誰かの希望になれたら、高卒認定試験を経て創大に進学した自分が、現在公認会計士を目指し奮闘中!

井田 暁士 経営学部3年

井田さんのお父さんが亡くなったのは、井田さんが小学校の低学年の時。それまでは、学校の先生からも何かというと頼られ任され期待される子供でした。しかし小学校4年生頃からか、徐々に問題児となっていき、先生たちは他の生徒たちに、“井田にはかまうな”と言って歩きました。中学校に行き、さらに荒れ、なんとか入学できた高校もすぐに中退。建築業などの仕事を始めるも、どこに行っても続かず、何度も転職を繰り返し、ついに行き詰りました。ちょうどその時、手にした一冊の本が、本学創立者が高校生たちの悩みに答える形で出版された『青春対話』だったと言います。“お父さんがいなかったので、それまで人生を教えてもらえなかった。創立者の言葉に、初めてお父さんに一喝されたような衝撃を受け、自然と大学に行きたいと思うようになった”と。必死に勉強し高等学校卒業程度認定試験(高卒認定試験)に合格。大学入試に向け、朝、新聞配達をしながら、一日10時間以上の勉強。中学の教科書から学び直し、模試ではE判定を繰り返すも、見事、経営学部に入学。経営学部を選んだのは、亡くなったお父さんが経営者だったからだと言います。今、創価大学で思う存分学ぶ姿に、地元の友人たちの驚きは広がるばかり。そして現在、公認会計士を目指す井田さん。“どこまでも自分を成長させ、誰かの希望になれたら”と挑戦を続ける井田さんに話を聞きました。

挑戦を続ける井田さん、その原動力は何ですか?

友人たちと

父が自分が小さい頃に亡くなって、子供ながらに様々な複雑さに囲まれるようになっていました。小学校で、いわゆるガキ大将だったもので、中学校に行った時に目を付けられて、一番強い人にボコボコにされました。母子家庭なので、母を危険な目に遭わせてしまうかもしれないと思い、ただただ強くならなくてはと思い、本気で不良になりました(笑)。お金持ちになることと、強くなること、それが、母を守るためにと、自分が心に決めたことでした。ところが、思いとは裏腹に、何をやっても中途半端で、けんかが強くなっても、どれほど人から恐れられても、母に喜んでもらえるような自分ではありませんでした。

仕事も全く続かず行き詰った時に、たまたま手にしたのが、創価大学創立者の池田大作先生が対談形式で編まれた『青春対話』という本でした。“ビルは屋上から作れない。土台を作らないといけない”とか“男と男のけんかは、砂場でやるすもうだ”等、初めて、人生というものを教えてもらったような気がして、体中に衝撃が走りました。池田先生が言われるような自分になっていけば、必ず“強くなれる”と思いました。ずっと強くなりたかった。強くなるために格闘技もやっていました。でも、『青春対話』を読んだ後に思った“強くなれる”との確信は、“誰かを負かす”ための強さではなく、池田先生のように優しく、“人を守れる”強さでした。公認会計士を目指すのは、BE動詞も分からず大学受験に臨んだ自分が、強くなるために不良になった自分が、どこまで変われるのか、どこまで自分の可能性を引き出していけるのか試してみたいという思いと、自分の過去を清算し決着をつけたいという思いもあるんです。自分が公認会計士になったら、過去の自分を知っている人たちみんな、絶対に驚きます(笑)。そして、誰かの希望になれたら嬉しいなと本気で思うんです。

