Vol.04

「関西とブラジルが私の故郷!」―大阪・サンパウロ姉妹都市協会主催のポルトガル語スピーチコンテストで協会長賞(第1位)受賞!

山口 朱生 文学部人間学科4年

毎年創大祭では、各種語学分野で素晴らしい成果を発揮し、語学コミュニケーションに長けた学生に贈られるシュリーマン賞の授与式が行われます。本年度、ポルトガル語で初の受賞者となった学生がいました。その学生は、文学部4年の山口朱生さん。3年次には交換留学で、日本からは地球の反対側ブラジルへ留学し、ポルトガル語を磨き、シュリーマン賞受賞基準を突破。帰国後、大阪・サンパウロ姉妹都市協会が主催する第7回ポルトガル語スピーチコンテストでも優勝。就職活動では、本学20年振りとなる大手電機メーカー総合職への内定を決めました。
今回は、「ブラジルへの熱い思いが自身の未来を開いた」と語る山口さんに、学生生活を振り返り、留学や就職活動の経験、今後の抱負について話を聞きました。

ポルトガル語を学ぼうと思ったきっかけを教えてください!

創大祭でのフォルクローレの演奏
創大祭でのフォルクローレの演奏

私はブラジルが大好きでポルトガル語を学びました。そのきっかけは高校時代の出会いです。東京の創価高校2年生のときに、ブラジルの方と交流する機会がありました。遠路はるばるブラジルから来たので疲れているだろうから、私たちが元気を送ろうと歓迎しようとしたのですが、ブラジルの方たちがすごく元気で(笑)、反対に私たちが励まされ、元気をもらっていました。そのことがきっかけで、ブラジルという国にとても興味を持ち、もっともっとブラジルを知りたいと思いました。

その思いを胸に、創価大学に入学し、私はすぐにラテンアメリカ研究会(以下、ラテ研)というクラブに入部しました。ラテ研は各学年20名くらいいるのですが、私の学年だけ部員がとても少なくて。それもあって、一生懸命がんばりました。私はラテ研の中でも民族音楽フォルクローレを演奏の活動に熱中していました。入部して間もない頃、初めてフォルクローレの演奏を聞かせてもらった時に、とても感動しました。ラテンアメリカから一番遠い日本でも、そして、ラテンアメリカについてほとんど何も知らない私が文化を感じる音楽の力ってすごい!これをやりたいって思いました。
これまでの人生で楽器は音楽の授業でやったことがあるくらいでしたが、ケーナという縦笛を始めました。アンデスのフォルクローレ代表曲「コンドルが飛んでいく」で使われている笛です。いろんなところで演奏させてもらいました。創大祭のほかにも、ラテ研の先輩がスターバックスコーヒーでアルバイトをしていたのがきっかけで、お店からお話しをいただいて演奏をしたこともあります。
私たちの演奏が終わった後に、声をかけてくれる人も多くて、「はじめて聞いたけど、すごく良かったよ」とか言ってくれました。私がはじめて聴いたときの感動を、自分の演奏で与えられていることがすごく嬉しかったです。「文化を伝えたい」という大きな思いはあるのですが、何度も演奏を重ねるうちに、やっぱり自分たちが楽しまなきゃ、伝わらないんだなって思っていました。
私は1年次に履修の関係でポルトガル語の授業を受けることができませんでした。そのため、私は、ブラジル留学から帰ってきたラテ研の先輩に「ポルトガル語を教えてください!」とお願いをし、空きコマに教えてもらっていました。2年生になってからは、念願の「ポルトガル語」の授業を履修しました。週に1回の授業でしたが、ブラジルに行くために一生懸命勉強しました。

スターバックスコーヒーでの演奏会
スターバックスコーヒーでの演奏会

ブラジル・パラナ連邦大学に交換留学されたと伺いました。どのような留学生活でしたか?

語学学校の親睦イベントにて
語学学校の親睦イベントにて

3年生にあがる2月から1年間、ブラジルに留学しました。パラナ連邦大学があるクリチバは田舎町なので、治安が比較的安定しています。また、語学学校が大学の中に併設されていました。私は、交換留学だったので、文学部に所属していました。大学と語学学校の両方に通っていて、語学学校は週5日で、授業はお昼の14時から17時まで。水曜日のみ課外活動があり、博物館に行ったり、イベントに参加したりしていました。大学は夜間のクラスを履修し、週4回、通っていました。1コマが2時間で、18時30分から22時30分まで授業でした。

