公平な裁判のために不可欠な「民事訴訟法」とは?

法学部生であった学生時代、中国語が好きで、そのことが「入口」となって北京大学に留学し、民事訴訟研究の道に進むことになったと言います。「実体法ではなく、あくまでも手続ルール専門」なので、講義で難しいと思われ“民訴”が眠くなる“眠素”にならないよう苦心していると、ユーモアを交えながらインタビューに丁寧に分かりやすく答えていただきました。
<div style="text-align: right;"><span style="color:#808080;"><span style="font-size:14px;">※掲載内容は取材当時のものです。</span></span></div>
いきなりですが、ご自身のホットニュースを教えてください。
九州大学出版会から来年2月に本が出版される予定です。共著で内容は日本と中国の民事訴訟法の比較研究です。私が下関におりましたころから九州大学で日中の学者間で研究会が開かれていました。両国の訴訟法を比較検討し、その研究成果を書籍にしようと15年越しの計画でようやく発刊にこぎつけました。その間、私もですが九州にいた諸先生方も多くは移動され、中国の著名な民事訴訟法の研究者であられた楊先生も亡くなられました。それでも、実現の運びとなりましたことをとても嬉しく思っています。
中国の民事訴訟法を専門に研究されているのですね?
一貫して中国の民事訴訟法、民事裁判を研究してきました。日本法と比較しながら、中国に調査に行っては論文等にまとめております。何しろ書物を読んだだけでは実態がよく見えてきません。
丁度、日本が規制緩和で司法改革が始まった時に、中国も計画経済から市場経済へと同じような方向で改革が進められました。成熟度は違うのですが、比較すると面白いところがあり、その研究を続けています。
2011年に本学法科大学院に着任してからは、中国法の講義ということでは民事訴訟法に特化し教えてきましたが、司法試験の受験生を相手に日本の民事訴訟法を教えています。ロースクールでの授業は、私の研究とはかけ離れているように見えますが、司法試験は結果がストレートに数字で出てきますので、緊張感もやりがいもあります。
民事訴訟法とは、難しそうな学問ですね。
民事訴訟法は学問として高度だと言うつもりはありませんが、民法等の方がまだ親しみやすい法律かも知れません。民事手続というと分かりにくいところがあって、学生さんからも難しいと思われているようです。
私の学生時代から「“民訴”は『眠る素』と書く」って、先生方がよく仰っていたんです(笑い)。内容が捉えにくくて受講していて眠くなるのでしょうか。今私は、ロースクールのほか、学部生と通教生の講義も担当していますが、それぞれの学生さんにどうしたら分かっていただけるか。何とか面白味を持ってもらおうと試行錯誤しています。
民事訴訟法に携わった動機や経緯を教えてください。
大学は法学部に進学し、法を学ぶなら語学はドイツ語等がよいのでしょうが、「これからは、いろいろな意味で中国が脚光を浴びる」と周りの人から教えられ、中国語を学び出したのです。
卒業後、北京大学に一年間留学することができ、その後、日本の法律事務所から派遣されて中国で仕事をする機会に恵まれました。中国に関わる仕事を何かできないかと考えた時に、法律、特に民事訴訟法を学部時代に学んだ経験しかなかったので、中国の民事訴訟法を研究しよう、と決めました。正直、研究者になったのは、どちらかというと法律から入ったというよりも中国語から入ったと言えるかもしれません。
最近、医療事故に関するニュースを見ることが多くなりました。
民事訴訟法の視点からみますと、医療訴訟で損害賠償を請求する時には、権利を主張する者が事実を主張し証明しなければなりませんが、それをそのまま貫きますと患者の側には情報がありません。手術で医療ミスがあったのではないかと医療事故の疑いを持った時に、果たしてミスがあったかどうかという検査記録や手術記録などの資料は全て、医師の側にあります。
その場合、どのように裁判を行うかといった訴訟手続のルールを定めているのが民事訴訟法ですので、医療訴訟で患者を救うといっても、学ぶ視点が、手続をどう進めれば適正で公平な納得の行く裁判になるかという話になってしまいます。その辺りが、身近に感じられず捉え難いと言われる所以なのかもしれないですね。
公平な裁判について、詳しく教えてください。
国際事件ですが、実はこの間、担当の弁護士さんが研究室にお見えになったのですが、日本で出版された本が相手を傷つけたということで中国で起こされた慰謝料請求の民事訴訟の相談でした。
原告に有利な判決が出たのですが、被告の財産は日本にあるのです。中国での判決を日本で執行することになりますと、今度はその判決を日本で認めるかどうかという裁判が必要になります。結局、日本と中国の間では、「理論」上認めることはできないということを申し上げるしかなくて、判決結果もそのようになってしまいました。
民事訴訟法としては、その「理論」、解決のための手続を語ることになり、裁判に関わる話でも、臨場感溢れるイメージのつかみやすい話にはなり難いです。裁判の話を聞いてみたいというときには、おそらく、どのような事件が起こったのかという事件の内容と、それが裁判、法によりどのような結果になったのかという解決内容に興味をもたれるのではないかと思います。しかし、権利を裁判で実現するには、手続ルールがどうなっているか。例えば、いかに公平に審理を進めるか、いかに同じ土俵に乗せるか。それが適切でないと権利者が自分の権利を実現できなくなります。そういった事柄を私は研究していて、つまり、私の専門は実体法ではなくて手続法なので、裁判は裁判でも中身そのものではないのです。
日本の裁判と中国の裁判はどう違うのですか?
