「何があっても負けない」-4年間不屈の闘志を燃やし続けた主将が、感謝を胸に箱根路を駆ける!

セルナルド 祐慈 経営学部経営学科4年

「この4年間を振り返ると感謝しかありません。入学当時、自分はどん底でしたから」そう語るのは、先月行われた箱根駅伝予選会を見事3位で通過し、明年1月2日、3日の箱根路に再び青(冷静)と赤(情熱)の襷をつなぐことになった陸上競技部駅伝部のセルナルド祐慈主将。昨年の予選会で14位というまさかの結果に皆が意気消沈する中、インタビューで彼は「自分達らしく新チームを築きあげ、この悔しさを忘れず、必ず予選会を突破します」と笑顔で語っていました。その言葉どおり、どんな苦難にも、悔しい現実にも立ち向かい、箱根路への切符を勝ち取ったセルナルド主将。その強靭な精神力の根底にあるものは今まで自分を支えてきてくれた人へ恩返しがしたいという感謝の心でした。はじけるような明るい笑顔が魅力のセルナルド主将に話を聞きました。

箱根駅伝予選3位通過、おめでとうございます!

セルナルド主将の部屋に貼られたチームスローガンと個人スローガン
セルナルド主将の部屋に貼られたチームスローガンと個人スローガン

 ありがとうございます!このような結果に自分たちが一番驚いています。
 1年前、主将になったばかりの頃は不安しかありませんでした。高校時代も陸上部の部長を務めたことはありましたが、創大駅伝部は強化クラブとして大学からの期待も大きく、責任も高校時代の比になりません。不安がある中でのスタートでした。
 昨年14位で箱根への道が閉ざされた時に、まずチームで行ったことは、目標を立てることでした。各自が1年間どんな目標を立てて頑張っていくのか。個人目標とチーム目標を立てようということになり、決まったのが「1秒1秒の重みを胸に走れ。その一瞬を最後だと思え」というスローガンでした。
 駅伝競技は、個人競技のように思えるかもしれませんが、予選会では1人が1秒縮めれば10人で10秒の貯金ができ、自分が縮めた1秒が仲間を助ける1秒になります。このスローガンを各自が紙に書いて部屋に貼り、練習の時も試合の前も皆で声を出して確認し合っていきました。自分の個人目標は「強靭」と定めました。精神的にも身体的にも強くなって、皆をしっかり引っ張っていきたいという思いからです。

皆で心を合わせて出発をきる中で、主将として心がけていたことはありますか?

 主将として心がけていたことは特にありません(笑)。陸上部の先輩が「注意することよりも背中を見せていくことが大事」と教えてくださったので、自分自身が普段の生活を隙のないものにできるよう心がけたくらいですかね。毎朝の寮掃除に始まり、トイレのスリッパがちゃんと並んでいるか、郵便物が溜まったままだったり、見栄えが悪くなったりしていないか、電気がつけっぱなしになっていないかなど、身近なところに気付けるよう、自分が率先してスリッパを並べ、ゴミを捨てるようにしていました。寮の掃除は毎朝皆で分担して行っています。
 掃除が終わった後は、きれいに清掃されているかしっかりチェックします。面倒くさいことのように思えますが、そういうところで妥協してしまうと練習や試合でも妥協する癖がついてしまいます。陸上部員を見つけたら挨拶をするのもその一つです。常に周りを把握し、アンテナを張っておくことが、練習や試合の時に回りの状況を広く見渡すことに繋がっていきます。日常生活の意識を高めることが、選手としての実力を磨くことに繋がっていくので、部員達には日々の生活を通して、陸上競技の向上につなげてもらいたいですね。

毎朝の寮掃除の様子
毎朝の寮掃除

人にやらせるのではなく、まず自分が実践する-その背中を見てきた部員たちの成長を実感できたのはいつですか?

