新聞記者27年の経験が光る視点と洞察力。メディア志望の学生を力強くサポート
現在、ジャーナリズムセンター長を務め、マスコミ(メディア)業界を志す学生をサポートする山田准教授。今年度(2015年度)、全国紙、地方紙、通信社などに内定した学生は5名。人々のために、社会のためにとペンを振るった自身の新聞記者時代を通し、「誰かのためにと本気で思える創大生はメディアに向いているんです」と話します。創大時代、記者時代の経験を通し、今、学生に伝えたいことについて話を聞きました。
<div style="text-align: right;"><span style="color:#808080;"><span style="font-size:14px;">※掲載内容は取材当時のものです。</span></span></div>
創大生時代、メディアを目指したきっかけは?
創価大学には、弁護士を目指し、11期生として入学しました。創価大学は、新設の大学としては司法試験で有数の結果を残していたのです。実家が母子家庭で、学費が安かったことも理由の一つでした。ほとんど仕送りがなかったため、公的な奨学金を二ついただいた上に、家庭教師を掛け持ちするなどアルバイトにも励みました。国家試験研究室の講義にも通い、法律の勉強に基礎から挑みました。法を武器に社会の弱い立場の人々をサポートしたい、との志があったからです。
ただ、弁護士は目の前の依頼者に寄り添い、その悩みに共感し、解決に向けて力を尽くすことができる素晴らしい仕事ですが、そうした悩みを生み出す社会の制度自体を直接変えるわけではありません。限界があるのではないか。果たしてこのまま法曹への道を進むべきか。「社会を良くしたい」という気持ちの強かった私は、社会の制度自体を改善できる職業がないか、と考え始めました。
そんなとき、ある先輩から新聞記者はどうか、と勧められたのです。ふとアパートの狭い部屋にあった新聞が目にとまりました。当時、東西冷戦が深刻な時代で、国際関係、政治や社会の状況が揺れていました。「ペンの力で社会を良くしたい」――。新たな光を見つけた思いでした。
一部で「第4の権力」と言われるほど、マス・メディアの影響力は強い。じっくり検討した上で、「よし、言論の世界で頑張ろう」と進路を変更することにしました。言論を武器に社会の弱い立場の人々をサポートしたい、と志を修正したのです。当時、創価大学は開学して、ようやく10年あまりの、まさに草創期です。メディアに進む先輩は、あまりいませんでした。でも、だからこそ自分が、そういう思いで決意しました。
大学3年から東京・新宿区にあったマスコミ入社試験の専門予備校に通い始めました。最初は散々の成績だったのですが、努力を重ねた結果、次第に成績上位者の常連になりました。
食べるものにも事欠く中、受験対策にはなけなしのお金を使いました。新聞3紙を定期購読し、赤ペンを手に1日4、5時間は読みました。端的に説明できない時事用語が出てくると、辞典類で調べ、50字の説明文を作り、ノートに書き込む。朝刊・夕刊を読み終えると、手が真っ黒になっていることも度々ありました。論文・作文対策では、『文章の書き方』といった本を手当たり次第に購入しました。週に作文2本のノルマを自分に課し、書いては直し、直しては書き、の毎日でした。平和、環境、自由などの硬いテーマの出題に備え、1000冊ほどの蔵書を読みあさり、考えを深めました。
「紙」の媒体が好きだったため、新聞記者一本に絞って入社試験に挑みました。かなりの倍率を乗り越え、実家にいた私に内定の連絡が来たときは、女手一つで育ててくれた母と抱き合って喜びました。1985年、読売新聞大阪本社に入社しました。
新聞記者時代のエピソード、貫いた精神について教えてください。
全国紙の記者の初任地は、縁もゆかりもない地方の支局です。私も日本海側の県庁所在地にある小さな支局に赴きました。春まで学生だったにもかかわらず、名刺一枚で知事や市長、県警本部長、大学教授、芸術家、社長など、あらゆる分野の方に会うことができます。担当の警察取材では抜いた抜かれたという激しい競争が大変でしたが、わくわくするような毎日を過ごしました。
世の中を良くしたいという志に関して、ささやかな思い出があります。
私が会社から住民票を出すように言われ、昼休みに市役所の窓口に行ったときのことです。なぜか窓口が閉まっていました。「どうしたことか」と裏に回って市職員に尋ねると、「昼は職員の休憩のため毎日、窓口を閉めている」と言います。私は、びっくりしました。市民サービスのための窓口が、市民がまさに利用したい昼休みに閉まっているなんて。市役所の職員も当然、昼休みに休む権利はあります、全員一斉に休むのではなく、交代で休みを取り、窓口を開けることもできるのではないか。