2年前、上海の裁判所に行きまして、日本の裁判と中国の裁判がどう違うのかということを調査しました。
先ほど「公平に」と言いましたが、日本では当事者がイニシアティブをとり、自らの責任をもって訴訟を行います。例えば、証拠を集めるのも提出するのも当事者で、うまく行かないときも敗訴という形でその不利益は当事者に帰します。逆に裁判所が手を出すことは許されず、裁判所による手助けの仕方によっては、他方の当事者からすれば不公平にもみえる場合が出てくるわけです。
それに対し、中国は農民が多く法的な知識もないということで、裁判所がもともと何でもやる仕組みになっていたのです。ところが、ご存知のように経済構造が変わってきて、裁判に出てくる案件は日本と大して変わりません。
その中で裁判官が何でもやるというのは無理な注文になってきました。すると、一方では、日本の先ほど述べたような裁判を中国のような土壌で行ってしまって、あまり実効性のない裁判というのが沢山出てきました。
それでは裁判制度本来の機能を発揮できないということで、改革の動きがありました。中国の裁判官、研究者の間で、私もそうした研究会等に出させていただき、意見交換をしていますが、どのように裁判をしていったらいいかと、日本のロースクールや司法研究所で教えられている裁判のやり方、また、ドイツのやり方、それを採り入れようと、調査、研究、改革が進められてきました。中国の法学者や裁判官が、日本に留学し帰国した学者達に話を聞いたり、自ら日本やドイツ等に調査に出かけたりして、進められているところです。
しかし、現段階では、良心的にやろうとすればするほど裁判官が頑張らないといけないようでした。私が取材させていただいてたいへんお世話になった先進的な取り組みをされていた裁判官は、司法改革の座談会の席上で40歳代で突然死してしまいました。過労死だと言われ、早すぎる死が悼まれています。
とても悲しく、残念な出来事で、中国が目指すべき裁判は、今はまだ個人の力量で無理せずには成し遂げられないのだという状況が見えてきてショックを受けました。
日本の裁判が改革の参考とされているのですね。
中国の裁判の変化には、中国の民事訴訟を見続けてきた私には感慨深いものがあります。日本がなぜそこで参考になるかと言えば、亡くなられた中国の裁判官は、「中国の裁判官は『保母』である。」と仰っていましたが、日本は、裁判官は親切で面倒見がよいと言われています。そこで中国がもし参考にするのであれば、日本の裁判は大いに参考になるだろうと思われ、私が留学した当時、経済についても同じことが言われていました。経済は、日本が最も社会主義的であり、だからこそ参考になるのだと。近くて遠い国と言われることもありましたが、日本と交流することは昔も今も中国にとっても大事だという認識は変わらないようです。
中国の大学をいくつか訪問し、気付いたことをお聞かせください。
ここに来る前年に山形の大学に勤めていまして、中国の大学をいくつか訪問した際、「創価大学」の名前があちらこちらにあることに驚きました。創価大学が中国と非常に交流が盛んであり歴史があるということを知りましたので、私が創価大学に着任することになった時には、とても嬉しく思いました。
更に、創価大学学は北京に事務所も設立(2005年)されており、留学生のサポートや協定を結ぶ大学との連携強化にも取り組んでいますので、研究の場所としてはとてもありがたいです。調査の際には、北京の事務所、また、卒業生には随分とお世話になりました。北京で創価本学からの留学生達とも会いましたが、生き生きとしているのが印象的でした。
手続ルールを見ていくポイントは何ですか?
民事訴訟法は手続法ですから、審理をどうやって進めていくかを知識として得ることも大事です。ただ、それ以上に、その手続一つ一つに意味があって、その背景にはどのような社会になるのか、どのような経済状況なのか、そういったものが反映されます。手続の意味を知ること、考えることが重要だと思っています。
また、法をどのように運用していくか、法が生きた法として、手続として有効で適切であるためにどうあるべきか、実質的なところも加味して手続ルールを見ていくのが難しくもあり面白いところだと思っています。
誰も不公平な、権利が実現しにくい裁判は嫌だと思うでしょう。では、どうしたら皆が納得できる裁判にするのか、というのを手続ルールから見ていく。その時に、事件によって、異なる方がよいところも出てきます。医療過誤の例もそうですが、ルールがあっても、その使い方がどのような場合でも全て同じだったら、公平な裁判にならないこともあります。けれども、行き当たりばったりで行う法に則らない裁判、どうなるか分からない裁判では困ります。そこで理論とか解釈とか苦労して裁判官も学者もいろいろ提言していくわけです。それが段々と形になっていくということもみていただきたいです。そういう意味で関心を持っていただき、立法論でも解釈でもしてもらえたら面白味を持って学べるのではないかなと思っています。
ロースクールの学生に接していて、感じることは何でしょうか?
