえども個人競技”だと思ったまま選手生活を終えましたね」と、創大駅伝部が予選会の中でやってのけた一つひとつを信じがたいと絶句し、また生まれたドラマの数々に感心していた。そしてチームは、普通では信じがたい戦い方で、予選会10位通過を成し遂げ、総合タイムは、前年に比べ、単純計算で、一人あたり1分30秒も縮めることとなった。
予選会について、選手たちが言っていた。“僕たちは、あくまでも練習通りに、予選会を走った”“体も心も限界を感じた瞬間、仲間が背中をたたき、声を掛けてくれた。その時、こいつらのために、死んででもゴールしようと決めた”“最後の1キロは本当にきつかった。もう足は棒のようだし、頭も朦朧としてしまった。でも、共に走る仲間のために、チームのために、一人でも抜かし前に出ようと思った”と。最初はぎこちなかった“チームワーク”も“集団走”も、声を掛け続けることや、あいさつから徹底するなど、練習だけではない、様々な積み重ねの中で、彼らの中に染みこんでいったのだろう。12月末、チームは箱根駅伝本戦に向けて、メンバー決めをする重要な練習を行った。本戦はチームメイトと走らないため、単独走を想定しての練習だ。それでも、どうしても、上級生はついつい激励の声掛けをしてしまう、苦しそうにするチームメイトの背中を支え走ってしまう。「自分の走りに集中すればいいんだよ!」とスタッフが声を掛けなくてはならないほどだった。誰もが“自分が”選ばれたい、“自分が”箱根を走りたい、それが当然であるにも関わらず、彼らは共に戦うチームメイトを放っておくことはできない。すごいチームができたものだ。
君塚は言った。「予選会は集団走でしたが、本選は単独走となります。その中でも、仲間を感じながら走れるかどうか。思いを込めて、次に待つ仲間へと襷を繋いでいく。そういうチームワークを僕たちは作ってきました」と。その通りになっていると思った。
奇跡といえば、奇跡。一つひとつが奇跡のように連なって、今回の予選会突破が成し遂げられたのだとあらためて感じる。人もそうだ。小学校5年生から箱根駅伝オタクと自称するほど箱根駅伝をこよなく愛する渡部啓太トレーナーは「自分が関わるチームが箱根駅伝に出場できるなんて、夢のようで本当に嬉しい。とにかくみんなが楽しんでくれれば」と話し、気さくな人柄で選手たちからも絶大なる信頼のある河原一歩トレーナーは「ずっと見てきましたが、この一年の選手たちの成長は目覚しいです。一人ひとりがいくつもの壁を乗り越えてここまできました。どうか全力を出し切って欲しい、ただそれだけです!」と語る。熱く温かい一人ひとりの思いが重なり、チームはついに箱根路を走る。箱根駅伝スタートの号砲まで1週間を切った。今度は、どんなドラマが生まれるのだろうか。「あまり変なプレッシャーは掛けたくないですが、彼らなら何かやってくれる、そう信じています(笑)」、そう優しい笑顔で語った君塚の言葉を思い出す。