震災の意味はまだわからない。それでも私は、愛するアフリカ、そして愛する石巻に貢献する!
1年生の春休み、「自動車の免許を取りに帰っておいで」、その一言に、心躍らせ故郷の石巻に戻った阿部さん。今から4年前の3月11日(金)14時46分、阿部さんは教習所の教室にいました。すぐ隣の教室は屋根ごと落ちていました。すぐさま、教習所の車に乗せられ、家に送られる途中、教官が排水溝から溢れる水を見て、「これはだめだ!」と教習所に引返し、後は少しでも高いところへと逃げていったそうです。阿部さんは、教習所にいた女の子たちをまとめて、高台にある母校の高校へと避難。家族とは5日間会えなかったといいます。実家は、あの“がんばれ石巻”の看板に近い場所、祖母の家はまさにあの看板の並びにありました。幸い全員無事。あれから4年。「全てのことには意味があると言いますが、私は今でも意味を探しているところです」と口を開いた阿部さん。震災の意味を探しながら、GCP(グローバル・シティズンシップ・プログラム)、アフリカの交換留学、石巻の母校でのボランティアに挑戦。成績優秀者、シュリーマン賞、ダ・ヴィンチ賞、そして卒業式では、インド・創価池田女子大学世界友情賞を受賞と、もがきながらも走り続け、多くの結果を残した阿部さんに話を聞きました。
GCP:「地球市民」を育成するための学部横断型プログラム。全ての授業が英語で行われ、読解力、ライティング能力、論理的思考力、ディスカッションやプレゼンテーションの技能などを磨く。全員が海外短期研修に参加。開発途上国で諸問題について英語で講義を受け、貧困地域の学校や施設を訪問し、理解を深める。データ分析など数学の科目も重視されています。
本日は、奇しくも3月11日。阿部さんは石巻の母校、開北小学校でボランティアをしていますね。

2月にもボランティアで母校に行ってきました。アフリカ留学から戻った直後の2013年7月に、自分から小学校の先生に連絡して行かせてもらったのが最初でした。きっかけは、アフリカ・ケニアのナイロビ大学留学中に書いていたブログを母校の先生が読んでくださり、「こういう話を是非子供たちにしてもらいたい」と言っていただいたことでした。そこで帰国後、先生と連絡を取り、4年生と6年生を対象に留学の経験や、ケニアで学んだことや文化などを伝えました。瞳をキラキラ輝かせて話を聞いてくれる子供たちの姿に、こちらが救われる思いがしました。その様子は地元紙の河北新報で紹介されました。
4年前の3月11日、私は地元石巻の教習所にいました。教室で講習を受けている最中で、気付くと、隣の教室の天井は完全に落ちていました。教習所の教官たちに誘導され、バスに乗り込み、それぞれを家に送りとどけようと車を走らせて少しした頃でした、なぜか皆、津波は大丈夫そうだと思っていたのですが、バスから外を見ると、排水溝からどんどん水が溢れ出していました。手遅れになる前にと、教習所へと引返し、その後は、それぞれで逃げてくれと言われました。私は女の子達をまとめて、一緒に高台にある母校の高校へと避難しました。その後は、カオスです。まずは、持っているお金で食料を確保しなくてはいけないと、長い列に並びました。配給が始まったのは3日後ですから、それまでは、食料を確保するために列に並ぶ、目の前のことで精一杯で家族を探す時間もありませんでした。両親が何度も高校まで探しに来てくれていたようですが、いつもすれ違いで会えませんでした。会えたのは震災から5日後でした。テレビも見られなかったので、津波の被害の状況もほとんどわかりませんでした。おばあちゃんが住んでいた一帯がすっかりと様変わりした様子を見た時には愕然としました。

親戚のいる仙台にしばらく身を置かせてもらうことになった頃、不安から思わず「もう大学に行けないのかな」と言ってしまいました。すると「何言ってるの、大学に戻りなさい。しっかり勉強しなさい」と両親に背中を押され、仙台から八王子へと戻りました。八王子に戻ってからは、無我夢中で英語の勉強に集中しました。勉強を止めると、自分が壊れてしまいそうでした。ペンが止まると、いつのまにかノートが涙で濡れていました。ふとすると、涙が溢れ出す。夜になると、涙が溢れ出す。その連続でした。電話に出ると、それは近しい誰かの訃報でした。“全てのことには意味がある”、いつもならそう思えることも、この震災に何の意味があるのか、全く分かりませんでした。温かいはずの励ましも、ちょっとした言葉の端々にも、心が痛み、涙が溢れ出す。人に会うのが怖かった。“どうだった?”“大丈夫?”、その言葉が怖かった。学生相談室の先生方にも支えてもらいながら、必死で一日一日を過ごしていました。
そんな中で留学にも挑戦されたんですね。

