TOEIC200点台から900点に⁉大学での出会いを通して、苦難を未来への糧にする人生へ

「将来は、困難を抱える人々の可能性を解き放てるような人間になりたいです」――そう口にするのは、法学部4年の齋川英明さん。入学当時、明確な目標はなく、漠然と地方公務員になることを考えていた齋川さんでしたが、留学生との出会いをきっかけに世界を目指すように。幼い頃から抱える持病と向き合いながら、人一倍の努力を重ね、アフリカへの交換留学を経験。そして、自身が苦労したことを生かし社会に貢献したいと、大手医療機器メーカーへの就職を勝ち取られました。大変な状況でも世界を見続けた挑戦の裏には、数々の“出会い”がありました。今回の創大Daysでは、そんな齋川さんの学生生活に迫ります。
まずは、創価大学に入学したきっかけを教えてください。

高校3年生の時、地方公務に携わる父の影響で、漠然と“将来は地方公務員に”と考えていました。公務員希望者への支援が整っている大学を見る中で、初めてオープンキャンパスに参加した大学が創価大学でした。そこで出会った創大生が、本当に明るく活発で、自分たちの将来の目標に向かって生き生きと活動している姿に、とても衝撃を受けました。さらに、初めて会ったにも関わらず、私の人生のことを見据えながら受験の相談に乗ってくれ、ここまで親身になってくれるのかと、とても印象に残りました。今まで、上下関係の厳しい野球部で後輩が先輩のために何かをすることが当たり前になっていたので、世界が変わるような衝撃を受けた出会いでした。その後、他大学のオープンキャンパスにも参加しましたが、印象深く心に残った創価大学への進学を決めました。
入学後、すぐに転機が訪れたそうですね。
入学後、寮に入寮して留学生と出会ったことが、大きな転機になりました。それまで、海外の人と話す機会が全くなかったので、留学生や帰国子女の同級生が流暢な英語でコミュニケーションをとる姿に、とても驚きました。当時、私は英語が全くできなくて、テストで半分の点数も取れないし、本当に縁がなかったんです。でも、英語を話す友人の姿が純粋にかっこよくて、好奇心がわきました。日本語が少し話せる留学生と共に生活する中で、自分の視野が一気に広がったように感じ、入学当時は明確な目標がなかったのですが、徐々に“世界を舞台に活躍したい”と思うようになりました。そして、1年次の夏には、フィリピンでのボランティアに参加しました

