自身の試練に満ちた子供時代を通し、教員生活37年を通し、伝えたいのは“All you have a great power!”
創大1期生の近藤茂代講師。「私、創大に入って175度変わったのよ」と朗らかに笑う。その背景には、試練に満ちた子供時代がありました。お父さんのDV、経済苦、小学校での不登校、お母さんへの反発、大学受験の失敗、引きこもりなどなど。創大入学後も、住み込みのベビーシッターとして働きながら奨学金とアルバイトで生活していたという近藤先生。「今、こうして母校の創価大学で教鞭をとらせてもらって思うことは、全てに意味があったということと、全てに感謝ということです」と。
神奈川県の中学校教員に採用された70年代後半は、校内暴力の吹き荒れた時代。教育委員会での職務を経て、校長として初めて赴任したのは、組合色の強い小学校。その後の中学校は学級崩壊・学校崩壊で常に市内3本の指に入る荒れた中学校。次々と学校改革を成し遂げた近藤先生が、支えにしてきたものは、創立者池田先生の励ましと、信じ見守り続けてくれたお母さんの存在。そして良き友、良き先輩、良き後輩のお陰だと言います。「どんな人にもすっごい力がある」、その事を、“Great Power”(作詞・作曲:中山真理)の歌に乗せて、今日も伝え続けている近藤講師に話を聞きました。
<div style="text-align: right;"><span style="color:#808080;"><span style="font-size:14px;">※掲載内容は取材当時のものです。</span></span></div>
近藤講師の経験を通しての教職指導に、学生たちから感謝の声が上がっています!
ありがとうございます!私は実務家教員ですので、経験以外にお話できることはないのですが、その経験で未来を担う学生の皆さんのお役に立てればこれほど嬉しいことはありません。
私は創大卒業後、念願叶って、中学校の英語教員になりました。「生涯あなたたちの担任よー!」と叫びながら教員生活を謳歌していた時に、県教育委員会の指導主事にとのお話があって、教員でいたかったのですが、何しろ1期生ですから、ともかく後輩への道を開くために何でもやらせてもらおうと、教育委員会に勤めました。学生には、「やりたいことと使命は違うこともあるのよ」と言ってます(笑)。
その後、中学に戻れるのかと思いきや、何と小学校の校長に。しかも、その小学校は組合色が強く、教育委員会の施策や方針を受け入れようとしない。それで、そこの校長が教育委員会にたびたび謝罪に来ていたんです。私は当時教育委員会で指導課長をしていました。「できることがあれば何でも言ってくださいね」と声を掛けていたら、自分がそこの校長として、赴任することになってしまって。まぁ、大変でしたよ。何でも反対ですから。校舎内の清掃も行き届かず、汚いのなんの。職員玄関もなかったんですよ。
それで、授業参観の度に学校への意見や要望のアンケートをとりました。アンケートには「学校が汚い」と何人の方々に書かれたことか。他にもさまざまな保護者の要望が明確になりました。そのアンケートの声をもとに改革を推進していきましたが、“勝手にアンケートをとるな!”とか“職員会議にかけるべきだ!”とかいろいろ言われましたね(笑)。
退職される先生と面談をした際に、「校長先生は大型ブルドーザーのようでした。大型ブルドーザーのように全てをなぎ倒して改革しましたね。」と。そんなつもりではありませんでしたが、そうだったのかもしれません(笑)。赴任してすぐに、創立者にいただいたノートに、その小学校の“フシギ”を書き上げていったんですが、あっという間に1冊が埋まりました。その“フシギ” のほとんど全てが、1年間で改革されていたのですから、ブルドーザーだったのかも知れませんね(笑)。
3年経った時に、ある先生に言ったんです。「先生方、ずいぶん変わりましたねぇ」って。そうしたら、その先生から「校長先生が変わりましたよ」って。それでハッと気がついたんです。私、その小学校に行って、最初の一年は、心の中で、「困った先生たちだな」と思っていたんです。2年目に入って、先生たちが自分のクラスのことは一生懸命されていることがわかるようになって、3年目には、学校全体のことも一生懸命やってくれるようになった先生たちに心から感謝していたんです。
