Vol.23

目標に向かって努力し、常勝のチームを築きたい!

榎木 和貴(えのき かずたか) 創価大学陸上競技部駅伝部監督

榎木新監督は、中央大学時代は箱根駅伝で4年連続区間賞を獲得し、キャプテンも務め優勝に貢献。社会人でも別府大分毎日マラソン(2000年)で優勝した実績を持つ。座右の銘は「走姿顕心」。「走る姿にその人の心、魂が現れる」の意で高校の恩師から教わった。選手に望むことは「泥臭い練習で土台づくり」と「絶え間ない努力と自ら求めていく自主性」。3年後の駅伝部創部50周年へのプランも明かして快調にスタートを切った。

監督に就任された現在の心境からお願いします。

トレーニングに励む様子
トレーニングに励む様子

昨年10月の箱根駅伝予選会以降、けが人が出て、私が監督に就任した2月1日の段階でも約半数近いメンバーが故障者で、まともに走れない状態でした。そこから、徐々に復帰させていくところから始まって、ようやく新入生もほぼ皆合流しました。少しきつい練習もやっていて、走れない故障者が少なくなってきて、チーム内にも活気も出てきました。
選手の練習の質や量というのをアンケートでリサーチしました。箱根駅伝の1区間約20㌔をしっかり走れる力がつくよう、練習を見直すという課題が浮き彫りになったので、まずは、じっくり土台を作るところからスタートしています。

創大駅伝部メンバーに接しての感想は?

学生たちを見ていて、私たちが発することに対してすごく反応し、行動に変わってきていると感じます。皆、生き生きしていますし、練習に対する取り組みも、私は以前の状況は知らないのですが、コーチ陣とかマネージャー陣から「選手の取り組む姿勢とか顔色、顔付きが全然違います」と聞いています。少しずつでも刺激が入ってるのかな、という印象を受けます。

監督なりの新しいトレーニング法は?

創価大学の環境は丘陵にあり、林道もあるので、起伏を使ったトレーニングを大事にしていくことで土台が築けます。グラウンドの外周の芝生を利用したクロスカントリーのトレーニングなども多めに取り入れるようにしています。
朝練習も、まずグループでやることを大事にしようと考え、今25~26名で二つ三つに分けたりしながらやってます。箱根駅伝はもちろん、ハーフマラソンの約21㌔を見据え、後半もしっかり勝負できるような脚筋力をつけるためには、土台を作らなきゃいけないと話をし、選手も理解し始め、練習でも積極的にそこを求めるようになってきました。
脚づくりという点では、私は学生時代、1カ月間の走行距離とか脚づくりに必要な練習量などを自分で考えて取り組んでいました。コースの特性とか山登りが得意な選手は、そういう対策を年間通してやっていってました。自分たちで、目標とか課題に対してどういう取り組みをするかを常に考えて行動していました。

トレーニングに励む様子
トレーニングに励む様子

監督就任時のあいさつで、総監督やヘッドコーチ、マネージャーたちと「心を一つにして戦う」と力説されました。

新体制の出発式
新体制の出発式

結果が出ないチームの原因として、選手側の思いと指導者側、スタッフの思いがうまくコミュニケーションが取れていなかったり、スタッフ間でも話の摺り合わせができてないとか、チーム内でまとまりができてないことが考えられます。まずは、スタッフやマネージャーを含めて一枚岩になってやっていかないと、チームづくりというのは変わっていかないと感じます。それが選手に伝わるように、スタッフ間の共有事項というのを持ちながら選手に指導をしていくことを第一に考えて「心一つに」と強調したつもりです。

榎木監督の輝かしい実績の”原点”となったものは?