友人と学食

高校卒業認定、大学入試も周囲はずいぶん驚いたようですね。

授業の研修にて

高校卒業認定は、3ヶ月の挑戦でした。昔から歴史が好きでしたので、世界史はスムーズでしたが、英語はまったくダメでした。でも、なぜだか合格するという確信はあって、本当に高卒認定に合格してしまいました。嬉しくて、“自分はできる!”という気持ちが強く出すぎて、努力することを止めてしまいました(笑)。そこが、自分の弱さで、中途半端をやめたいと、朝、新聞配達をすることを決めました。近所に足の悪い婦人の方がいて、その方が毎朝配達をされてたんですが、母から手伝ってあげたらと言われ、携帯電話の代金分になるという思いもあって(笑)、平日は代理で配達をすることにしました。前日の夜がどれだけ遅くなったとしても、朝5時頃には起きて新聞を配達しました。それがすごくいいリズムになって、勉強もはかどるようになりました。大学入試に臨むと言っても、英語なんてBE動詞も分からない状態でしたので、必死になって勉強しました。1日10時間から12時間は勉強していましたね。今思うと、どれだけ集中して出来ていたかはわかりませんが(笑)。そこまでやっても、模試ではずっとE判定でした。周囲の大人はみんな中卒でしたから、もう何かと邪魔をして(笑)。「お医者さんに聞いたら、お前が大学に行くなんて無理だって言ってた」とか、「もう勉強なんてやめて、一緒に飲もう!」とか、周囲の人たちにとっては、自分が大学に行くなんてあり得ない話だったんだと思います(笑)。創価大学に合格した時には、一緒に悪さしてた友人たちをはじめ周囲の人たちも本当に驚きました。

様々な挑戦を通して、また大学に来て、何か変わったことはありましたか?

友人たちと

正直、高卒認定を受けて、大学に来たということで、自分はいろいろなことを乗り越えてきたんだという思いがあって、なんというか、入学当初はすごく傲慢でした。当初は、挫折をした人しか好きになることができなかったり、2浪でしたし、悪さしてましたから、上から目線でものを言われるのが無性に腹立たしかったり、かなりとげとげしていたと思います。でも、いろいろな人に囲まれ、寮生活の中で、人を尊敬することや、協調性というものを学びました。いい先輩に出会えたことがすごく大きかったと思います。授業もしっかり受けています。それも自分の力をつけていく大事な場ですから。分からないことは、必ず教授に質問します。それでも、どこか漠とした不安があって。自分みたいな人間はいつか社会から排除されるんじゃないかなぁという。だから、しっかり勉強して力をつけるしかないなと。わが愛する創価大学はスーパーグローバル大学ですから(笑)、いまでも英語は苦手ですが、必ず世界に貢献しようと思っています。公認会計士の試験に合格した暁には、英語もしっかりやって、創立者が激励してくださるように“世界で”活躍できるような人材になって、一人でも多くの人たちに、“自分もできる!”との勇気と希望を送れれば、それが、これまで自分が様々な経験をしてきた意味だと思うんです。

最後に一言、どうぞ。

会計士を目指す友人たちと

自分の課題は、親孝行です。。。いつか、お年玉で100万円上げられるようになるからと、いつも母には言っていて。それでいて、お金がなくなる時にしか、電話をよこさないと言われてしまっているんですが(笑)。気持ちがあっても、力がないのでは、何もできないですから。母に100万円のお年玉をあげるためには、それだけ稼げる自分にならなくてはいけません。母に喜んでもらえる自分になれずに、社会に、世界に貢献することなんてできないですからね。どうあれ、創価大学に来なければ、公認会計士を目指そうなんて思いもしなかったですし、英語もできないのに、世界で活躍できる人材になろうなんて、想像もしなかったですし、ここにいると、夢も、心も、どんどん豊かにふくらんでいくのを感じるんです。ですから、最後の一言といわれれば、どうか創価大学に来て、学んで欲しいということですね。

創大では、自分が描いている夢があったとしても、その夢がさらに大きく、もしくは、想像もできなかった全然別のもっと大きな夢に出会えます。ここでは、学ぶ中で、友人や先輩・同期・後輩の中で、人間的に変わることができる。卒業までのあと2年間で、どこまで自分が成長できるのか、挑戦できるのか、本当に楽しみです。今では、自分の可能性を信じてくれる人がたくさんいるので、自分で自分の可能性を潰さないよう、限界を決めずに、どこまでも、上を目指し、頑張っていきたいと思います!