疑問に思った私は、県内の同規模の市役所や他県の状況などを取材し、識者の意見も聞いた上で、窓口の問題点を指摘する記事を書きました。すると、その記事が市議会で取り上げられ、市長が昼休みに窓口を開けると約束したのです。まもなく窓口は、市職員が交代で休むことによって、昼休みも開くようになりました。
記者クラブの受付のご婦人からは「山田さんが良い記事を書いてくれたけ、大変便利になりました。ありがとう」と感謝されました。新聞は社会の制度をささやかながらも変えることが出来る、と心の底から思いました。
このほか地方支局時代には、事件・事故をはじめ、行政、教育、経済、科学、文化など様々な分野を取材しました。なかでも、航空機オーバーラン事故の取材では、「人の大切さ」というものを実感しました。
新聞記者は「ネタ元」(情報源)の確保が大事です。私もネタ元探しに苦労していたところ、捜査機関の顔見知りの方から「事故機の機長が近く書類送検される」と耳打ちされ、一面トップの特ダネを書くことができたのです。その方は当初、つっけんどんな対応でした。それが、徐々に話が弾むようになっていました。当時、創大出身の記者はほとんどおらず、取材対象者にとって、よく分からない新設大学の卒業生といった印象だったと思うのですが、「人」として信頼していただいた結果と感じています。
その後、本社に異動し、編成部(整理部)という内勤の職場に長くいました。テレビにうつるような華やかな舞台ではなく、縁の下の役割ですが、ニュースの価値を判断し、見出しをつけ、紙面をレイアウトする重要な部署です。いわば「ニュースの料理人」といったところです。ニュース判断に迷ったときは、それまでに出会った市井の市民の方々を思い浮かべ、その人たちのためになるかどうか、という視点で考えるように心がけました。阪神・淡路大震災、和歌山毒物カレー事件、神戸児童連続殺傷事件など関わった大ニュースは枚挙にいとまがありませんが、いずれの時も見出しを付けるのに心を砕きました。
創価大学で教鞭をとることになったのは? 学生に伝えていることは?
創価大学で教鞭をとることになったのは、大阪大学で博士(法学)の学位を取得したことの延長線上にあります。
事件・事故に追われる社会部などと異なり、新聞社の中で編成部は比較的、拘束時間がはっきりしています。そこで、法律の勉強を細々ながらも続け、憲法・メディア法の文献を読み、私見をまとめていました。ある時、メディアと法に関する論稿を大阪大学大学院法学研究科の憲法担当の教授に見ていただく機会がありました。その先生は、私の論稿をざっと見るなり、阪大への社会人入学を勧められました。思いもかけない道でしたが、一念発起し、大学院博士後期課程に入学しました。
休職せず同僚と同様の仕事をしていたので、とにかく時間がありません。通勤電車の待ち時間や、出勤前や帰宅後のわずかな時間を無駄にせず、原稿を執筆しました。順調に論文を発表し、3年間で博士号を得ることができました。修了後は、執筆活動に力を入れました。岩波新書から『名誉毀損』というタイトルで出版できたのを始め、日本評論社の月刊誌『法学セミナー』で「記者ときどき学者の憲法論」という少々変わったタイトルの連載を2年間しました。
記者を続けながら関西の大学などで非常勤講師をしていたところ、母校から声をかけていただき、憲法担当の専任教員として2012年に着任しました。現在、法学部で憲法など、法科大学院でメディア法、全学共通科目でメディアについて教えています。
授業では、27年間の記者経験を基に、社会とのかかわりを常に意識しながら学問に取り組むようアドバイスしています。
また、アクティブ・ラーニングにも力を注いでいます。これは、学生が受動的に講義を聞くのではなく、能動的に議論していく授業形態を言います。少人数のグループに分かれ、具体的なテーマについて活発に話し合う。自分の見解を持ち、他者を説得する力を磨いています。
メディアをテーマに全学部生を対象とした演習(共通総合演習)では、メディアの最前線にいる卒業生たちが、調査報道や国際報道、人権報道など各人の得意分野について講義をします。終了後は懇談の場となり、メディア志望の学生に対し、卒業生たちが自己の体験を通じて懇切丁寧に語りかけてくれる、またとない機会になっています。私の在学中では考えられない、学生にとって恵まれた授業だと思います。
卒業生は、さまざまなメディアで活躍しています。外国語を武器にした海外特派員をはじめ、政治や経済、官庁などの取材・報道などで輝いています。新聞社だけではなく、放送局や出版社などでも力を発揮しています。
メディア(新聞)の重要性と創大生の役割について。
私は2014年春から、創価大学ジャーナリズムセンター長を務めています。このセンターは、現代日本のメディアに関する総合的研究を行うだけではなく、メディア関連企業を志望する学生のサポートをしています。たとえば、新聞、出版、放送といったメディア業界を志す学生たちが作るジャーナリズム研究会をバックアップしたり、現場で活躍するジャーナリストらの講演会を企画したりしています。