小学生の時、私は剣道をやっていたのですが、体力づくりで足腰を鍛えるために、兄や父親と一緒にランニングをするようになったのが陸上を始めたきっかけです。父親の仕事の関係で、宮崎県日南市に移り住んで、おいしい魚を食べ、体を作るという点では小さい時から好き嫌いなく、食に関しては親の指導もあったので、自然と身に付いていったかなと感じます。
あとは、中学、高校と、高いレベルの選手たちが集まってくるようなチームで競技活動をさせてもらったので、そういう点ではすごく恵まれていたと思います。
今の自分の指導スタイル、競技観を養ったというのは、やはり中央大学時代の箱根駅伝ですね。創大では、毎日の練習を監督やコーチが管理することが徹底できていますが、私が学生の時は、実業団のコーチが掛け持ちで、週に2回ぐらい見に来るというスタイルでした。付きっ切りでコーチングをされているという感じではなくて、学生主体で練習を進めていくというものでした。創大の選手たちにも「与えられるだけじゃなく、自分たちから求めていく意識を持たないと目標は達成できない」と強調しています。

学生時代に箱根路を走る様子
学生時代に箱根路を走る様子

恩師や師匠との出会いについて、教えてください。

剣道をやっていて、自分の意志で陸上に切り替えたいという思いがあって、兄も同じタイミングで陸上に移ったんです。陸上競技のノウハウを教えてくださったのは、吾田中学校(日南市)の陸上部顧問の田爪俊八先生です。
中学3年生になる時、父親の仕事の関係で転校したんですが、その時に出会った、高崎中学校(都城市)の石川準士先生が順天堂大学で箱根駅伝を経験されている方でした。そういう先生方の「将来、箱根駅伝とか日本の代表となるようなマラソンランナーに」という、常に将来のビジョンを描きながら熱心に指導してくださったという点では、かなり良い影響を受け心から感謝しています。

小林高校(小林市)時代は、3年間、全国高校駅伝レギュラーとして都大路を走っています。

高校時代の様子
高校時代の様子

外山方國(まさくに)先生(故人、元小林高校駅伝部監督)という方は、小林高校の歴史を作ってこられた先生でした。直接的な指導は冨永博文先生に受けました。外山先生から教えていただいた、私の好きな言葉に「走姿顕心」という言葉があります。走る人の姿にはその人のさまざまな心、魂が現れる、という先生の信念を表しています。誠実に競技と向き合うことで、その人の走りが美しく見えるという奥深い言葉です。常日ごろ、競技だけでなく、私生活とか生き方にも心を配り、全てを競技に生かせるようにとの教えも受けました。外山先生は競技の師匠であり、心と人間的な育成をしていただいた恩師です。2年前に亡くなられましたが。

肩にかけるタスキの重みとして実感していることは?

普通の個人のレースだとタスキを付けずにゼッケンを付けて走りますが、その出た結果は自分の評価に全てつながるじゃないですか。でも、タスキをかけた駅伝は、走るのは自分個人ですがチーム戦なので、自分の走りいかんでチームの結果に大きく左右します。その分、責任がある。最初に走る1区の選手は汗の重みというのは、そんなに感じないと思うんです。でも2番目、3番目とつないでいくうちに、それぞれ走ってきた選手の汗が浸み込んだりとか、その重みを感じます。肩に一つタスキがかかるだけで、チームで戦っているんだという思いがわいてくるので、きつくなった時に、もうひと踏ん張りできるというのはタスキの力だと実感します。

創価大学のタスキ
創価大学のタスキ

タスキをかけているからゴールまで走り切ることができるわけですね?

第1回国士舘大学競技会に出場
第1回国士舘大学競技会に出場

はい。タスキをつないでいって走り抜き、ゴールテープを切るというところがチームとしての目標です。よくテレビで取り上げられるように、つながるか、つながらないかというところのせめぎ合いが注目されます。だからこそ、選手はつなぐために一生懸命最後まで力を振り絞って頑張るんです。
それが個人のレースだったら、多分、途中で諦めというのが出てくると思うんです。タスキをかけているからゴールまでちゃんと成立させたいという、そういう思いで皆、必死に走るわけです。日ごろの苦しい練習などを皆で乗り越えてきたとか、一緒に寮で生活してきたとか、そういうもの全てが集結したのが駅伝のタスキにかかるそれぞれの強い気持ちだと思います。