全日本大学駅伝予選会で力走するセルナルド主将
全日本大学駅伝予選会で力走するセルナルド主将

 全日本大学駅伝予選会ですね。それまではなかなか試合でも満足のいく結果を残せていませんでした。結果として、創価大学は棄権することになりましたが、選手達にも勢いがあり、チーム全体が手応えを感じていました。長い間実践してきた練習はちゃんと実を結ぶんだと皆が実感した瞬間でした。留学生として今年の春に加入したムイルがレース中に倒れたことも大きな転機になりました。留学生がメンバーとして加入することになった時、監督・コーチから留学生に頼らないチームを作ろうと言われ、自分自身もその思いでやってきてはいました。しかし、実際に加入してみるとムイルは、練習でも試合でも実力を発揮していて、予選会はムイルがいるから大丈夫という思いがどこかでありました。
 でも、ムイルが全日本の予選会を棄権し、その原因が慣れない食生活と環境変化へのストレスだと聞いた時に、ムイルに負担をかけすぎていたなと思いました。
 そこでチーム全体として、もっとムイルとコミュニケーションを取って、ムイルがいなくても予選会を突破できる実力をつけていかないと駄目だよねと話し合い、チーム全体に「自分が予選会を突破させるんだ」という思いが芽生えていきました。ムイルも段々と日本語を覚えてくれ、部員ともよくコミュニケーションが取れるようになりました。今にして思えば、全日本駅伝予選会は通らなくて良かったとすら思います。あの時の棄権が無ければここまで強いチームにはなれませんでしたから。ムイルに頼ったチームのままだったら、箱根駅伝予選会3位の成績はありえなかったと思います。

全日本予選の敗退がチームをひと回りもふた回りも強くし、チームワークを更に強固なものとしていった駅伝部ですが、予選会当日はどんな作戦を立てていたのですか?

 当日、チームが行った作戦はスイッチ作戦というものです。スタートして最初の10キロはムイル、大山、自分の3人がタイムを稼ぎ、残りの9人は集団走をする。そして、10キロを過ぎたところから、当日のコンディションや10キロを走り終えた身体の状態をみて各自が単独走に切り替えます。この作戦が決まったのは、予選会の数日前でした。最初から最後まで集団走で行った方が良いという意見とタイムを稼ぐ単独走をもっと増やす体制が良いという意見と、それぞれメリット・デメリットがあり、なかなか意見が一つにまとまりませんでした。自分自身、2年前の予選会の時に集団走の力は実感していました。当日は緊張もしますし、練習どおりに走れるとは限りません。
 上位のメンバーがどれだけタイムを稼いでも、9番手、10番手の選手がその貯金を使ってしまえば、予選会を突破することはできません。
 集団走をすることによって、しっかり選手一人ひとりが実力を発揮し、20キロを走り抜けたという自信を持たせてあげたいとも思っていました。何度も選手同士で話し合いを重ね、バスで移動中も、ストレッチをしている時やお風呂に入っている時も意見をぶつけ合いました。そうするうちに、お互いの思いも理解し合えるようになり、集団走の良いところと単独走の良いところを兼ね備えたスイッチ作戦が生まれました。皆あらいざらいに意見をぶつけて、本当に熱かったですね(笑)でも、本音を言える関係を築くことができたんだなと実感した瞬間でもありました。

集団走で立川駐屯地を疾走する部員たち
集団走で立川駐屯地を疾走する部員たち

見事、そのスイッチ作戦が功を奏し、予選会3位という結果になりました!

胴上げされるセルナルド主将
胴上げされるセルナルド主将

 自分はムイルとペア走をしていたので、実際の場面は見ていないんですが、集団走は本当によく声をかけあって、コミュニケーションを取りながら走れていたようです。
 その甲斐あって、力を温存して10キロを通過、皆が余力を残して最後の10キロにスパートをかけることができました。そのお陰で予想以上のタイムになりました。ムイルとのペア走も順調でした。監督・コーチからも10キロまではペア走をして、ムイルの様子を見守りながら、本人に余力があるようなら10キロ以降からゴーサインを出してほしいと言われていました。ムイルは試合で20キロを走ったことがなかったので、本人も不安が大きかったのではないかと思います。
 なので、緊張している時は「リラックス」、オーバーペース気味の時は「ストップ」と声をかけながら、様子を見守っていました。
 ムイルに頼らないと言ったものの、大事なチームのメンバーなのでしっかり走りきってもらいたかったですし、ムイルや他の部員が力を出し切れたことは本当に嬉しかったです。レースが終わった時に、大学の応援団の皆さんが喜んでいたので、予選会を突破できるタイムで走りきれたことは確信しましたが、結果は最後の最後までわかりません。喜びたい気持ちをぐっと堪えて、まだ「わからないから」と部員達に声をかけ、冷静さを保つようにしました。3位というコールを聞いたときは、本当に驚きました。スイッチ作戦を立てた時は良くても5位と予想していただけに「やったやったぜーい!」って皆でぴょんぴょん飛び跳ねて喜びました(笑)人生で初めて胴上げしてもらってすごく気持ちよかったです。

予選会3位の裏側には夏合宿で故障者が相次ぐという事態も発生。セルナルド主将も怪我に見舞われ苦しんでいたと伺いました。どんな思いで乗り越えましたか?