友人と
いだ さとし Satoshi Ida

[好きな言葉]
「君よ挑戦王の一生を!」創立者
[性格]
よくしゃべる
[趣味]
読書 ランニング(人生思索)笑 探検
[最近読んだ本]
三国志

井田さんのお父さんが亡くなったのは、井田さんが小学校の低学年の時。それまでは、学校の先生からも何かというと頼られ任され期待される子供でした。しかし小学校4年生頃からか、徐々に問題児となっていき、先生たちは他の生徒たちに、“井田にはかまうな”と言って歩きました。中学校に行き、さらに荒れ、なんとか入学できた高校もすぐに中退。建築業などの仕事を始めるも、どこに行っても続かず、何度も転職を繰り返し、ついに行き詰りました。ちょうどその時、手にした一冊の本が、本学創立者が高校生たちの悩みに答える形で出版された『青春対話』だったと言います。“お父さんがいなかったので、それまで人生を教えてもらえなかった。創立者の言葉に、初めてお父さんに一喝されたような衝撃を受け、自然と大学に行きたいと思うようになった”と。必死に勉強し高等学校卒業程度認定試験(高卒認定試験)に合格。大学入試に向け、朝、新聞配達をしながら、一日10時間以上の勉強。中学の教科書から学び直し、模試ではE判定を繰り返すも、見事、経営学部に入学。経営学部を選んだのは、亡くなったお父さんが経営者だったからだと言います。今、創価大学で思う存分学ぶ姿に、地元の友人たちの驚きは広がるばかり。そして現在、公認会計士を目指す井田さん。“どこまでも自分を成長させ、誰かの希望になれたら”と挑戦を続ける井田さんに話を聞きました。

挑戦を続ける井田さん、その原動力は何ですか?

友人たちと

父が自分が小さい頃に亡くなって、子供ながらに様々な複雑さに囲まれるようになっていました。小学校で、いわゆるガキ大将だったもので、中学校に行った時に目を付けられて、一番強い人にボコボコにされました。母子家庭なので、母を危険な目に遭わせてしまうかもしれないと思い、ただただ強くならなくてはと思い、本気で不良になりました(笑)。お金持ちになることと、強くなること、それが、母を守るためにと、自分が心に決めたことでした。ところが、思いとは裏腹に、何をやっても中途半端で、けんかが強くなっても、どれほど人から恐れられても、母に喜んでもらえるような自分ではありませんでした。

仕事も全く続かず行き詰った時に、たまたま手にしたのが、創価大学創立者の池田大作先生が対談形式で編まれた『青春対話』という本でした。“ビルは屋上から作れない。土台を作らないといけない”とか“男と男のけんかは、砂場でやるすもうだ”等、初めて、人生というものを教えてもらったような気がして、体中に衝撃が走りました。池田先生が言われるような自分になっていけば、必ず“強くなれる”と思いました。ずっと強くなりたかった。強くなるために格闘技もやっていました。でも、『青春対話』を読んだ後に思った“強くなれる”との確信は、“誰かを負かす”ための強さではなく、池田先生のように優しく、“人を守れる”強さでした。公認会計士を目指すのは、BE動詞も分からず大学受験に臨んだ自分が、強くなるために不良になった自分が、どこまで変われるのか、どこまで自分の可能性を引き出していけるのか試してみたいという思いと、自分の過去を清算し決着をつけたいという思いもあるんです。自分が公認会計士になったら、過去の自分を知っている人たちみんな、絶対に驚きます(笑)。そして、誰かの希望になれたら嬉しいなと本気で思うんです。

