泣くほど感動し、笑った。“自信のなさ力”全開!イギリス留学2年間の珍道中!

吉澤 美香 文学部4年

文学部・英語DD(ダブル・ディグリー)コース1期生が2年間のイギリス・バッキンガム大学での留学を終え、創価大学に戻ってきました。1期生として参加したのは5名。イギリスの大学の学位取得は大変に厳格な上、学位にもランクがあります。最優秀の学位が“ファースト”と呼ばれる学位。セミスター(学期)でファースト(成績優秀者)を取る事も難儀中の難儀と言われる中、5名中4名が2013年の後期セメスターでファーストに、そして2014年には前期・後期で全員がファーストに。そして、卒業式では、5名中3名がファーストの学位を取得。この快挙に、“英語を母国語としない、しかもアジア人がファーストを取った!”とバッキンガム大学の中では驚きの声が上がっていると言います。バッキンガム大学は、2006年以来、毎年全英学生満足度調査ナンバー1にランクされる大学で、2013年には学生満足度が100%に達するという快挙を成し遂げているイギリス初の2年間で学位を取得できる私立大学。世界約80カ国から留学生が学ぶ人気の名門大学で、3セメスターでファーストを取得し、卒業時にはファーストの学位を取得。2年連続で学生を称えるUnion Award表彰式にて、Special Recognition Awardという特筆すべき活躍をした学生に贈られる賞を受賞した吉澤さんにイギリス2年間の留学について話を聞きました。

ダブル・ディグリー(DD):もともと在籍している大学と、留学先の大学と2つの大学を卒業し、2つの学位を得ること。本学の英語DDコースは、2年次と3年次の2年間を英国のバッキンガム大学に留学することにより、4年間で創価大学とバッキンガム大学の双方の学士号が取得できます。

バッキンガム大学のファースト学位取得、おめでとうございました!

卒業式にて

ありがとうございます!一緒に英語DDコースに参加した友人たちをはじめ、文学部の尾崎秀夫准教授、文学部事務室の永井靖二事務長、そしてバッキンガム大学の教職員の方々、友人たちに支えらえ、最高に濃い2年間を過ごさせてもらいました。卒業時にファーストの学位を取得することは、バッキンガム大学の留学をスタートさせた当初に掲げた目標の一つでしたので、本当に嬉しかったです。最初の1年間は壁にぶつかりまくった日々でした。バッキンガム大学に到着するなり、現地の方々のイギリス訛りの英語が全く聞き取れず、想像力を働かせて、右に行くのか左に行くのかを見極めていたほどでした。英語DDコース1期生であるという使命感は満々に持っている私たちではありましたが、そもそも英語力が足りないという現実がありました。英語DDコース1期生は、実力よりもやる気を認めていただき、先生方の必死のサポートで何とか送りだしてもらったといっても過言ではないんです。
“何でもやるぞ”という気合はあっても、日々の英語につまづき続け、あっという間に使命感はプレッシャーへと変わり、“自分なんてダメだ”“このまま結果が出なかったらどうしよう”と自分を追い込むようになってしまいました。

特に最初の半年間は、まともに授業についていくことすらできませんでした。授業のほとんどが少人数制で、講義を聞くというよりは、どんどん発言させる授業で、根本的に英語力が足りないことに加え、イギリス英語に耳が慣れず、教授の質問さえ理解できませんでした。また質問を理解できたとしても、その前にざっと目を通すように言われるディスカッションのお題となるペーパーを読み終えることがそもそもできないので、全く授業についていけない状況でした。DDメンバ-5名で、セメスターでファーストを取ろうと決意したのはそんな最中でした。授業についていけない自分たちからファーストを取る自分たちへと変わるため、それこそ、たくさんの努力をしました。加えて、私は周りの人と自分を比べてしまうところがあり、その自分との戦いでもありました。1年目の後期に5名中4名がファーストを獲得し、2014年では、全員がファーストを取ることができた時には、本当にうれしかったです。振り返れば、多くの方々の応援のお陰で、留学スタート時には、想像すらできなかった数々のことに挑戦することができました。

