「アメリカの貧しい子どもたちに生きる力を!」貧困問題に真正面から向き合い、世界市民として活躍する卒業生
中学3年生の夏、アメリカ・ロサンゼルスへ行ったことを機に、世界を舞台に働きたいとの思いが芽生えた亀山さん。創価大学法学部法律学科を卒業後、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で都市計画学の修士号を取得。その後、オークランド市経済開発局の職員、サンディエゴ市再開発局の職員を経て、現在は民間資本と貧困地域の架け橋となることを目的に、コミュニティ開発金融機関LIIF(Low Income Investment Fund)に勤務しています。
本年6月2日(木)、文学部「人間学」の授業では約400名の学生を前に、「アメリカの貧しい子どもたちに生きる力を!-世界市民としての実践報告-」と題して講演を行いました。
久しぶりに創価大学に戻ってきた亀山さんに、チャレンジする度に壁を乗り越えてきた経験や現在の仕事についてお話を聞きました。
はじめに、アメリカで働くことに興味を持ったきっかけを聞かせてください!

私は1歳半の時、父を交通事故で亡くしました。その後、母が女手一つで私と妹を育ててくれました。専業主婦だった母は仕事に就くため、独学で英語と資格取得を目指し、寝る間を惜しんで机に向かっていました。その努力が実り、母は外資系の会社で秘書兼通訳として正社員となり、私たち姉妹は何不自由なく育つことができました。苦しくても弱音一つはかない母の背中や周囲の方々の温かい励ましによって、父親がいない寂しさを感じることはありませんでした。
母のすすめもあり、創価中学校・高等学校に進学しました。「何のために学ぶのか」を自問する中で漠然としたものでしたが、世界平和に貢献できる力をつけたいと夢を抱くようになりました。
中学3年生のとき、夏期研修でアメリカ創価大学のロサンゼルス分校(現:アメリカ創価大学)に行きました。空気、自然、食事、施設など存分に楽しみ、アメリカが大好きになりました。それまで海外に興味のなかった私ですが、「アメリカに戻りたい」との一心で勉強に励み、創価大学進学後は必ず長期留学しようと決めていました。
また、母の影響もあり、昔から本を読むことが大好きでした。特に感動したのが、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」(1862年)です。人間不信と憎悪の塊であった主人公のジャン・バルジャンが、司教との出会いによって、正直な人間として新しい自分に覚醒していく心境の変化など描かれています。縁によって変化する人間の心情や社会の不正義、不平等を考えるきっかけを与えてくれました。
そして、大学3年次には念願のアメリカ留学。「世界市民」への第一歩!

大学入学後は、とにかくアメリカに行きたくて英語の勉強に励みました。3年次には、創価大学の派遣留学生として、アメリカのチャールストン大学で学ぶことができました。アメリカ南部サウスカロライナ州の田舎町にキャンパスは位置し、「アメリカ=ロサンゼルス」を思い描いていた都会のイメージとのギャップに驚き、1日目にして日本に帰りたくなりました(笑)。しかし、住めば都で様々な国から来る留学生らとすぐに仲良くなり、充実した留学生活を送ることができました。特に、先入観で物事を判断してはいけないことを学びました。世界で起きている人種差別などは先入観から入ることが多いと思います。新聞やテレビのメディアの情報だけでなく、自分の目で直接見て、その国の人たちと話すことによって、先入観の壁をなくなり、そこから世界平和の第一歩がはじまることを心から感じた留学となりました。
帰国する時には、もっと力をつけ、将来はアメリカで働きたいとの思いが、これまで以上に膨らみました。学生時代の留学経験が、貧困問題と向き合う現在の仕事のきっかけになったと思います。
進学したカリフォルニア大学バークレー校!壁を乗り越えた先に手にした仕事
1998年に創価大学法学部法律学科を卒業後、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の修士課程(都市計画学)に進学。期待と喜びに胸を膨らませての留学でしたが、最初のクラスに参加した瞬間に天国から地獄に落ちた気分になりました。研究目的が明確ではなかった私は、授業についていくことに必死でした。ほとんどの授業がディスカッション形式で進み、周りの院生はすごい勢いで発言します。皆の意見に相槌を打つのが精一杯で、一言も発言することなく90分の授業が終わることもあり、何度もみじめな思いをしました。それなりに勉強ができると自負してきた私が人生で初めて落ちこぼれる体験をした時期でした。


そんな時、私を支えてくれたのは周りの方々でした。「大学院にいる間にインターンシップをした方がいいよ」とアドバイスしてくれ、「とにかく履歴書を置いてこい」と背中を押してくれました。言われるがまま履歴書を書いて、オフィス等を訪問しました。その後、カリフォルニア州のオークランドシティの商工会議所から連絡があり、「ウチでインターンはどうだ?」と声をかけていただき、大学院で学びながら経済や人口のデータを扱う行政の仕事に携わることができました。その後もインターンシップ先で知り合った方を通じて、いくつかの会社で働くことができました。アメリカは自分で動いてチャンスを掴む社会だとあらためて感じました。
無事に修士課程を終え、行政や企業などでインターンシップを複数経験したことも評価され、オークランド市の経済開発局の職員として正式に採用されました。
英語もままならない状況にも関わらず、市議会に提出する資料の作成などを担当しました。ミーティングで飛び交う英会話にも苦戦し、キーワードをノートに必死に書きとめ、業務時間が終わってからデスクで考える日々が続きました。就職して2年が経った頃、家族のいない孤独さ、アメリカでの次の目標が見えず仕事が楽しめなくなってきたことなどが重なり、日本への帰国を考えるようになりました。
日本に一時帰国する度、日本からアメリカに戻る飛行機の中で涙を流すこともありました。その度に、「世界市民」に成長すると大学時代に誓ったことを思い返し、自分が今いる場所から逃げずに頑張ろうと決意を新たにすることができました。今ではオークランドが第2の故郷と言えるほど大好きな町です。その後、サンディエゴ市再開発局の職員として、ダウンタウンの開発など大規模な都市計画の仕事に携わりました。そして、現在はロサンゼルスに移動り、アメリカの貧困問題と真正面から向き合う仕事に従事し、新たなチャレンジをしています。学生時代に掲げた、世界の諸課題を解決に向けての第一歩を踏み出しました。

