東日本大震災のときに交わした創大柔道部との約束 - 東北ナンバー1の最強姉妹が歩む創大日本一への道

岩佐 遥 文学部人間学科3年/ 岩佐 碧 教育学部児童教育学科1年

「東日本大震災後の『一緒に頑張ろう。創大で待っているよ』との先輩たちの言葉が一番の励ましになりました。」と語るのは、創大柔道部全国ベスト8の立役者となった岩佐遥(はるか)さん(文学部3年)・岩佐碧(あおい)さん(教育学部1年)姉妹。震災当時中学3年生と1年生だった姉妹はその後、東北ナンバー1の力を付け、創価大学へ進学します。すべては創大日本一のために。東北が生んだ最強姉妹にお話を聞きました。

柔道をはじめたきっかけを教えてください。

柔道をはじめた頃従兄弟たちとの写真
柔道をはじめた頃従兄弟たちと

遥さん(姉):幼稚園の年長のときに、従兄弟と一緒に柔道をはじめました。競技自体に興味はなかったのですが、柔道を始める前にする準備運動が楽しそうだったので、準備運動をやってみたいという全く関係のない理由からですね。(笑)
碧さん(妹):私は、小さい頃から姉の背中を追いかけていたので、姉が始めたので私もというかんじですね。姉が6歳、私が4歳のときです。
遥さん(姉):小さい頃は、習い事の一つという感覚だったので、柔道ばかりやっているのが嫌でピアノを習ってみたい、習字に行きたい、絵画教室に通いたいとよく目移りしていました。ピアノを習いたいと思ったときは、柔道を取るかピアノを取るか一番悩みましたが、楽譜が読めなくて諦めました。(笑)
碧さん(妹):私も、バスケットが楽しそうだなと思ったことがありましたね。小さい頃は、柔道も弱くて試合でも緊張でお腹が痛くなって棄権してしまうぐらいだったんです。だから辞める口実を探していました。お母さんから「自分で柔道をやると決めたんだから小学校まではちゃんとやりなさい。中学校に行ったら好きにしていいから」と言われて、それで柔道を続けました。今思えば、お母さんはなんでも途中で諦めて負け癖がついてしまうことを心配していたんですよね。

お母さんの助言もあり柔道を続けてきたお二人が、創大柔道部を知るきっかけになったのはいつですか?

家族旅行で訪れた創価大学で撮影
家族旅行で訪れた創価大学で

遥さん(姉):小学生の頃、長期休みを利用してよく東京に家族旅行をしていました。ディズニーランドなどの観光スポットを巡ると、次の日は創大に行くのがお決まりのコースでしたね。そして、創大に行くと必ず柔道場の前で記念撮影をするんです。私が小学校6年生のときには、大学で柔道の練習をさせてもらえることになり、初めて道着を持って大学に行きました。憧れの創大生を前にガチガチ緊張してしまい「ソウダイニイキマス」と片言で挨拶したことを今でも鮮明に覚えています(笑)。練習後には、円になって創大生が懇談をしてくれて、色々な話を聞くことができて夢のような時間でした。創大に柔道部があることを知ってからは、創大に行くことが私の夢になりました。

碧さん(妹):私は、小学校4年生のときに創大柔道部が初めて日本一になり、創立者池田先生に優勝旗を渡す場面を見たことがきっかけです。柔道部の1人ひとりに優しく声をかけられる様子を見て、私もこんな風に優勝して、創立者に優勝旗を渡したいと思いました。

初めて参加した創価大学柔道部の練習
初めて参加した創価大学柔道部の練習

中学生になったお二人は2011年3月11日に東日本大震災で被災。その直後、復興支援のために東北を訪れていた創大柔道部と出会います。

東北を訪れていた創大柔道部との写真
東北を訪れていた創大柔道部と

遥さん(姉):私たちが住んでいたのは被害が大きかった多賀城市の隣町でした。自宅も海のすぐそばで、フェリーの停泊所もあり、釣りをしている人も多くいるような場所でした。震災があった日は卒業式の前日で、友達と自転車で20分くらいの距離にある多賀城市のジャスコに行くため、待ち合わせをしていました。友達が家の用事で遅れるというので、時間をつぶしていたら、地震が起きて・・・立っていられないほどの強い衝撃と横揺れがあった後に、津波があと3分でくるという放送があり、無我夢中で逃げました。当時通っていた中学校に避難し、すぐに妹と合流しました。後で聞いた話ですが、震災当日に行く予定だった多賀城市のジャスコは屋上まで津波が来てしまい、屋上に逃げた人も流されてしまったそうです。もし、友達が遅れていなかったら自分は今ここにはいないかもしれないと思います。
碧さん(妹):私はちょうど中学校で卒業式の準備をしているときに被災しました。家族全員無事でしたが、電気もガスも付かないので、学校の教室の一角で3週間ほど避難生活を送りました。幸い自宅は高台にあったので浸水などの被害を免れました。

