時代はChina Dream!理解と尊重の狭間を超えたい!中国留学を通して、自分の中国とみんなの中国を考えた

本年(2015年)の創大祭に、アメリカ・ハーバード大学のヌール・ヤーマン博士が来学し、講演と共に学生との質問会が行われました。最後の質問者にヤーマン博士が指名したのが、岩城温子さん。岩城さんは、「中国留学を通して、自分の知る中国と、友人たちの知る中国に大きな差を感じます。留学などを通して中国や中国の人々を“理解”している友人は多くいますが、“尊重”している友人は多くありません。この“理解”と“尊重”の壁を越えるにはどうしたらいいのでしょうか?」と博士に質問をぶつけた。博士は、岩城さんの質問にじっと耳を傾けながら、“大事な質問”ですと目を細めました。
中国のいたるところで目にする“China Dream”の文字。American Dreamならぬ、今やChina Dreamの時代。留学している1年間でも住んでいた町はどんどん変化を続けたという。大学時代を通し、留学に加え、学生団体の「日中学生会議」にも参加し、“中国と日本の架け橋になる!”との決意を抱き続けてきた岩城さんに話を聞きました。
ヤーマン博士との質問会、素晴らしい質問の数々にヤーマン博士も喜ばれていました。中でも最後の質問者として選ばれた岩城さんの質問はとても印象的でした。
ありがとうございます。“理解”と“尊重”の間の大きなギャップをいかにすれば埋められるのかは、ずっと考えていた問題でした。ヤーマン博士は、“差異を理解し尊重すること”が日中関係においてとても重要だと話されました。そして、“異なる立場にいる人と同じ立場で考えられるかが大切”、と“共感”ということについて言及されました。
創立者が2014年1月に発表された平和提言の中で 「他の人々の苦しみを思いやる想像力」という言葉を使われています。英語で“Empathetic imagination”“Imaginative empathy”と表現されるもので、グローバル社会に生きる私たちにとって大変に重要な力です。創立者の2015年の平和提言の中でも、グローバル化が進む国際社会の中で、「相手の立場を互いに理解する努力がますます重要になってきています」と言われ、ナイジャリアの作家ウォレン・ショインカ氏の「ほかの人の身になって想像力を働かせることが正義の基本」との言葉を紹介されていました。


私が所属する日中学生会議でのことですが、中国の学生と日本の学生それぞれの「歴史」の教科書を持ち合い比較したことがありました。彼らが学んでいる歴史と私たちが学んでいる歴史には明らかに違いがありました。白熱した議論となったことは言うまでもありません。“違う”ということ自体を取り上げては、生産的な結論に至ることは非常に難しいです。ただ、何がどう“違う”のかを知ることは大変に重要です。彼らが学んでいる「歴史」、彼らの祖父母から聞く話、メディアから流れ聞く話、テレビや映画などでの話、生まれ育った環境など、中国の人たちが日本の自分たちとは違う背景や情報、認識を持っていることを知ることが大事です。中国、中国の人々と向き合ってきた中で感じることは、歴史、文化、教育、経済など様々に異なるものを持つもの同士が理解し、尊重し合うには、互いが持つものを理解する努力をし、尊重していく度量が必要で、それを可能にするのが、「他の人々の苦しみを思いやる創造力」だ、と言うことです。相手の苦しみ、状況、立場、信念、大切にしているものに思いを寄せて、尊重するために理解する努力をすることなんだなと。
そもそも、あの質問の背景は何だったのでしょうか?

単純に、自分の知っている中国と友人たちの知っている中国にはあまりにもギャップがあるなと思ったのがきっかけです。中国に留学をしたり、興味を持って学ぶ学生は周りにもたくさんいますが、知った上で、“嫌いだ”という感情でピリオドを打ってしまっている人があまりにも多い気がします。また戦争についても、本年は戦後70年の節目ですが、あまりにも昔の事で、学生世代の中には、中国の人々が過去の戦争のことを取り上げては、日本や日本人を非難することに嫌気をさしている学生たちも多くいます。
“過去のことにとらわれる必要なんてない”“戦争は私たちが起こしたものじゃない”“中国と日本は、過去ではなく、アジアの中核として手を取り合って未来に向かうべき。過去の戦争のことを取り上げるなんてナンセンス”という論調は多いです。でもそもそも、その「歴史」の認識や教育現場における内容が両国間で異なることを知らなくてはいけません。中国では今でも、毎日日中に、日本兵士が中国人を惨殺する戦争ドラマが流れています。私の友人の家族は、「全然こんなの信じてない」と笑いながら見ていましたし、実際、日本人だからと私を避けるような中国の人に留学当初は会ったことがなかったので、日本で聞かれる“反日感情なんてないじゃん!”と思っていました。