本学のロースクールに入って来る学生さんは「民衆のための弁護士」という理念を持っていて、その理念を実現しようと学んでいるので、本当に頼もしい限りです。皆さん、いろいろな思いを抱いていて、家庭状況も様々ですし、私が想像もつかないような辛い思いを経験して法科大学院に入って来る人もいます。
特に、裁判というのはアクションを起こす方が大変な仕組みになっています。困っている人が大変になるという仕組み、傾向があり、訴えられた方がある意味、楽だと言えます。藁をもすがる思いで裁判をする、そういう人を助けたい、助けられる弁護士になりたいと強い思いを抱いているのは、学生さんの生い立ちや体験からも来ると思います。
弱い立場にいる人が裁判に近寄れなくて、泣き寝入りするのは防ぎたいと思います。しかし、公平ということになりますと、双方とも「私人」ですので、別ルールというわけにはいきません。先ほどの医療過誤だとか特別な類型の事件だと、ようやく弱者を救うような理論が出て来ているというところです。ちなみに、中国は、弱者保護ということを打ち出した民事訴訟法を目指したのですが、そのために裁判官が全てを担うことは今後ますます難しくなるでしょう。
主な著作、論文の内容をまとめて仰っていただけますか?
これまで書いた本としては、中国の建国後初めての民事訴訟法の改正にあわせて出した国際比較法シリーズ『現代中国民事訴訟法』(1992年,晃洋書房)や、その後、改革開放が進んだ後の中国の民事訴訟について概観した『現代中国の民事裁判─計画から市場へ、経済改革の深化と民事裁判─』(2006年,成文堂)などがあります。
『民事訴訟の仕組みと理論』(2014年,北樹出版)はロースクールの講義録を少し易しくまとめたもので、これを使って学部でも通教でも教えています。あとは論文等になります。
現在、日々教えているのは日本の民事訴訟法ですが“中国民事訴訟法の小嶋さん”と言われています(笑い)。
単著『現代中国の民事裁判…』(2006年)を要約していただけますか?
計画から市場へと改革を進める中国において、民事紛争はどのように解決されてきたのか。第1部では、急務となった司法と審理方式の改革を我が国との比較において論じ、第2部は、法条と運用、最高法院の解釈等錯綜し、制定時とは大きく異なる中国民事訴訟の概要を解説しました。
丁度、計画から市場への転換に伴い、司法改革が始まった時の中国の審理方式の変革が、日本のように穏やかでなく、余りにも急激なので目を引かれました。丁度変わっていく激動の中でのことでしたので。
①見えにくかった中国の民事裁判を少しでも見えやすくして、比較出来たらという視点で書きました。②経済と社会の変化によって民事裁判がどう変わるのか。国の考え方によって民事裁判がどう変わるのか。実際にそれが機能していくのか、見極めたいと思いました。また、調査の時にご協力いただいた中国に進出している企業にとっても興味深いのではと考えました。
中国の研究者の方々との交流は、今でも続いていますか?
北京大学に私が留学した時は、授業では他国の法律を教えていました。改革解放後の中国の法律はまだ制定され始めたところだったので、中国の法律の授業ではなかったです。また、広州出身の先生だと訛りもあり聴きとれなくて、最初、泣いて帰ろうと思ったくらいです。
その後、中国社会科学院法学研究所の先生方にも大変お世話になり、また懇意にしていただきました。一時連絡が途切れた時に、ある先生のお嬢さんが私がシンポジュウムに出た時に訪ねて来てくださって、また交流が復活し、今はそのお嬢さんと親しくさせていただいています。四半世紀以上の歴史があります(笑い)。
思えば、ただただ中国語が好きで、そこから中国という国へ入っていって民事訴訟の研究に進んだのです。性格は非闘争的と言いましたが、元来、引っ込み思案でしたので、一人で旅に出たこともなく、外国にも行ったこともなかったです。そんな私が、初めて海外へ行ったのが北京留学だったのです。その時の印象が鮮烈で、以来、中国にずっと関わっていきたいと思い、そこから元々学んでいた法律というところに戻って来た次第です。

[好きな言葉]
泥中の蓮
[性格]
非闘争的
[趣味]
散歩、旅行
[最近読んだ本]
給食のお兄さん 浪人(幻冬舎)
[経歴]
- 早稲田大学法学部卒業、北京大学法律系(当時。普通進修生)
- 早稲田大学大学院法学研究科博士前期課程、博士後期課程修了。博士(学術)
- 国際比較法シリーズ『現代中国民事訴訟法』(単著)、晃洋書房、1992年
- 『現代中国の民事裁判―計画から市場へ、経済改革の深化と民事裁判―』アジア法叢書25(単著)、成文堂、2006年
- 『民事訴訟の仕組みと理論』(単著)、北樹出版、2014年