 怪我をしたのは夏の二次合宿の終わりでした。駅伝出場は最後のチャンス。だからこそ、自分を追い込んで走っていました。自分の競技生活は大学で終わりだと決めていましたから、就職活動のために、新幹線を使って東京と静岡を行ったり来たりしていました。そんな疲労も重なり左足の人差し指の筋肉が炎症を起こしてしまいました。怪我をしたのは入学したての1年生以来。主将として予選会前の大事な練習が続いている時期に、皆を引っ張ることができず本当に悔しい思いをしました。走れなくてもやれることは全てやろうと思い、治った後に良いフォームで走れるようフォームの研究をしたり、マッサージをしたり・・・ようやく皆と走れるようになったのは9月下旬でした。
 辛い時期でしたが、自分は沢山の方に恩があります。高校時代、瀬上監督に声をかけてもらった当時は、大学で陸上競技を続けるつもりはありませんでした。大学に進学したい思いはあるものの、我が家は自分と4人の弟妹がいる7人家族で、経済的にも大変でした。瀬上監督が創価大学には奨学金制度が充実していることも話してくださり、大学で競技を続ける気持ちが生まれたんです。本当にありがたいなと思いました。
 高校はそこまで陸上の強豪校でもなく、全国高校駅伝に出場したことも無いチームでしたから、本当にありがたかったです。だからこそ、競技で結果を残せるようにと決意して入学をした矢先に怪我をしてしまったことは本当にショックでした。完治まで3ヶ月かかり、本当に落ち込みました。3ヶ月という長期間になると、怪我をしている選手も大抵は完治していきます。始めは怪我をしていた仲間もどんどん回復をしていく中、自分はいつまでたっても復帰の目処が立ちませんでした。県では3000メートル障害といえば敵無しで、インターハイの出場経験もありましたが、創大駅伝部には強い選手がごろごろいました。実は入学した当時のタイムは下から2番目。プライドもへし折られて寒い八王子で一人もくもくと筋トレをしていると、何のために入学したんだろうという気持ちに苛まれていきました。そんな自分を監督やコーチは、決して見捨てず他の選手と同じように見ていてくれました。走れない自分のことを信じ、大事にしてくれるその心に本当に救われ、絶対故障のままで終わりたくないと思い、乗り越えることができました。
 何かに失敗した時、そこで諦めたら失敗は失敗で終わってしまいます。たとえ失敗しても、前に進んで最後に成功すれば、その過程でいくら失敗してもそれは全て成功に繋がる価値のあるものになります。自分は、最後に笑えれば良いと思っています。だから、「失敗した」「怪我した」「記録がでない」ことも、自己ベストを出すために、強くなるために良い経験だったなと思えるようになりました。
 この4年間で一番の変化は感謝できる自分になったことですかね。監督・コーチ、両親、仲間-その感謝があるからこそ、何があっても負けないと思えるんです。4年前は予想もしなかった道を今歩んでいます。人生、何があるかわかりませんね。

夏合宿の様子
夏合宿にて

セルナルド主将を支える強さは感謝から来ているのですね!最後に箱根駅伝本選に向けての決意をお願いします!

駅伝部のみんなと撮影
駅伝部のみんなと

 2年前は予選会を通ってお祭り騒ぎで気づいたら箱根駅伝当日になっていたというのが正直な感想でした。今回のチーム目標は、シード権獲得なので、主将としてシードを獲得できる大学の雰囲気をつくっていかなきゃいけないと思っています。皆で熱い意見をぶつけ合いながら、シードを獲れるチーム作りをしていきます。今年は選手の層が厚くて、全日本大学駅伝の予選会を走ったメンバーが箱根駅伝の予選会を走っていなかったりするので、チーム全員が箱根に出てやるという闘志を燃え上がらせています。応援してくださる方も「創価大学はすごいぞ」と応援しがいのあるレースをしていきますので、みなさん、応援宜しくお願いします!

セルナルド ゆうじ Cellnaldo Yuji

[好きな言葉]
ピンチはチャンス
[性格]
前向き、 ポジティブ
[趣味]
ゲーム (fgo、バイオハザード)
[最近読んだ本]
ドラゴンラージャ、これからの「正義」の話をしよう
 
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