「グローバル」と「ローカル」の両面から国際関係の本質を探る!
若葉の緑が目に染みる5月中旬、ローカルな視点で物事を考え、グローバルな課題を紐解く中山准教授の“知のさばき方”を伺うことができた。「国際関係論」は正直、馴染みが薄く遠い感覚を抱いていたが、「どんな社会的課題もグローバルな構造的歪みがそこに落とし込まれている」との説明に、地に足の着いたライフスタイルの大切さにあらためて気づかされた。勉学への意欲が深まるミニ講座をどうぞ!
衆議院事務局ではどういう仕事をしていたのですか?
国会のシンクタンクに当たる調査局に4年、次いで、立法過程の中心である委員会をサポートする委員部に4年、計8年勤務しました。
調査局は、各府省庁が出してくる法案や予算を国会で審査するための参考資料を作成したり、国政に関する予備的調査等を行う部署です。農林水産調査室や決算行政監視調査室に所属し、様々なレポートを書いたり、外国の法制度や政策に関する英文資料の翻訳等を行っていました。
委員部に移ってからは、国土交通・農林水産・予算・外務・北朝鮮拉致問題等いろんな委員会を担当しました。憲法・国会法・議院規則のほか、先例などの各種ルールに則って、適正な審議手続きの確保ができるよう委員長を補佐することが仕事です。常に政治情勢を読み、刻々と変わる国会の動きを把握しながら、委員長の発言草案等を作成していました。
早稲田大学で、2014年に博士(学術)の学位を取得されました。学位論文について、やさしく解説をお願いします。

一昨年、学位論文の一部を改稿して、初めての拙著『東北アジア・サブリージョンにおける内発的越境ガバナンス』(早稲田大学出版部)を上梓しました。これは、東北アジア、即ち日中韓に加えてロシア、モンゴル、北朝鮮を含めた範囲での地域主義や越境協力に関する研究成果をまとめたものです。
地域主義と聞くと、EU(欧州連合)とかASEAN(東南アジア諸国連合)のように、国家の集合体(国家連合)形成というイメージを抱く人が多いかと思います。私は、それに対して、国家の一部からなるローカルの集合体(自治体連合等)、それをサブリージョン(下位地域)とも呼びますが、そうした新しい「場」での越境協力に着目しました。
人々の生活圏に近いこうした新たな「場」において、国家以外のアクター(行為主体)が国境を飛び越えて問題解決のための合同プロジェクトを推進していく。その役割が、一定の影響力を持って国家中心の地域秩序を組み換えていくという新たな地域変容のダイナミズムを洗い出しました。「国際行為体研究への秀でた学術的貢献」との評価も頂くことができました。
現在は、国の科学研究費をいただき、サブリージョン協力の有効性に関して、より具体的で詳細な検証に取り組んでいます。今年からは射程を少し広げて、インドシナのサブリージョンである大メコン圏(Greater Mekong Sub-region)にも足を伸ばし始めました。

そうした東北アジア地域協力の研究に興味がわいたきっかけについて教えてください。

私が学部生だった頃に、本学の創立者が平和提言において、「北東アジア平和フォーラム」の設置を呼び掛けられているのを知ったのが、最初のきっかけです。折しも2000年代初頭は、朝鮮半島の南北共同宣言、中露の善隣友好条約締結、そして日朝平壌宣言など、対立と緊張が続く東北アジアに大きな変化の兆しがみられました。学術界からも「東北アジア共同の家」なる構想が出され、注目を集めるようになっていました。
しかしながら、東西冷戦の分断線と戦争にまつわる負の遺産を背負ったこの地域で、そんなユートピア的な構想が本当に進むのだろうか。こうした素朴な疑問から興味を持ち始め、自分なりの回答を得たいと早稲田大学大学院に進学しました。
専門分野の「国際関係論」は比較的若い学問ですね。