遥さん(姉):そんなときに、創大柔道部が復興支援の一貫で仙台大学の合同合宿に参加することになり、避難所へ激励に来てくれるという話を聞いたんです。
碧さん(妹):地域の方が、「創大の柔道部の人が来てくれるよ。宮城県で柔道って言ったら岩佐姉妹が一番だと思うから、ぜひ会いに行ってみたら」と声をかけてくれました。柔道部の皆さんは、被害の状況を心配しながらも将来の夢や色んなことを聞いてくれました。最後に私たちに「一緒に頑張ろう。創大で待っているよ」と声をかけてくれて、それが大きな励みになりました。

それから二人は着実に力を付け、高校時代にはそれぞれ東北No.1にも輝きます。他大学からのオファーがある中、震災のときに交わした約束を守り、創大に進学した岩佐姉妹。憧れだった創大生活はいかがですか?

遥さん(姉):創大柔道部は、結果よりも試合内容や、試合までどう戦ってきたかという過程にこだわります。競技だけでなく、どのような寮生活を送っているのかも重要です。一番徹底されていて驚いたのは寮掃除でした。日常の掃除が年末大掃除のような規模で行われます。桟(さん)や額縁の上や電気のカサまで拭く。少しでも埃が残っていたら、先輩から指摘されます。何でこんなに徹底して掃除をするのか最初は疑問に思いました。でも、先輩方から柔道部が生活をする誓峯寮は、創立者をはじめ創大柔道部を応援してくださっている方々の真心で建てられた寮だと伺いました。だから、寮を長く大切に使うために丁寧に掃除をしていることにも納得しました。柔道部の活動はいつも私たちを陰で応援してくださっている方の真心に誠実に応えたいという思いが、根本になっています。

碧さん(妹):週に1度、大学の近隣清掃もしています。冬に雪が降ると皆で雪かきもします。これは監督から聞いた話ですが、柔道部の新しい寮が完成したときに、監督が近隣のお宅にご挨拶に行ったそうです。そのときに、開学当時、創立者と奥様が近隣のお宅を一軒一軒訪問されながら「学生がお世話になります」と丁寧に挨拶をされていた話を伺い、創立者自ら近隣の皆さんを大切にされていたことに大変感動したそうです。学生寮があるということは、騒がしくなってしまったり、ご迷惑をかけることもあると思いますから、近隣清掃や地域活動を通して、日頃お世話になっている皆さんに恩返しをしていきたいと思っています。

寮生活もクラブ活動もずっと姉妹一緒ですが、お互いの変化は感じますか?

創大柔道部のみんなとの写真
創大柔道部のみんなと

遥さん(姉):私にとって妹が大学に来たことはプラスでした。寮生活も一緒なので、だらしないところ見せられないと思って気が引き締まります。妹が一生懸命、掃除や練習を頑張っていたら、もっと自分も頑張らなきゃと思いますし、自分にとって一番負けたくない存在ですね。
碧さん(妹):大学に入って自分と向き合う時間がすごく増えました。今までは、柔道を勢いに任せてやってきたところがあり、気分によってムラもありましたが、悩みに向き合っていかないと成長できないということも感じています。お姉ちゃんも創大に入学して包容力が増したというか、良い面がさらに伸びてきたなと思います。私にとっていつもお姉ちゃんは大きな存在ですね。
遥さん(姉):壁にぶつかっている妹の姿を見て、本当に変わったなと感じます。こうやって壁にぶつかるくらい、一生懸命自分自身と戦っているんだなと思います。姉と妹である前に、柔道部の先輩・後輩なので、お互いに甘えが出ないようしっかり立て分けていきますが、これからも陰で見守っていきたいと思っています。

4月に熊本で大きな震災がありましたが、今回の大会は並々ならぬ思いで臨んだ大会だったのではないですか。

遥さん(姉):東日本大震災で被災したときに、一番励まされたのは創大柔道部の活躍でした。私たちは、「創大で待っているよ」と直接励ましも受けましたし、その後、柔道部の活躍の様子を目にする度に、「負けていられない、頑張ろう」と思うことができました。今度は、私たちが被災地の方々を励ませる存在になりたいと思いました。
碧さん(妹):私も同じ気持ちです。私たちの頑張っている姿が、誰かを勇気付けられるなら、本当に嬉しいですし、誰かが頑張っている姿を見て、嫌な気持ちになる人はいないと思うんです。だから、私自身が力の限り頑張ることで多くの人を元気付けたいと思いました。

東京都大会では、3人制の部に出場し、去年3位だった雪辱を晴らし、見事優勝しましたね!