F1短期アルバイトで

一番泣いていたのは吉澤さんだろうと他のDD生が言われていましたが。。。

Windsor城のLong Walkにて 英語DDコース5名と

私です(笑)。最初の1年間は、しょっちゅう寮の部屋に戻っては泣いていました。ある時は、英語教授法のクラスでしたが、過呼吸になるほど泣いてしまって。その後授業に出られなくなってしまいました。といっても、行けなかったのは、一つの授業だけですが、普通ならしばらく塞ぎ込んで部屋から出られなくなっていたと思います。一つの授業を休んだだけで復活できたのは、バッキンガム大学の職員の方々や教授の方々のお陰でした。過呼吸になるほど泣いた私を心配してくださり、“パレードがあるから、一緒に行こう!”“レストランに一緒に行こう!”と誘い出しては、話を聞いてくれました。私の夢は英語教師になることです。私が教師を夢見るようになったのは、自分の家族以外で、自分の人生をサポートしてくれた存在が出会った教師の方々だったからです。教師の存在のありがたさを、バッキンガムでも痛感しました。本当に感謝しています。

私は、自分を過小評価してしまいます。人と比べて、自分はだめだと。創価学園出身で、幼稚園から始めていた英語の影響もあり、アメリカ創価大学を目指しましたが、成績が低く、出願することすらできませんでした。教師には本当に恵まれましたが、自分のそれまでの現実からか、かなりの自信のなさでした。アメリカ創価大学を断念した時に、創大文学部で英語DDが始まると聞きました。しかも、コースの内容が、英語教師を目指す私にはピッタリのコースで、“これだ!”と思いました(笑)。新たな目標ができ、本当に救われました。

寮のキッチンで友人たちと

ファーストを取るための研究もされたとか。。。

ホームパーティにて

しました!(笑)ファーストを取った学生のところに行って、彼らがどういうエッセイを書いているのか、どうすればファーストの取れるエッセイを作り上げることができるのか。つまるところは、エッセイの質で決まることがわかり、提出するまでに、何度も教授のもとに足を運び、何度も修正し、ファーストの取れる質の高いエッセイに仕上げていきました。教授の方々も必死な私たちを、温かくサポートしてくださいました。自分の力のなさに愕然とすることもたびたびでしたし、共にファーストを取ろうと努力をする友人たちとも自分を比較してしまい、なかなか這い上がれないこともありました。

寮の部屋のドアがどこかで開くと、“あっ、誰か図書館で勉強するのかな”“誰か、教授のところに行くのかな”ともう他の学生たちの行動が気になって、なんとか置いてけぼりにされないように、負けないように、朝から図書館にこもって勉強したりもしていました。自分に自信がなさ過ぎて、大変でした。でも、思い返すと、自信がなかったからこそ、必死に努力を続けるしかありませんでしたし、その積み重ねが、ファーストの学位記にも繋がったのかな思います。“自信のなさ力”とでも名づけようかと。。。(笑) ともかく、そうした皆の努力の積み重ねの中で、バッキンガム大学の教授たちが学ぶ姿勢や授業で配る資料の質の高さなどを評価してくださっていたと伺って、本当に嬉しかったです。

現地の集まり

バッキンガムの2年間で多くのことに挑戦されたようですね。

ミュージック・ソサエティメンバーと集合写真

はい。私はちょー引っ込み思案ですが、こと音楽となると、積極的なのか、どうしても留学先でも音楽活動を続けたく、アルトサックスを持参しました。向こうについてすぐに、自分と同じ思いをもった学生と出会って、彼女が部長で、自分が副部長となってミュージックソサエティを立ち上げました。私はピアノとサックスを演奏します。ミュージックソサエティではピアノを弾いていましたが、ここでも最初のうちは言葉の壁にぶつかりましたね。何度も“なんで、日本語で言ってくれないの!?”と頭の中で逆ギレしていました(笑)。いろんなことを乗り越えながら、活動をするうちに、いろんなクラブから、ピアノを弾いてとか、サックスを弾いてと呼ばれるようになって。しまいには、自分の日程表が毎日演奏で埋まるようになってしまい、自分は何しに留学に来たのかと悩みもしましたが、たくさんの友人を得ることができました。それがうわさのように広がり、学長からも、ご自宅に招かれ、演奏させてもらうという経験もさせてもらいました。そうする中で、大学に貢献した学生として表彰を受けることになり、本当に驚きましたが、嬉しかったです。

学外での演奏会も行い、市民の皆さんにも大変に喜んでいただきました。DDコースの何名かと近所の小学校で日本語や日本文化を伝えるボランティアもしました。国際連合との協議資格を持ち、国際的影響力の大きいアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International/国際人権救援機構)でのボランティアも経験しました。
他のDDメンバーの中には、海外ボランティアとしてモルドバ共和国の孤児院で英語教師のボランティアをしたり、東日本大震災復興支援のイベントを行ったり、チアリーディング部に所属し、大学の最優秀スポーツ部賞を2年連続受賞したり、ボーイスカウトの世界大会が日本で開催されるにあたり、バッキンガム地域のボーイスカウトのリーダーから依頼があり、日本文化や日本語を地域の少年団員に教えたり、創立者と対談されたウィックラマシンゲ博士と懇談の機会を得たり、バッキンガム大学の学生運営ラジオ局の番組に出演したメンバーもいました。皆、本当に挑戦し続けていました。