国際関係論は、もともと第一次世界大戦を止められなかったという反省から欧米で生まれ、第二次世界大戦後に飛躍的に発展した新しい学問分野と言えます。戦禍や甚大な被害を繰り返すことなく国際秩序を構築するための必要性が広く認められ、その期待に基づいて学問的な研究が本格化したのです。つまり、国際関係論は学問の出発段階から「戦争をいかに防ぐか」という平和志向・政策思考を内包していたわけです。私の研究もその延長線上にあります。
ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士は「構造的暴力」を提唱し、平和研究の新方向を確立しました。
第二次大戦後、米ソ冷戦がエスカレートして核戦争に至る恐怖が広がる中で、何とか最悪の事態を回避しようと核戦略批判に重点をおく「平和学」が誕生しました。国際関係論の中でも、平和の価値を前面に打ち出す立場です。
そして、1960年代後半、その平和学に、パラダイムシフト(発想の転換)が起こります。インドの学者スガタ・ダスグプタが、「平和ならざる状態」(peacelessness)、即ち「戦争がないことだけが平和なのではない」との問題提起を行い、それを、ガルトゥングが、「構造的暴力」(structural violence)という概念で定式化したのです。つまり、貧困や飢餓、差別、抑圧などの社会的不正義を生み出す社会構造を、行為主体を特定しにくい「暴力」であるとし、それを除去することが「積極的平和」であるとしたわけです。
こうして、貧困とか環境問題とか、戦争よりも射程の広い「暴力」を平和の対義語に充てた学問に発展していきました。近年では主体論、つまり国家とか国家以外のアクターであるNGOやNPO、自治体、地域機構とか、それらの相互作用も含めて、「国際社会単位の再編成」に注目が集まっているというのが全体の流れでしょうか。
ゼミでは、参加体験型学習「グローバル・シミュレーション&ゲーミング」を実施しているそうですが。

国際関係論は、学生から見れば馴染みが薄く遠い感覚を抱いてしまいがちです。そこで、ゼミでは、まずはリアリティーを持って体感してもらうことを目的に、様々な行為体の指導者に扮して政策決定を考える参加体験型学習を行っています。サイボウズLive(チーム運営に必要な機能が揃ったチームのためのグループウェア)を利用して、各指導者がどのように国内外の政治・経済状況に関わっているかを、ゲーミングを通じて疑似体験してもらいます。
参加者には、日中韓、米国、ロシアといった国家アクターのほか、非国家アクターとして国連やNGO、自治体、企業などの政策決定者(首相・大統領、事務総長、知事、社長等)の役割を演じてもらい、一つの問題が起こった時に、どういった関係性がそれぞれのアクター同士で築かれるのかを実感として学んでもらいます。現在の国内外の諸問題に対して、どういう選択肢(政策)が存在するのか、どのような選択をすべきなのか、あるいはすべきでないのかを確認することになります。昨年度は、北朝鮮による核実験強行というシナリオから出発したシミュレーション&ゲーミングを実施しました。

ローカルな主体である都市や自治体が、国際秩序に影響力を与えることはあるのでしょうか?

都市や自治体というのは実に面白い存在だと考えています。というのも、それらは、基本的には国家の一部を構成するサブナショナル(下位国家的)な行政主体でありますが、同時に、国家ではないという意味ではNGOのようなトランスナショナル(脱国家的)な性格を帯びた非国家アクターでもあるわけです。つまり、市民に近い存在なのでNGOやNPOとの関わりも持ちやすく、同時に、都市・自治体が動けば国家にも影響力を与えやすくなる。こうしたハイブリッド(異種混交)な特性を持った国際行為体として期待できる、というのが私の見方です。なので、その自治体や都市が国境を飛び越えて課題解決のために結びついていくということは、国家中心のシステムに一定の修正を迫るインパクトを持ちうると思います。
都市・自治体間の連携にせよ国家間の連携にせよ、目的は何かといえば、究極には人々のエンパワーメントというか、人々がエンパワーメントされる状態をいかに作り上げるかということだと思います。だとすれば、そこに関わるのは人々の生活圏に近いローカルな主体であり、ローカルな領域で、いかに政策がうまく回るかが根幹的要件になってくるでしょう。そうするとローカルな場で地域づくりを行う都市や自治体の役割は、スケールを超えて展開していくものと考えられます。
例えば環境問題は、課題解決のため国境や行政単位の枠を超えて協力せざるを得ないという状況があります。
まさにそれが今、重要性を帯びているところですね。環境問題はご存知の通り、国境を越えて広がりを見せ、深刻な状況を示しているケースも多いです。それを国家同士で協力し解決できればよいですが、やはりそこには国益や主権の問題も絡んで中々進まない。問題を引き起こす加害者を特定しづらいという構造上の課題もあります。そういった中で、社会的、環境的な面で直接影響を被っているローカル同士が、課題解決のため国境や行政単位の枠を超えて内発的に相互協力を行うという面が出てくるのだと思います。
また、発展途上地域のローカルにおいては、公共経営というか「まちづくり」のためのノウハウや資金、人材が不足しています。技術移転がなされても継続が難しいのが現実です。その点、日本の自治体は深刻な環境問題を克服してきたという貴重な経験を持っています。その経験を活かし、蓄積された「まちづくり」のノウハウを国際協力に生かす。そういう点で都市や自治体がグローバルないしはリージョナルに越境協力するようになったという面もあると思います。
実は、ローカルな課題とグローバルな課題とは、多くの場合、お互いにつながっています。グローバルな領域で「支配」だとか「分断」だとかの動きがあるとすれば、それはやはり具体的なローカルな場に深く浸透し現れてくるでしょう。ですから、ローカルな視点から課題解決を考えていくことが効果的であり実践的でもあると考えます。ローカルを基調とする「積極的平和」の探求が求められる所以はここにあります。
ゼミでは「まちづくりプロジェクト」を立ち上げ、地域貢献活動に取り組んでいると伺いました。