自分が変われば、子供も変わるし、大人も変わるんですよね(笑)。そういう変化の中で、ある先生が、今や私のテーマソングとなっている“Great Power”の歌詞を持って来てくれて。職員会議で「私たちは校長の下請けじゃありません!」とか言っていた先生がですよ(笑)。「これを卒業式で歌おうと思うんですが、どうでしょう」と聞いてきてくれたんです。この曲の1番は“君は自分で思うほど だめなやつじゃない”、2番は“あいつは君が思うほど だめなやつじゃない”という歌詞で始まる、“全ての人がすごい力をもっているんだ(All you have a great power)”、という曲なんです。“これだっ!”と思いました。今の子供たちには自尊心が著しく欠けています。以来、この曲をどこでもかけまくっています(笑)。
中学校も大変だったようですね。
大変でしたよぉ。こちらは、学級崩壊どころか学校崩壊状態でした。先生方は、本当に一生懸命なんですが、子供たちが手に負えなくて、授業が成り立ちませんでした。校長の着任式で、普通あいさつしますよね。私も練りに練ったあいさつを用意したのですが(笑)、名前だけ言って終わりました。おしゃべりが止まず、奇声があがったり、立ち歩いたり、誰一人私を見ている生徒がいないんですから。
その日から、授業の様子を見て回ったんですが、授業中だというのに、廊下を歩く私に、「茂代、死ねー」「近藤、追い出してやる!」と罵声が飛んでくるんです。頭にきたと思うかもしれませんが、私は感心したんです。「私の名前を覚えてくれてたんだ!」と。しかもフルネームで(笑)。
あの騒ぎの中で、名前を言っただけで終わった着任のあいさつを、彼らは聞いていたんです。私たちは、ついつい子供たちの言動や態度に振り回されてしまいますが、その姿とは裏腹に、彼らはちゃんと聞いているんです。耳には入っているんです。その上で、何とかしなくてはいけませんでした。物も日々破壊されますし(笑)。先生方は十分頑張っていたので、「もっと頑張って」とも「わかりやすい授業をやれば生徒たちも聞いてくれるはず」なんてきれいごとは言えませんでした。
自分も先生方の大変さを味わって、自分が改革の突破口を開くしかないと思いました。そこで、月1回、“ことな科”と名打って「道徳」の授業をすることにしました。“ことな科”とは、子供と大人の真ん中の中学生のことを表現した私の造語です。授業のテーマは”Great Power”。月1回、各クラスを回りました。まぁ、もう、最初の1時間目は授業になりません。「勝手に授業作ってんじゃねぇ!!」ですよ(笑)。生徒たちを座らせるのも、話をやめさせるのも、一苦労。なすすべなく、教卓に座って、ただただ祈る思いでした。
それで、授業が終わる時間が迫って、あの曲、“Great Power”をかけて、かけただけで終わりました。また、先生方にも、とにかく彼らの耳は聞いているから、責める言葉ではなく、探し出して認める言葉・ほめる言葉をかけようと呼びかけました。“ことな科”の授業も、彼らの耳には届いていると信じて続けました。そんなある日です。廊下を前から、いわゆる問題児のトップが仲間を引き連れて歩いてきたんです。
そうしたら、その彼が「おい、校長!」と声を掛けてきて、「お前のグレートパワーは何なんだよ!」と聞いてきたんです。“え------!聞いてくれてたんだ!”、もう嬉しくて、「嬉しい!授業聞いてくれてたんだぁ。先生、こんなに感動したことないよー!」と、彼からは、「うるせぇ!早く言え!」と言われましたが、しばらくはもったいをつけ(笑)、「先生のグレートパワーはね、・・・・あきらめないこと!」と伝えました。「へっ、ばっかじゃねえの」と言って彼は去って行きましたが、もう私の頭の中では、「彼の耳は聞いていた!!!」と大絶叫ですよ。改革の次の突破口として、地域にSOSを発信しました。
学校を公開し、保護者だけでなく自治会、町内会の方々に授業を観に来てもらうようにしたんです。机の上に脚を投げ出してふんぞり返って授業を受けていた生徒が、少年野球でお世話になった地域の方が来たときは、脚をそーっとおろして、ばつが悪そうに、頭を下げてあいさつしたりして。先生方は、授業崩壊中ですから、観られるのは本当にいやだったろうと思いますが、変化は起きていきました。その学校が普通の学校に生まれ変わるのにかかった時間は・・・たったの1年でした。
大きかったのは、生徒たちが、自分たちは先生たちからも地域の人たちからも期待されていると認識できたことだと思います。“信じてくれている人がいる”、この事が伝われば、子供はいくらでも変われます。
それは、講師自身の体験から言えることですか?