フィリピンでのボランティアで心に残っていることは何ですか。

一番印象に残っているのは、スモーキーマウンテンと呼ばれるゴミ山を訪問した時のことです。その時に、そこで暮らすある女性が、父親が病気で働けず、12歳の頃から30年以上もその日を生き延びるために1日中ゴミ山でお金になるものを探す生活を送っていて、このままだと自分の子どももそういった経験をしてしまうという不安と苦悩を話してくれました。絶対的貧困と言われる生活現場を目の当たりにし、将来は、そういう人たちに何かできるようになりたいと思い、貢献できる力をつけるために留学に行くことを一つの手段として考えました。
留学に向けての勉強は、どのように取り組まれたんですか。
入学直後のTOEICが200点台だった私にとって、交換留学の条件であるTOEIC730点、TOEFL ITP550点というスコアを達成するのは、本当に高いハードルでした。3年生の夏からの留学を目指していたので、2年生の9月までにそのスコアを達成しなければならず、さらに交換留学ではGPAの基準もあるため、学部の勉強も必死に取り組む必要がありました。
正直、本当にわからないことだらけで、人の2倍3倍はやらないと追いつけないという危機感がありました。朝は5時に起きて単語の暗記から1日をスタートしたり、シャドーイングをしながら登校したりと工夫をし、授業のある日は授業時間を含めて1日最低6時間、長期休みは1日10時間以上、英語の勉強をしていました。また、大学にあるchit chat clubやEnglish Forumを活用したり、寮の留学生と一緒に勉強したりと、アウトプットをする機会も設けました。
猛勉強の末、交換留学に行けることが決まった時は、本当に嬉しくて、支えてくれた人たちへの感謝の思いでいっぱいになりました。
この期間は苦労も多かったそうですね。
実は、私は5歳の頃から成長に伴って背骨が曲がってしまう持病があり、入学前から1年生の冬に手術をすることが決まっていたんです。だから、手術前にできることはしようと、両親と何度も相談し、早い時期にボランティアにも参加しました。予定通り手術は無事に終えたものの、その後の2ヶ月間の療養期間を過ぎても回復が遅く、毎日リハビリをして痛みに耐えながら、時にはベッドの上でリスニングや単語を暗記するなど、しがみつく思いで必死に勉強を続けました。
それでも、痛みや治療で勉強に集中できずなかなかスコアが伸びなくて、「持病のせいで、結局自分は何をしてもだめだ」と、留学だけでなく自分の人生まで諦めてしまいそうな時期もありました。そんな時、当時CSSとして関わってくださっていた先輩に相談すると、「人一倍苦労した分、周りの人を励ましていけるし、将来の宝になるよ。自分の想像のできる範囲内での大学生活はつまらない。120%の大学生活にしようよ」と励ましてくれたんです。その言葉に、今まで病気を理由に自分の可能性を諦めて行動を制限していた、その心を変えたいと思うようになりました。
留学が決まった後も、持病の悪化で再度手術をすることになり、せっかく積み上げてきた努力が無駄になるのではないかと不安になりました。実際に2回目の術後も、はじめは10cm先のペットボトルを取ることも難しいような状況でしたが、どんなに大変でも前に進んでいこうとリハビリや勉強に全力で取り組みました。特に、3年次には残寮生やGLCのリーダーも務めさせてもらっていて、本当に忙しい時期でしたが、留学を通して“将来困難を抱える人々の可能性を解き放てるような人間になるための基盤を作っていきたい”という思いを原動力に、留学に向けての勉強だけでなく、どの場所でも責任を持ってすべてやり切ろうと挑戦しました。そして、無事3年生の8月からアフリカに留学に行くことができました。

念願叶った留学では、どういったことを経験されたんですか。

私は、ケニアのアメリカ国際大学に8ヶ月間留学し、アフリカに関する国際関係や開発経済、平和学などを学びました。留学先の大学には、アフリカ各国からの学生がいたのですが、一緒に授業を受けて議論をする中で、植民地などの虐げられてきた歴史を乗り越えて、これからはアフリカが世界を変えていくんだという話を常々していて、アフリカの団結とプライドを肌で感じるとともに、彼らの学習意欲の高さにとても触発を受けました。みんなとても陽気で明るく、長期休みに田舎街に住む友人宅に泊まらせてもらった時は、大自然囲まれた生活を体感することもでき、本当に楽しい留学となりました。
また、留学先の授業を受ける中で、アフリカで「非行青年」と呼ばれる貧困層の青年たちが暴力などを起こして最終的にテロリストになってしまう実態があることを知り、同年代ということもあり自分に何かできないかと考え、そういった人たちを支援するNGOの学生スタッフを経験しました。私は、サッカーチームなどの居場所づくりを通して支援する施策を考え、実際に現地の青年たちに何度もヒアリングを行い、どうしたらいいかを一緒に考えました。自分と変わらない彼らと膝を突き合わせて対話をする中で、彼らの悩みをどうしたら解決できるのかと、フラットに偏見なく相手の立場に立って考える当事者意識を学ぶことができ、本当に貴重な経験になりました。
そして、彼らがそういった危険性を持ってしまう背景には、社会構造などさまざまな事情がありますが、その一つに「健康」にまつわるものがあることに気づきました。薬物依存や衛生面の問題から健康を害して貧困状態が生まれていたのです。過去の自分と少し重なる部分も感じて、就職活動においても、健康や人々の生活の基盤を支えていくような仕事がしたいと思うようになりました。
帰国後の就職活動の様子を教えてください。
就職活動も、はじめは周囲と比べて焦りがあり、挑戦しても挫けることもありました。しかし、創大の就活合宿に参加し、卒業生の方々や自分の人生を懸けて就活に臨んでいる同期の姿に触発され、自分のためだけでなく、今までお世話になった人たちへの恩返しや社会に貢献していきたいという思いが強くなりました。そして、自分が経験したような病気など、自身の力ではコントロールできないところで苦しんでいる人や可能性が制限されている人たちに、ヘルスケアを通じて貢献していきたいと思い、最終的に医療業界に絞りました。そして、晴れて大手医療機器メーカーから内定をいただくことができ、卒業後はグローバル事業部でマーケティングに携わらせていただく予定です。
比較的卒業生が少ない業界でもあり、さらにコロナ禍でオンライン面接が増え、大変な状況もありましたが、その分何度もエントリーシートを推敲したり面接練習を行ったりと、できる努力を重ねました。ZOOMなどを活用し切磋琢磨しあった同期、キャリアセンターや卒業生のご支援があったからこそ、乗り越えられた就職活動だったと感じています。
今は、人生までを諦めそうになっていた自分を励ましてくれた先輩のように、後輩の力になりたいとCSSとして活動しています。関わらせてもらっている49期生と50期生は、コロナの影響で自分たち以上に将来への不安も大きいように感じます。だからこそ、彼らが創大生活や人生に希望を見出していけるよう「後輩を自分以上の人材に」との思いで真剣に行動する日々です。