ブラジルに到着したときは、「憧れのブラジルに来たー!」という思いはもちろんあったのですが、正直怖すぎて、本当にブラジルにいるんだというドキドキ感と、日本より治安が良くないので、喜びと不安の気持ちが半々でした。創価大学のポルトガル語の授業の成績も悪くなかったので、授業についていけるだろうと思っていたのですが、実際の語学学校が始まってみると、何を質問されているかもわからず本当に苦労しました。多くの外国人がいるにも関わらず、アジア人以外はポルトガル語に抵抗がないみたいで、さらに、数少ないアジア人である韓国人の学生は、3年間韓国の大学でポルトガル語を学んできた人でした。当初、私は授業の内容が全くわからず、学校に行きたくないと思っていました。語学学校を終えて、大学に行き、帰りのバスの中でひっそりと泣くというリズムでした(笑)。
でもその度に、「何のために来たんだろう」って考え、家も裕福でもないのにブラジルまで送り出してくれた親のことを思ったり、自分は4年で大学を卒業するんだとの決意を思い出したり、ブラジルには勉強するために来たんだという初心に戻って、絶対周りを見返してやるって思って勉強して、意地を張って語学学校も大学も休まずに通いました。
留学して8ヶ月経った10月に、ブラジル教育省主催のポルトガル語の外国人向けの試験(CELPE-Bras)が行われました。8月から対策講座が始まって、9時30分から12時まで講座、お昼から語学学校の通常授業、夜は大学に行くという生活となり、朝8時に家を出て、夜11時過ぎに帰宅するということを2ヶ月半続けていました。ブラジル人の友達にも勉強を教えてもらったりしながら、試験を受けた結果、私は上から2番目の「Avançado(Advanced)レベル」を取ることができました。この試験は合格者が4つのレベルに分けられます。同じ語学学校からも一番上のレベルが取れた学生は、1人だけでした。2番目のレベルが取れた人も僅かで、先生方からとても驚かれました。

ブラジル北部への旅行
ブラジル北部への旅行

苦労を重ね、目覚ましい結果がでましたね!ブラジルでの思い出を教えてください。

ブラジルの伝統的な祭り(フェスタジュニーナ)
ブラジルの伝統的な祭り(フェスタジュニーナ)

ブラジルでは、大学で同じ授業を受けているブラジル人と友達になりました。ブラジルは、家族で集まる記念日や祝日が多くて、父の日、母の日、クリスマスなどは家族全員が集まって、ブラジル伝統のバーベキューのシュラスコを食べるんですが、ある友人が「アキ、ブラジルには家族いないでしょ?うちに来なよ!」と声をかけてくれて、毎回家に呼んでくれました。ブラジルは家族の絆がとても強いです。
ブラジルの友人からは「日本人ってあんまり愛情表現しないよね」ってたくさん言われていました。「しないよね」と言われるとこちらも「そんなことないんだけどな」って思ってしまいます。私はブラジルに行って、「日本人は見えない形の愛情表現」だと思いました。ラテンアメリカは全部表現するっていう文化で、それも良さだなと感じました。

私が留学していたときは、大統領が変ったりして、国が少し不安定でした。大学でもストライキが起きて、最後の2ヶ月間は、学生が立てこもって授業が無くなる日もありました。しかし、問題がたくさんある中で、それでもブラジル人は明るくて、ブラジルのことが大好きという国民性にとても感動しました。あと、すごくおせっかいです。友情を築くうえで大事だなって思いました。日本人からすると、正直、面倒くさいなって思うときもあるのですが(笑)、それがブラジル人の良さだなって思いました。
また、語学学校では、いろんな国から学びに来ているので、たくさんの国の友人ができました。ブラジル留学でできた一番の親友は韓国の友人です。今も連絡を取っています。お互い外国人としてブラジルにいて、不安だったので、一緒に出かけたりする機会が増えました。私が韓国人と仲良くなったのは、似ている文化が多く、話しやすかったからです。ちょっとしたときに「今、空いてる?」って聞ける、そういう間柄になれる大切な友人でした。日本と韓国の関係ついても、たくさん話すことができ、日本のことも深く知る機会になりました。多くの発見がありました。留学にいかなかったら知ることができなかったです。私は、日本人として生まれて、日本で生活しているけど、全く日本の歴史について知らないって思いました。ブラジル人も韓国人も自国の歴史や文化について詳しいんです。すごく尊敬しました。留学して、ブラジルのことがさらに好きになったのですが、日本のことももっと好きになりました。あらためて日本人であることの誇りを再確認することもありました。

韓国人の日本食レストランへ
韓国人の日本食レストランへ

帰国後、ポルトガル語のスピーチコンテストにも挑戦されたと聞きました。

大阪のスピコンで優勝
大阪のスピコンで優勝 

大阪・サンパウロ姉妹都市協会が主催するコンテストに出場しました。ラテ研の先輩が私と同じようにブラジル留学を終えて日本に戻ってきて、出場し1番になりました。だから、私も帰国したら出場して、自分の力をためそうと思っていました。優秀者の1名に選ばれるとサンパウロに派遣されます。がんばればまたブラジルにいけるなって思っていました。
私は「愛する二つの故郷」というテーマで、自分の故郷は、「関西」と「ブラジル」という話をしました。スピーチでは、ブラジルは日本から見たら地球の裏側で、ブラジル人は日本人と文化がまるで違うこと。私は自分で留学を決めたにも関わらず、不安でいっぱいでポルトガル語がずーっとうまく話せなかった。しかし、そんな困っている私を多くのブラジル人が助けてくれました。そばにいて私のことを励まし続けてくれる友人。学校の先生たちは授業外でも助けてくれました。ブラジル人は、他の人々をいたわり、悩んでいる人がいればおせっかいなまでに心配しそばに寄り添っていました。その彼らの姿は私の愛する生まれ故郷である関西の大好きな人々と同じだと心から感じたのです。たくさんの友達がいて、いつでも帰れる場所だなって思って、「留学を通じて、ブラジルが私の第2の故郷になりました」という話をしました。結果として、大阪・サンパウロ姉妹都市協会長賞を受賞することができました。そして、夏にサンパウロに派遣されることになりました。

協会長賞の受賞、おめでとうございます!