所属する学部学科において専門領域を掘り下げるとともに、ジャーナリズムセンターのガイダンスや懇談会などに積極的に参加して、広くメディアで通用する実力を磨いていけば、一歩一歩、夢に近づいていくはずです。
メディアに関心のある創大生は是非、ジャーナリズムセンターに登録しましょう。皆さんが一人でも多くメディア関連企業にチャレンジし、自らの将来を見つめて研鑽に励み、活躍の舞台を得られることを期待しています。
創大生はメディア、とりわけ新聞記者に向いていると感じます。全体的な傾向として、「社会に貢献したい」「世の中を変えたい」という思いを持った学生が少なくないからです。今後、インターネットがさらに発達を遂げても、情報の発信源となる新聞記者の役割、重要性は変わりません。その大舞台で、どれだけの創大生が活躍するか。
たしかに、一般に「新聞離れ」が進んでいると言われます。新聞全体の総発行部数も減り続けています。このまま新聞はなくなるのでしょうか。私は、そうは思わない。記者出身だから、というわけではありません。石油が産業のコメと言われるように、「新聞は社会のコメ」と考えているからです。新聞は、市民が生きていくうえで、なくてはならない不可欠のものなのです。
いくらインターネットが進展しても、事実の伝達を中核的に担うのは新聞です。Yahoo!ニュースなどに注目が集まっても、そこにニュースを提供しているのは主に新聞なのです。ネットのニュースサイトが独自に取材しているわけではありません。ニュースを取材して提供する新聞などがあってこそなのです。今後も、私たちは新聞と長く付き合っていくだろうと思います。
最後にメッセージ
メディア就職は大変厳しい状況が続いています。競争率が数百倍というメディアもあるほどです。しかし、本学から今年度(2015年度)、新聞社や通信社(新聞社などにニュースを配信する報道機関)の記者として5人が内定しました。
経済学部の女子学生は、開学以来40年あまりで初めて全国紙に女性として内定を決めました。法学部の女子学生も、開学以来初めて通信社に記者として内定しました。新聞記者などメディアの仕事は男性のものというイメージが強いかもしれませんが、女性の力を社会は待っていると感じます。これからの時代は、メディア業界もまさに「女性の世紀」なのです。
男子学生も負けていません。努力の結果、地方紙の中でも有力なブロック紙、準ブロック紙、経済業界紙に入社を決めています。
皆、互いに切磋琢磨しながら、自らの道を切り開いていきました。もっとも、初めから順調だったわけではありません。勉強を始めたころは、正直言って合格ラインははるかかなたの感もありましたが、あきらめずに作文を何度も何度も書き直しました。まるで約30年前の私を見ているかのようでした。
通信社に入社する女子学生は、典型的なその一人です。2年生の時から私の研究室に出入りして約4年、粘りに粘り、3回目の挑戦で記者の仕事をつかむことができました。
彼女は3年生で海外の大学に留学し、帰国後メディア各社に挑むも、不採用となりました。その年の秋採用にも挑戦しましたが、またしても涙をのみました。普通ならここでメディアをあきらめそうなところ、持ち前の負けじ魂で留年して再び挑戦することを決意しました。しかし5年生の夏、全国紙や地方紙、テレビ局まで20社近く受験しましたが軒並みダメでした。一時は進路変更も考えましたが、あくまでも記者になりたいとの思いを燃やします。そして、開学以来、創大生が入社したことのない通信社を受験し、内定を勝ち取ることができたのです。「先生や仲間たちの支えがあり、ここまでやってこれました」と笑顔で語る姿が印象的でした。
私が在学中、創立者は創大祭の記念講演で、「波浪は障害にあうごとに、その堅固の度を増す」という哲学者の格言を、人生の指針の一つとして学生に示されました。この言葉を基にして、私が今、メディア志望の皆さんに贈りたい言葉は、「努力」そして「執念」です。
たしかに、メディアに入るのは簡単ではありません。しかし、私の経験から、社会の動きを伝えるメディアの仕事はやりがいがあると断言できます。社会に貢献する、社会を良くしたい、という希望は必ず実現します。「努力」さえすれば夢はかなうのです。ただ、競争相手も努力を怠ってはいません。その中で、あなたが状況に負けず、わずかでもリードするには何としても夢を現実にするという「執念」が不可欠です。
後輩のためにも一歩を踏み出してください。教員として出来るかぎりサポートします。
[好きな言葉]
ここに内容を記載します
[性格]
不撓不屈
[趣味]
大胆かつ細心
[最近読んだ本]
奥平康弘『ジャーナリズムと法』