アメリカにおける貧困の問題、亀山さんの現在の仕事について教えてください。

2014年から現在のLIIF(Low Income Investment Fund)に勤めています。コミュニティ開発金融機関として1984年にサンフランシスコで設立され、民間資本と貧困地域の架け橋となることを目的に、貧困地域の住宅、学校、託児所、クリニックなどへの融資事業を行っています。
アメリカにおける貧困の問題として、資本主義の構造的問題や過剰な競争社会があげられます。良し悪し含めて全てが自己責任の風土があり、貧困者への経済的な支援などの理解を得ることが難しい社会だと思います。また、移民、奴隷制や人種隔離といった差別の歴史などもあり、貧困率はアメリカ国民の6人に1人、子どもの4人に1人とも言われています。貧困者数と貧困率は1960年代からほぼ変化がなく、縮まらない貧富の差がアメリカ社会の課題であると感じます。
貧困者が抱える問題の一つに「住居」があります。ロサンゼルスのダウンタウンには、賑やかな街の一本脇の通りには、家賃が払えず路上で生活している方が多くいます。私が勤める会社では、貧しい地域の住人を中心に、貧困者の生活向上を目的として地域に投資していく「コミュニティ開発」に取り組んでいます。その具体的な手法としては 、アフォーダブルハウジング(低所得者のための住宅)、学校、託児所、職業訓練、医療、若者の支援、小売店・スーパーの誘致、落書きの除去・建物の修理・リフォーム、その他のサポートプログラムなどが主な内容です。
私が担当するアフォーダブルハウジングでは、過去の公営住宅の失敗に学びながら、机上のまちづくりではなく、民間開発の住宅で、貧困者だけでなく様々な所得層が混在する地域にあったものを目指しています。開発資金源は、半分以上が民間投資家からの投資で銀行ローン、州や市からの財源で建てられていることが多いです。

教育の面からも貧困問題に取り組まれているんですね。
私はアメリカの子どもが希望をもって学べる社会にしたいと思っています。公立小学校の場合、地域によって学力レベルが決まっており、貧困家庭の子どもがレベルの高い学校で学ぶことは難しいといった課題があります。そういった課題に対して、1990年代から増えつつあるのが「チャーター・スクール」です。学校区から独立されているため、教師の雇用、カリキュラムなど到達目標を定めて自由な学校運営が可能となりました。貧困地域では、レベルの低い公立小学校に代わる選択肢として注目され、カリフォルニア州の標準テストでも高いスコアをあげている生徒もいます。
子どもの能力を引き出すうえで大事なことは、貧困地域の子どもは学べないといった先入観を捨て、教師が子どもに教えることに集中することであり、そういった校風をつくっていくことだと思います。子どもはクラスメイトの影響を受けながら育っていきます。また、「やればできる」との自信を与えていくことで子どもは伸びていきます。
私の大事にしている創立者池田大作先生の言葉に、「人間は等しく幸福になる権利をもっている。それを実現するための価値創造の教育、人間主義の教育が創価教育である」とあります。現在の民間資本と貧困地域の架け橋となるコミュニティ開発金融機関の仕事を通じて、一人でも多くの貧困地域の子どもがよりよい教育環境で学べるよう尽力していきたいと決意しています。

最後にこれからのキャリアと学生へのメッセージをお願いします!

大学院卒業後は、地方行政の立場で貧困の問題に携わってきました。たくさんの貴重な経験をさせてもらいましたが、それと同時に、官僚主義、政治的利害など、行政の限界というものも感じました。また、どんな崇高な目的をもった事業・プロジェクトでも、ビジネスとして採算が合わなければならないということも学びました。しばらくは、民間セクターで、ビジネス、マーケットの知識、そして競争力をつけたいと思っています。その上で、将来はやはり、公共政策の現場に戻れたらと考えています。
創価大学は文部科学省のスーパーグローバル大学創成支援にも採択されており、私の学生時代よりも海外に行って学べるチャンスは増えていると思います。現地に行くことでわかることがたくさんあります。私も言葉が思うように通じず、みじめな思いをしてきました。その中でも常に心がけてきたのは、上司や同僚、周囲の方々に対して「誠実」に接することです。そこから信頼関係がうまれ、新たな道がひらけてくると思います。英語が話せることだけでなく、英語で多くの人たちとコミュニケーションをとりながら協力して働ける力がグローバル社会では大事であると感じます。学生の皆さんには自分の信じた道を真っ直ぐに進んでもらいたいです。
[好きな言葉]
誠実
[性格]
人に対しても自分に対しても寛容。おとなしめに見られるが、芯は強く、やりたいと思ったことはやりとげないと気がすまない。
[趣味]
かつては運動が大好きでしたが、今は子育てと仕事で趣味なし人間になってしまいました(泣)。
[最近読んだ本]
「Enrique’s Journey」 ホンジュラスに住む一人の少年が、アメリカに出稼ぎに行ったっきり帰ってこない母親に会うため、一人、アメリカまでの危険に満ちた陸路を行くノンフィクション。