そうですね。私もひどかったですから。父がDVでしたので、子供の私もストレスがめちゃくちゃ溜まっていたわけですね。そのストレスを発散する先は、大好きな母だったんです。母への八つ当たり、罵詈雑言、1言われたら100言い返していましたから。母はそんな私を否定することなくありのまま、そのままに受け止めてくれました。
小学校の低学年は不登校を繰り返していましたが、何も言わずに見守ってくれていました。母はかわいそうでした。昼は私から言葉の暴力を、夜は父から肉体的な暴力を受けていたんですから。それでも、私を信じ、受け入れ続けてくれました。すごい母です。現在、私は、学校や教育委員会の経験を買われて、教育セミナーに呼ばれることも多いんですが、母も一緒に参加をしたことがありました。
講演中に、母に「私はどんな子供でしたか?」と聞くと、「イヤー、日本一扱いにくい子供でしたよ。1言ったら100返ってくるし、暴れるし・・・・」と続いたので、これはまずいと(笑)、「じゃあ、今はどう?」と聞いたら、「世界一の親孝行」と言ってくれて。私が変われたのは、信じ続けてくれた母のお陰です。ですから、今、親や教師を困らせている子供たちも必ず変われる。これは、私の実経験からの確信です。
もうひとつは、創価大学での学びのお陰です。学生たちに言うんです。「卒業したら分かるけど、年々、創価大学で学んでいたことが自分にとってどれほど重要なことだったかわかるよ」と。
創価大学での体験と言うことですか?

私の原点の全てが創価大学にあるんです。ある時創立者にお会いして、「何かある?」と聞かれて、思わず「父が・・・」と。何も詳しくは言いませんでしたが、創立者は「いい娘になればいいんだよ」と。いい娘に・・・それまで、父のことは完全に拒否していました。憎んでいました。母への暴力だけでなく、亡くなるまでまともに生活費を入れたことがありませんでしたから。父とは顔も合わさず、言葉も交わさず、一緒に食事をしたこともありませんでした。父が暴れ始めると、投げられそうな物や包丁を隠すことが習慣になっていましたね。
すぐに事は良くなりませんでしたが、「いい娘になれるように。父に感謝ができるように」と心がける中で、ある時、「父がいたから、私はこの世に生をうけることができたんだ」とふっと気づいたんです。そのとき、心の底から感謝がこみ上げてきました。翌朝は、思わず父を待ち構えてあいさつしちゃいました。父もビックリしたと思いますよ(笑)。
創大での最初の2年間は住み込みのベビーシッターをしていて、授業が終わったらすぐに帰らなければなりませんでしたから、1期生と言っても、大学建設のために何もすることはできませんでした。3年生になって、授業も少なくなったので、実家から2時間半かけて通うようになりました。その頃から、「1期生なのに、何もしていない」という後悔というか卑屈な気持ちが湧いてきて。そんな中、4年生になって、いよいよ1期生の就職活動が本格化するという時に、創立者が文系A棟屋上の天空広場で私たち1期生を激励してくださいました。その際、「後輩のために道を開くんだよ!」と言われて、“それならできる!”と思ったんです。その時に、自身の進路を勝ち取ることを、“私にできる大学建設”と決め、もともと教員は目指していましたが、“自分がなりたいから”の教員ではなく、“後輩の道を開くため”の教員にと、気持ちが変わりました。
目指すものが同じものでも、「何のため」が変わると、全てが変わります。力と勇気が湧いてきます。結果、受験した東京、神奈川、埼玉、千葉、静岡の全てで採用試験に合格しました。教員4年目に創立者とお会いする機会があり、「中学校の教員をしています」とあいさつをすると、「創大生がもう学校の先生か!」と大変に喜んでくださって、「教育といっても、大切なのは教師の人格なんだ」と言っていただき、私の教育者としての永遠の指針となりました。