ところが、貧しい地域の小学校でボランティアをした時に、初めて日本人を見た小さい子供たちの中にいたんです。明らかに避けて、冷たい態度をする何人かの子供たちが。どうしたらいいのかわからなくて、その反応に最初はとにかくとまどうばかりでした。自分の小さい頃、他人や他国の人にそんな感情をいだくことなんてありませんでした。でもあの戦争の歴史は、日本人にとってのそれとは違い、中国の人の中には未だに鮮明に残っている記憶なんです。もちろん、日本人の学生たちの多くが言うように、中国の学生の中にも、同じように、歴史にこだわらず、これからを考えていきたい、という人たちも多くいます。ただ、その場合の未来への向かい方と、日本人の学生の日中の未来への向かい方には、歴史の捉え方の重さの分、ギャップがあると思うんです。どちらにしても、私自身は、過去の歴史なしに、日中関係はないと思っています。理解を超えて、相手を尊重できて、はじめて真の対話も友情も実現していくのではないかと。
岩城さんの言う“私の中国”とはどういうものだったのでしょうか?
私、高校時代から、中国の人たちと触れ合う機会があって、素晴らしい中国の友人にも巡り会いました。ですので、中国のことを結構理解して留学したつもりでした。ところが、留学してから最初の3ヶ月間は、実は、毎日帰りたいと思っていました(笑)。衛生的にきれいでないことも多く、マナーでは列に並ばないことや大声で公共の場でしゃべることなど、正直、耐えられなかったんです。なので、中国の人に対して、多くの日本人が抱く気持ちもとっても良くわかります。それが、だんだん友人ができるにつれて、私が耐えかねていた日々のわずらわしさ以上に、彼らの温かさに圧倒されるようになりました。
もちろん私が日本人で珍しいということもあるかもしれませんが、1回会っただけで名前を覚えてくれて、道でたまたま会っても、気にかけて声を掛けてくれるなど、一度の出会いを大切にする彼らの心にとても惹かれました。
帰国後、中国でホームステイをさせてくれた友人から連絡がありました。「うちのおばあちゃんが、“温子はいつ帰ってくるの?”って言ってるよ」と。中国から、誕生日プレゼントを贈ってくれた友人たちもいます。本当にこの人たちを大事にしていきたいです。その温かい人々が、私にとっての中国です。
双方が偏見で凝り固まっている状態の中で、ヤーマン博士の応えにあったように“差異を理解し尊重する”というのは、どうしたら可能になるのでしょうか?

中国を好きか嫌いかは、どちらでもいいと思うんです。性格は本当に違いますし。でも、中国や中国の人たちから学べるもの、尊敬できるものは、そんな違いの何倍もあると思うんです。メディアは、十把一絡げに伝えますが、それは、双方におきていることです。そうやって、逆の立場に立って考えれば、結構乗り越えられることはあると思います。どの人も自分とは違うものを持っているという大前提で、自分とは違った意見や感覚を持つその人の背景に思いを寄せて、理解する努力ができれば、許容範囲はずいぶんと広がります。中国で過ごす中で、自分の枠組で見ることをやめた時、自分自身が楽になりましたし、人にも寛容になりました。違う立場の人と積極的に関わっていく中で、寛容さは育まれていくのではないかと。私も、正直に言うと、留学前は、“寛容さ”ほぼゼロでしたから(笑)。留学先で、恐れずに人々の中に飛び込んでいった人の多くは、差異を超えて、素晴らしい友情を築いています。
ところで、岩城さんは、特待生やダ・ヴィンチ賞の受賞をはじめ、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏を迎えて開催した”Yunus & Youth Social Business Design Contest 2014”の実行委員長、“JACET言語教育エキスポ2014”のビジネスコンテストで優勝など、様々に挑戦されてきましたね。

創大での4年間で、たくさんの機会に恵まれ、多くの刺激を受けました。私は双子で、妹の貴子(経済学部4年/GCP2期生)とは、高校までは性格も考え方も結構似ていました。でも、大学に入ってから、私は中国に留学、貴子はアメリカに留学、また貴子は、国際開発ユースフォーラム2013への参加や社会人基礎力育成グランプリで受賞などに挑戦と、それぞれあまりにもインパクトの強い場所で異なる刺激を得ていたこともあり、ずいぶんと変わりました(笑)。2つ上の姉も創大で学び、進路においても結果を出して卒業していましたので、私も負けじと挑戦できました。姉妹3人共、大の負けず嫌いであることが、結果的に、大学生活を存分に満喫する良き因となったのだと思います。
幼い頃から、関西創価中学校の1期生の母が創立者池田先生との思い出を話してくれました。創立者が学園の授業参観に来られた時に、絵を描いていて、先生から「君の絵、金賞だよ!」と言われたことなど、よく聞かされていました(笑)。その温かいやり取りに、創大で学びたいと自然と思うようになっていたんだと思います。ことあるごとに、「自分のやりたいと思ったことは挑戦しなさい!」「勝つために生まれてきたんだから」と創立者の激励を通して、励ましてくれました。お陰でいつも、“やるなら1番を目指そう!”と思うようになっていました。貴子とは、二人していつも学年で成績1番を目指して挑戦していました。ただ、両親から、勉強や進路のことなどで何か言われたということは一度もありません。言われたのは、人としてのマナーや感謝をすることなどです。本当に自分自身が成長した4年間でしたし、数々の思い出を刻んだ4年間でした。このキャンパスで出会った素晴らしい人々に感謝でいっぱいです。

これからについて聞かせてください。
留学の経験を通し、“世界のエネルギーの安定供給”に興味を持つようになり、エネルギー産業で働くことを決めました。まずは、信頼される人になれるようにがんばりたいですね。中国にはずっと関わっていきたいと思っていますし、中国と、また中国で仕事をするチャンスもありますので、そこにも挑戦していきたいです。まずは、信頼される人間になることを目指し、創大生らしく、自分らしく、頑張っていきます!

[好きな言葉]
- 「桜梅桃李」
- 「地上本没有路,走的人 多了,也便成了路(もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、 それが道になるのだ)」
- マイペース
- 人と話すこと、スポーツ
- 『青年抄』