箱根駅伝で古豪や強豪校と言われる大学も、実は途中棄権したり不出場が続いた年もあります。

昨年、4連覇を達成した青山学院大学はじめ、私の母校中央大学(出場回数90回)も、実は、本戦出場を逃し予選会から出場した時期もあります。それが強いチームに変わっている。東海大学も今回が初優勝ですが、箱根駅伝の長い95回の歴史の中で、まだ優勝1回というところでは、多分苦労されていると思います。そこに何があるかというと、選手たちの優勝したいという執念と、先陣切って舵取りをする監督の強い思いが、一つにならないと悲願は達成できないです。
練習のノウハウだけがあっても駄目です。チームとして組織として選手たちに何をすべきか、目標に向かってどういう努力をするべきか、という方向性を示してあげる。これがしっかりと成立したことで青山学院大は昨年、4連覇できました。原晋(すすむ)監督も就任当初は苦労されたと思います。5~6年かけてチームの組織づくりをされてきたので、それが確立しているからこそ、今はあまり手を加えなくてもチームの流れができている。新しく入ってくる学生たちはそこに合わせれば強くなるという、チームづくりができてる。私たちも目指すところはそういうところです。
創価大学も、力のあるケニア人の選手がいますが、その選手ありきで彼に頼るんじゃなくて、日本人だけでもクリアできるくらいの走力、力を付けないと簡単には予選会を通過できない。そこを選手が危機感を持って1年間やり通せるかどうか、ですね。

控え選手について、どのように考えたらいいでしょうか?

チーム一丸で箱根駅伝出場を目指す
チーム一丸で箱根駅伝出場を目指す

箱根駅伝に走れる可能性がある選手というのは16名しかいなくて、控え選手といわれる選手は16名に入らなかった選手を指すと思うんです。その選手たちがいかに走る可能性のある16名をサポートするか。また、マネージャーも含めて選手たちがいかに練習しやすい環境、生活しやすい環境を作るか。その点を共有し合っていないと、目標達成できないと思うのです。
寮生活は私生活を一緒にやることで、いろんなお互いの良い面、悪い面も見えてくる。そこをちゃんと悪いことは悪いとか指摘し合えるような仲間であってほしい。それが総合力につながって、控えといわれる選手も一つになれるし、走る選手たちもそこを感じて「自分たちが走るために周りがどれだけサポートしてくれたことか」となる。走れない選手ほど一生懸命走る選手のために何かしようという行動が見えてくる。そう感じられるようだったら本当に強いチームになれると思います。

創大駅伝部は、3年後の2022年に創部50周年を迎えます。そこへ向けての抱負は?

今年就任1年目から、確実に箱根駅伝本戦出場というのは最低限の目標だと決意していて、3年後には確実にシード権を取れるようなチームづくりを目指しています。5年先には上位争いができるような常勝のチームをと思っています。選手に言ってることは「予選通過がゴールじゃない」「その次はシード権を取れるチームを、シード権を取った先に上位で戦えるようなチームを目指していこう」と常に言ってます。創部50周年の大会で、本当にシード権が取れるような状況を作りたいです。

えのき かずたか Kazutaka Enoki

[経歴]
  • 1974年 宮崎県生まれ。
  • 1990年 宮崎県立小林高等学校入学
  • 1年次より3年続けて全国高校駅伝大会出場。うち、2年次と3年次に全国3位を経験。2年次には4区区間賞を獲得。
  • 3年次に全国高校総合体育大会5,000mで6位。
  • 1993年 中央大学法学部入学
  • 箱根駅伝では4年連続区間賞獲得。3年次の第72回箱根駅伝では、中央大学32年ぶり14回目の総合優勝に貢献。
  • 1997年 旭化成工業株式会社入社(旭化成陸上競技部入社)
  • 2000年の第49回別府大分毎日マラソンで優勝。
  • 2004年 宮崎沖電気株式会社入社(OKI陸上競技部コーチ就任)
  • 2007年 トヨタ紡織株式会社入社(トヨタ紡織陸上競技部コーチ就任)
  • 2011年 トヨタ紡織陸上競技部監督就任
  • 2019年 創価大学陸上競技部駅伝部監督就任
[好きな言葉]
 「走姿顕心」、「今日できることは明日まで延ばすな」
[性格]
几帳面
[趣味]
料理(自分で食べる程度の料理)
[最近読んだ本]
「自分流」(帝京大:中野監督)、「君たちはどう生きるか」
[榎木和貴BLOG『走姿顕心』]
https://mlt.jpn.com/category/keblog/
※駅伝部の練習や活動の様子等が掲載されています。
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