東日本大震災追悼イベント

2年間の留学で学んだことは何でしょう。

現地の人たちと夏祭り

日本人の考え方と欧州の人の考え方の違い。ミュージックソサエティでは、一つのものをみなで作りあげていくという作業をするわけですが、個人主義の人たちと話し合いをし、何かを作るというのは、なかなか大変な経験でした。イエス・ノーがわかりやすい彼らには、彼らの思考回路があることを学びました。まず、自分の意見をしっかり述べて、説明をしていく。論理的思考の彼らの中で過ごしたことで、いつの間にか日本語で話しても、まずは自分がこう思うとの意見を言って、説明をしていて、母にも、まるでイギリスの友人たちに意見を述べる時のような順序で話している自分に気が付いた時には笑いました。
この2年間で大きく変わったのは、“人に”負けたくないと思う自分から、“自分に”負けたくないと思う自分に変われたことだと思います。多くの人に会って、多くの経験を通して、自分に負けたくないと思うようになりました。

これからについて聞かせてください。

卒業式後のボール・パーティにて

英語を教えるプロフェッショナルになっていきたいです。思うように進まないこともありましが、英語教師になりたい、そう描いていた夢に、結果的には、一番近くなったように思います。私は、創友給付奨学金のおかげで、こうして学ばせてもらうことができました。様々な経験をさせていただいた背景には、一人で家計を支えてくれている母をはじめ、創立者池田先生、教職員の皆さん、先輩方、寄付者の方々等、多くの方々の支えがあったからです。感謝を胸に、支えられた分、生徒たちを支えていける教師となっていきたいと思います!

よしざわ みか Mika Yoshizawa

[好きな言葉]
「人生は強気でいけ!」
「人生にはいろんなことがあります。しかし、『私は負けない!』という『強い心がある人』は、すべてをプラスにしていける。その人こそ真に『幸福な人』です」
[性格]
明るく元気・負けず嫌い
[趣味]
ピアノを弾くこと・JAZZを聴くこと
[最近読んだ本]
万城目学著『偉大なる、しゅららぼん』

文学部・英語DD(ダブル・ディグリー)コース1期生が2年間のイギリス・バッキンガム大学での留学を終え、創価大学に戻ってきました。1期生として参加したのは5名。イギリスの大学の学位取得は大変に厳格な上、学位にもランクがあります。最優秀の学位が“ファースト”と呼ばれる学位。セミスター(学期)でファースト(成績優秀者)を取る事も難儀中の難儀と言われる中、5名中4名が2013年の後期セメスターでファーストに、そして2014年には前期・後期で全員がファーストに。そして、卒業式では、5名中3名がファーストの学位を取得。この快挙に、“英語を母国語としない、しかもアジア人がファーストを取った!”とバッキンガム大学の中では驚きの声が上がっていると言います。バッキンガム大学は、2006年以来、毎年全英学生満足度調査ナンバー1にランクされる大学で、2013年には学生満足度が100%に達するという快挙を成し遂げているイギリス初の2年間で学位を取得できる私立大学。世界約80カ国から留学生が学ぶ人気の名門大学で、3セメスターでファーストを取得し、卒業時にはファーストの学位を取得。2年連続で学生を称えるUnion Award表彰式にて、Special Recognition Awardという特筆すべき活躍をした学生に贈られる賞を受賞した吉澤さんにイギリス2年間の留学について話を聞きました。

ダブル・ディグリー(DD):もともと在籍している大学と、留学先の大学と2つの大学を卒業し、2つの学位を得ること。本学の英語DDコースは、2年次と3年次の2年間を英国のバッキンガム大学に留学することにより、4年間で創価大学とバッキンガム大学の双方の学士号が取得できます。

バッキンガム大学のファースト学位取得、おめでとうございました!