また1期生でしたので、毎年創大祭に合わせて卒業生が集う場が設けられて、卒業してからは、毎年の創大祭を目指してがんばって、創大祭から出発していました。卒業から10年経った集いで、周りを見渡すといつの間にかみんな結婚していて。私自身は結婚願望はなかったものの、将来への漠然とした不安のようなものが湧いてきていました。なんとなく憂鬱な気持ちで、創立者の話を聞いていると、創立者が「良き師、良き友、良き先輩、良き後輩を持っている人が世界一の幸せ者」と言われて。その瞬間、「私は、全部持っている!私は世界一の幸せ者なんだ!」と、もう、目の前がパッと開け、飛び上がらんばかりでした。
また「人生の十字路に“原点”を忘るな!」との言葉を贈ってくださり、この言葉は生涯の指針となりました。創大が私の原点そのものです。その母校で、今こうして教鞭をとらせてもらっているわけですから、私は本当に世界一の幸せ者ですね(笑)。
最後に一言、お願いします!

定年退職を迎えた時に、初任の時にお世話になった校長先生、教頭先生、主任の先生方が祝賀会を開いてくださったんです。その時に、当時の校長先生が「本当によくがんばったね。創立者も喜んでくださっているでしょう」と言ってくれて。創大生として、結果を出すことができたと感無量でした。創大生という誇り、帰れる母校、勝利を報告できる創立者という人生の師匠の存在は、年が経つにつれて、自分の中でどんどん大きくなっていますね。
創大生は本当に人柄がいい。その人柄プラス、どうか、負けない強さ、を身につけて欲しいですね。私は買うまでもなく、父のお陰で苦労させてもらいましたが、今の学生たちの多くは、苦労を買わなければ手に入りません 。失敗を恐れず、いろいろなことに挑戦し、苦労して、泣いて、起き上がった分、強くなれます。“Be Strong!”は、いつも学生たちに贈る言葉の一つですね。
また、自分に対しても、他人に対しても、特に教員を目指している人は子供に対して、「こうあるべきだ、こうあってほしい」という100点満点の理想像を基準にしないで欲しいですね。今の自分、今の子供のありのままを受け入れて、そこから一歩でも前進したら、「すごい!」「さすが!」「すばらしい!」。100点満点のテストで30点しか取れなかったら、そのままを受け止め、次のテストが35点だったら、「すごい!」とほめる。もし、25点になってしまったら、「おしい~!」と励ます。こうしたとらえ方や関わりで、「自尊感情」を育んでいきたいものです。
そして、教員を目指す人には、2つの勇気を持ってほしいと思います。ひとつは「開く勇気」。学級で問題が起きたときは、絶対に一人で抱え込まないこと。でも、たいてい゛もう少し頑張れば・・・“とか゛力がないと思われたくない”と抱え込んでしまうんですね。大事なことは、“早期発見・早期対応”。勇気を出して、学級を開いてください。SOSを出してください。
もうひとつは「信じぬく勇気」です。どうか、あなたが子供たちにとっての「信じて待ってくれる人」になってあげてほしいと思います。子供たちも、そしてあなた自身も、すっごい力“Great Power”を秘めているのですから!

[好きな言葉]
人生の十字路に原点忘るな
[性格]
明朗快活 楽観主義 短気 不注意
[趣味]
親孝行
[最近読んだ本]
わが教育者に贈る
[経歴]
創価大学文学部英文学科1期生。神奈川県公立中学校英語教諭、神奈川県教育委員会指導主事、茅ヶ崎市教育委員会指導課長を経て、小学校長、中学校長を歴任。退職後、本学教職キャリアセンター指導講師を経て、現職、本学教職大学院講師。