友人と学食

高校卒業認定、大学入試も周囲はずいぶん驚いたようですね。

授業の研修にて

高校卒業認定は、3ヶ月の挑戦でした。昔から歴史が好きでしたので、世界史はスムーズでしたが、英語はまったくダメでした。でも、なぜだか合格するという確信はあって、本当に高卒認定に合格してしまいました。嬉しくて、“自分はできる!”という気持ちが強く出すぎて、努力することを止めてしまいました(笑)。そこが、自分の弱さで、中途半端をやめたいと、朝、新聞配達をすることを決めました。近所に足の悪い婦人の方がいて、その方が毎朝配達をされてたんですが、母から手伝ってあげたらと言われ、携帯電話の代金分になるという思いもあって(笑)、平日は代理で配達をすることにしました。前日の夜がどれだけ遅くなったとしても、朝5時頃には起きて新聞を配達しました。それがすごくいいリズムになって、勉強もはかどるようになりました。大学入試に臨むと言っても、英語なんてBE動詞も分からない状態でしたので、必死になって勉強しました。1日10時間から12時間は勉強していましたね。今思うと、どれだけ集中して出来ていたかはわかりませんが(笑)。そこまでやっても、模試ではずっとE判定でした。周囲の大人はみんな中卒でしたから、もう何かと邪魔をして(笑)。「お医者さんに聞いたら、お前が大学に行くなんて無理だって言ってた」とか、「もう勉強なんてやめて、一緒に飲もう!」とか、周囲の人たちにとっては、自分が大学に行くなんてあり得ない話だったんだと思います(笑)。創価大学に合格した時には、一緒に悪さしてた友人たちをはじめ周囲の人たちも本当に驚きました。

様々な挑戦を通して、また大学に来て、何か変わったことはありましたか?

友人たちと

正直、高卒認定を受けて、大学に来たということで、自分はいろいろなことを乗り越えてきたんだという思いがあって、なんというか、入学当初はすごく傲慢でした。当初は、挫折をした人しか好きになることができなかったり、2浪でしたし、悪さしてましたから、上から目線でものを言われるのが無性に腹立たしかったり、かなりとげとげしていたと思います。でも、いろいろな人に囲まれ、寮生活の中で、人を尊敬することや、協調性というものを学びました。いい先輩に出会えたことがすごく大きかったと思います。授業もしっかり受けています。それも自分の力をつけていく大事な場ですから。分からないことは、必ず教授に質問します。それでも、どこか漠とした不安があって。自分みたいな人間はいつか社会から排除されるんじゃないかなぁという。だから、しっかり勉強して力をつけるしかないなと。わが愛する創価大学はスーパーグローバル大学ですから(笑)、いまでも英語は苦手ですが、必ず世界に貢献しようと思っています。公認会計士の試験に合格した暁には、英語もしっかりやって、創立者が激励してくださるように“世界で”活躍できるような人材になって、一人でも多くの人たちに、“自分もできる!”との勇気と希望を送れれば、それが、これまで自分が様々な経験をしてきた意味だと思うんです。

最後に一言、どうぞ。

会計士を目指す友人たちと

自分の課題は、親孝行です。。。いつか、お年玉で100万円上げられるようになるからと、いつも母には言っていて。それでいて、お金がなくなる時にしか、電話をよこさないと言われてしまっているんですが(笑)。気持ちがあっても、力がないのでは、何もできないですから。母に100万円のお年玉をあげるためには、それだけ稼げる自分にならなくてはいけません。母に喜んでもらえる自分になれずに、社会に、世界に貢献することなんてできないですからね。どうあれ、創価大学に来なければ、公認会計士を目指そうなんて思いもしなかったですし、英語もできないのに、世界で活躍できる人材になろうなんて、想像もしなかったですし、ここにいると、夢も、心も、どんどん豊かにふくらんでいくのを感じるんです。ですから、最後の一言といわれれば、どうか創価大学に来て、学んで欲しいということですね。

創大では、自分が描いている夢があったとしても、その夢がさらに大きく、もしくは、想像もできなかった全然別のもっと大きな夢に出会えます。ここでは、学ぶ中で、友人や先輩・同期・後輩の中で、人間的に変わることができる。卒業までのあと2年間で、どこまで自分が成長できるのか、挑戦できるのか、本当に楽しみです。今では、自分の可能性を信じてくれる人がたくさんいるので、自分で自分の可能性を潰さないよう、限界を決めずに、どこまでも、上を目指し、頑張っていきたいと思います!

友人と
いだ さとし Satoshi Ida

[好きな言葉]
「君よ挑戦王の一生を!」創立者
[性格]
よくしゃべる
[趣味]
読書 ランニング(人生思索)笑 探検
[最近読んだ本]
三国志
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