卒業式にて

ありがとうございます!一緒に英語DDコースに参加した友人たちをはじめ、文学部の尾崎秀夫准教授、文学部事務室の永井靖二事務長、そしてバッキンガム大学の教職員の方々、友人たちに支えらえ、最高に濃い2年間を過ごさせてもらいました。卒業時にファーストの学位を取得することは、バッキンガム大学の留学をスタートさせた当初に掲げた目標の一つでしたので、本当に嬉しかったです。最初の1年間は壁にぶつかりまくった日々でした。バッキンガム大学に到着するなり、現地の方々のイギリス訛りの英語が全く聞き取れず、想像力を働かせて、右に行くのか左に行くのかを見極めていたほどでした。英語DDコース1期生であるという使命感は満々に持っている私たちではありましたが、そもそも英語力が足りないという現実がありました。英語DDコース1期生は、実力よりもやる気を認めていただき、先生方の必死のサポートで何とか送りだしてもらったといっても過言ではないんです。
“何でもやるぞ”という気合はあっても、日々の英語につまづき続け、あっという間に使命感はプレッシャーへと変わり、“自分なんてダメだ”“このまま結果が出なかったらどうしよう”と自分を追い込むようになってしまいました。

特に最初の半年間は、まともに授業についていくことすらできませんでした。授業のほとんどが少人数制で、講義を聞くというよりは、どんどん発言させる授業で、根本的に英語力が足りないことに加え、イギリス英語に耳が慣れず、教授の質問さえ理解できませんでした。また質問を理解できたとしても、その前にざっと目を通すように言われるディスカッションのお題となるペーパーを読み終えることがそもそもできないので、全く授業についていけない状況でした。DDメンバ-5名で、セメスターでファーストを取ろうと決意したのはそんな最中でした。授業についていけない自分たちからファーストを取る自分たちへと変わるため、それこそ、たくさんの努力をしました。加えて、私は周りの人と自分を比べてしまうところがあり、その自分との戦いでもありました。1年目の後期に5名中4名がファーストを獲得し、2014年では、全員がファーストを取ることができた時には、本当にうれしかったです。振り返れば、多くの方々の応援のお陰で、留学スタート時には、想像すらできなかった数々のことに挑戦することができました。

F1短期アルバイトで

一番泣いていたのは吉澤さんだろうと他のDD生が言われていましたが。。。

Windsor城のLong Walkにて 英語DDコース5名と

私です(笑)。最初の1年間は、しょっちゅう寮の部屋に戻っては泣いていました。ある時は、英語教授法のクラスでしたが、過呼吸になるほど泣いてしまって。その後授業に出られなくなってしまいました。といっても、行けなかったのは、一つの授業だけですが、普通ならしばらく塞ぎ込んで部屋から出られなくなっていたと思います。一つの授業を休んだだけで復活できたのは、バッキンガム大学の職員の方々や教授の方々のお陰でした。過呼吸になるほど泣いた私を心配してくださり、“パレードがあるから、一緒に行こう!”“レストランに一緒に行こう!”と誘い出しては、話を聞いてくれました。私の夢は英語教師になることです。私が教師を夢見るようになったのは、自分の家族以外で、自分の人生をサポートしてくれた存在が出会った教師の方々だったからです。教師の存在のありがたさを、バッキンガムでも痛感しました。本当に感謝しています。

私は、自分を過小評価してしまいます。人と比べて、自分はだめだと。創価学園出身で、幼稚園から始めていた英語の影響もあり、アメリカ創価大学を目指しましたが、成績が低く、出願することすらできませんでした。教師には本当に恵まれましたが、自分のそれまでの現実からか、かなりの自信のなさでした。アメリカ創価大学を断念した時に、創大文学部で英語DDが始まると聞きました。しかも、コースの内容が、英語教師を目指す私にはピッタリのコースで、“これだ!”と思いました(笑)。新たな目標ができ、本当に救われました。

寮のキッチンで友人たちと

ファーストを取るための研究もされたとか。。。

ホームパーティにて

しました!(笑)ファーストを取った学生のところに行って、彼らがどういうエッセイを書いているのか、どうすればファーストの取れるエッセイを作り上げることができるのか。つまるところは、エッセイの質で決まることがわかり、提出するまでに、何度も教授のもとに足を運び、何度も修正し、ファーストの取れる質の高いエッセイに仕上げていきました。教授の方々も必死な私たちを、温かくサポートしてくださいました。自分の力のなさに愕然とすることもたびたびでしたし、共にファーストを取ろうと努力をする友人たちとも自分を比較してしまい、なかなか這い上がれないこともありました。

寮の部屋のドアがどこかで開くと、“あっ、誰か図書館で勉強するのかな”“誰か、教授のところに行くのかな”ともう他の学生たちの行動が気になって、なんとか置いてけぼりにされないように、負けないように、朝から図書館にこもって勉強したりもしていました。自分に自信がなさ過ぎて、大変でした。でも、思い返すと、自信がなかったからこそ、必死に努力を続けるしかありませんでしたし、その積み重ねが、ファーストの学位記にも繋がったのかな思います。“自信のなさ力”とでも名づけようかと。。。(笑) ともかく、そうした皆の努力の積み重ねの中で、バッキンガム大学の教授たちが学ぶ姿勢や授業で配る資料の質の高さなどを評価してくださっていたと伺って、本当に嬉しかったです。