サンパウロの交際局長に大阪市長の親善書贈呈
サンパウロの交際局長に大阪市長の親善書贈呈

ありがとうございます。審査員から「言葉に一番心がこもっていたよ」と言われました。気持ちが伝わって嬉しかったです。このスピーチコンテストを経て、今年の9月1日から12日まで、サンパウロに行ってきました。派遣の様子は、「サンパウロ新聞」とブラジルの日系人が読む「ニッケイ新聞」にも掲載されました。
私は、今回、ブラジルの公立学校の見学を希望しました。ブラジルには日本の小中学校にあたる9年制の義務教育があります。私が留学していたクリチバで、実際に目の当たりにした光景は、学校に行けず「食べ物をちょうだい」と物乞いをする子どもでした。ですから、都市部の教育環境を見たいと思っていました。
印象に残った学校は、サンパウロの中のスラム街にある大阪小中学校という名前の学校です。学校にたどり着くまでに、スラム街を通るので心配でしたが、学校の中は素晴らしい教育環境が整っていました。サンパウロと大阪市が協定を結んでいて、日本との交流が盛んなところでした。もちろん公立なので、スラム街の生徒にも開かれている学校です。様々な家庭の子ども達が学びに来ていますが、充実した教育が行われていました。
しかし、サンパウロには、収入が少ない家庭も多くあり、学校にいかず、家の手伝いをしたり、働いたりしている子ども達もいます。

就職活動はどのように進めていたのでしょうか?

実はメーカーしか受けていなかったのです。ブラジル留学に行って、日本の製品の素晴らしさをとても感じていました。私はブラジルの発展に貢献できる仕事がしたいなって思っていました。しかし、それは自分がブラジル人の中に入って仕事をするというよりも日本人というアイデンティティを大事にしながら、ブラジルの発展に貢献できる仕事、日本とブラジルを結ぶ仕事がしたいと考えていました。「日本の強み」である「ものづくり」の良さをブラジルに届けたいと思い、それを軸において就職活動をしていました。そして、将来は、ブラジルに駐在するつもりだったので、ブラジルに支社がある企業を中心に就職活動をしていました。最終的に、三菱電機株式会社(以下、三菱電機)から内定をいただきました。総合職への内定は、本学から20年振りのようです。

20年振りですか!おめでとうございます!

ありがとうございます。三菱電機は、ブラジルには支社だけでなく、工場も持っています。工場の生産工程を自動化するファクトリーオートメーションやビルシステムなどが進んでいます。ブラジルでは、日本の製品は、「品質はいいけど、高いもの」というイメージです。そして、近年は、韓国の企業がかなり進出してきています。会社に貢献し、ブラジルと日本の架け橋になれるようにがんばりたいと思っています。
内定が出たときは本当に嬉しかったです。それまで、就職活動は苦労の連続でした。受ける会社、受ける会社、全部落ちてしまいました。面接官からは、「ポルトガル語ができるのはわかったけども、それだけでは会社では活躍できないよ」と言われ、自分自身は何ができるのか考え抜きました。
実は、もう一社内定をいただいたのですが、決め手になったのは、創大生の採用がしばらく無かったこともあります。他の大手電機メーカーには、何人も行っていて、三菱電機だけはしばらくいなかったので挑戦しようと決意しました。就職先に大学の先輩がいないから難しい部分もあると思うのですが、私が行ったことで少しでも後輩の道が開けるならと思っています。同期入社の他大学の友人から「この前、先輩たちから入社歓迎会をしてもらった」という話を聞くと、自分が後輩の「入社歓迎会を開いてみせる」って思っています。絶対寂しい思いはさせない。自分がパイオニアになると強く決心しています。

語学学校の世界中からの友人たちと
語学学校の世界中からの友人たちと

今後の抱負を教えてください!

私はブラジルに一生関わり続けていきたいなと思っています。日本人として、ブラジルの発展に貢献できる人になるというのが夢です。実は、今、創価大学には、ブラジル人が20人以上も留学に来ています。日本にいてもブラジルの友達がたくさんできる環境なのです。ポルトガル語を話すチャンスも一杯あります。私も多くの先輩にお世話になりました。在学中の残りの期間は、留学を考えている後輩や就職活動を控えている後輩のサポートを精一杯していきたいと思っています。

やまぐち あき Aki Yamaguchi

[好きな言葉]
桃李不言 下自成蹊

[性格]
猪突猛進、よく話す

[趣味]
読書、友人との長電話

[最近読んだ本]
孤宿の人(宮部みゆき)
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