集合写真

碧さん(妹):決勝戦の相手は昨年、準決勝で敗れた早稲田大学でした。私が先鋒で臨んだのですが、相手選手は個人戦の全日本チャンピオン。関節技が得意と聞いていたので、注意していたのですが、腕の関節をとられてしまい、絶対絶命のピンチになりました。腕が折れてしまうんじゃないかと思うくらい、ひじが逆側に伸びていて、何度もタップアウト※したくなりました。でも、三人制は最初の一本を取れるかどうかが勝敗に大きく関わります。腕は限界でしたが、頭はどこか冷静で、周りの声援も聞こえてきました。先輩たちが「頑張れー、頑張れー」と叫んでいる中で、お姉ちゃんの「耐えろーーーー」という声が聞こえてきて(笑)。そこで、なんとか踏みとどまり、一本を取られずにすみました。その後、得意の払い腰で一本を決めることができ、勝つことができました。
遥さん(姉):妹が1年生ながらこれだけ粘って勝ちを取ってくれたので、チームの士気も上がり、良いムードを作ってくれました。後輩として大きい仕事をしてくれたと思います。続く中堅の矢部さん(文学部2年)は、粘り強く攻勢を仕掛けましたが僅差で破れてしまい、一勝一敗に。勝負の行方は大将戦へ持ち越されました。昨年は、都大会の準決勝でも、全国大会の準決勝でも早稲田大学に敗れ、悔しい思いをしました。とくに、私が決勝進出をかけた代表戦で負けてしまったので、自分のせいで日本一を逃してしまったという思いがありました。だから、なおさら私が皆を引っ張って必ず日本一を取ろうという強い決意で臨みました。結果は押さえ込みで一本勝ちを収め、優勝。全国大会への切符も手にすることができました。

続く全国大会では3回戦で優勝候補といわれる関東代表の桐蔭横浜大学と対戦。試合は手に汗握る一進一退の攻防戦になり、遥さんが執念の一本勝ちを収めたものの、力及ばずベスト8となりました。

碧さん(妹):私が先鋒で試合に臨んだ相手は同じ1年生。実力も相手の方が上というのはわかっていました。挑戦者という思いで挑みましたが、力が及びませんでした。最低でも引き分けになれば、勝ち目はあると思っていたので、すごく落ち込みました。監督や先輩から「ここからどう這い上がっていくかが大切だよ」と言ってもらいましたが、気持ちになかなか踏ん切りがつきませんでした。ここまで悔しい思いをしたのも初めてだったと思います。最近になってこの気持ちと向き合えるようになってきましたね。悔しい悔しいだけじゃなくて、どうして負けてしまったのか、自分を見つめようと。
遥さん(姉):優勝候補と言われる相手でしたが、絶対に勝ちたいと思って試合に臨みました。負けたことは本当に悔しいです。でも、ここで意味のある負けにしていかなくてはいけないと思っています。悔しいことは悔しいけれども、この悔しさをバネにできる。何のための負けなのか考えることが大事なんだと思いました。

悔しさを胸に日本一に向かって走り続ける最強姉妹の瞳はいつも前を見つめていました。今後の決意をお願いします!

碧さん(妹):まずはレギュラーを勝ち取ることから頑張ります。選手としての自覚を持って、自分のやるべきことをしっかりできるようにしていきたいです。お世話になっている先輩、そして監督に今度は嬉し涙を流してもらいたいですし、監督を胴上げしたいですね。そして、勝ったときも負けたときもいつも励まし、1人ひとりを大切にしてくださる創立者に優勝旗をお届けしたいです。
遥さん(姉):私にとっては来年が最後のチャンスです。柔道は大学までと決めているので、妹と一緒に戦えるのも来年が最後。幼い頃から追いかけてきた創大柔道部として創立者に日本一をお届けする夢を必ず叶えて、3年間負け続けてきたのは、来年日本一になるためだったんだと思える一年にしていきます。

※タップアウトとは、関節技や絞め技等、体を固定することによってダメージを与えられる技を受けた時、あるいはアクシデント等が原因で、技を受けている選手が戦意喪失・試合続行不可能と判断した場合に、レフェリー・審判員に対して降参の意思表示をすることにより試合を決着すること。タップアウトをした選手はその時点で敗北となる。

いわさ はるか Haruka Iwasa

[好きな言葉]
あなたが太陽なんだ
[性格]
おおらか。よく食べてよく笑う。
[趣味]
料理(得意料理は餃子とオムライス)
[最近読んだ本]
青年抄、宿命(東野圭吾) 
いわさ あおい Aoi Iwasa

[好きな言葉]
ありがとう
[性格]
負けず嫌い
[趣味]
寝ること、音楽を聴くこと
[最近読んだ本]
世界から猫が消えたなら
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