現地の集まり

バッキンガムの2年間で多くのことに挑戦されたようですね。

ミュージック・ソサエティメンバーと集合写真

はい。私はちょー引っ込み思案ですが、こと音楽となると、積極的なのか、どうしても留学先でも音楽活動を続けたく、アルトサックスを持参しました。向こうについてすぐに、自分と同じ思いをもった学生と出会って、彼女が部長で、自分が副部長となってミュージックソサエティを立ち上げました。私はピアノとサックスを演奏します。ミュージックソサエティではピアノを弾いていましたが、ここでも最初のうちは言葉の壁にぶつかりましたね。何度も“なんで、日本語で言ってくれないの!?”と頭の中で逆ギレしていました(笑)。いろんなことを乗り越えながら、活動をするうちに、いろんなクラブから、ピアノを弾いてとか、サックスを弾いてと呼ばれるようになって。しまいには、自分の日程表が毎日演奏で埋まるようになってしまい、自分は何しに留学に来たのかと悩みもしましたが、たくさんの友人を得ることができました。それがうわさのように広がり、学長からも、ご自宅に招かれ、演奏させてもらうという経験もさせてもらいました。そうする中で、大学に貢献した学生として表彰を受けることになり、本当に驚きましたが、嬉しかったです。

学外での演奏会も行い、市民の皆さんにも大変に喜んでいただきました。DDコースの何名かと近所の小学校で日本語や日本文化を伝えるボランティアもしました。国際連合との協議資格を持ち、国際的影響力の大きいアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International/国際人権救援機構)でのボランティアも経験しました。
他のDDメンバーの中には、海外ボランティアとしてモルドバ共和国の孤児院で英語教師のボランティアをしたり、東日本大震災復興支援のイベントを行ったり、チアリーディング部に所属し、大学の最優秀スポーツ部賞を2年連続受賞したり、ボーイスカウトの世界大会が日本で開催されるにあたり、バッキンガム地域のボーイスカウトのリーダーから依頼があり、日本文化や日本語を地域の少年団員に教えたり、創立者と対談されたウィックラマシンゲ博士と懇談の機会を得たり、バッキンガム大学の学生運営ラジオ局の番組に出演したメンバーもいました。皆、本当に挑戦し続けていました。

東日本大震災追悼イベント

2年間の留学で学んだことは何でしょう。

現地の人たちと夏祭り

日本人の考え方と欧州の人の考え方の違い。ミュージックソサエティでは、一つのものをみなで作りあげていくという作業をするわけですが、個人主義の人たちと話し合いをし、何かを作るというのは、なかなか大変な経験でした。イエス・ノーがわかりやすい彼らには、彼らの思考回路があることを学びました。まず、自分の意見をしっかり述べて、説明をしていく。論理的思考の彼らの中で過ごしたことで、いつの間にか日本語で話しても、まずは自分がこう思うとの意見を言って、説明をしていて、母にも、まるでイギリスの友人たちに意見を述べる時のような順序で話している自分に気が付いた時には笑いました。
この2年間で大きく変わったのは、“人に”負けたくないと思う自分から、“自分に”負けたくないと思う自分に変われたことだと思います。多くの人に会って、多くの経験を通して、自分に負けたくないと思うようになりました。

これからについて聞かせてください。

卒業式後のボール・パーティにて

英語を教えるプロフェッショナルになっていきたいです。思うように進まないこともありましが、英語教師になりたい、そう描いていた夢に、結果的には、一番近くなったように思います。私は、創友給付奨学金のおかげで、こうして学ばせてもらうことができました。様々な経験をさせていただいた背景には、一人で家計を支えてくれている母をはじめ、創立者池田先生、教職員の皆さん、先輩方、寄付者の方々等、多くの方々の支えがあったからです。感謝を胸に、支えられた分、生徒たちを支えていける教師となっていきたいと思います!

よしざわ みか Mika Yoshizawa

[好きな言葉]
「人生は強気でいけ!」
「人生にはいろんなことがあります。しかし、『私は負けない!』という『強い心がある人』は、すべてをプラスにしていける。その人こそ真に『幸福な人』です」
[性格]
明るく元気・負けず嫌い
[趣味]
ピアノを弾くこと・JAZZを聴くこと
[最近読んだ本]
万城目学著『偉大なる、しゅららぼん』
Share