葛藤しましたが、“夢だったんでしょ!”と家族に励まされ、交換留学でケニアのナイロビ大学に行きました。アフリカは高校時代からのあこがれの地でした。高校2年生の時に、テレビで途上国の子供たちのドキュメントを観ました。まともな水が飲めずに下痢で亡くなっていく現実に、ショックを受けました。その後、アフリカの子供たちの写真集を見ました。そこで見たのは“かわいそうな”アフリカの子供たちではありませんでした。楽しそうに民族ダンスを踊る女の子の姿でした。“なぜこんなに楽しそうなんだろう”、夢もない自分でしたので、その姿にあこがれを覚えました。
留学先では、生活にはすぐに慣れました。大変だったのは、土ぼこりでも、水シャワーでも、衛生環境の悪さでもなく、実は、友人関係でした。顔が白い=外国人=お金持ち、近づいてきて開口一番に言われるのは「何か貸して」「何かちょうだい」「お金持ちでしょ?」「結婚して」、ほぼそれが全て。最初のうちは生真面目に受け答えをして、すっかり気疲れしてしまいました。そのうち、アフリカ在住の周囲の日本人がオープンでユーモラスでお茶目な人たちが多いことに気が付いて、それがアフリカで生きていく秘訣なのではと、真似することにしました。そのうちにスワヒリ語も覚えて、かわいがってもらえるようになって、どんなこともユーモアで返せる遊び心をマスターしました。ケニアには賄賂文化があります。大学の学生選挙でもワイロが当たり前。もちろん良くないことですが、彼らはそれを風刺する。問題はたくさんありますが、彼らには大変な状況を楽しむ知恵があるように思います。
楽しそうに生きている彼らを素敵だなと思えるようになった頃、全くうまくいかなかったルームメイトとも、打ち解けるようになっていきました。打ち解けることができた一番の理由は、自分をオープンにして、本音で、ありのままに話すようにしたことでした。私がナイロビを離れる時、涙を流して寂しがってくれたことには驚きました(笑)。
そんなアフリカ珍道中ぶりをFacebookやブログで書いていたのを母校の小学校の先生が読んでくださって、「いつか子供たちにそういう留学経験を話してあげてほしい」とコメントをいただきました。留学前も留学中も、いつも頭のどこかで“故郷が大変なこんな時に、アフリカにいていいのだろうか”と葛藤していました。自分には何もできないというそんな無力感が救われたような気がしました。そこで帰国直後に、「もし私でよければ、是非とも留学の話を子供たちにさせてほしい」と先生にお願いしました。

ありのままの自分が活かされることになったんですね。

自分が夢に見たアフリカで学びながらも、なんとか地元の人たちの力になりたいと思い続けていました。その自分の経験で、愛する石巻の人々の役に立つことができる、そう思うと本当にうれしかったです。子供たちには、アフリカで撮影した写真を通して、そこに住む人々や、文化、考え方など関心を持ってもらえるように話をしました。「いつかお金を貯めて、この子供たちを世界に連れていってあげたい」、彼らに話しながら、強く思いました。
先月には、3、4年生を対象に話をしてきました。ケニアの人たちは明るくてダンスが好きなんだよと、特徴を話した上で、「みんなもそれぞれ性格が違うように、ケニアの人たちも、世界の人たちも、一人ひとり違うんだよ。友達ができたときには、その人のことを知ろうと努力をしてほしい」と話しました。
それは、私が留学中に実感したことでした。留学前には、「ケニアで100人の友人を作る!」と息巻いていました。でも、実際に現地に行ってみて5人の本当の友人ができることの素晴らしさを感じました。見た目の違いでも、言語や生まれ育った環境の違いでもなく、一人の人間として信頼を築いていくことの素晴らしさは、何ものにも変え難いものです。4月からは新しい環境で社会人1年生になりますが、休暇を利用して、是非ボランティアを続けたいと思っています。

これからについて聞かせてください。

私は創大で、GCP(グローバル・シティズンシップ・プログラム)の中で、どんなに大きな夢を語っても、“いいね!がんばれ!”と笑顔で応援してくれる人たちと出会いました。彼らもまた、大きな夢に向かって挑戦している人たちでした。GCPでは、とことん勉強しましたし、世界的なフォーラムやカンファレンス、日本の学生を代表する国のプログラムなど、さまざまな機会も提供されます。そして常に“付けた力をどう社会に還元するのか”を考えさせられました。
創価大学は、私の人生にとって、大変に重要でありがたいところでした。就職はアメリカに本社のある世界最大のコンピューター・ソフトウェア会社に決めました。世界を舞台に仕事をしたいということと、これからは世界中どこでもITが必要になるとの思いからでした。きっかけは、何かを伝えたいと思った時に、それを可能にしてくれたのがITだったことです。
石巻の子供たちにケニアの様子を見せたい、家族とスカイプで話したい、アフリカの友人たちと語り合いたい―。今後、石巻やアフリカに貢献したいと思った時に、ますますこのITの力が重要になると思っています。まずはしっかり働き、力を付けます。そして、アフリカに戻り、現地の方々が抱える問題を一緒に解決していきたい。そしていつか石巻の子供たちを招待します。人類誕生の地といわれる母なる大地、無限の可能性を秘めたアフリカのパワーを子供たちに感じてもらいたいです。大きな夢を持ち、自分の可能性を思う存分広げながら、社会に世界に貢献していく、そういう子供たちに育ってもらいたい。両親は、昨年ようやく仮設住宅を出ました。祖母は仮設で暮らす人々と共に生きていくと今も仮設住宅にいます。震災が残した爪痕は、今も日々の暮らしの中に、人々の心の中に深く刻まれたままです。だからこそ、地域の希望である子供たちに、力強く生きて欲しい。大変な経験をした彼らだからこそ、大きく人生を開いて欲しい。そのためにも、先輩である自分がしっかりと働いて、稼いで(笑)、その機会を与えてあげられるようになっていきたいと思います!
[好きな言葉]
「何かを恐れれば その通りになってしまう ゆえに 何も恐れてはならない」(アフマートワ)
[性格]
真面目、涙もろい
[趣味]
料理、洗濯
[最近読んだ本]
『高慢と偏見』、『サーバントリーダーシップ』