はい、ゼミでは通常の授業時間以外にも、沖縄スタディツアーやゼミ合宿、フィールドワーク(NGO/NPOでのボランティア活動、市議会傍聴等)などを希望に応じて行うようにしています。「まちづくりプロジェクト」もその一つで、学生が主体的に取り組んでいます。昨年は高齢者の社会参加、今年は子どもの貧困、外国人高齢者、少年非行などの問題に取り組んでいます。
学生達が学んだことというと、社会の仕組みというものがいかに“弱き者”というかマイノリティ(少数派)の人々に優しくないか、「そういう現実を改めて知った」「現代の差し迫った大きな課題を突き付けられた思い」と言うのです。
そこで、昨年のプロジェクトであれば、高齢者の社会参加のために何ができるかと学生達が考え高齢者施設と連携を取り、スマホケース、ガラス雑貨などいろんな物を高齢者と一緒に作って販売するなど、「事業活動を通して高齢者と社会との関係づくりをしてみよう」となりました。初歩的な取り組みでしたが、ゼミ生達が様々な社会的な課題に眼を開き問題意識を高める一つのいい機会を作れたかなと思っています。社会構造に埋め込まれた不条理、即ち構造的暴力の一端を肌で感じることが、大学での質の高い学びにつながっていくと確信しています。
そうした深い学びが卒論の内容にも反映されてくるといいですね?

ここに、今年3月に卒業したゼミ生の論文集があります。印刷製本し大切に保管してあります。「中山賢司ゼミ一期生として何か歴史を築きたい」「自分達の学びの足跡を残したい」「せっかくだから黒表紙の論文集を出そう」と、皆の熱い思いが詰まった卒業論文集です。
テーマは様々で、例えば、「核廃絶と非核都市運動」「熟議の制度と若年者の政治行動」「政権存続と経済安定論の批判的検証」「日本食・食文化の海外展開」「近代ナショナリズムの形成」などですね。いずれも、フィールドワークに基づく確かな現実認識に裏付けられた内容の濃い卒論に仕上がっています。
ゼミでの到達目標は、知識の蓄積だけではなくて、知性を磨くという意味では社会の現象を「科学的」に分析する力を身に付けることにあります。それには、資料の収集や整理の仕方、分析における光のあて方など、包丁さばきならぬ“知のさばき方”を学んで欲しいと思います。それが未来を予測し構想するための力になっていきます。なので、卒論テーマは至ってフレキシブルに(柔軟に)いろんなテーマを選んでいいと話しています。柔らかな感性で詳細な分析の仕方や判断力をぜひ培ってほしいですね。

最後に受験生に向けて一言お願いします!
叶えたい夢や将来の目標も大切ですが、まずは足元から固めてみてはいかがでしょうか。私の好きな言葉に、文豪・吉川英治の次の一節があります。「あれになろう、これになろうと焦るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作り上げろ」と。
高校生の皆さんには、まず歴史をしっかり学んで欲しいと思います。歴史を知ることは、その⼈の教養の基礎となります。そして大学では、現実の社会の不条理と真剣に向き合いましょう!そこから必ず、未来が拓かれるはずです!
[好きな言葉]
「天、我が材を生ずる、必ず用あり」(李白)
[性格]
「正直」「前向き」「びっくり症!?」
[趣味]
サッカー、旅行、国会中継、娘(生後8ヶ月)と遊ぶこと
[学生に薦めたい本]
入江昭『歴史家が見る現代世界』(講談社現代新書、2013年)。
[学歴]
- 創価大学法学部卒
- 早稲田大学大学院社会科学研究科(修士・博士課程)修了。博士(学術)。
- 衆議院事務局参事(調査局、委員部)
- 早稲田大学社会科学総合学術院助手
- 東アジア国際関係研究所研究員
- 法政大学法学部兼任講師
- 創価大学法学部専任講師。2017年4月より現職。
<単著>
- 『東北アジア・サブリージョンにおける内発的越境ガバナンス』(早稲田大学出版部、2015年)
- 『北東アジア事典』(国際書院、2006年)
- 『東アジア共同体の構築4 図説ネットワーク解析』(岩波書店、2006年)
- 『最新日本言論地図』(東京書籍、2011年)
- 『アジア地域統合学:総説と資料』(勁草書房、2013年)
- 『東アジアにおけるサブリージョナル・ガバナンスの研究』(科研費報告書、2016年)ほか