“初の箱根路、襷を繋ぐ!” 第3回
2014年1月に監督、コーチ陣が一新、3年生の山口修平を主将にするというこれまでにない体制となった創大駅伝チーム。その新体制からわずか10ヶ月で初の予選会突破を成し遂げ、チームとして初の箱根駅伝出場を勝ち取った。スタッフ、選手、マネジャー、関係者の取材を通し、この10ヶ月間のキセキの物語に迫る。
先日(12/11)に行われた創価大学での合同記者会見で、監督の瀬上雄然は、チーム状況を豆腐に例え、予選会前は「絹ごし豆腐のようなちょっと触れただけでも崩れてしまうような状態」、予選会突破を通し成長を遂げている現在は「もめん豆腐ぐらいの固さになった」と言い、本番に向けては「高野豆腐のような固さを目指し、1区から10区と襷を繋ぎながら、味の染みたチームになっていけば成功」と話し、「目標は、戦う以上は、シード確保を目指す」と語った。
予選会直後の取材で、「新体制発足から10ヶ月で、まさか予選を突破できるとは、あまりの出来の良さに驚いています」、と語った瀬上。昨年(2013年)、チームにはこれまでになく箱根駅伝出場の期待がかけられた。その年、箱根駅伝は90回の節目を迎え、予選会から本選に出場できるチームが10校から13校へと増えた。その前年の予選会で14位だったという結果もあり、いやまして期待がかかった。しかし、結果は19位という大惨敗。関係者の誰もが肩を落とした。そして、2014年1月、瀬上は、陸上競技部監督兼駅伝部監督としてスタートを切ることとなった。スタッフの刷新、練習の変更、生活の見直しに反発した選手たちが夜に寮を抜け出したのが2月、様々な重圧に瀬上が胃潰瘍になったのが3月、忍耐の日々は続いたが、ヘッドコーチの久保田満、コーチの君塚正道との団結をますます強めながら、全部員と向き合い続けた。今の創大チームで予選を突破するには、“チームワーク”と“集団走”しかないとのスタッフ陣の強い確信が、何があってもぶれないチームの屋台骨となり、一人また一人と選手たちも信頼をするようになり、特に夏合宿を明けて行われた9/27の日体大記録会では、スタッフの練習メニューを指示通りこなしたメンバーから好記録が続出。感情的な反発は消えたわけではなかったが、その頃からか、多くの選手たちがスタッフの提示するメニューを信頼し、消化していくようになった。久保田は、練習メニューの提示のたびに、丁寧にメニューの意味を伝え、君塚は、部員たちの様子を確認しては、的確に声を掛け、瀬上はコーチ陣をはじめ、チーム中から集る声に耳を傾け続けた。
予選会で“10位創価大学”と呼ばれた瞬間、頭が真っ白になりながら、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、瀬上はヘッドコーチの久保田、コーチの君塚と抱き合った。今でも、“予選会と言えば、3人で抱き合ったことが忘れられない”、と瀬上はよく言う。3人が新体制のスタートを切ったのは、2014年1月だが、その前から、またその後も、3人で何度も夜な夜な語り合った。“どうしたらチームが強くなるのか、どうしたら箱根を走るチームにすることができるのか”と。共に泣き、共に笑い、共に乗り越えてきた3人の絆は強く、その団結がチームを変えたと言っても過言ではない。3人の性格は全く違う。持ち味も違う。守備範囲もきっちりと分かれている。“瀬上監督でなければ、自分は今のように活かされることはなかった”と久保田も君塚も口を揃える。絶妙なチームワーク、それはスタッフから始まったのだ。
創価大学が、箱根駅伝予選会に初めて挑んだのが1982年。以来、陸上競技部内でメンバーを募っては、挑戦し続けた。「そんな時でした。箱根駅伝をご覧になった本学創立者の池田大作先生から、“創価大学も(箱根駅伝に)出られるといいね”と、陸上競技部に話がありました。それから四半世紀、挑戦しては敗れ続けてきたわけですが、変わらず応援し続けてくださったのが創立者でした。その真心と激励に応えようと、長きに渡って、多くの人たちが挑み、支えてくださった。その積み重ねで、いよいよ2015年の箱根路に踊り出ることとなったんだなと、先人の方々への感謝の思いでいっぱいです」と瀬上は言う。
瀬上に、予選会突破を狙えると感じたのはいつかと聞くと、「予選会直前の10月に入って行った16,000mのポイント練習」と答えた。集団走で走り始めてしばらくした時だった。スタッフ陣が待ちに待った瞬間が訪れたのだ。選手たちの呼吸が揃い、見る見るうちに足が揃い、当たり前のように選手同士が声を掛け合っていたのだ。予選会直前で、やっと集団走の形が出来たにすぎなかったが、新体制スタート時からの混乱を思うと、チームが一つになったようなその走りそのものが、スタッフには涙が出るほどの感動だった。
瀬上が、昨年の予選会で19位の大敗北を喫した後、久保田と高校にスカウトのためのあいさつ回りに行った話をしてくれた。「あれは本当に辛かった。誰が19位の大学に自分の生徒を行かせたいと思うのか。ただただ誠実に決意を伝え帰ってくるしかなかったが、あれほど心の重いことはなかったです。その帰りの車中で、2人で日体大が第88回箱根駅伝(2012年)の本選で19位となり、新布陣で臨んだ翌年の第89回箱根駅伝(2013年)で優勝をしたという話をしながら、“うちもきっと、19位の次は、予選会突破だ!”と言って、夢物語だとバカ笑いをして。今回の予選会突破の後、久保田とどちらかともなく、その時の話を思い出して、“本当になったな”と驚き合い笑い合い、しばし感慨にふけりました(笑)」と。
現在の部員のほとんどが、監督が一人また一人とスカウトに歩き、獲得した選手たち。久保田は「瀬上監督のスカウト力はすごいです」と、監督のいい選手を見抜く目を讃え、部員たちは「瀬上監督の情熱に、創価大学で箱根に出ようと決めた」という。監督は、中学・高校で大切に育てられた部員たちを“預からせてもらっている”といい、一人ひとりを想う愛情は驚くほど深い。その部員たちを想う心の強さが、ついに、箱根の舞台へと選手たちを立たせることになったとも言えるのかもしれない。そう言うと、瀬上はきっと、すかさず“久保田と君塚のお陰です!”と言うのだろう。実際、瀬上からその台詞を聞かない日はない。3人の団結と全部員とで築き上げたチームワークで、瀬上はいよいよ、箱根という“魔物”と対峙する。本番で、彼らの“団結”と“チームワーク”は何をもたらすのか。思わず、新たな奇跡を期待してしまう。