苦難を乗り越えてたくさんのことに挑戦された大学生活をふり返っての感想をお願いします。

今振り返ってみると、世界を見続け、困難を原動力に進み続けた大学生活だったと思います。考えてもみなかったハプニングもたくさんありましたが、創立者が贈ってくださった「労苦と使命の中にのみ、人生の価値は生まれる」との指針通り、たくさんの挑戦の中で、自分の人生を根本的に前進させてくれたのが創価大学でした。力を入れた英語学習も、今ではTOEICで900点を取得するまでに成長でき、基礎を築くことができましたし、勉学やさまざまなプロジェクトを通じて、問題解決を考える力を身につけることができたと思います。
今思うと、オープンキャンパスでの創大生との出会いに始まり、寮生活やボランティア、留学先での出会いをきっかけに、自分の人生を見つめることができました。そして、学生生活で挑戦の裏にはいつも支えてくれたたくさんの方々がいて、今はその方々の顔が思い浮かびます。一緒に寮で過ごした友人たち、どんな時も励ましてくれた先輩方、共に世界を目指した戦友のGLCのメンバー、ケニアで出会った友人、CSSとして創大建設に奮闘する仲間、教職員の方々など、たくさんの人にお世話になって、ここまで成長できたと思います。大変な状況も全てを乗り越えて未来への糧にすることができたのは、創大で出会った方々のおかげだと本当に感謝でいっぱいです。
創大生として学ばせてもらった期間は、私の誇りであり、幸せな期間でした。これから社会人として、創大で培った力を活かして「困難を抱える人々の可能性を解き放っていけるような人間」を目指し、頑張っていきます。そして、ずっと応援し続けてくれた両親をはじめ、創大で出会ってお世話になった方々に、人生をかけて恩返ししていきます。

最後に、受験生へのメッセージをお願いします!
創価大学は、入学時には想像もできなかった自分に、大きく成長できる場所です。たくさんのサポート制度や挑戦できる環境があり、それを支えてくれる先輩や同期、教職員の方々がいます。「Discover your potential!〜自分力の発見〜」との創大のステートメント通り、自分だけの可能性を大きく開花できる場所だと思います。
そして、一生涯と言い切れるほど信頼できる友人や同志に出会える場所です。私自身、学生生活で切磋琢磨しあった仲間は、必ず今後の人生でも支え合っていけると確信するほどの財産だと感じていますし、感謝してもしきれないくらい大切な存在です。
ぜひみなさんもこの創価大学で一生涯の友人や同志と出会い、自分の可能性を大きく広げていってください!
[好きな言葉]
冬は必ず春となる
[性格]
温厚、責任感が強い、忍耐強い
[趣味]ドラマ鑑賞、水泳
[最近読んだ本]
『夜と霧』・ヴィクトール・E・フランクル